まず結論から
- 誰かと声をそろえて読むこと、歌うこと、メトロノームに合わせて読むことは、吃音がその場ですぐに、はっきり減る条件として並べて挙げられています。
- これらに共通するのは、一緒に読む人の声・歌の音楽・メトロノームの音といった外から入ってくる合図で、総説はこれを「外部のペースメーカー」とみなせると書いています。
- 成人を比べた研究では、評価者と声をそろえて読んだときのどもった音節の割合が、一人で音読したときよりおよそ7割低くなりました。一方、一人で自由に話すときと一人で音読するときのあいだには差がありませんでした。
- ただし、こうした条件の効果は強いけれども一時的で、外からペースが与えられているあいだの話だとされています。声をそろえて読んでも、吃音のある人とない人の差そのものは残りました。
- 吃音を自分から明かすことについては、まとめられた18本の研究のうち15本で全体として好意的な影響が示され、謝る形の伝え方より謝らない形の伝え方のほうが好意的に受け止められていました。
ただし、ここに並べたのはどれも集団をならして見た結果です。「歌えばどもらない」が誰にでも同じように起きると確かめられているわけではありませんし、歌う場面での楽さが日常の会話に持ち越せるかどうかも、ここからは言えません。この記事は、実在の方の吃音の程度や健康状態を判定するものでもありません。
「大きな象」——本人が書き残した言葉
名前から入ってきた方がいちばん確かめたいのは、この人に本当に吃音があったのか、というところだと思います。それについては、本人が書いたものが残っています。1996年、当事者団体の機関紙に本人名義の手紙が載り、その日本語訳がいまも公開されています。
スキャットマン・ジョン(本名ジョン・ラーキン)本人(1996年に当事者団体の機関紙へ寄せた手紙。日本吃音臨床研究会代表・伊藤伸二氏による日本語訳)
歌ならどもらないが、インタビューを受けたら、必ずどもるだろう。みじめな姿をさらしたくない。「もしも世間に私のどもりが知れ渡ったらどうしよう」 次から次へと沸き上がる不安に、私の心はもう、すっかりパニック状態でした。もしかしてこのシングルがヒットしたら、最も恐ろしいことが起こる。いよいよあの大きな象に向き合わなければならないのか。
1990年ごろ、彼は妻とドイツに渡り、ヨーロッパ中のホテルを回って演奏する仕事を得ます。ステージでの歌とパフォーマンスは上々でした。しかしステージを降りた途端に現実に直面する、と手紙は続きます。どこへ行っても、いつでも、大きな象が自分の後ろからついてくる。他人には見えているその象が吃音で、そんな大きなものをひたすら隠そうと躍起になっていた、と本人は書いています。1994年8月、ノルウェーのホテルで仕事をしていたときにエージェントから電話が入り、スキャットとラップを組み合わせるという案が持ち込まれて、レコーディングが決まりました。引用は、その知らせを喜べなかった理由を書いた部分です。一人では耐えられずに妻へ相談すると、逃げ隠れせずに公表したらどうか、と言われます。二人で相談して、これからレコーディングする歌の詞に自分の吃音について書くことにした——曲名は『スキャットマン』でした。自分から明かすことがどう働くかは、研究の側でも調べられています。
出典: スキャットマン・ジョン を偲んで 1(伊藤伸二の吃音(どもり)相談室)(台帳: V0312)
吃音を自分から明かすこと(自己開示)については、2026年に出た系統的レビュー——同じテーマの研究をあらかじめ決めた手順で集めて整理したもの——が18本の研究をまとめています。全体として好意的な影響が示されたのは18本のうち15本で、伝え方を比べた研究では、謝る形で伝えた場合や伝えなかった場合よりも、謝らない形で伝えたほうが好意的に受け止められていました。ただしこの要約は対象者の年齢層まで書いていないので、「誰に対しても同じように働く」と読むことはできません。
働く場面を模した実験もあります。面接の候補者を評価してもらう実験では、吃音があることを冒頭で伝えたかどうかで結果が変わりました。伝えなかったときは吃音のある候補者が低く評価された一方、伝えたときには吃音のある候補者とない候補者の評価に差がありませんでした。手紙のなかで彼が怖がっていたのは、まさに「知れ渡ること」でした。知れ渡ることそのものではなく、自分から先に言うかどうかが結果を変えていた、というのがこの実験の形です。もっとも、これは評価してもらう形の実験なので、実際の採用の場で同じことが起きるとまでは言えません。
リズムに乗せると言葉が出る、というのはどういうことか
「歌えばどもらない」は、当事者のあいだでもよく口にされます。ただ、歌が特別だから、では説明になりません。何が効いているのか。まず、ラップと出会った人の話から見てみます。
ラッパー達磨さん・18歳(ノンフィクションライターによる署名インタビュー。引用は本人の発言部分)
韻を踏んで、パンチライン(インパクトのあるフレーズ)を使えば、気持ちを強く表現できる。すごく楽しかった。多分僕は、普通の人の数十倍、数百倍、ラップを楽しめている。苦手なア行もカ行も濁音も、ラップをしているときは関係ない。“俺はいま、絶対にどもらない”と思えるから、ラップをすごく楽しく感じることができるんだと思います
15歳ごろに症状が顕著になり、レストランではうまく発語できないメニューの注文を諦めていた、と記事は伝えています。それでも「友達には恵まれた」と本人は言い、言葉が出ないときも友達はじっと待ってくれたと話します。16歳の誕生日に友人たちと「ラップやってみようぜ」と突如盛り上がったのが始まりでした。聴くのとやるのとはまるで違って難しく、だからこそその日から夢中になった。公園などに集まって即興でラップをする「サイファー」に熱中し、そこでは言いたいことを思う存分ラップに乗せて発信できたといいます。ラップでは吃音の症状が出ない理由について、本人は「リズムに乗せると、言葉がスムーズになる」と説明し、そういう人は結構いるらしい、とも付け加えています。外からリズムが入ると発話がどう変わるかは、研究の側でも繰り返し観察されてきました。
出典: 彼にしかできないラップ、彼にしか書けない歌詞がある。吃音症のラッパー達磨が「音文」に込めた思い(Business Insider Japan)(台帳: V0336)
2004年に出た総説は、聞こえ方や話すリズムを変える操作——自分の声を少し遅らせて聞かせる方法、声の高さを変えて聞かせる方法、誰かと声をそろえて読むこと(斉読)、音節の長さをそろえた話し方——が、吃音の頻度をすぐに、はっきり下げると整理しています。そしてこう続けます。斉読・歌唱・メトロノームに合わせた音読は、どれも外からの信号を伴っている。一緒に読む人の声、歌の音楽、メトロノームの音がそれにあたる。これらの信号は聴覚の経路をとおって発話を作る仕組みに入るので、うまくつながらなくなっている場所を迂回して届き、ばらけてしまった活動を合わせ直せるのではないか——外からの合図は、外部の「ペースメーカー」とみなせる、というまとめ方です。
数字で確かめた研究もあります。吃音のある成人と吃音のない成人に、絵を見て一人で話す・一人で音読する・評価者と声をそろえて読む、の3つをやってもらった比較では、吃音のある人たちは声をそろえたときだけ、どもった音節の割合がはっきり下がりました。その下がり幅は一人で音読したときと比べておよそ7割で、話す速さもおよそ7割速くなっていました。一方、一人で話すときと一人で音読するときのあいだには、どちらの指標でも差がありませんでした。一人で声に出して読むだけでは変わらず、そこに誰かの声が重なると変わる、ということです。
同じ研究は、外から与える刺激は必ずしも耳から入る必要はないとも述べていて、目標とする口の動きを目で見せるやり方でも流暢さが増しうるという報告を引いています。ただし、どんな刺激でもよいわけではありません。話し手がそれを「発話」として受け取ることが、吃音が減る条件になるとしています。機器を使って聞こえ方を変える方法については、聴覚フィードバックと吃音の記事にまとめてあります。
歌っても、言葉が出ないことがある
「歌なら大丈夫」という言い方が広まるほど、そうならなかった人は言い出しにくくなります。歌でも言葉が出なかった人の記録から始めます。
当事者本人の声(バンドのボーカル経験がある女性/個人ブログ「吃音の私が新しい話し方を獲得するまでの道のり」)
私も時々口にするのだが「吃音があっても歌なら唄える」ということ♪
確かにカラオケでもバンドのボーカルとしてでも歌なら人前でも自由に唄える
でも 歌であっても 歌詞の最初の言葉が出て来なくて唄えなくなる時がある
友人の結婚式の披露宴で歌うことになり、ウクレレを始めたばかりの夫が必死に練習して、二人で演奏することになりました。イントロが終わってウクレレがコードを鳴らしたあと、ボーカルだけが入る歌い出し。練習中は何の問題もなく、不安もなかったのに、前日のリハーサルで最初の言葉が出なくなった、と書いています。同じことは、吃音を知ってもらうために作ったオリジナル曲でも起きていました。イントロや間奏のあとにボーカルだけで歌い出す場面で言葉が出なくなり、一度出ないと意識してしまって、次から出ない確率が高くなる。本番でとった対応は二つです。イントロと歌い出しのあいだもウクレレを叩いてリズムを取ってもらうこと、そして夫にも最初のフレーズを一緒に歌ってもらうこと。それで、出なかった最初の「な」が出るようになったといいます。この二つは、研究が「外からのペース」と呼んできたものとほとんど同じ形をしています。
出典: 「吃音があっても歌なら唄え」ません(>_<)(miporin)(台帳: V0382)
2022年の脳画像研究は、流暢さが出る条件——誰かと声をそろえる、メトロノームに合わせる、歌う、雑音で自分の声を隠す、自分の声を変えて聞かせる——に共通する性質を二つ挙げています。第一に、効果は強いけれども一時的であること。第二に、たいてい外からペースを与える要素を含んでいること。声をそろえて読む場面では、相手の読み方と速さがそのペースにあたる、と書かれています。ウクレレの拍と、隣で一緒に歌ってくれる声は、ちょうどこの二つ目にあたります。
一方で、条件をそろえれば吃音のない人と同じになる、という話ではありません。先ほどの3つの課題を比べた研究では、調べたすべての指標で群のあいだに差があり、その差は声をそろえて読む条件でも残りました。
さらに2025年に出た研究は、「相手のリズムに合わせているから流暢になる」という説明そのものに疑問を投げかけています。吃音のある成人20人と、吃音のない成人20人が、まず一人で文章を読み、次に吃音のない相手と声をそろえて読みました。声をそろえたときのリズムの変わり方は、二つの群で逆向きでした。著者らは、これは「合わせるためのリズムの手がかりを与えることで運動のタイミングの不足を補っている」という仮説への支持が限られることを示す、と述べています。その場で流暢になること自体は繰り返し観察されていますが、なぜそうなるのかは、まだ決着していません。
「吃音を活かした人」に憧れた先で起きたこと
名前をたどってくる人の多くは、この人を成功した例として見ています。憧れそのものは悪いものではありません。ただ、憧れ方によっては別のことが起きる、という記録も残っています。
30代・自治体職員の男性(個人ブログ。高校生のころをふり返って書いた記事。本人は診断を受けたとは書いていません)
憧れが消えるのは自由だが、どもりは残った。
おそらく、1年ぐらいは癖が抜けていなかったと思う。とにかく、普通の喋り方に戻すのが大変だった。今でも、驚いたときなどに出てしまうくらい。
きっかけは、動画サイトでスキャットマン・ジョンを知ったことでした。「吃音を活かすなんてすごい!」と、吃音のこともロクに知らずに憧れていた、と本人は書いています。もともと好きだったクイーンの曲をカバーしていたことも、親近感を抱いた理由の一つだったそうです。やがて憧れは、スキャットマンになりたい一心で「どもりたい!」と思うところまで進み、最初の発音をわざと連続させる「どもりの練習」を始めます。1か月もすると、意思がなくてもどもりが出てくるようになりました。それでもスキャットマンのように歌えるわけではなく、あのスキャットは自分にとっては「どもり」というより「早口言葉」だった。そう気づいて憧れは自然に消えたけれど、癖のほうは残った、というのが引用した部分です。本人は最後に、医者ではないから言い切る自信はない、とも書き添えています。ところで、「吃音の有名人」として名前を並べる側にも作法があります。
出典: スキャットマンに憧れて、吃音になりかけた話(かつげんの拠り所)(台帳: V0381)
英国の吃音支援団体 STAMMA は、吃音のある著名人の一覧を分野ごとに公開していて、その最初の区分が「歌手・ミュージシャン」です。エド・シーラン、ケンドリック・ラマー、カーリー・サイモン、ビル・ウィザース、エルヴィス・プレスリーらと並んで、スキャットマン・ジョン(ジョン・ポール・ラーキン)の名前もここにあります。多くには本人の言葉が添えられていて、たとえばケンドリック・ラマーについては、子どもの頃に吃音があり、だから音楽をつくることにエネルギーを注いだのだと音楽誌に語ったことが引かれています。米国の吃音財団も、「俳優・歌手・エンターテイナー」や「記者・写真家」といった分野ごとの一覧を公開しています。
この一覧が参考になるのは、名前の数よりも並べ方のほうです。ネット上で吃音があるとされていても裏づけになる情報源が見つからない人物には、名前の横に疑問符を付け、その理由を書き添えています。ある音楽家については、父親の扱いが原因できょうだいが吃音になったという伝記の記述に触れたうえで、親が吃音の原因になることはないと明記して打ち消してもいます。名前が並んだページを読むときは、この種の但し書きがあるかどうかを見るのが安全です。有名人の名前とどう付き合うかは、吃音の有名人の記事でくわしく扱っています。
どもったまま話す、という受け止め方
この人の名前を手がかりに何かが変わった、と書いている人もいます。変わったのは話し方ではなく、受け止め方のほうでした。
当事者本人の声(17歳のときの交通事故のあとに話し方が変わったと書く男性/個人ブログ note)
それで、僕はドモりをどうにか出来ないかと悩んだりしていた時に一人のミュージシャンを知った。
そのミュージシャンの名はスキャットマンジョン。
当時凄く流行っていたミュージシャンでスキャットと言う歌い方で人気を博した人だった。
そして、彼の事を調べたら彼も吃音症に悩まされていたけれど、スキャットと言う歌い方と出会って歌う楽しさを知ったと言う事を見たんだ。
その時に僕は思った。
ドモりってかっこいい!!
17歳で交通事故に遭い、意識不明の重体から回復した人の記録です。意識が戻ったとき、文字は読めるのに意味が分からず、箸もちゃんと使えなかった。家族や友達と話して、自分がどもって話していることに気づいた、と書いています。退院して数か月後に復学すると、友達にどもりを指摘されて笑われました。引用はそのあとの場面です。ここから彼は積極的に話すようになり、何度どもっても、どもっていると笑われても気にしなくなった。やがて最初は笑っていた友達も笑わなくなり、普通に話すようになった、と続きます。本人が誇らしかったと書いているのは、どもらなくなったことではなく、どもっても気にせず話す自分のほうです。自分を受け止めることと人に明かすことの関係は、日本の当事者を対象にした調査でも見られています。
出典: どもりってかっこいい!(note)(台帳: V0380)
日本の当事者を対象にした2026年の調査は、吃音を自分から明かす度合いを測る尺度の日本語版を作り、その度合いが米国での調査より低かったと報告しています。同じ調査の分析では、自助グループに参加した経験があること、自己受容が高いこと、自己スティグマ(自分自身に向けてしまう否定的な見方)が低いことが、より高い開示と結びついていました。どちらが先かまでは、この調査からは言えません。
もう一つ、日本で長く話す仕事を続けてきた当事者の文章が、当事者団体のサイトに転載されています。マイクの前だとなぜどもらないのかとよく尋ねられ、「お金をもらうとどもらない」と必ず答えるようにしている——アナウンサーの小倉智昭さんはそう書き出し、小学生のころのひどい吃音と、親から「もっと落ち着いて話せ」「ゆっくり話せ」と注文をつけられても一向に良くならなかったことを振り返っています。紹介文を書いた当事者団体の代表は、自分と小倉さんはずいぶん違う道を歩いてきたとしたうえで、最後にみつけたのは「どもりは治らない」「どもりが治らなくても生きていける」だと書いています。マイクの前とステージの上——場面が変われば出方が変わるという話と、治るかどうかの話は、別々に置いておいたほうが混乱しません。
相談できる場所と、探すときの注意
歌える場面があることと、困りごとが無いことは別です。相談先を挙げておきます。
日本言語聴覚士協会は、聞こえやことばの障害、飲み込みの障害のある人を支援する専門職が言語聴覚士だとしたうえで、専門知識と技術を用いて検査・訓練・指導や援助を行い、障害のある人がよりよい生活を送れるように支援する、と説明しています。同じページは、ことばの障害の種類を挙げるなかで、スムースに話をすることが難しい吃音もことばの障害に含まれると明記しています。相談してよい相手なのか迷ったときは、ここが出発点になります。
ただし、探し方には注意が要ります。吃音ポータルサイトは、言語聴覚士が国家資格で、養成課程に吃音が含まれていることを説明したうえで、業務が多岐にわたるため、必ずしも全ての言語聴覚士が吃音の指導や支援を行えるわけではないと書いています。病院や協会、都道府県の言語聴覚士会に事前に問い合わせる、という手順もそこに示されています。
大人向けの専門外来もあります。国立障害者リハビリテーションセンター病院は成人吃音相談外来を設けていて、初診専用の外来なので、予約センターで予約を取ったうえで受診するよう案内しています。受診希望者が多く予約が取りにくくなっているとも書かれているので、行く前に案内を確認してください。
同じ立場の人と会う場もあります。吃音ポータルサイトは、言友会などの自助グループについて、当事者の集まりなので言語聴覚士のような学術的な知識や、吃音を改善するための専門的な指導・支援が受けられるわけではない、と先に断っています。そのうえで、同じ問題を持つ仲間と出会い、当事者同士でないと感じられない連帯感のなかで悩みを聞いてもらったり、同じ悩みを持つ立場から具体的な助言をもらったりできる、と書いています。日本の当事者の調査で、自助グループの経験が高い開示と結びついていたことも、あわせて思い出しておいてよいところです。
次のようなときは、様子を見るだけにせず、相談を考えてみてください(当てはまらなくても相談して構いません)。
- 歌える場面があるために「困っていない」と受け取られ、必要な配慮を言い出せない
- 話す場面を避けるようになり、進学・就職・仕事の選択がそれで狭まってきた
- 話し始める前から不安や恐怖が強く、それが続いている
この3つは相談を考えるきっかけとして挙げたもので、特定の資料が「受診の目安」として定めているものではありません。
「歌えばどもらない」で陥りがちな3つの落とし穴
落とし穴1 − 「歌えるのだから、話すのも練習すればできるはず」と受け取る
一人で声に出して読むだけでは、一人で自由に話すときと出方は変わりませんでした。変わったのは、そこに誰かの声が重なったときです。しかもその効果は一時的で、外からペースが与えられているあいだの話だとされています。歌えた経験は、会話でも同じように言葉が出ることの証拠にはなりません。周囲がここを取り違えると、本人は「あのときは歌えていたのに」という言葉を受け取ることになります。本人の側も、歌える場面を根拠に自分を責めないほうがよいところです。
落とし穴2 − 成功した人の話を、治り方の見本として読む
名前に「治った」を足して調べたくなる気持ちは自然です。ただ、手元の資料が言っているのは、条件によってその場で流暢さが出るというところまでで、それが治療の効果だという話ではありません。本人の手紙に書かれているのも、吃音を隠していた時期と、公表すると決めるまでの経緯です。「どもりが治らなくても生きていける」という言葉のほうが、この記事が並べた材料には近いところにあります。
落とし穴3 − 話し方をまねてみる
この記事で紹介したのは、憧れから「どもりの練習」をして、1年ほど癖が抜けなかったという一人の記録です。本人も医者ではないから言い切る自信はないと書いていて、これで何かが証明されるわけではありません。それでも、まねることに得はなさそうだ、というくらいのことは言えます。曲や動画が入口になったのなら、話し方をまねるより、その人が何を書き残したかを読むほうが受け取れるものは多いはずです。
そして、歌える場面があってもなくても、記録は残しておくと役に立ちます。どの場面で言葉が出にくかったか、どの場面では楽だったかを書き留めておくと、相談のときに自分の状態を説明しやすくなります。
よくある質問
スキャットマン・ジョンには、本当に吃音があったのですか?
本人が1996年に当事者団体の機関紙へ寄せた手紙で、自分の吃音について書いています。その日本語訳が公開されていて、隠していた時期のことも、新曲の詞に吃音を書いて公表すると決めた経緯も、本人の言葉として残っています。英国の吃音支援団体がまとめた著名人の一覧でも、歌手・ミュージシャンの区分に名前が挙がっており、スキャットについての説明が添えられています。米国の吃音財団も分野別の一覧を公開しています。
吃音があると、歌ではどもらないのですか?
歌は、その場で吃音が減る条件のひとつとして挙げられています。共通しているのは外から合図が入ることで、総説はそれを外部のペースメーカーとみなせると書いています。ただし効果は強いけれども一時的だとされ、誰かと声をそろえて読む条件でも、吃音のある人とない人の差そのものは残りました。「歌えば誰でもどもらない」と言えるだけの根拠は、手元の資料にはありません。
歌っても言葉が出ません。おかしいのでしょうか?
おかしくありません。この記事でも、歌なら人前でも自由に唄えると書いていた人が、披露宴の前日に歌い出しの言葉が出なくなった記録を紹介しています。研究の側でも、声をそろえて読む条件で群のあいだの差は残っており、流暢さが出る効果は一時的だとされています。なぜ流暢になるのかという説明そのものにも、支持は限られるという報告があります。「歌えるのが当たり前」という前提のほうが、測られた事実より単純です。
スキャットマン・ジョンは、吃音を克服したのですか?
この記事は「克服した」という書き方をしません。手元の資料が言っているのは、歌などの条件で一時的に流暢さが出るというところまでです。本人の手紙に書かれているのも、吃音を隠していた時期と、それを公にすると決めるまでの経緯であって、吃音が無くなったという話ではありません。長く話す仕事を続けてきた別の当事者の文章には、「どもりは治らない」「どもりが治らなくても生きていける」という言葉が添えられています。
吃音のある歌手やミュージシャンは、ほかにいますか?
英国の吃音支援団体の一覧には、歌手・ミュージシャンの区分にエド・シーラン、ケンドリック・ラマー、カーリー・サイモン、ビル・ウィザース、エルヴィス・プレスリーらの名前が並び、多くに本人の語った言葉が添えられています。米国の吃音財団も、「俳優・歌手・エンターテイナー」などの分野別の一覧を公開しています。ただし同じ一覧は、裏づけになる情報源が見つからない人物には疑問符を付けているので、名前だけを鵜呑みにしないほうが安全です。国内の音楽家については吃音と歌の記事にまとめてあります。
まとめ
- 本人は1996年の手紙で、吃音を「大きな象」と呼んで隠していた時期と、新曲の詞に書いて公表すると決めた経緯を自分の言葉で残している。自分から明かすことは、研究の側でも全体として好意的な影響が報告されている。
- 誰かと声をそろえて読むこと・歌うこと・メトロノームに合わせることに共通するのは外から入る合図で、総説はこれを外部のペースメーカーとみなせるとする。
- 評価者と声をそろえて読んだときのどもった音節の割合は、一人で音読したときよりおよそ7割低かった。一人で話すときと一人で音読するときのあいだには差が無い。
- 効果は強いが一時的で、外からペースが与えられているあいだの話とされる。声をそろえても群の差は残り、なぜ流暢になるのかの説明にも支持は限られるという報告がある。
- 相談先は言語聴覚士(吃音はことばの障害に含まれる)。ただし全員が吃音の支援を行えるわけではないので事前の問い合わせが要る。大人の専門外来は予約制。自助グループでは専門的な指導は受けられないが、当事者同士でないと得られないものがある。
