吃音者とは|3つの症状と定義・歌えるのに名前が言えない理由

吃音者とは|3つの症状と定義・歌えるのに名前が言えない理由
目次

「吃音者」ということばを目にして、手が止まったことはないでしょうか。これは自分を指す言い方として受け入れていいのか、人に対して使うと失礼にあたるのか、それとも正式な呼び名なのか——本人も、家族も、職場で隣に座っている人も、同じところで迷います。ところが、この語そのものを正面から説明した文章は、なかなか見つかりません。

この記事は、まず「吃音者」という言い方そのものを扱います。国立障害者リハビリテーションセンター研究所と日本吃音・流暢性障害学会の解説、ドイツの診療ガイドライン、そして米国の国立の研究所が開いた専門家会議をまとめた総説を出典に、この語が何を指しているのか、なぜ呼び名がいまも動いているのかを確かめます。そのうえで、4人の当事者の言葉をたどりながら、歌えるのに名前が言えないという落差の仕組みと、働くときに報告されていることまでを並べます。

ソンタクマン(toVoice 運営)
吃音当事者。研究論文と当事者の声をもとに、吃音の情報を出典つきで発信しています。

この記事は情報提供を目的としたもので、診断や治療の判断に代わるものではありません。気になる症状があるときは、言語聴覚士やことばの教室にご相談ください。

まず結論から

  • 「吃音」は話し方の特徴で定義されています。音のくりかえし(連発)、引き伸ばし(伸発)、ことばを出せずに間があいてしまう(難発)——このどれか一つ以上が見られる話し方が吃音です。
  • ただし当事者向けの解説は、そこで止めません。吃音の問題は「ことばがうまく話せない」ことだけではなく、「ことばがどもって」「困ること」の二つを合わせたものだ、という定義を立てています。「吃音者」という語が指しているのは、この二つを抱えている人です。
  • 呼び名はいまも動いています。ドイツの診療ガイドラインは「発達性吃音」という用語をもう使うべきでないとしており、脳の回路をまとめた総説は、吃音の定義そのものがいまも議論の対象だと明記しています。
  • 同じ人でも、場面によって出方が変わります。歌うとき、声を合わせて読むとき、誰もいないところでの独り言では吃音が大きく減り、聴衆の前や自己紹介では強く出ます。「話す仕事に就いたのだから克服したはずだ」という受け取り方は、この性質を取り違えています。
  • 働く場面では不利が報告されています。米国の全国調査をもとにした推定では、条件をそろえたうえでも吃音のある人の年収は男女とも有意に低く、その差は7,000ドルを超えました。

ただし、ここに並べたのはどれも「そう報告されている」という水準の話で、出方も困りごとも一人ひとり違います。呼び方の受け止め方も同じで、自分を障害のある人だとは考えていない当事者がいることを、研究の側も書きとめています。

「吃音者」は、使っていいことばなのか

この語をめぐる居心地の悪さは、たいてい二つに分かれています。ひとつは「者」と付けて人を区切ることへの引っかかり。もうひとつは、日本語の「どもる」がとても広い意味で使われていることへの引っかかりです。後者について、当事者本人がはっきり書き残しています。

当事者本人の声(筆名・砂張 五さん/個人ブログ note。会社勤めの経験を持つ難発型の当事者)

言葉が出ない俺たちに対して、周囲の人間は「落ち着いて」だの「緊張しないで」だのという言葉を投げかけてくるが、それで言葉が出てくるなら誰も苦労はしないし、そのコミュニケーションを存在させてしまうこと自体が苦しいのだ。

吃音症という発話障害を抱えていない人の、心理状態によって起きる「吃り」と、吃音症によって引き起こされている「吃り」は全く別のものであって、それらが同じ「吃る」というワードで表現されていることが本来おかしい。

もしもこの日本語表現が分けられていたら、俺たちの傷はもう少し浅かったはずだろう。

職場で鳴った電話を真っ先に取る立場だったこの人は、のちに上司へ「もう取りません」と伝えて押し通しています。その前段に置かれているのが、この一節です。ここで分けられているのは、緊張して口ごもることと、吃音として言葉が出ないこと。日本語ではどちらも同じ一語で呼ばれ、だからこそ「落ち着いて」という声かけが返ってくる。書き手が「本来おかしい」と書いているのは、症状の名前そのものではなく、その一語がもたらす扱いのほうです。この人は、幼い頃に保健室で言葉が出ずに「え、え、じゃなくて!」と叱られた記憶も、同じ文章に書いています。呼び方が足りないと、まず対応が変わってしまう——そして研究の側も、吃音の定義自体がいまだ議論の対象だと明記しています。

出典: 吃音の苦しみを壊した話(note)(台帳: V0066)

順を追って確かめます。まず「吃音」のほうです。国立障害者リハビリテーションセンター研究所の解説は、特徴的な話し方として、音のくりかえし(連発。「か、か、からす」)、引き伸ばし(伸発。「かーーらす」)、ことばを出せずに間があいてしまう(難発。「・・・・からす」)の三つを挙げ、このどれか一つ以上が見られる、発話の滑らかさを乱す話し方を吃音と定義しています。世界保健機関の国際疾病分類にもとづく定義だと明記されています。分類の側では、吃音は9割が発達性吃音——幼児期に始まるもの——で、残りが獲得性吃音とされます。

診断の枠組みの中での位置づけも確かめておきます。6歳児の発達の状態を調べた研究は、その前提として、吃音は音韻の障害・言語の障害とともに「コミュニケーション症」というまとまりに含まれると整理しています。つまり、話す・聞く・伝えることに関わる状態のひとつとして並べられています。

ここまでは「どんな話し方か」の話です。ところが吃音の解説サイトは、ここで一歩踏み込みます。吃音の問題は「ことばがうまく話せない」ことだけにあるわけではない、と断ったうえで、吃音とは(1)ことばがどもって(2)困ることだ、という定義を立てているのです。「(2)困ること」の中身としては、恥ずかしい思いをする、といった状態が具体的に挙げられています。

吃音の定義を二つに分けて示した図。(1)ことばがどもって、の中身は、音を繰り返す(「ぼ、ぼ、ぼく」)、伸ばす(「ぼーーーく」)、つまって出てこない(「・・・ぼく」)の三つ。(2)困ること、の中身は、恥ずかしい思いをする、言いたいことが言えずにいらいらする、周囲からのからかいや特別視、緊張したり不安になったりする、話すことを避けてしまう、就職や結婚の問題、落ち込んだり自信がなくなったりする、の七つ。吃音の問題の大きさは主に(2)によって決まるとされ、(1)がとても多く見られても(2)が無ければ吃音の問題は大きくならず、(1)があまり見られなくても(2)が大きければ吃音の問題は大きい
図1: 「吃音者」という語が指しているのは、この二つを抱えている人。出典: 吃音ポータルサイト「吃音ってどんなもの?」(成人の方)

同じページは、ウェンデル・ジョンソンという米国の研究者が、吃音の問題の大きさを立方体の体積で表そうとした試みも紹介しています。三つの辺は、吃音の言語症状、それに対する周囲の反応、そしてその両方に対する本人の反応です。この考え方でいくと、言語症状はそれほど大きくないのに周囲の反応が大きい、という形の問題もありうることになります。「吃音者」という語が指しているのは、話し方だけを持っている人ではなく、この三つの掛け算を抱えている人だ、ということになります。

そして呼び名そのものも、専門家のあいだで動いています。ドイツの診療ガイドラインは、話し言葉の滑らかさの障害を吃音とクラッタリング(早口症)に分け、吃音をさらに原発性と後天性に分ける枠組みを示したうえで、吃音に特徴的な非流暢性は子どもの正常なことばの発達の一部ではないので「発達性吃音」という用語はもう使うべきでない、と述べています。これまで「特発性」と呼ばれてきた一般的な吃音には脳の構造と働きの違いが伴うため、別の言い方に改めるべきだという主張です。日本語の資料はいまも「発達性吃音」を使っており、専門家のあいだでも呼び名は一つに固まっていません。

もう一歩進んだ議論もあります。米国の国立の研究所が開いた専門家会議をまとめた総説は、どもる話し方それ自体を「異常なもの」として見る必要はない、という前提が近年の議論に入ってきていると書いています。人はだれでも流暢さの水準が違い、その多様性は人間のありようそのものだ、という見方です。同じ総説は、この見方が治療を望む人にとっての治療の重要性を否定するものではないと書き添えたうえで、自分を障害のある人だとは考えていない当事者の視点を、臨床家や研究者が計画に織り込めるようにするものだ、としています。「吃音者」と呼ぶかどうかが本人によって割れるのは、この地点での判断が人によって違うからです。

歌えるのに、自分の名前が言えない

「吃音者」とひとまとめにされる人たちの中に、外から見るととても矛盾して見える現象があります。歌えば言葉が流れるのに、自分の名前だけが出てこない。この落差は、同じ人の中で、同じ日に起きます。

当事者本人の声(名義「吃音せんせい」/個人ブログ note。高校の理科教員・教員歴15年以上)

小学校に上がり、ますます吃音を意識するようになりました。吃音者あるあるですが、僕も国語の音読が何より辛かったです。教室でみんなの前で立たされて、担任の先生から「落ち着いてゆっくり」とか「深呼吸して」とかアドバイスされましたが、やはりそれでも言葉が出ないので恥ずかしい気持ちだけが残ったように思います。

一方で、音楽の時間に歌を歌うことは好きでした。これも吃音者あるあるですが、吃音があっても歌は歌える人が多いです。歌っているときは、自分の思い通りに自由に言葉を操っている感覚があって、とても幸せな時間でした。

同じ教室の、同じ声です。国語の時間には言葉が出ず、恥ずかしさだけが残った。音楽の時間には「自分の思い通りに自由に言葉を操っている感覚」があった。この人は同じ連載の中で、保育園の誕生会で名前を呼ばれても返事がしづらかったこと、音楽教室の出欠確認で「はい」が出ず電子ピアノの下に隠れたり、聞こえないふりをしたりしていたことも書いています。歌は歌えて、返事の「はい」は出ない。この落差は、努力の量でも気の持ちようでも説明がつきません。そして、まさにこの落差こそが、研究の側が正面から扱ってきた現象です。

出典: 吃音と歩んだ人生(note)(台帳: V0142)

一時的に吃音が軽くなる場面には、まとまった呼び名が付いています。脳の回路をまとめた総説は、声を合わせて読むこと、メトロノームのリズムに合わせて話すこと、外国語のなまりや役を演じるといった普段どおりでない話し方、雑音の中で話すこと、そして歌うことを挙げています。同じ総説は、こうした場面で改善することが、原因が声を出す器官や末端の神経ではなく、発話の運動を組み立てる中枢の側にあることを示唆すると解釈しています。

2026年に出た総説は、この「場面によって変わる」こと自体を定義し直しました。話す場面・文脈・課題が変わったときや、日ごとの変動を含めて時間が経ったときに、吃音の頻度や重さに目立った変化が起きること——これがその定義です。同じ総説は、これはでたらめな揺れではなく、分類できる構造を持つとも述べています。

確実に軽くなる側として挙がっているのは、誰もいないところでの独り言、歌、声を合わせて読むこと、強い没頭や高揚した状態、そして話し方を変えたときです。逆に確実に重くなる側は、聴衆の前、目上の人、そして自己紹介や自分の名前を言うときです。声を合わせて読む場面では参加者全員に改善が見られ、その幅はおよそ77.6%から99.7%、別の研究では90%から100%と報告されています。歌でも全員に強い改善が見られたとされています。

声を合わせて読んだときに吃音がどれだけ減ったかを、報告されている二つの範囲について、個人ごとの最小と最大で並べた縦棒グラフ。Freeman と Armson の1998年の報告では、減り方が最も小さかった人で77.6%、最も大きかった人で99.7%。Dechamma と Maruthy の2018年の報告および Meekings らの2023年の報告では、最も小さかった人で90%、最も大きかった人で100%。どちらの範囲でも参加者全員に改善が見られ、減り方には大きな個人差がある。2026年の総説がまとめた値
図2: 声を合わせて読む場面では、参加者全員で吃音が減ったと報告されている。出典: Jalil, Ajwad & Jalil (2026) Front Hum Neurosci.(総説が引く Freeman & Armson 1998 / Dechamma & Maruthy 2018 / Meekings ら 2023 の値)

では、なぜ名前だけが残るのか。同じ総説は、吃音が文の中でとくに意味の重い語に集中して起きること、そして当事者は言いにくい語を別の語に置き換えたり、回りくどい言い方にしたりすると流暢に言えることを挙げています。ところが名前を言うときのように、当てはまる言い方が一つしかない場面では、その逃げ道が使えません。冒頭の声で「はい」が出なかった出欠確認も、置き換えのきかない一語でした。

歌についてはもう少し細かいところまで分かっています。2024年の総説は、歌うと最も重い例でも吃音が劇的に消えると述べ、歌では話すときに比べて時間の組み立てと、のどと口の動きの合わせ方が変わること、母音が伸びて構音の速さが落ち、発声が安定することを挙げています。発話と歌の運動を担う脳の回路は大きく重なっていますが、声の高さの調節に選んで関わっているのは、そのうち一部(背側の喉頭運動皮質と呼ばれる部分)だけで、声を出すこと自体は別の部分も一緒に担っている——という役割分担が示されています。同じ総説は、話すときには出るのに歌うときには出ないのはなぜかを、吃音に残された三つの謎の一つとして挙げています。

独り言の側も同じです。吃音のある多くの大人が、自分だけに向けた発話ではどもらないと報告しており、これは聞き手がいるという認識が——その聞き手が実在するかどうかによらず——吃音が起きるために必要であることを示唆する、とされています。

話す仕事に就いた人は、吃音を克服したのか

芸人、俳優、アナウンサー。話すことを仕事にしている当事者がいると知ったとき、多くの人が「克服したのだろう」と受け取ります。ところが、当事者の側からたどった筋道は、その形になっていないことがあります。

お笑い芸人インタレスティングたけしさん(46)の少年時代(東京新聞デジタルの新年連載の取材記事。かぎ括弧の中が本人の言葉で、地の文は記者による記述)

小学校の国語の授業では、先生に教科書を音読するようによく指名された。吃音が目立つと、同級生にクスクス笑われ「恥ずかしくなく、快感だった」。もっと笑わせようと声色を変えた。

中学校時代は、文化放送の斉藤一美アナウンサーのラジオ番組にのめり込む。

ここには「隠す」も「克服する」も出てきません。音読で笑われたことを本人は「快感だった」と受け取り、もっと笑わせようと声色を変えた、と記事は伝えています。同じ記事によれば、この人は高校の入学式の帰り道に不良からカツアゲに遭い、授業の柔道では絞め技をかけられ、一時期は不登校になっています。21歳でデパートの清掃員になり、上司への電話が何も伝わらず笑われた日に「清掃よりお笑いが向いているのでは」と言われて、かつての夢を思い出した。いま単独ライブで演じるネタは、自己紹介からつっかえるところがそのまま持ちネタになっています。舞台に立てることと、流暢に話せることは、同じではありません。

出典: 〈風のなかで〉①(東京新聞デジタル)(台帳: V0191)

一方で、演じることで実際に流暢になる場面があるのも確かです。脳の回路をまとめた総説が「一時的に流暢になる条件」として挙げた中には、外国語のなまりや役を演じるといった、普段どおりでない話し方が入っています。ただしこれは条件が作っている変化で、その条件から外れれば元に戻ります。舞台の上と楽屋は、同じ条件ではありません。

そのことは、重くなる側の条件を見るとよく分かります。2026年の総説が「確実に悪化する」側に挙げているのは、聴衆の前、目上の人、そして自己紹介や自分の名前を言う場面です。台本のあるネタを言うことと、初対面の相手に名乗ることは、当事者にとってまったく別の場面です。

社会的な場面が吃音を動かすという整理もあります。2024年の総説は、声に出した独り言には吃音が出ないのに、人や聴衆に向けられた発話、伝えることを目的とした発話では出ると述べ、特定の社会的な場面が体の覚醒を高め、脳の働きの全体的な変化を通じて、もともと崩れやすい発話の運動の仕組みの破綻を招く、という見方を示しています。重さは、伝える場面かどうかと、時間的な圧力によって変わるとされています。

「緊張すれば誰でもつかえるのだから同じでは」という受け取り方もありますが、2026年の総説はそこを区別しています。人前で話す場面では、自己評価の圧と緊張のために、吃音のない人でも言いよどみが増えることが示されている。ただし吃音のない人の場合は情動だけがその源であるのに対し、吃音のある人では、発話を作る側にもともとある違いが誤りの信号として読み取られる点が違う、というのがその区別です。

治療が目指すものも、この20年で動いています。米国の専門家会議をまとめた総説は、どもる回数を減らすことだけに焦点を当てるやり方が、不自然で努力を要する話し方につながって維持が難しく、自己認識に悪い影響を与え、場合によっては治療のあとにかえって吃音の頻度が増えることさえある、と批判されたことを記録しています。そのうえで、治療の第一の目標は流暢さではなく、伝わることであるべきだという声が多かったとしています。この会議では、吃音への働きかけは、自発性・その人らしさ・伝え合う働きと参加を、一人ひとりの水準で高めることを目指すべきだという点で概ね合意が得られたとも書かれています。

「吃音者」として働くとき、何が起きているのか

呼び方の話が急に現実味を帯びるのは、たいてい働き始めるころです。学会の解説も、中高生では部活動や入学面接、大学生ではゼミの発表や就職活動、社会人では職場の電話応対が、発話に困難を感じやすい場面として挙げられるとしています。

当事者本人の声(20代・男性・エンジニア/個人ブログ note。高校時代のアルバイト探しを振り返った手記)

「普通のこと」がどうして自分にはできないんだろうって。今でも思う。

あの頃の自分は、怠けてたわけでも、努力してなかったわけでもない。ただ、最初からハンデを背負ってただけだった。

同じ手記の前半には、応募の電話で第一声が出なかったこと、「接客はしなくていい」と言われて入った飲食店の厨房で、忙しくなると「ちょっと表出て!」と接客に回され、うまく話せずミスをして、最終的にクビになったことが書かれています。家に帰って泣いてしまった、とも。ここでこの人が問い直しているのは、自分の能力ではなく「普通のこと」という線引きのほうです。手記の終わりでは、この経験があったから人と同じ土俵で戦わなくていいと思えるようになった、遠回りでもいい、というところに置きどころを見つけたと書かれています。この線引きは、個人の感じ方だけの問題ではありません。労働市場の側で実際に何が起きているかは、数字でも測られています。

出典: 吃音が理由で、アルバイトに20件落ちた話(note)(台帳: V0001)

米国の青年を成人期まで追った全国縦断調査の回答をもとにした研究は、年齢や学歴などの背景と、併存する状態を差し引いたうえでも、吃音のある人の年収が男女とも有意に低かったと報告しています。その差は7,000ドルを超えました。似た条件の人どうしを組にして比べ直す別の方法でも差は残り、しかも推定される差はより大きくなっています。

男女で出方が違うのも、この研究の結果です。吃音のある男性は、働いているか職を探しているかという意味での労働力に参加している割合が8.1%低いと推定されました。吃音のある女性は、自分の学歴に見合わない仕事に就いている状態——不完全就業と呼ばれます——である割合が23.2%高いと推定されています。求職そのものをやめてしまうという形の不利は、失業率には現れません。

ただし、この数字はそのまま「吃音のせいで収入が下がる」とは読めません。原典自身が、観察していない要因の影響はどんな相関研究にもつきまとう脅威だと述べ、学校や職業ごとの違い、容姿の評価、親の婚姻状況、自己スティグマといった扱いにくい変数まで差し引いたうえで、それでも吃音と労働市場の結果を因果として解釈する前には慎重であるべきだと明記しています。ここは記事の側でも守るべき線です。

数字の外側についても、総説が整理しています。脳の回路をまとめた総説は、その導入で、吃音が生活の質・対人関係・就職の機会と仕事の成績に負の影響を与えること、否定的な決めつけによるスティグマと差別を受けやすいこと、それはとくに症状が重い場合や、原因が心理的なものだと見なされる場合に起きやすいこと、そして社会不安の水準が高いことを挙げています。呼び方の話に戻れば、原因を心のせいだと見なされるかどうかが、扱われ方を変えるということです。

日本の制度の側には、根拠になる法律があります。学会の解説によれば、2016年に施行された障害者差別解消法により、学校や職場での吃音に対する差別的言動および差別的扱いは禁止されており、発表や電話応対の免除、試験等での面接時間の延長といった配慮(合理的配慮)を求めることができます。ただしその際、医師の診断書や言語聴覚士の報告書の提出などが求められる場合があるとも書かれています。

「吃音者」は、どれくらいいて、どれくらいつながっているのか

子どもの側の数字から見ます。国立障害者リハビリテーションセンター研究所の解説は、発達性吃音について、幼児が二語文以上の複雑な発話を始める時期に起きやすいこと、発症するのは幼児期(2〜5歳)がほとんどであること、吃音になる確率(発症率)は5%程度で、そこに国や言語による差はないと言われていることを挙げています。

大人の側の数字は、最近になって計算し直されました。設計の強い研究をもとにした2025年の推定では、成人の吃音の有病率は0.96%(幅を取ると0.65〜1.44%)でした。この内訳は、外から分かる吃音が0.63%、隠している吃音が0.33%です。ただし原典は、隠している吃音のほうは過大に見積もられている可能性があり、ごく軽い場合も多いと注記しています。

同じ研究は、当事者の集まりにどれくらいの人が関わっているかも推定しています。英語圏のオンラインの支援グループ、英国の全国団体、英国マンチェスターの地域の自助グループから集めた原データをもとにした値は、国際的な範囲で0.99%、全国の範囲で0.63%、地域の範囲で1.01%でした。原典は、途中で離れる人や重複の数え上げがあるため、実際の関与はこれより低かっただろうと注記しています。有病率とほぼ同じ桁の分母に対してこの値だということは、吃音のある人の大多数は、当事者の集まりとつながらないまま日々を過ごしていることを意味します。名前が並ぶページに出てくる人たちは、そのごく一部です。

日本にも自助団体はあります。学会の解説によれば、団体によって目的や規模は違うものの、吃音のある当事者が「吃音があるのは自分だけではない」ということを認識し、共通の体験を語り合い、苦悩を分かち合い、互いに援助し合うことが概ね活動の中心です。1965年に発足した「言友会」が国内で最も歴史が古く、近年は若者を対象とした団体や、女性の集いを開催する団体も設立されている、とされています。自助団体に参加してほかの吃音のある人と出会うことが、吃音を否定的に捉えることが減るといった心理的な変化のきっかけになることもある、とも書かれています。

ただし、当事者の集まりは専門的な指導の場ではありません。吃音の解説サイトは、セルフヘルプグループは当事者の集まりなので、言語聴覚士のように吃音についての学術的な知識や、吃音改善のための専門的な指導や支援が受けられるわけではない、と明記しています。そのうえで、同じ問題を持つ仲間と出会い、当事者同士でないと感じることのできない連帯感を感じながら悩みを聞いてもらったり、同じ悩みを持つ者同士という立場で具体的な助言をもらったりと、セルフヘルプグループでないと得られないものがあることも事実だ、としています。役割が違う、ということです。

どこに相談できるのか

相談先の中心にいるのは言語聴覚士です。吃音の解説サイトは、言語聴覚士が言語障害や聴覚障害のある方への指導や支援を行う専門職で、理学療法士や作業療法士とともに国家資格になっていること、養成課程の中に吃音が含まれており、吃音がある方の指導・支援の中核を担う存在として役割が期待されていることを説明しています。

ただし、同じページには大事な但し書きがあります。言語聴覚士の取り扱う業務は多岐にわたるため、必ずしもすべての言語聴覚士が吃音の指導や支援を行えるわけではない、というものです。近年は吃音の指導・支援に意欲的に取り組む言語聴覚士が増えてきつつあるとされ、勤務先としては病院のリハビリテーション科や耳鼻咽喉科などが多いとされています。あらかじめ問い合わせて確かめておくのが確実だ、というのがこのページの案内です。

中高生以上の経過についても、学会の解説がまとめています。思春期以降になると、症状は連発や伸発よりも難発——最初の音が出しにくくなる症状——が中心になり、失敗体験が重なると、話し始める前に不安や恐怖を感じ、次第に会話や社交を避けるようになる、とされています。また、言いにくい単語を言い換えるなどの工夫で吃音を隠そうとすることもあり、その場合、吃音は目立たなくなりますが、実際には吃音が出ないかを日々警戒しながら生活することになる、とも書かれています。「目立たない=軽い」ではないということです。

次のようなときは、様子を見るだけにせず、相談を考えてみてください(あくまで目安で、当てはまらなくても相談して構いません)。

  • 話しにくさのせいで、発表・電話・自己紹介などの場面を避け始めている
  • 言い換えでしのげているが、そのために日々気を張り続けている
  • 就職活動や職場のやりとりで、話し方のことを一人で抱えている

この3つは、相談を考えるきっかけとして挙げたもので、特定の資料が「受診の目安」として定めているものではありません。なお、言い換えで目立たなくなっていても日々警戒しながら生活することになる、という記述自体は学会の解説にあるものです。

「吃音者」ということばをめぐって陥りがちな3つの落とし穴

落とし穴1 − 「いま流暢に話せているから、もう吃音者ではない」と考える

出方は場面で変わります。歌、声を合わせて読むこと、誰もいないところでの独り言では大きく減り、聴衆の前や自己紹介では強く出ます。しかも、言い換えで目立たなくしている人は、吃音が出ないかを日々警戒しながら生活していると学会の解説は書いています。ある場面の流暢さは、その人の吃音がなくなったことの証拠にはなりません。話す仕事に就いている人についても同じで、条件が作る流暢さと、条件を外れたときの状態は別のものです。

落とし穴2 − 「緊張しなければ出ないのだから、気の持ちようだ」と読む

人前で話す場面では、吃音のない人でも自己評価の圧と緊張から言いよどみが増えることが示されています。ただし吃音のない人の場合はそれが情動だけを源にしているのに対し、吃音のある人では、発話を作る側にもともとある違いが誤りの信号として読み取られる点が違う、とされています。冒頭の声にあった「落ち着いて」「緊張しないで」という声かけは、この違いを踏まえていません。そもそも一時的に流暢になる条件で改善することは、原因が発話の運動を組み立てる中枢の側にあることを示唆すると解釈されています。

落とし穴3 − 呼び方を、本人抜きで決める

専門家のあいだでも呼び名は動いています。ドイツの診療ガイドラインは「発達性吃音」という用語をもう使うべきでないとし、脳の回路をまとめた総説は定義そのものがいまも議論の対象だと明記しています。さらに近年の議論には、どもる話し方それ自体を「異常なもの」として見る必要はないという前提が入ってきており、自分を障害のある人だとは考えていない当事者の視点を織り込む必要があるとされています。つまり、どう呼ばれたいかは本人によって割れます。決めつけずに、その人がどう名乗っているかに合わせるのが安全です。

そのうえで、自分や家族のことが気になるなら、どんな場面で出やすいか・そのとき何が起きたかを書き留めておくと、相談のときに役立ちます。場面によって出方が変わるものなので、その日1回の印象より、記録のほうが実態に近づきます。まずは気づいたことを記録するところから始め、相談できる先があるなら、言語聴覚士に問い合わせてみるのが確実です。

よくある質問

「吃音者」という言い方は、使ってはいけないのですか?

使ってはいけないと定めた公的な決まりは、この記事が参照した資料の中にはありません。ただし、呼び名そのものが専門家のあいだでも動いており、ドイツの診療ガイドラインは「発達性吃音」という用語をもう使うべきでないとしています。脳の回路をまとめた総説も、吃音の定義自体がいまも議論の対象だと明記しています。近年の議論には、どもる話し方それ自体を「異常なもの」として見る必要はないという前提も入ってきており、自分を障害のある人だとは考えていない当事者もいるとされています。どう呼ばれたいかは人によって違うので、その人が使っている言い方に合わせるのが無難です。

「吃音者」とは、具体的にどういう人のことですか?

話し方の側から言えば、音のくりかえし(連発)、引き伸ばし(伸発)、ことばを出せずに間があいてしまう(難発)のどれか一つ以上が見られる人です。ただし当事者向けの解説は、吃音とは「ことばがどもって」「困ること」の二つを合わせたものだ、という定義を立てています。同じページは、吃音の言語症状・それに対する周囲の反応・その両方に対する本人の反応という三つの掛け算で問題の大きさを表すモデルも紹介しており、症状が小さくても周囲の反応が大きければ問題は大きくなる、としています。

吃音のある人は、どれくらいいますか?

子どもについては、吃音になる確率(発症率)は5%程度で、国や言語による差はないと言われている、と国立障害者リハビリテーションセンター研究所の解説にあります。大人については、2025年に計算し直された推定で有病率0.96%とされ、その内訳は外から分かる吃音が0.63%、隠している吃音が0.33%でした。同じ研究は、当事者の集まりに関わっている割合を国際的な範囲で0.99%、全国の範囲で0.63%、地域の範囲で1.01%と推定しており、実際の関与はこれより低かっただろうとも注記しています。

歌えるのに話せないのは、なぜですか?

歌うと最も重い例でも吃音が劇的に消えると報告されており、歌では話すときに比べて時間の組み立てと、のどと口の動きの合わせ方が変わるとされています。声の高さの調節に選んで関わっているのは脳の中の一部(背側の喉頭運動皮質と呼ばれる部分)だけで、声を出すこと自体は別の部分も担っている、という役割分担も示されています。ただし同じ総説は、なぜ歌えるのかを吃音に残された三つの謎の一つとして挙げており、決着はついていません。声を合わせて読むこと、リズムに合わせること、役を演じることでも一時的に流暢になるとされています。

話すことを仕事にしている人は、吃音を克服したのですか?

そう言い切れる話ばかりではありません。一時的に流暢になる条件の中には役を演じることが含まれますが、それは条件が作っている変化で、条件を外れれば元に戻るとされています。むしろ、聴衆の前・目上の人・自己紹介や自分の名前を言う場面は「確実に悪化する」側に挙げられています。研究の側でも、治療の第一の目標は流暢さではなく伝わることであるべきだという声が多かったと記録されています。

まとめ

  • 「吃音」は連発・伸発・難発のどれか一つ以上が見られる話し方として定義されるが、当事者向けの解説は「ことばがどもって」「困ること」の二つを合わせたものだと定義し直している。「吃音者」が指しているのは後者を抱えている人。
  • 呼び名は固まっていない。ドイツの診療ガイドラインは「発達性吃音」をもう使うべきでないとし、脳の回路の総説は定義自体が議論中だと明記し、近年の議論にはどもる話し方を「異常なもの」と見る必要はないという前提も入ってきている。
  • 同じ人でも場面で出方が変わる。歌・声を合わせて読むこと・独り言では大きく減り、聴衆の前・目上の人・自己紹介では強く出る。名前のように置き換えのきかない一語では、逃げ道が使えない。
  • 「話す仕事=克服した」ではない。役を演じることは一時的に流暢になる条件の一つで、条件を外れれば戻る。研究の側も、治療の第一の目標は流暢さではなく伝わることであるべきだとしている。
  • 働く場面では不利が報告されている。米国の全国調査をもとにした推定で年収差は7,000ドル超、男性は労働力への参加が8.1%低く、女性は学歴に見合わない仕事に就く割合が23.2%高い。ただし原典自身が因果として読まないよう釘を刺している。日本では合理的配慮を求める法的根拠がある。

参考文献

  1. 国立障害者リハビリテーションセンター研究所「吃音」(2012年)
  2. 日本吃音・流暢性障害学会「吃音(きつおん)について」(広報委員会作成・2023年10月)
  3. 吃音ポータルサイト「吃音ってどんなもの?」(成人の方)
  4. 吃音ポータルサイト「相談や支援」(成人の方)
  5. Craig-McQuaide, Akram, Zrinzo & Tripoliti (2014) A review of brain circuitries involved in stuttering. Front Hum Neurosci.
  6. Chang et al. (2025) Stuttering: Our Current Knowledge, Research Opportunities, and Ways to Address Critical Gaps. Neurobiology of Language.
  7. Neumann, Euler, Bosshardt, Cook, Sandrieser & Sommer (2017) The Pathogenesis, Assessment and Treatment of Speech Fluency Disorders. Dtsch Arztebl Int.
  8. Francés, Ruiz, Soler et al. (2023) Prevalence, comorbidities, and profiles of neurodevelopmental disorders according to the DSM-5-TR in children aged 6 years old in a European region. Front Psychiatry.
  9. Gattie, Lieven & Kluk (2025) Adult stuttering prevalence II: Recalculation, subgrouping and estimate of stuttering community engagement. J Fluency Disord.
  10. Gerlach et al. (2018) Stuttering and Labor Market Outcomes in the United States. J Speech Lang Hear Res.
  11. Neef & Chang (2024) Knowns and unknowns about the neurobiology of stuttering. PLOS Biology.
  12. Jalil, Ajwad & Jalil (2026) Unraveling the mystery of stuttering: clinical and physiological insights into its manifestation. Front Hum Neurosci.

当事者の声の出典: V0066(note・砂張 五さんのエッセイ)/ V0142(note・吃音のある高校教諭の連載)/ V0191(東京新聞デジタル・お笑い芸人インタレスティングたけしさんへの取材記事)/ V0001(note・20代エンジニアの手記)。いずれも公開記事。引用は原文どおり。

更新履歴: 2026-09-02 公開

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