「あ行が出にくい」とはどういう状態か
あ行(あ・い・う・え・お)は、いずれも母音ではじまる言葉です。「ありがとう」「おはよう」「いらっしゃいませ」のように、日常でよく使う言葉にも母音始まりは多くあります。こうした言葉で最初の音が出せず、間があいてしまう——これは吃音の中核症状のひとつ「難発(なんぱつ、ブロック)」にあたります。
吃音に特徴的な話し方は、次の3つのうちどれか1つ以上がみられることです。あ行の言葉で困るときは、このうち「難発」の形をとることが多く、声を出そうとしても出だしで止まってしまう感覚として経験されます。当事者のなかには、あ行をはじめとする母音始まりの語が特に苦手だと語る人が少なくありません(後述する当事者の声を参照)。
なぜ「あ行」=母音始まりが特に出にくいのか
ここがこの記事の中心です。母音は、子音のように舌や唇でいったん形をつくってから声を出すのとは違い、「声の出だし(発声)」そのものからはじまる音です。難発は「ことばが出せずに間があいてしまう」症状なので、声の立ち上げがいきなり来る母音始まりの語では、この“間”(ブロック)が意識されやすい、と説明できます。
研究の観点からも、手がかりになる報告があります。成人を対象にした研究では、ある語で吃るかどうかは、その語の言語的な性質よりも、声や口を動かす発話運動(motor production)の要因に強く左右されると報告されています。声を立ち上げること自体が発話運動なので、母音始まりの語の出しにくさも、この「運動のつまずき」という枠組みで捉えることができます。
一方で、「語頭(言葉のはじめ)だから吃りやすい」という長く信じられてきた見方については、同じ研究で、語の位置(語頭)による吃りやすさの明確な増加は必ずしも確認されなかったとする結果も示されています。つまり「あ行の“あ”は語頭にあるから吃る」と単純化することはできません。母音の出しにくさは、位置というより「声の立ち上げという運動」の側から理解するほうが実態に近いと考えられます。
連発・伸発・難発 — あ行で起きやすいのはどれ?
吃音の中核症状は次の3つです。あ行の言葉にあてはめて示します(例は説明のためのものです)。
- 連発(れんぱつ):音を繰り返す。例「あ、あ、ありがとう」
- 伸発(しんぱつ):音を引き伸ばす。例「あーーりがとう」
- 難発(なんぱつ/ブロック):ことばが出せずに間があいてしまう。例「……(間)……ありがとう」
あ行が出にくいと感じるとき、多くは「最初の音が出ずに間があく」難発の形をとります。難発は思春期以降に中心となる症状ですが、母音始まりの語ではとりわけ意識されやすいものです。なお、吃音は状況によって症状が出やすかったり出にくくなったりし、調子の良い時期と悪い時期の「波」があるのも特徴です。「今日は言えたのに次の日は詰まる」というのは、めずらしいことではありません。
「あ行が苦手」は人それぞれ — 自分の苦手な音の見つけ方
大切なのは、「あ行だから誰にとっても難しい」という単純な法則があるわけではない、という点です。どこで吃りやすいか(どの音・どの語で出にくいか)は個人差が大きいことが分かっています。
総説では、吃音の頻度やどこで吃るかには、語の言語的な特徴も関わることが整理されています。一方で先に挙げたように、成人では言語的な性質より発話運動の要因の影響が大きいとする報告があり、さらに就学前の子どもでは、語の音韻的な複雑さは吃音の出方にはっきりした影響を与えないとする報告もあります。研究のあいだでも、単純に「この音だから吃る」と割り切れる法則は見つかっていない、というのが実情です。
だからこそ役に立つのが、「自分は」どの音・どの場面で出にくいのかを具体的に知ることです。あ行だけでなく、か行・た行などが苦手な人もいます。よく詰まる言葉、逆に言いやすい言葉、出にくくなる場面(電話・自己紹介・注文など)を書き出してみると、自分の傾向が見えてきます。次章からは、その傾向をふまえて楽に話すための工夫を見ていきます。
言いやすくする工夫 — 前置き・言い換え・リズム
学会資料は、吃音のある人がよく行う工夫として、「ことばを言い換える」「言いやすい言葉を最初に言う」などを挙げています。あ行が出にくいときも、同じ意味の別の言い方に替えたり、言いやすい一言を前に置いたりすることで、出だしの負担を軽くできる場合があります。
もうひとつ手がかりになるのが、吃音が一時的に軽くなる場面です。学会資料によると、歌を歌うとき、2人で声を合わせるとき、独り言を言うときなどは、一時的に流暢になる人が多いとされています。声を合わせて読む・軽くリズムをつけるといった工夫が、人によっては出だしを助けることがあります(効果には個人差があります)。
当事者の声(吃音歴25年・主に難発/note・わをん)
マックで頼むときはマックフライポテトと言うようにしています
「ポテト」が言いにくいときに、正式名称の「マックフライポテト」に置き換える——これは学会資料が挙げる「ことばを言い換える/言いやすい言葉を選ぶ」という工夫の一例にあたります。あ行に限らず、出にくい語を言いやすい語に替えるという発想は、当事者が日常で編み出してきた実用的な知恵です。
出典: 言いにくい行と言い換えの工夫(note・わをん)(台帳: V0031)
ただし、言い換えや回避には注意点もあります。学会資料は、言いにくい単語を言い換える工夫を続けると吃音は目立たなくなる一方で、実際には「吃音が出ないかを日々警戒しながら生活する」ことになり、ストレスや悩みを抱え込みやすくなる、とも指摘しています。工夫は「吃音を隠すため」ではなく、「今この場を少し楽にするための道具」として、無理のない範囲で使うのがよいでしょう。
周囲の接し方についても一言。当事者からは、善意の「落ち着いて」「ゆっくり」が、かえって『ちゃんと言わなきゃ』というプレッシャーになるという声がよく聞かれます。学会資料でも、吃音を出さないようにと力を入れてもがくほど症状は悪化するとされており、話し手を急かさず・力ませず、内容にゆっくり耳を傾けることが助けになります。
場面別 — 名乗る・あいさつ・電話の第一声
あ行の出しにくさは、特定の場面でこそ困りごとになります。母音始まりの言葉が避けにくい代表が、次のような場面です。
- 名乗る:自分の名前や社名の頭が母音のとき、出だしで詰まりやすい。
- あいさつ:「ありがとう」「おはよう」「いらっしゃいませ」など母音始まりが多い。
- 電話の第一声:「もしもし」「はい」「〇〇です」の最初の一言で止まりやすい。
こうした場面では、言いやすい一言を前に置く、同じ意味の別の表現に替える、といった工夫が現実的です。たとえば電話で「もしもし」が出にくければ「はい、〇〇です」に替える、といった具合です。ただし前置きに使う「あの」「えーと」自体もあ行なので、何が言いやすいかは人によって違います。自分にとっての「言いやすい入口」を見つけておくのがコツです。
当事者の声(舞台役者・財前優一/note)
僕自身が吃音を抱えて舞台役者として舞台に上がっている
母音始まりが苦手だという当事者の役者は、稽古を重ねても言いにくいセリフは、脚本家や演出家に相談して、同じ意味の別のセリフに変えてもらうと綴っています。これは学会資料が挙げる「言いやすい言葉に言い換える」工夫を、舞台という具体的な場面に応用した例といえます。場面に合わせて言い方を選び直すという発想は、電話や接客など日常の場面にも応用できます。
出典: 吃音症でも舞台役者になれるのか(note・財前優一)(台帳: V0037)
相談先・受診の目安 — どこへ相談すればいい?
あ行の出しにくさで生活や仕事に支障を感じるときは、自己流だけで抱えず専門機関に相談するのが近道です。相談先は年齢によって整理できます。
- 子ども:小児を扱う言語聴覚士や、ことばの教室の教員に相談します。年齢や状態に合わせて、周囲の環境を整える方法や発話への働きかけなどの指導が受けられます。
- 中高生・大人:本人が希望する場合、言語聴覚士による発話訓練という選択肢があります。訓練だけで改善しない場合や不安が強い場合は、カウンセリングや心理療法が役立つこともあります。同じ吃音のある人と出会える自助団体(言友会など)に参加することが、気持ちの支えになる場合もあります。
受診・相談の目安は、「話す前の不安が強い」「電話や発表などの場面で困っている」「生活や仕事に支障が出ている」といったサインです。また発達性吃音は発達障害者支援法の対象に含まれ、学校や職場では、発表や電話応対の免除、試験での面接時間の延長といった合理的配慮を求めることができます。まずは言語聴覚士のいる医療機関やことばの教室に相談してみてください。
あ行対策で陥りがちな3つの落とし穴
落とし穴1 − 「あ行さえ克服すれば」と一点集中しすぎる
苦手な音は人によって違い、あ行に限りません。「あ行だけ」に意識を集中させるより、自分がどの音・どの場面で出にくいのかを広く把握するほうが、対策の見通しが立ちやすくなります。
落とし穴2 − 言い換え・回避に頼りすぎて「隠すこと」が目的になる
言い換えを重ねると吃音は目立たなくなる一方で、出ないかを日々警戒し続け、かえってストレスをためやすくなります。工夫は「今この場を楽にする道具」として、無理のない範囲で使うのが健やかです。
落とし穴3 − 一人で抱え込み、自己流だけで進める
ネットの断片情報や自己流の練習だけで判断せず、言語聴覚士やことばの教室など専門機関にあたるのが確実です。相談のときは、自分の状態を具体的に伝えられると話が早く進みます。
その準備として役立つのが、出にくい音・困った場面・調子の波を日々記録しておくことです。まずは記録から小さく始めるのが現実的で、経過を振り返る手がかりになります(記録そのものは治療ではありませんが、相談の材料として役立ちます)。専門機関に相談できる場合は、そちらが確実です。
よくある質問
あ行(母音)はなぜ吃音で出にくいのですか?
母音は「声の出だし(発声)」そのものからはじまる音で、あ行の言葉では最初の音が出せずに間があく「難発(ブロック)」が起きやすいと感じられます。研究では、ある語で吃るかどうかは言語的な性質よりも発話運動の要因に強く左右されると報告されており、声の立ち上げの出しにくさもこの枠組みで捉えられます。ただし出にくい音には個人差があります。
あ行を言いやすくするコツはありますか?
言いやすい言葉を最初に置く、同じ意味の別の言い方に替える、といった工夫が知られています。歌うときや声を合わせるときに一時的に流暢になる人も多く、軽くリズムをつける工夫が助けになる場合もあります。効果には個人差があり、言い換えに頼りすぎるとストレスにつながることもあるため、無理のない範囲での利用をおすすめします。
あ行だけが苦手なのは吃音なのでしょうか?
どの音で出にくいかは人によって異なり、あ行に限らずか行・た行などが苦手な人もいます。吃音の中核症状は連発・伸発・難発の3つで、特定の音への出にくさもその一部として現れることがあります。気になるときは自己判断せず、言語聴覚士のいる医療機関やことばの教室に相談するのが安心です。
「落ち着いて」「ゆっくり」と声をかけるのは良くないのですか?
善意の声かけでも、当事者にはプレッシャーとして受け取られることがあります。学会資料は、吃音を出さないようにと力を入れてもがくほど症状は悪化するとしており、急かさず・力ませず、話の内容にゆっくり耳を傾けることが大切だとしています。良い・悪いと一律には言い切れませんが、本人が話しやすい雰囲気づくりが助けになります。
あ行の吃音は治りますか?
幼児期に始まった吃音の多くは自然に回復するとされ、ある報告では発症から2年で約31%、3年で約63%、4年で約74%が自然に治癒するとされています。一方で大人になっても続く場合もあります。大人でも言語聴覚士による発話訓練などの選択肢があり、「必ず治る/絶対に治らない」と単純には言えません。
まとめ
- あ行(母音始まり)が出にくいのは、多くが「最初の音が出せず間があく」難発(ブロック)の形をとります。
- 母音は「声の立ち上げ」からはじまる音で、吃るかどうかは言語より発話運動の要因に左右されるという研究があり、「語頭だから吃る」とは単純化できません。
- 苦手な音は人それぞれで、あ行に限りません。まず自分の出にくい音・場面を知ることが対策の出発点です。
- 言いやすい言葉を前に置く・言い換える・リズムをつけるといった工夫が助けになる一方、隠すことが目的にならないよう無理のない範囲で。
- 生活や仕事に支障があれば、言語聴覚士のいる医療機関やことばの教室へ。合理的配慮も求められます。
