まず結論から
- 現実の人でも、話しにくさに関わる状態がひとつに決まるとは限りません。学会の解説は、吃音のある子どもや成人で、人前で恥をかくことへの強い不安が続く社交不安症の合併率が、吃音のない人より高いと述べています。
- 吃音のある成人200人と、年齢と男女比をそろえた200人を比べた研究では、社交不安障害が吃音のある側で少なくとも40%に見られました。
- 描かれ方は現実に返ってきます。英国の当事者団体は、吃音が長いあいだ性格の欠陥や身体的な不足を表すため、また笑いを取るために使われてきたとし、その型にはめた描き方は現実の帰結を生むと述べています。
- 当事者の取り組みが周囲に求めていることの一つは、「からかったり、真似しないでください」です。
- 作品が入口になって相談先にたどり着く人もいます。ただしSNS上の吃音の動画は作り手によって信頼性と質の評点に差があり、内容と出所を確かめることが勧められています。
ただし、ここに並べたのはどれも現実の人について調べられたことで、特定の作品や登場人物を説明するものではありません。作品の中の話し方は作り手が選んだ描写であって、診断ではないからです。この記事は登場人物に病名をつけません。
あの登場人物の話し方は、現実だと何という状態ですか
この検索でいちばん上に出てくるのは、記事ではなくQ&Aサイトの質問です。「この登場人物の話し方は、現実でいえば何にあたるのか」。付いた回答は一行で、根拠もありません。つまり、誰も答えていない問いです。
先に答えを書いておくと、この問いには「どれか一つには決まらない」としか答えられません。理由は、現実の人でもそうだからです。
言語聴覚士の養成校に通う23歳の当事者の声(子どものころから吃音があるが病院には行っていないと本人が記載/個人ブログ note)
こんな感じで高校まで過ごしました。
その頃には、吃音症状が生起される環境が大幅に減りました。私が担任の先生や友達に吃音があると告白しても、「そう?気にならないよ」と言われる程度には。ただ、自分の中では「うおーーー話しにくい!!!」とずっと考えてました。
打ち明けても「そう?気にならないよ」と返される——外から見えていたのは、それだけでした。この人は保育園のころは言葉の少ない子どもで、小学校で人前で発言するようになってから、周りに指摘される形で自分の話し方を意識しはじめます。高学年では話し方をいじられ、噛んだことを誰も気づきませんように、と祈る日々だったと書いています。症状の出る場面はその後減りましたが、本人の中の話しにくさのほうは残りました。現在は言語聴覚士の養成校に通い、来年から臨床に出ます。外から見えている話し方と、その人が抱えているものは、同じではありません。学会の解説も、言いにくい単語を言い換えるなどの工夫で吃音が目立たなくなっても、実際には吃音が出ないかを日々警戒しながら生活しているため、悩みを抱え込みやすくなると書いています。
出典: 言語聴覚士志望、吃音あり(note)(台帳: V0172)
現実の人を対象にした調査では、話しにくさに関わる状態が重なることが繰り返し報告されています。吃音のある成人200人と、年齢と男女比をそろえた成人200人を比べた研究は、人前で恥をかくことへの強い不安が続く状態(社交不安障害)が、吃音のある側で少なくとも40%に見られたと報告しました。総説も、吃音のある成人に社交不安障害が高い割合で見られるという知見が積み上がっていると整理しています。日本の学会の解説は、自助団体に参加していたり治療を求めたりする吃音のある成人の約20%から半数近くに社交不安症の合併が報告されている、としています。ここで挙がっている割合の対象は、自助団体に参加していたり治療を求めたりしている成人であって、吃音のある人全体ではありません。
順番が入れ替わることもあります。場面緘黙(家では話せるのに、学校など特定の場面で声が出せなくなる状態)を主訴として指導を受け、その改善のあとに吃音の問題が表面化した小学2年生の男児の経過が、1例の実践報告として発表されています。1例の報告なので、これで「よくあること」とは言えません。それでも、目に見えている一つの様子に名前を一つだけ当てはめて済ませられるとは限らない、という材料にはなります。
上に並べた数字は、どれも現実の人に会って確かめられたものです。社交不安障害の割合を出した研究は、両群から無作為に選んだ50人ずつに、構造化された診断面接を行っています。一方、画面や紙の上に映るのは、作り手が選んで描いた話し方だけです。読者が見ているのは症状ではなく描写であり、描写からは診断名を決められません。吃音と場面緘黙の現実の見分け方については、場面緘黙と吃音の併発の記事にまとめてあります。
笑いのネタとして描かれると、何が起きるのか
「描写は診断ではない」で話が終わらないのは、描写のほうが現実を動かすからです。作品の中の話し方は、それを見た人の、現実の誰かへの接し方になって出てきます。
吃音のある小学1年生の息子をもつ母親の声(個人ブログ・アメブロ)
別に吃音者が表舞台に出ることは悪くないし、むしろ知ってもらえるいい機会になると思う。
だけど、その吃音を笑いに変えるって??
それってどうなんだろう。
これ、誰でも見れて影響力があるテレビでその人がどもって笑われてる姿を世間にさらすんよね??
テレビの前にいたのは、書いた本人ではなく小学1年生の息子でした。母親は台所で洗い物をしていて中身は見ていない、と自分で断っています。この家では、息子が保育園でからかわれ、笑われ、一時期は出しづらい言葉を話さなくなったことがありました。「おはよう」「ありがとう」「いただきます」——あ行がどうしても難しかった、と書かれています。園長や担任らの協力で言えるようになり、笑顔で卒園できた、とも。投稿はこのあとも、色んな意見があると断りながら、笑いのネタにされることへの違和感を最後まで書き続けています。描かれ方が現実に返ってくる、というのはたとえ話ではありません。
出典: なっちゃんの育児日記トキドキKPとの日常(アメブロ)(台帳: V0192)
英国の当事者団体が2024年1月に更新した吃音の語り方の指針は、その冒頭で、吃音が長いあいだ性格の欠陥や身体的な不足を表すため、また笑いを取るために使われてきたと述べ、こうした型にはめた描き方は吃音のある人に現実の帰結をもたらす、としています。同じ指針は、メディアに対して、テレビ・ラジオ・映画で吃音のある声が聞こえるようにしてほしいと求めたうえで、ただし誰かがそれを「克服した」「打ち負かされた」「治した」という文脈でではなく、と書き添えています。この指針は英国の言語聴覚士の職能団体の承認を受けたものだと、同じページに記されています。
研究の側にも、同じ向きの整理があります。吃音のある人の経験を扱った総説は、社会がしばしば吃音のある人を否定的に描き、吃音を異常なものとする理想を強めてしまうと述べ、そうした社会からの評価を受け取ることが、自分は期待に届いていないという受け止め(自己スティグマ)につながりうる道筋を示しています。ただしこの一節は、総説が別の文献を引いて整理した記述で、総説自身が測った結果ではありません。
そして、当事者の取り組みが周囲に求めていることのなかに、「真似しない」がはっきり入っています。日本の当事者が運営するカフェの公式ページは、一般的な対応方法として、吃音があっても一生懸命話すのだから、からかったり、真似しないでほしいと書いています。作品の中の話し方が真似の見本になったとき、割を食うのは画面の外にいる人です。
吃音を扱った作品を見るのは、当事者にとっていいことなんですか
ここは、上位のページがまったく持っていない側面です。感想としてよく並ぶのは「かわいい」「感動した」ですが、同じ一つの作品が、人によって、あるいは同じ人の中でさえ、逆向きに働くことがあります。
当事者本人の声(書いた症状も劣等感もすべて自分の実体験だと本文に明記/個人ブログ note)
だから吃音を題材にしたこのマンガは、10年前に発売された時からずっと興味があり読みたいと思っていた。でもこの作品は吃音者の感情を追体験できるぐらい吃音にまつわる描写がリアルだ。だから読んだらいろんな時の感情が思い出されて辛くなるだろうと思って読むことがずっとできなかった。
発売から10年が経ちやっとこのマンガを読めた。やっぱり泣きながら読んだ。ひょっとすると、やっと自分も志乃のように自分自身を生き続ける準備ができるようになったのかもしれない。
読みたい、と思ったまま10年が過ぎています。避けていた理由は、興味がなかったからでも、無関係だったからでもありません。描写が近すぎて、自分の記憶のほうが動いてしまうと分かっていたからでした。この人は同じ記事の終わりに、そこで書いた症状の具体例も劣等感も、すべて自分の実体験だと明記しています。読んだ結果が「やっぱり泣きながら読んだ」。作品名は押見修造さんの『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』です。同じ一冊が、遠ざける理由にも、読み終える理由にもなっている——吃音がどう表されているかを調べた研究も、そこには支えになる面と偏見を強める面の両方があったと報告しています。
出典: ずっと読むことができなかったマンガを読んだ話―押見修造『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』(note)(台帳: V0255)
映画を使ったプログラムを試した報告があります。4週間の構成されたプログラムを終えた吃音のある成人4名は、面接で、弱さを見せられた・力づけられた・自分を振り返ることが促された・所属している感覚・自分への否定的な見方が弱まった、という5つのテーマを語りました。ただしこれは4名・対照群のない探索的な研究で、原典自身が、より大規模な臨床試験に向けた予備的な支持だと位置づけています。効果が確かめられた、とは書けません。
広い場のほうも見ておきます。X(旧Twitter)に投稿された吃音関連の投稿のうち、反応の大きかった153件を分析した研究は、Xにおける吃音の表され方には支えになる面と偏見を強める面の両方があった、と結論しています。この研究は、5つの主題(吃音とともにある成功を祝う/吃音の認知と教育を進める/支えを得ながら困難を乗り越える/誤解に向き合い偏見を減らす/制度に働きかける)を挙げたうえで、なお否定的な型に向けた取り組みが必要だとも述べています。ただし対象は一つのプラットフォームの、特定のハッシュタグが付いた反応の大きい投稿153件に限られます。
作り手の側からも声が出ています。英国の当事者団体のページで、吃音のある映画監督が、自分が見てきた吃音についての映画のほとんどは「克服」の弧か、背負うべき重荷としての吃音を描くものだった、と語っています。一人の発言であって作品群を数えた調査ではありませんが、描き方の型が偏っているという実感が、作る側にもあることは分かります。実在の人物についての「励みになる/しんどくなる」の両面は、吃音の有名人の記事で扱っています。
作品を見て「自分もそうかも」と思ったら、次はどこへ行けばいいですか
この検索は、ファンの興味の顔をしていますが、健康情報への実在の入口でもあります。実際に、その入口から現実の相談先までたどり着いた人がいます。
言語聴覚士で、自身も吃音のある人の声(子どもの言葉の相談室を運営/保育者向けメディアの取材記事)
自分が吃音だと気づいたのは、吃音の女性が登場するテレビドラマがきっかけでした。「自分と同じだ!」と思って調べたところ、吃音という障害があること、自分もその障害を持っていることを知ったのです。
また、同じドラマで、吃音のリハビリを担当する言語聴覚士の存在も知り、自分も言語聴覚士になりたいと思うようになりました。そこで、大学卒業後は都内の専門学校に入学して言語聴覚士の資格を取りました。
大学生になるまで、この人は自分の話し方に名前があることを知りませんでした。あいさつがうまくできず、音読も苦手で、人前での発表もできない。学校生活は困ることばかりだったと振り返ります。いちばん嫌だったのは、友だちに笑われたり、まねされたりすることだった、とも語られています。それが変わったのが、吃音のある女性が登場するドラマを見たときでした。名前を知り、その名前を扱う職業があることを知り、資格を取り、いまは子どもの言葉の相談室を開いています。作品は、娯楽の顔をしたまま、こういう入口になることがあります。ただし、入口の先で何に出会うかまでは選べません。SNS上で吃音がどう表されているかを分析した研究は、受け取られ方を形づくる位置にいたのは医療専門職と支援団体だったと述べています。
出典: 「聞こう、待とう、私たちが変わろう」が基本。当事者でもある言語聴覚士が教える、吃音を持つ子どもとの向き合い方(マイナビ保育士「ほいくらし」)(台帳: V0120)
ただし、入口の先で最初に出会うのは、たいてい検索結果とSNSです。YouTube と Instagram の吃音の動画を言語聴覚士が評価した研究は、言語聴覚士が作った動画のほうが、吃音のある人や専門外の作り手による動画より、信頼性と質の評点が高かったと報告しています。同じ研究は、吃音のある人が作った動画のほうが好意的なコメントを多く集めたとも述べています。つまり「評点が高い」と「支持を集めている」は別のことです。原典は、吃音のある人は自分が見る動画の内容と出所を注意深く考えるべきだと述べ、質の高い情報が行き渡るよう言語聴覚士が発信することが望まれるとも結んでいます。
相談先については、学会の解説がはっきり書いています。楽に話しやすくなるために周囲の接し方や場面のほうを整える方法、直接発話に働きかける方法、吃音のことを理解する方法など、年齢や状態に合わせた指導があり、小児を扱う言語聴覚士や、ことばの教室の教員に相談しましょう、とされています。本人が治療を希望する場合は言語聴覚士による発話訓練という選択肢があること、自助団体に参加してほかの吃音のある人と出会うことが心理的な変化のきっかけになることもあることも、同じ解説に書かれています。
次のようなときは、作品と検索だけで終わらせずに、相談を考えてみてください(あくまで目安で、当てはまらなくても相談して構いません)。
- 作品を見てから、自分や家族の話し方が気になって離れない
- 話しにくさのせいで、発表・音読・電話などを避けはじめている
- 子どもが「自分の話し方をまねされた」「笑われた」と言っている
この3つは、相談を考えるきっかけとして一般的に挙げられるもので、特定の資料が「受診の目安」として定めているものではありません。相談先の探し方は吃音と言語聴覚士の記事に、自分の状態の整理のしかたは吃音症チェックの記事にまとめています。
描くとき・話題にするときに手がかりになるもの
吃音のある登場人物を描きたい、感想を書きたい、二次創作をしたい——そういうときに参照できる文章は、日本語の情報としてはほとんど流通していません。ただ、当事者の側からはすでに出ています。
英国の当事者団体の指針は、まず事実として、吃音は弱さでも欠陥でもなくただの吃音であること、神経に関わるものであること、詰まりを扱う工夫を身につけることはでき場合によっては減らせるが治すものではないこと、吃音があることはその人の能力や知性について何も語らないこと、詰まりが目立たない人も多く、否定的な反応を予期して言葉や場面を避けている場合があることを並べています。なお、緊張しているから吃るのではありません——同じ指針は、緊張して見えるとすれば、それは話し方を繰り返し笑われてきたからであることが多い、と書いています。緊張と吃音の関係そのものは緊張と吃音の記事で扱います。
言葉の選び方についても具体的です。「苦しんでいる」「冒されている」ではなく「吃音がある」と書くこと、誰かの吃音を「ひどい」「日常に支障をきたすほどだ」と形容しないこと、「打ち負かす」「克服する」という言い方を避けること(治せるものではないため)、そして、物事が滞ったり失敗したりしていることのたとえとして「どもる」にあたる言葉を使わないことが挙げられています。取材する・キャスティングする・一緒に働くときの応じ方としては、遮らずに最後まで言わせる、ときどきうなずいて聞いていることを示す、自然に目を合わせて居心地が悪そうな顔をしない、話し方の良し悪しに触れない、なめらかに話せたことを褒めない、冗談にしない・憐れまない、が並びます。
日本語では、当事者が運営するカフェの公式ページが「ご配慮いただきたいこと」として4つを挙げています。言い終わるまで待つ(遮ったり、憶測して代わりに言ったりしない)、アドバイスしない、真似しない、他の人と同じように接する——この4つです。同じページは、吃音への対応は人それぞれ違うと前置きしたうえで、一般的な対応方法としてこれらを紹介しています。
いずれも公的な規則ではなく、当事者団体と当事者の取り組みが出している要望です。それでも、「どう描けば失礼にならないのか」という問いに、いま日本語で参照できる一次の答えとしては、ここがいちばん近い場所にあります。
創作の中の吃音をめぐって陥りがちな3つの落とし穴
落とし穴1 − 登場人物に病名をつけて、それで分かった気になる
「あれは吃音」「いや場面緘黙」と決着させると、話は分かりやすくなります。ただ、決着したのは作品の解釈であって、現実の理解ではありません。現実の側では、吃音と社交不安障害の重なりが繰り返し報告され、場面緘黙の改善のあとに吃音が表面化した経過も報告されています。ひとりの人ですら名前ひとつに収まらないのに、描写から名前を確定できるはずがありません。名前を当てる代わりに、その話し方をしている現実の人がどう扱われているかを見るほうが、読者にできることに近いはずです。
落とし穴2 − 「真似してもうつるわけじゃないから平気」と考える
学会の解説は、吃音のある人の話し方を真似すると吃音になる(伝染する)という俗説があり、吃音のある子とは遊んではいけないという差別があったと書いています。うつる、という前提のほうは俗説です。しかし、だから真似してよいことにはなりません。当事者の取り組みが挙げる4つの配慮のうち一つが「真似しない」であり、英国の当事者団体の指針も、誰かが吃ったときに冗談にしないこと、憐れまないことを求めています。害は「うつること」ではなく、真似された人が受け取るもののほうにあります。
落とし穴3 − 作品と検索だけで終わって、相談先まで行かない
作品をきっかけに名前を知るところまでは、比較的よく起こります。問題はその先で、SNSの動画は作り手によって信頼性と質の評点が違うので、内容と出所を確かめる必要があります。学会の解説は、小児を扱う言語聴覚士やことばの教室の教員への相談を挙げ、本人が希望する場合の発話訓練や、自助団体で他の当事者と出会うことにも触れています。相談に行くときは、いつ・どんな場面で話しにくかったかを書き留めたものがあると話が早くなります。まずは気づいたことを記録するところから始め、相談できる先があるならそちらが確実です。
よくある質問
アニメやマンガの登場人物の話し方から、そのキャラクターが吃音かどうかは判断できますか?
できません。読者が見ているのは作り手が選んだ描写であって、その人の経過や困りごとではないからです。現実の人でも、吃音のある成人の社交不安障害が少なくとも40%に見られたという報告があり、場面緘黙の改善のあとに吃音が表面化した経過も1例報告されています。学会の解説も、吃音のある子どもや成人で社交不安症の合併率が高いとしています。ひとつの名前に決めきれない、というのが現実の側の答えです。
登場人物の話し方を真似したり、面白がったりするのは、なぜよくないのですか?
当事者の取り組みが周囲に求める4つの配慮のうち一つが「からかったり、真似しないでください」だからです。英国の当事者団体は、吃音が長いあいだ笑いを取るために使われてきたとし、その型にはめた描き方は現実の帰結を生むと述べています。総説も、社会が吃音のある人を否定的に描くことが、自分は期待に届いていないという受け止めにつながりうる道筋を整理しています。
吃音を扱った作品を当事者が見るのは、良いことですか?
一方向には言えないとされています。映画を使った4週間のプログラムを終えた成人4名が、力づけられた・自分への否定的な見方が弱まったといったテーマを語った報告はありますが、対照群のない探索的な研究で、原典自身が予備的な支持と位置づけています。一方で、Xでの吃音の表され方には支えになる面と偏見を強める面の両方があったと報告されています。当事者の記録にも、読むのがつらくて10年読めなかったというものがあります。
吃音のある登場人物を自分で描きたいのですが、気をつけることはありますか?
英国の当事者団体が、吃音の語り方の指針を公開しています。「苦しんでいる」「克服する」といった言い方を避けること、吃音があることはその人の能力や知性について何も語らないこと、取材やキャスティングの場では遮らず最後まで言わせ、なめらかに話せたことを褒めず、冗談にしないことなどが挙げられています。日本語では、当事者が運営するカフェの公式ページが「待つ・アドバイスしない・真似しない・他の人と同じように接する」の4つを挙げています。いずれも規則ではなく当事者側からの要望です。
作品を見て「自分もそうかも」と思いました。どこで調べればいいですか?
SNSの動画から入るときは、内容と出所を確かめることが勧められています。言語聴覚士が作った動画のほうが信頼性と質の評点が高かったと報告されており、Xでの受け取られ方を形づくっていたのも医療専門職と支援団体でした。相談先としては、小児を扱う言語聴覚士やことばの教室の教員が挙げられており、本人が希望する場合は言語聴覚士による発話訓練という選択肢もあるとされています。
まとめ
- 作品の中の話し方は作り手が選んだ描写で、そこから現実の診断名は決まらない。現実の人でも、吃音と社交不安障害の重なりが報告され、場面緘黙の改善後に吃音が表面化した経過も報告されている。
- 描かれ方は現実に返ってくる。英国の当事者団体は、吃音が笑いを取るために使われてきたこと、その型にはめた描き方が現実の帰結を生むことを述べている。総説も、否定的に描かれることが自己スティグマにつながる道筋を整理している。
- 同じ作品が、同じ人の中でさえ逆向きに働く。映画を使ったプログラムの報告は4名の探索的研究にとどまり、SNSでの表され方には支えになる面と偏見を強める面の両方があった。
- 描く側・話題にする側が参照できる一次の文章はある。英国の当事者団体の指針と、日本の当事者が運営するカフェの「ご配慮いただきたいこと」4項目。
- 作品は相談先への入口にもなる。動画は内容と出所を確かめ、小児を扱う言語聴覚士やことばの教室の教員に相談を。
