まず結論から
- 楽曲「ぼくのお日さま」は、ハンバート ハンバートが2014年に発表したアルバム「むかしぼくはみじめだった」に収録された曲です。
- 映画は、監督がプロットを考える途中でこの曲と出会い、歌詞を聞いた途端に「主人公の少年の姿がはっきり浮かび、物語がするすると動きだした」ところから生まれたと、バンドの公式サイトが説明しています。曲が先にあり、そこから物語が動き出した、という順番です。
- 映画の公式サイトは、主人公を「雪が積もる田舎街に暮らす小学6年生」で「すこし吃音がある」少年として紹介しています。
- 吃音に特徴的な話し方として挙げられているのは、音のくりかえし(連発)・引き伸ばし(伸発)・ことばを出せずに間があいてしまう(難発)の3つです。
- 学齢期の吃音は、先生の対応や周囲の友達関係に大きく影響されるとされ、学齢期に約半数がいじめやからかいを経験するという報告もあります。
ただし、この記事は作品の描き方を「合っている/間違っている」と採点するためのものではありませんし、実在の方に吃音があるかどうかを判定するものでもありません。公表されていない健康状態には触れない、という方針で書いています。
「ぼくのお日さま」は、吃音の歌なんですか
この曲について最初に知りたいのは、たいていここだと思います。ラジオや番組で流れてきた、映画のエンドロールで聴いた、誰かに勧められた——きっかけは違っても、確かめたいのは「本当にそういう歌なのか」という一点です。まず、この曲を聴いた吃音のある人が、何をどう受け取ったのかから見てみます。
当事者本人の声(吃音研修講師・阿部さん/個人ブログ)
言いたい事はこんなにあるのに上手く表現出来ない。
口に出して表現する事をどうしても避けてしまう。
でも伝えたい事がある。
私自身もこんな気持ちと毎日毎日戦いながら必死に生きています。
そんな気持ちを代弁して頂けるような歌詞だと思います。
吃音のある研修講師が、2018年に自分のブログでこの曲を紹介した一節です。注意して読みたいのは、この書き手が曲の位置づけを断定していないことです。歌い出しを引いたあとに「はっきりとは言われていませんが、吃音の方に向けての歌かなとイメージ出来ますね」と書き、記事の終わりでは、吃音でなくても自己表現が不器用な多くの人に当てはまる気がする、とも書き添えています。曲に強く共感した当事者が、それでも「そういう歌だ」とは言い切っていない。では、送り手の側は何と言っているのでしょうか。
出典: 最近ハマっている吃音ソング【ハンバートハンバート-僕のお日様】(どもれども どもれども)(台帳: V0298)
バンドの公式サイトが2024年に出した告知には、映画がどう生まれたかが書かれています。監督は子どもの頃に約7年間フィギュアスケートを習っており、その経験から「雪が降り始めてから雪が解けるまでの少年の成長を描きたい」と企画を始めました。そしてプロットを考える途中でこの楽曲と出会い、歌詞を聞いた途端に「主人公の少年の姿がはっきり浮かび、物語がするすると動きだした」といいます。バンド側はこれまで主題歌の依頼があっても断ってきたほど大切な曲だったものの、監督からの手紙を読んで快諾した、とも書かれています。
同じページに載っている作り手のコメントは、さらに具体的です。作曲した佐藤良成さんは、監督からの手紙で「今作ろうとしている映画は、私の曲の中の『ぼく』から物語がふくらんだもの」だと聞いた、と書いています。佐野遊穂さんは、この楽曲の「ぼく」やタクヤ、荒川コーチにそれぞれ小さな救いがあったように、この映画がまた誰かのお日さまになれば嬉しい、と述べています。公式が語っているのは「曲の中の『ぼく』から映画の少年が生まれた」というつながりまでで、「この曲は吃音を歌ったものだ」と宣言している箇所はありません。映画の公式サイトの側も、主題歌がこの曲であること、佐藤良成さんが劇伴も手がけたことを記すにとどめています。
ここで、この記事が扱わないことをはっきりさせておきます。実在の方に吃音があるかどうかは書きません。本人が公にしていない健康状態は、他人が推測して書いてよいものではないからです。手元にある一次情報は、上に挙げた作品の成り立ちまでです。曲がどこから来て、どこへつながったのかは、それだけで十分にたどれます。
映画の主人公は小学6年生。あの年ごろの吃音は、どう説明されているのか
映画の公式サイトのあらすじは、「雪が積もる田舎街に暮らす小学6年生のタクヤは、すこし吃音がある」という一文から始まります。作品を観たあとに残るのは、たいていこの「小6」という設定の手触りです。あの年ごろに吃音があるというのは、実際にはどういうことなのか。まず、当時をふり返った人の言葉から見ます。
当事者本人の声(投稿時は大学生・吃音歴18年/個人ブログ。テレビ番組でこの曲を聴いた日の記録)
特に吃音で嫌だったことは小学校のときのクラス替えです。
初めて会う友達に吃音のことを笑われたり、「なんで普通に言えないの?」とか「落ち着けよ」などと言われるのがとても嫌で学校に行くのが億劫でした。
テレビ番組でこの曲を初めて聴いた日に書かれた記事です。書き手は当時18歳で、曲を聴いて思わず泣いてしまったこと、この歌が自分たちの言葉をそのまま代弁しているようで多少救われたことを記したうえで、自分の出来事としてこの場面を挙げています。挙げているのは授業でも発表でもなく、クラス替え——初めて会う相手の前で話す一日です。学校で何が起きやすいのかは、支援する側の資料も正面から書いています。
出典: ぼくのお日さま ~吃音もちのきもち~(Days of Passion and Excitement)(台帳: V0299)
まず、吃音の特徴とされる話し方は3つです。音のくりかえし(連発。例:「か、か、からす」)、引き伸ばし(伸発。例:「かーーらす」)、ことばを出せずに間があいてしまう状態(難発、ブロック。例:「・・・・からす」)で、このどれか1つ以上が見られることが吃音に特徴的だとされています。
そのうえで、学齢期という時期の位置づけです。日本吃音・流暢性障害学会の解説は、学齢になる頃には、幼児期のように吃音が全く出ない時期を経験することは少なくなるとし、学齢期は先生の対応や周囲の友達関係に大きく影響されると書いています。吃音をからかわれたり、発表や音読で思ったように話せない経験をすることで、吃音を否定的にとらえ、自分自身もマイナスに捉えるようになることがある、とも続きます。日本耳鼻咽喉科学会会報に載った総説は、学齢期に約半数がいじめやからかいを経験するため対策が重要だと述べています。2026年に出たレビューも、吃音のある子どもは仲間から拒まれたり、仲間内での位置づけが下がったり、いじめに遭ったりしやすいという先行研究を紹介しています。これはレビューが他の研究を引いている箇所なので、「そう報告されてきた」という水準の話です。
もう一つ、9歳から12歳という帯には、出方が移り変わるという指摘があります。学会の解説は、思春期以降になると症状は連発や伸発よりも難発が中心になると書いています。同じレビューも、就学前は軽い音や音節のくりかえしとして現れていたものが、9歳から12歳ごろにかけて、より重い難発や引き伸ばしのほうへ移っていき、大人で持続している人のパターンに近づいていくと整理しています。小学6年生は、ちょうどこの帯の中にいます。作品が描いた出方がどれに当たるかを判定することはしませんが、「小6で吃音がある」という設定が、吃音の側から見て何も特別ではない——むしろ変化の起きやすい時期に当たる——ことは言えます。
吃音のある人は、この作品に何を見たのか
作品をきっかけに調べている人にとって、いちばん手がかりになるのは、同じ作品を吃音のある人がどう観たかだと思います。ここには、観客としての感想と、自分のこととしての読みが同時に入っています。
当事者本人の声(筆名・ユーフォニア・ノビリッシマさん/個人ブログ note。主人公が吃音とされる映画3本を並べたエッセイ)
こうして各作品を挙げていくと、三作品に共通するのは、
『主人公が「吃音によって想いを口に出しにくい」という鬱屈が起点になって、「表現活動( ” フィギュアスケート ” ” 歌 ” ” ラップ ” )を始める」という構造』。
この映画を3回観たと書く書き手が、主人公に吃音があるとされる映画をほかに2本挙げ、3本を並べたうえで見つけた形です。書き手はここで止めず、表現活動を身につけることがゴールになる作品もあれば、そうならない作品もあると続け、ほかの表現方法を得たところで話しにくい日常が変わるわけではないのが現実だ、とも書き添えています。作品の側は「別の表現を見つけた」で物語を閉じられますが、その先の日常は閉じません。その日常について、学会の解説が書いていることがあります。
出典: Vol.59 私が心打たれる『吃音映画』の構造。(note)(台帳: V0300)
学会の解説は、中高生以上について、発話場面での失敗体験が重なると、話し始める前に不安や恐怖を感じ、次第に会話や社交を避けるようになると書いています。また、吃音を巧みに隠そうとして、言いにくい単語を言い換えるなどの工夫をすることもあり、この場合は吃音は目立たなくなるが、実際は吃音が出ないかを日々警戒しながら生活しているため、ストレスや悩みを抱え込みやすくなるとしています。困難を感じやすい場面として、中高生では部活動や入学面接、大学生ではゼミの発表や就職活動、社会人では職場の電話応対が挙げられています。
先の総説も、学齢後期以降には吃音を隠そうとして多彩な、しばしば不適切な対処行動が発達し、思春期以降は人前に出る場面への強い不安(社交不安障害)やうつといった問題も併発しやすいとしています。物語がいちばん盛り上がる場所と、当事者の生活がいちばん重くなる場所は、必ずしも同じではありません。作品を通じて吃音に触れた人が受け取り損ねやすいのは、この目立たない側のほうです。
観たあとに、身近な人に何ができるのか
作品をきっかけに、身近にいる人の顔が浮かんだ方もいると思います。よかれと思って掛ける言葉が、どう届くのか。まず、掛けられた側の記録を見てください。
当事者本人の声(吃音のある高校教諭・教員歴15年以上/個人ブログ note)
小学校に上がり、ますます吃音を意識するようになりました。吃音者あるあるですが、僕も国語の音読が何より辛かったです。教室でみんなの前で立たされて、担任の先生から「落ち着いてゆっくり」とか「深呼吸して」とかアドバイスされましたが、やはりそれでも言葉が出ないので恥ずかしい気持ちだけが残ったように思います。
いまは高校で教壇に立つ人が、自分の小学生時代をふり返って書いた一節です。書き手はこの前後で、保育園の誕生会や音楽教室の出欠確認で「はい」が出ず、電子ピアノの下に隠れたり聞こえないフリをしたりしていたことも記しています。担任が掛けたのは、悪意のある言葉ではありません。それでも本人に残ったのは、恥ずかしさのほうでした。この2つの言い方については、当事者の側からの申し入れがあります。
出典: 吃音せんせいVol.1:自己紹介(note)(台帳: V0142)
吃音のある若者が接客に挑戦する「注文に時間がかかるカフェ」の公式ページは、周囲に配慮してほしいこととして4つを挙げています。言い終わるまで待つこと(遮ったり、憶測して代わりに言ったりしない)、アドバイスしないこと、真似しないこと、他の人と同じように接することです。2つめについては、「緊張していて吃っているわけではないので、『リラックスして』『ゆっくり話せばいいよ』とアドバイスしないでください」とはっきり書かれています。上の記録で本人に効かなかったのは、まさにこの型の言葉でした。
3つめの「真似しない」は、学校では現実に起きていることです。発達障害ナビポータルの解説(執筆は九州大学病院の医師)は、吃音のある子どもは話す場面でしか症状が出ないため悩みが過小評価されやすいとしたうえで、他の子どもから話し方を真似されたり、笑われたり、「なんでそんな話し方なの?」と質問されたりすることが多いと書いています。そのため、担任・養育者・支援者が本人に「真似されていない?」「笑われていない?」「話し方を質問されていない?」とオープンに聞くことを勧めています。学校では毎年クラス替えがあり、そのたびにこうしたことが起きるリスクがあるため、早く気づいて対応をオープンに話すことが予防につながる、とも書かれています。先ほどの大学生が挙げていたのも、まさにクラス替えの場面でした。
気になったときの相談先と、続いた場合の見通し
自分や身近な子どものことが気になった場合の相談先を挙げておきます。金沢大学の吃音ポータルサイトは、幼児期の吃音の場合、少なくとも半数の子どもは特別な指導や支援をしなくても小学校に入学するぐらいまでに吃音の問題が見られなくなる(これを自然治癒といいます)としたうえで、小学校に入って吃音が引き続き見られる子どもでも、ことばの教室や言語聴覚士(ことばや聞こえの専門職)の適切な指導・支援を受けることで、多くの場合、身体の緊張を伴う重い吃音があまり見られなくなったり、緊張をうまくコントロールしながら話す方法を身につけたりして、日常生活の中でそれほど大きな支障なく過ごせるようになると書いています。中学・高校の時期や就職活動の時期に、あらためて悩みが戻ることもあるとも記されています。
中高生以上・成人の場合、本人が治療を希望するなら言語聴覚士による発話訓練を受けるという選択肢があり、発話訓練だけで症状が改善しない場合や不安が強い場合には、カウンセリングや心理療法が役立つこともあるとされています。加えて、同じ人どうしで出会う場もあります。学会の解説は、吃音の自助団体について、吃音があるのは自分だけではないと認識し、共通の体験を語り合い、苦悩を分かち合い、互いに援助し合うことが概ね活動の中心だとし、1965年に発足した「言友会」が日本で最も歴史が古いと紹介しています。若者を対象とした団体や、女性の集いを開催する団体もあります。
学校や職場での対応については、診断書によって、負担が重くなりすぎない範囲で対応を求められる仕組み(合理的配慮)を使える場合があり、発達性吃音であれば精神障害者保健福祉手帳の取得が可能だとされています。
目安として、次のようなときは様子を見るだけにせず、相談を考えてみてください(当てはまらなくても相談して構いません)。
- 学校で話し方を真似されたり笑われたりしていると本人が話している
- 本人が話しにくさを気にして、音読や発表など特定の場面を避け始めている
- ことばを出そうとして顔や体に力が入る様子が目立ってきた
この3つは相談を考えるきっかけとして挙げたもので、特定の資料が「受診の目安」として定めているものではありません。なお、周囲の大人が真似・笑い・質問の有無を本人に聞くことは、支援する側の資料が実際に提案しているものです。
曲と映画から吃音に触れたあとの、3つの落とし穴
落とし穴1 − 歌っている人・演じている人の「診断」を探しに行く
この曲について調べていくと、実在の方の健康状態を推測するページに行き当たることがあります。本人が公にしていない健康状態は、他人が確かめようのないことです。公式が出しているのは、曲がいつのアルバムに入っていたか、監督がどうやってこの曲に出会い、どんな手紙を書いたか、というところまでです。この記事も、そこから先には踏み込みません。作中の少年についても同じで、公式サイトの「すこし吃音がある」という紹介を超えて、診断名を当てることはしません。
落とし穴2 − 作品の描き方を「合っている/間違っている」で採点する
物語は、伝わりやすい形を選びます。それを実際と突き合わせて減点していくと、作品も、その作品に救われた人も置き去りになります。並べ方としては、「作品はこう描いた」と「吃音一般ではこう説明されている」を横に置くのが実際に近いと思います。特徴とされる話し方は連発・伸発・難発の3つで、思春期以降は難発が中心になっていくとされます。出方は年齢によっても移り変わるので、ひとつの描写を「吃音とはこういうもの」と受け取ってしまうほうが、取りこぼしが大きくなります。
落とし穴3 − 「小6でまだ続いている=もう手遅れ」と読む
幼児期の吃音の多くが就学までに見られなくなるという話と、学齢期の話を並べると、そう読んでしまいがちです。しかし同じ資料は、小学校に入って吃音が引き続き見られる子どもでも、ことばの教室や言語聴覚士の指導・支援を受けることで、日常生活の中でそれほど大きな支障なく過ごせるようになることが多いと書いています。学校で使える対応の仕組みもあります。「治るか治らないか」だけを物差しにすると、この間にあるものが全部見えなくなります。
そのうえで、自分や家族の様子が気になるなら、どんな場面で出やすいか・どのくらいの期間続いているかを書き留めておくと、相談のときに役立ちます。学齢期は先生の対応や友達関係に大きく影響される時期とされているので、その日1回の印象より、場面ごとの記録のほうが実態に近づきます。記録から始めて、言語聴覚士やことばの教室に相談できる場合はそちらが確実です。
よくある質問
ハンバート ハンバートの「ぼくのお日さま」は、吃音の歌なのですか?
公式の発表がはっきり書いているのは、映画の監督がプロットを考える途中でこの曲と出会い、歌詞を聞いた途端に「主人公の少年の姿がはっきり浮かび、物語がするすると動きだした」という経緯までです。作曲した佐藤良成さんも、監督から「私の曲の中の『ぼく』から物語がふくらんだもの」だと聞いたと書いています。「この曲は吃音を歌ったものだ」と送り手が宣言している箇所は、公式の告知には見当たりません。
映画『ぼくのお日さま』の主人公には、吃音があるのですか?
映画の公式サイトは、主人公を「雪が積もる田舎街に暮らす小学6年生のタクヤ」で「すこし吃音がある」と紹介しています。バンドの公式サイトも「吃音をもつホッケー少年のタクヤ」と書いています。この記事は、公式が書いているこの範囲を超えて、作中の人物に診断名を当てることはしません。
ハンバート ハンバートのお二人に、吃音があるのですか?
この記事では扱いません。本人が公にしていない健康状態を、他人が推測して書くべきではないと考えているためです。手元にある一次情報は、楽曲が2014年のアルバムに収録されたものであること、監督の手紙を読んで主題歌の依頼を快諾したこと、作り手それぞれのコメントまでです。
小学6年生で吃音があるのは、珍しいことですか?
幼児期の吃音の場合、少なくとも半数の子どもは特別な指導や支援がなくても小学校に入学するぐらいまでに問題が見られなくなるとされていますが、小学校に入っても引き続き見られる子どもはいます。学会の解説は、学齢になる頃には幼児期のように吃音が全く出ない時期を経験することは少なくなるとし、この時期は先生の対応や友達関係に大きく影響されると書いています。9歳から12歳ごろは、くりかえしから難発・引き伸ばしのほうへ出方が移っていく時期にもあたるとされています。
吃音のある人が身近にいます。どう接すればいいですか?
当事者団体が挙げているのは、言い終わるまで待つ(遮ったり、憶測して代わりに言ったりしない)、アドバイスしない、真似しない、他の人と同じように接する、の4つです。とくに「リラックスして」「ゆっくり話せばいいよ」は、緊張して吃っているわけではないので言わないでほしい、と明記されています。子どもについては、周囲の大人が「真似されていない?」「笑われていない?」「話し方を質問されていない?」とオープンに聞くことが提案されています。
まとめ
- 楽曲「ぼくのお日さま」は2014年のアルバム収録曲で、映画は監督がプロットを考える途中でこの曲と出会い、歌詞を聞いた途端に主人公の少年の姿が浮かんだところから動き出した、と公式が説明している。
- 公式が語っているのは「曲の中の『ぼく』から物語がふくらんだ」というつながりまでで、実在の方の健康状態や作中の人物の診断は、この記事では扱わない。
- 映画の主人公は「小学6年生」で「すこし吃音がある」と紹介されている。学齢期は先生の対応や友達関係に大きく影響される時期とされ、学齢期に約半数がいじめやからかいを経験するという報告もある。
- 吃音のある人がこうした作品に見ているのは、別の表現を得ても話しにくい日常は変わらないという側でもある。学会の解説は、隠して目立たなくなっても、出ないかを日々警戒しながら生活するためストレスを抱え込みやすいとしている。
- 観たあとにできることとして当事者団体が挙げているのは、待つ・アドバイスしない・真似しない・同じように接するの4つ。気になるときは、ことばの教室や言語聴覚士への相談が確実。
