まず結論から
- 方法はあります。青年・成人については、条件を決めて研究を集めまとめて評価する方法から、有効な治療に共通する要素が特定されています。
- ただし、ゆっくりした発話の練習などで診察室の中の吃音が大きく減っても、日常の場面でその状態を保ち続けるのはとても難しく、吃音は再発しやすいとされています。
- 「緊張が吃音の原因」とは言えません。成人の筋肉の電気的な活動を測った研究の総括として、筋肉の過剰な活動は吃音の原因でも一貫した症状でもないと述べられています。
- 一方で、人前という条件が出方を動かすことは実際に測られています。聴衆がいる条件では、吃音のある成人だけ、文の中の発話の動きがより決まりきった型に寄りました。
- 「吃音か、あがり症か」は二択になりにくい問いです。吃音のある成人200名と吃音のない成人200名を比べた研究では、社交不安障害がある人の割合はある時点で少なくとも40%と推定されています。
ただし、ここに挙げたのはいずれも集団を平均した傾向か、限られた条件で測られた結果です。あなたの緊張がどれだけ吃音に効いているかを、この記事が決めることはできません。気になるときは自分で名前をつけて終わりにせず、言語聴覚士など相談できる専門職に一度見てもらってください。
「緊張しない方法」はありますか——直前にできること
順番を後回しにしません。まず、いちばん急いでいる方が欲しいものから渡します。当事者が実際に使っている手と、研究の側が有効な要素として挙げているものの、両方です。
先に一人の記録を読みます。電話の場面で自分がしていることを、細かく書き残している人がいます。
当事者・20代の方(名義「ちな」/note の個人ブログ「電話の工夫」)
こちらから電話しないといけないときは、電話する前に一人で小声で、「大丈夫大丈夫、リラックスリラックス」って言い聞かせて、(リラックスしてても言えないときは言えないんですけどね)体と喉の力を脱力させるために体を軽く揺らしたり。これもばれたくないので、本当に小さく小さく(笑)
私がひそかにやっている電話中の工夫その4
お話しする内容が決まっている場合は、喋ることを紙に書くこともあります。箇条書きじゃなくて、話し言葉で全部書きます。そうするとなんだか安心できるんです。自分で考えた文章なので、言えない言葉があったら瞬時に言い換えもしやすいです。
電話をかける前の、ほんの数十秒。この人がしていることは二つあります。ひとつは自分に小さく声をかけ、体を軽く揺すって喉と体の力を抜くこと。もうひとつは、話す内容が決まっているときに、箇条書きではなく話し言葉のまま紙に書いておくこと。自分で考えた文章なので、言えない言葉があれば瞬時に言い換えられる。どちらも周りに気づかれないよう、小さく小さく行われています。見落としたくないのは、工夫を並べている途中に本人が丸括弧で挟んだ一言のほうです——リラックスしても、言えないときは言えない。手はある。ただし効かない場面も、同じ人の中に同居しています。研究の側でも、青年・成人については、条件を決めて研究を集めまとめて評価する方法から、有効な治療に共通する要素が特定されています。
出典: 電話の工夫(note)(台帳: V0240)
その「有効な要素」として挙げられているのは、ゆっくりした発話を最初に集中して練習すること、グループでの練習を含むこと、練習したことを日常の場面へ移していくこと、段階を追って自分で評価し自分で管理していくこと、自然に聞こえる話し方を目指すこと、そして訓練が終わったあとも続く維持のプログラムを含むこと、の6つです。引き伸ばした発話、やわらかい声の出だし、リズムに乗せて話すこと、呼吸のコントロール、そして吃音に対する構えを変えることも、練習の中身として挙げられています。
ここで気づいてほしいのは、リストの中に「緊張をなくす」という項目が無いことです。日本の研究班による解説も、成人の話し方の訓練について、これだけで改善する例は少なく、半数を超える人では社交不安障害などの心理面の評価と対応も必要になると書いています。
そして、考え方のくせに働きかける認知行動療法を用いた治療では、話す行為に注目することが言葉のなめらかさを失わせる主な原因だと理解してもらったうえで、吃るかどうかにこだわらず、楽なコミュニケーションを目標に置くと説明されています。国立の研究機関が紹介しているグループ訓練も、発話の症状を軽くするための意図的で自然ではない発話のコントロールは練習せず、自然で楽に話せる力のほうを強化していく方針をとっています。
並べてみると、専門家の側が置いている目標は「緊張ゼロ」ではありません。目標は、楽に伝わることのほうに置かれています。
手を尽くしても出ない日がある——工夫はどこまで効くのか
手のリストを受け取った次に来る問いは、たいてい同じです。「それを続ければ、いつか消えるのか」。この記事がいちばん時間をかけたいのはここです。どんな手があるかより、その手がどこまで効くのかのほうが、実際の場面では先に効いてきます。
当事者・伊藤伸二さん(日本吃音臨床研究会/大阪吃音教室の吃音Q&A の対談記録・会報の再掲)
そんなことができれば困らないと思うかもしれないけど。僕も、第一声がどうしても出ない時がある。寿司屋で「たまご」を注文しようと、一生懸命タイミングを見計らっても、「…」となり、出ない。何べん挑戦しても出ない時は出ない。病院で名前を言わないといけないときだったら、無理をしてでも「いい、いい、い伊藤」と言う。でも、寿司屋では、あきらめる。だからもう玉子は食べない。
当事者の教室で長く質問に答えてきた人が、自分の側の実際をこう明かしています。第一声がどうしても出ない時がある。寿司屋でたまごを頼もうとタイミングを見計らっても、何べん挑戦しても出ない時は出ない。そこで選び分けが起きます。病院で名前を言わなければならない場面では、無理をしてでも言う。寿司屋では、あきらめる。だからもう玉子は食べない——これは工夫の話ではなく、工夫が届かなかったあとの話です。行動療法の総説も、吃音は再発しやすいので、どもりが起きたときにどう対処するかの技法を教えておくのが賢明だと述べています。
出典: 大阪吃音教室 吃音Q&A 4(日本吃音臨床研究会)(台帳: V0138)
同じ総説は、話し方を組み立て直す訓練について、二つのことを並べて書いています。診察室の中では吃音の頻度がかなり劇的に下がることがある。しかし日常の話す場面でその状態を保ち続けるのは、とても難しい。
さらにこの総説は、3週間の集中的なプログラムを検証した研究の結論として、二つの点を紹介しています。ひとつは、自己報告の不安が下がっても、吃音の頻度は自動的には減らないようだということ。もうひとつは、吃音の頻度が下がらない場合でも、吃音にまつわる不安や回避のほうは扱えるということです。
この二つは、読者が求めている「緊張のゼロ化」とは別の方向を指しています。不安が下がることと、吃音が減ることは、自動では連動しない。そのかわり、不安と回避のほうには手が届く——手のリストが本当に効いている場所は、そちらです。
もうひとつ、土台になる話を置いておきます。話すという行為そのものが、体を強く動かします。ある総説は、質問に答えて自由に話す場面が、吃音のある人にもない人にも高いレベルの自律神経の反応——心臓や汗腺などを自動で調節している神経の働きです——を引き起こし、それは息を強くこらえる動作のときより高かった、という研究を紹介しています。同じ箇所には、平均すると、話しているあいだの反応の大きさは吃音のある人のほうが高いわけではなかったとも書かれています。ただし吃音のある人がどもっているときには、話している間で最も大きな反応が記録されたとも述べられています。
つまり、あなたが話す前に体が張りつめるのは、あなたが弱いからではありません。話す場面で体が動くのは、吃音のあるなしにかかわらず起きていることです。工夫が効かない日があるのも、工夫が足りないからだとは限りません。
緊張していないのに、言葉が出ないことがあります
「緊張すると吃音になる」——この言い方は、たいてい疑問形ではなく、言い切りの形で使われます。ところが当事者の記録を読んでいくと、その言い切りに収まらない場面がいくつも出てきます。
当事者・57歳男性(名義 sadakiti/個人ブログ)
発話で緊張しないってのが幼稚園から吃音を自覚した自分の人生で異質だと思っていて。サッカーのパスには全部意味があるように、意味のない発話ってほぼしたことがなく。緊張しない(吃音を意識しない)で話せるならそれが一番だけど、今回は意識してないのにブロックがかかる。
幼稚園のころから吃音を自覚してきた57歳の男性が、最近の変化をブログに書き留めています。発話で緊張しないということ自体が、自分の人生では異質だった。意味のない発話をほぼしたことがない、とも書いています。ところが最近は、話そうとすると、いきなり言葉が出ない。緊張していないのに、出ない。本人はそれを「意識してないのにブロックがかかる」と書き、これは新しい段階なのか、環境が落ち着けば元に戻るのかと自問しています。緊張と吃音を一本の線で結ぶ説明は、当事者の記録の中で必ずしも成り立っていません。そして研究の側も、その線をそのままには引いていません。
出典: 吃音(どもり)ネタを貼ってくブログ(はてなブログ)(台帳: V0235)
成人を対象にした筋電図の研究——筋肉が働くときの電気的な活動を測る調べ方です——を総括した部分で、この総説は、筋肉の過剰な活動は吃音の原因ではなく、一貫した症状ですらないことが明らかだ、と述べています。「力が入っているからどもる」という説明は、ここでは支持されていません。
不安の位置づけも、多くの人が思っているのと逆向きです。同じ総説は、話す場面や社会的な場面での不安を、生涯にわたって重ねてきたコミュニケーション上の否定的な帰結から「予測できる結果」とみなせる、という別の研究者たちの整理を引いています。原因の側ではなく、結果の側に置かれているということです。
では、何が場面ごとの差を作っているのでしょうか。2026年に出た仮説の論文は、吃音が現れる場面には二つの要素が重なっている、と説明します。自分の話し言葉の誤りを意識して見張っていることと、社会的に評価されていることの二つです。この二つが同時にあるところで吃音が現れ、どちらか、あるいは両方が欠けるところでは吃音は大きく減り、人や場面によっては完全に消えることもある、というのが著者らの見方です。ただし著者ら自身が「説明できるように見える」という言い方をしており、確かめられた仕組みではありません。
この枠組みは、よく知られた場面差にも説明を与えます。一人で話すとき、あるいは自分に向かって話すときは、なめらかさが最もよく保たれる条件の一つで、そこでは話し言葉に意識を向けていても流暢に話せるとされています。合唱のように自分の声が他の人の声に紛れる場面では、社会的に評価されている感じが著しく下がります。歌うときは、自己評価は残っていても、注意がメロディーとリズムに全部割り当てられるため、誤りを意識して見張る働きのほうがほとんど無くなる、と説明されています。
「緊張したから出た」という説明が、いつも当てはまるわけではない——当事者の記録も、研究の整理も、この一点では同じ向きを指しています。原因そのものをもう少し広く知りたい方は、吃音とは?原因は親のせいではないのほうで扱っています。
人前だと、なぜ持っている手が使えなくなるのか
工夫を持っている人でも、人前ではその工夫が効かなくなることがあります。次の記録は、言葉が出ずに間があく詰まり方(難発と呼ばれます)に対して自分なりの手を持っていた人が、それが通じなかった場面を書いたものです。
当事者・20代の方(名義「わたね」/文系未経験からIT企業へ就職した記録・個人ブログ)
吃音の人(特に難発の人)は言葉が上手く発せないときに、リズムをとってそのリズムにのせて発すると、言葉が出やすくなったりします
私はこのリズムをとる方法を多用します
ただ、この方法が集団面接ではなかなか使いづらい
複数の人が作り出す空気感の中で、その雰囲気にのまれてしまい、自分のリズムにのれないということがありました
そうなってしまうとパニックになり、しどろもどろな回答しかできず、散々な結果になってしまいました
文系未経験からIT企業に就職した20代の人が、就職活動の記録にこう書いています。言葉がうまく出ないとき、リズムをとってそのリズムに乗せると出やすくなる。自分はこの方法を多用している。ところが集団面接では、それが使いづらい。複数の人が作り出す空気感にのまれて、自分のリズムに乗れない。そうなるとパニックになり、しどろもどろな回答しかできず、散々な結果になった、と書いています。手を持っていることと、その手が使えることは別だ、ということになります。聴衆がいる場面で発話の動きが実際にどう変わるかを測った研究が、この問いに近いところにあります。
出典: 吃音がある私の就職活動(わたね調味料クッキング)(台帳: V0203)
その研究は、吃音のある成人20名と、吃音のない成人21名に、聴衆がいる条件といない条件で同じ文を繰り返し言ってもらい、唇の動きを追いかけたものです。
聴衆がいない条件では、二つのグループの発話の動きは似ていました。ところが聴衆がいる条件では、吃音のある側だけ、文の中の動きがより決まりきった型に寄り、より安定する方向へ動きました。吃音のない側には、この変化は出ていません。「人前だと乱れる」ではなく、「人前だと硬くなる」ほうへ動いた、という結果です。
著者らはこれを、社会的・認知的なストレスの下で、根底にある話しにくさを補おうとして発話のやり方が硬くなるのかもしれない、と解釈しています。ここは「かもしれない」という水準の解釈であって、確かめられた仕組みではありません。
もうひとつ。人前で言葉がなめらかに出なくなるのは、吃音のある人に限った話でもありません。先ほどの仮説の論文は、人前で話す場面は強いストレスと自分を評価される圧がかかる場面であり、吃音のない話し手でも言葉のつっかえが増えることが示されてきた、と述べています。
持っている手が効かなくなるのは、手が悪くなったからではなく、場面のほうが変わっているからだ——そう読むこともできます。
これは吃音ですか、それともあがり症ですか
「吃音気味」「過緊張」「緊張状態」——診断名を持っていない人が、自分の状態を緊張の目盛りの上に置こうとするとき、こういう言い方が出てきます。まずは、周りからどう見えていたかを書き残した人の記録から。
当事者・40代男性(ハンドルネーム「がんば」/自助団体サイトの体験談欄)
私の吃音について友達がどう思っていたか聞いたことはないが、私の感じとしては、たまにどもって同じことばを繰り返してもあがり症で緊張して、そうなっているだけという感じでしか受け止めていなかったような気がする。こちらが思っていたほどまわりの人は私の吃音に気付いていなかったようだ。
40代の男性が、学齢期を振り返って書いています。友達が自分の吃音をどう思っていたかを、本人に聞いたことはない。ただ自分の感じとしては、たまにどもって同じことばを繰り返しても「あがり症で緊張してそうなっているだけ」という受け止め方でしかなかったように思う。こちらが思っていたほど、まわりの人は気づいていなかったようだ、とも書いています。周囲から見えていた輪郭は「あがり症」で、本人が抱えていたものとは名前が違っていました。この二つは、研究の上でも切り分けが簡単ではないことが分かっています。
出典: 体験談 2.40代男性 がんば(自助団体サイト)(台帳: V0175)
メタ分析とは、条件を満たす研究の結果を統計的に束ねて、違いの大きさをはっきりさせる方法のことです。慢性の吃音がある成人を対象にしたメタ分析は、この人たちに特性不安(もともとの不安の感じやすさ)と社交不安がともにかなり高いことを確かめ、この二つは多くの成人にとって明確な問題だと結論づけています。
別の研究は、吃音のある成人200名と、吃音のない成人200名を、年齢と男女の比をそろえて比べました。吃音のある側は特性不安も社交不安も有意に高く、社交不安障害がある人の割合は、ある時点で少なくとも40%と推定されました。
ここで大事なのは、その先です。同じ研究は、吃音のある人に社交不安障害を診断するための当時の手引きが、専門職の側に混乱を生み、精神的な健康の面で悪い影響をもたらす可能性がある、とも結論づけています。「吃音か、あがり症か」の線引きは、専門職の側でも簡単ではありません。自分ひとりで名前をつけて終わりにするのは、いちばん難しいやり方だということになります。
不安や気分の落ち込みが吃音のあとから重なってくる話は、吃音の二次障害のほうで詳しく扱っています。
どこに相談すればいいのか
成人の吃音の相談や支援を行っている専門機関として挙げられているのは、言語聴覚士と、当事者どうしの集まりです。言語聴覚士は、ことばや聞こえに困りごとのある方への指導や支援を行う国家資格の専門職で、養成課程の中に吃音が含まれており、吃音のある方の指導・支援の中核を担う存在として役割が期待されています。
ただし注意も書かれています。言語聴覚士が扱う業務は多岐にわたるため、必ずしもすべての言語聴覚士が吃音の指導や支援を行えるわけではありません。多くは病院のリハビリテーション科や耳鼻咽喉科などに勤めているので、指導や支援を希望する場合は、あらかじめ病院などに直接問い合わせるか、日本言語聴覚士協会や各都道府県の言語聴覚士会に尋ねるようすすめられています。学齢期のお子さんの場合は、学校のことばの教室が窓口になります。
また、成人の話し方の訓練だけで改善する例は少なく、半数を超える人では社交不安障害などの心理面の評価と対応も必要になるとされています。「話し方」と「気持ち」のどちらかだけを見るところではなく、両方を扱えるところを探すのが近道です。
次のようなときは、様子を見るだけで抱え込まず、相談を考えてみてください(あくまで目安で、当てはまらなくても相談して構いません)。
- 話す場面を避けることが増えて、仕事や進路の選択肢が狭まってきた
- 人と会う場面への強い不安や、気分の落ち込みが続いている
- 自分の工夫だけでは足りない場面が繰り返されている
この3つは相談を考えるきっかけとして一般的に挙げられるもので、特定の資料が「受診の目安」として定めているものではありません。
「緊張をなくす」で陥りがちな3つの落とし穴
落とし穴1 − 「緊張ゼロ」をゴールに置く
診察室の中では吃音の頻度が大きく下がることがあっても、日常の場面でその状態を保ち続けるのはとても難しく、吃音は再発しやすいとされています。そのうえ、話すこと自体が誰にとっても体を強く動かします。ゼロを基準にすると、うまくいっている日まで失敗に見えてしまいます。専門家の側が置いている目標も「吃らないこと」ではなく、楽なコミュニケーションのほうです。
落とし穴2 − 「ストレスがかかれば必ず悪化する」と決めてかかる
吃音の変動をどう扱うかを調べたレビューは、考え方に働きかける手立てが置き換える対象として、「ストレスの下で吃音が悪化する」という破局的な予測をはっきり名指ししています。決めつけそのものが、手当ての対象に挙げられているということです。周囲からの「緊張しないで」「落ち着いて」という善意の声かけも、話し手の注意を話し方のほうへ引き戻します。先の仮説の枠組みでは、自分の話し言葉を意識して見張っていることと社会的に評価されていることが重なる場面で吃音が現れる、と説明されています。声をかける側は、話し方ではなく話の中身のほうに関心を向けたほうが、結果的に楽かもしれません。
落とし穴3 − 「ただのあがり症だから」と自分で片づける
吃音のある成人では特性不安も社交不安もかなり高いことが確かめられており、社交不安障害がある人の割合はある時点で少なくとも40%と推定されています。しかも、吃音のある人に社交不安障害を診断するための当時の手引きについては、専門職の側に混乱を生む可能性があるとも述べられています。自分で名前をつけて終わりにせず、相談できるところに一度出してみるほうが早道です。
相談の前に、どの場面で出やすかったか、その日の睡眠や疲れはどうだったかを書き留めておくと、話の材料になります。まずは気づいたことを記録しておくところから小さく始めて、相談できる先が見つかったらそちらに渡すのが確実です。
よくある質問
「緊張すると吃音になる」というのは本当ですか?
緊張は吃音の出方を大きく揺らしますが、原因として確かめられているものではありません。成人の筋肉の電気的な活動を測った研究の総括では、筋肉の過剰な活動は吃音の原因でも一貫した症状でもないとされています。話す場面での不安も、原因ではなく、長年の経験から予測できる結果の側に置かれています。場面ごとに出方が変わる理由については、自分の話し言葉を意識して見張ることと社会的に評価されることが重なる場面で現れる、という仮説が提案されている段階です。
緊張しなくなれば、吃音は減りますか?
自動的には減らないようです。3週間の集中的なプログラムを検証した研究の結論として、自己報告の不安が下がっても吃音の頻度は自動的には減らない、という点が総説で紹介されています。ただし同じ研究は、頻度が下がらない場合でも、吃音にまつわる不安や回避のほうは扱える、とも結論づけています。不安への手当てと、話し方への手当ては、別に要るということです。
自分は吃音でしょうか、それともあがり症(社交不安障害)でしょうか?
どちらかを選ぶ問いにはなりにくいものです。慢性の吃音がある成人は特性不安も社交不安もかなり高いことがメタ分析で確かめられており、200名同士を比べた研究では社交不安障害がある人の割合がある時点で少なくとも40%と推定されています。同じ研究は、吃音のある人に社交不安障害を診断するための当時の手引きについて、専門職の側に混乱を生む可能性があるとも述べています。自己判断で決めず、相談できる専門職に見てもらうのが早道です。
緊張を抑える薬で吃音は良くなりますか?
日本の研究班の解説には、吃音に有効性が確立された薬物はないこと、1/3程度の症例に有効だと報告されているものはあること、そして吃音が適応として保険に収載されている薬はないことが明記されています。吃音が原因となった二次的な抑うつや社交不安障害に対して薬物療法が行われることはある、という位置づけです。
人前だと必ずひどくなりますか?
「必ず」ではありません。聴衆がいる条件では、吃音のある成人だけ発話の動きが決まりきった型に寄り、より安定する方向へ動いたという実測がある一方、覚醒(緊張や興奮)がかえって吃音を軽くする場合もあると述べている総説もあります。ただし後者について挙げられている例は逸話であって、測られたデータではありません。
まとめ
- 直前にできる工夫はあるし、青年・成人に有効と特定された訓練の要素も挙げられている。ただしその要素のリストに「緊張をなくす」は入っていない。
- 診察室で頻度が下がっても、日常でその状態を保ち続けるのは難しく、吃音は再発しやすい。だからこそ、どもりが起きたときの対処を持っておくほうが現実的だとされている。
- 不安が下がることと吃音が減ることは自動では連動しない。そのかわり、不安と回避のほうには手が届く。
- 筋肉の過剰な活動は吃音の原因でも一貫した症状でもなく、話す場面の不安も結果の側に置かれている。緊張していないのに出ることがあるのは、矛盾ではない。
- 人前という条件は出方を確かに動かすが、動く向きは「硬くなる」ほうだった。「吃音かあがり症か」は二択になりにくく、診断の手引きが専門職の側に混乱を生む可能性も指摘されている。迷ったら相談先へ。
