まず結論から
- 吃音のある人は、学童期以降で100人に1人弱(時点有症率0.8%)とされます。報道で目にする機会は多くありませんが、当事者は珍しい存在ではありません。
- 英国の当事者団体の語り方の指針は、テレビ・ラジオ・映画で吃音の声が聞こえるようにしてほしい、ただし「克服した」「治した」という文脈ではなく声の多様性の一部として、と求め、英国王立言語聴覚士会の承認を受けています。
- 自分から「吃音がある」と相手に伝えること(研究の言葉では自己開示)は、量的研究18件のうち15件で相手の受け止めに好意的に働いていました。取材に応じる当事者は、まさにこれをしています。ただし日本の当事者は、米国の調査より伝える度合いが低いと報告されています。
- 社会はしばしば吃音のある人を否定的に描き、それが「流暢であるべきという期待に応えられない」という自己スティグマ(世間の偏見を自分自身に向けてしまうこと)につながる、と研究は述べています。描かれ方は、当事者の内側に入ってきます。
- 「吃音の遺伝子が見つかった」と世界的に報じられた研究について、2011年の総説は、当てはまる人がごく一部であることを理由に、原因とみなすことはできないと留保を付けました。見出しの大きさと研究の中身は、同じ大きさではありません。
ただし、この記事は最新ニュースの一覧ではなく、報道が当事者や社会に与えた効果を測った研究も手元にはありません。ここで挙げる個々のニュースは、当事者本人の記録や取材記事にそのまま残っているものだけです。
取材を受けて伝えたかったこと——記事になったあと、相談が来るようになった
吃音のある人がニュースに出るとき、そこには「伝えたいこと」があります。人前で声を出すことに強い緊張を感じてきた人が、あえて名前を出して取材を受けるのはなぜか。小学校で教師をしている当事者が、ウェブメディアの取材にこう答えています。
当事者の声(小学校教師のハルキさん/ウェブメディア「ほ・とせなNEWS」の取材記事。記者の地の文と本人の発言が交互に出る記事で、引用は本人の発言から)
勇気のある行動と言われますが、個人的には自分を守るためであるので、あまりプレッシャーになりません。日常生活でも、吃音症であることを初めに伝えています。すると、互いに理解がある状況になるので、心が軽い。吃音症をもっと知ってもらうためにも、他人に伝えることは大切なことだと思っています
物心ついたころから吃音があり、生徒会長や応援団長への立候補を諦めた学生時代を経て、大学3年のときに教師を志した人です。自分に吃音があるからこそ教師になって、みんなに吃音を知ってもらおうという使命感もあった、と記事は伝えています。教師は話す仕事でした。6年生の担任として迎える卒業式の呼名を前に、放課後の暗い体育館にマイクを立てて毎日ひとりで練習し、それでも吃音は治らなかった、と本人は語ります。校長に「僕なんかでいいのですか」と相談し、励まされて式に立ちました。そうした日々が新聞で取り上げられ、講演を依頼されるようになり、吃音のある児童やその保護者から個別に相談を受けるようにもなった——記事になったあとに起きたことを、記事自身がそう書いています。新しい職場では最初の挨拶で症状を打ち明け、全校児童には着任式で、保護者には学級通信で伝える。取材の最後に本人が挙げたのは、電話が苦手で相手に怒られて切られたことがあるという自分の弱点と、吃音を知らないのは当然だから、当事者と接したときに少しでも思い出してほしいという願いでした。自分から吃音を伝えることが相手の受け止めをどう変えるかは、研究が積み重ねられています。
出典: 放課後にひとり涙した日も 吃音症と向き合い「教師」として続ける“努力”(ほ・とせなNEWS)(台帳: V0316)
自分から「吃音がある」と相手に伝えることを、研究では自己開示と呼びます。30年分の研究を条件を決めて集めた系統的レビューでは、量的研究18件のうち15件(約83%)で、自己開示は全体として好意的に働いていました。伝え方を比べた研究に限ると、13件中12件で、謝るような言い方より謝らない言い方のほうが好意的に受け止められており、著者らは、謝らない形で伝えることが、「どもる人はこうだ」という決めつけを向けられるかもしれないという負担(ステレオタイプ脅威)をやわらげるとしています。この教師が着任式や学級通信で先に伝えているやり方は、研究が調べてきた形に近いものです。ただし同じレビューは、伝える場面・年齢・吃音の頻度や重さ・相手が吃音のある人と面識があるかどうかによる違いは、調べた研究がまだ少ないとも書いています。
一方で、日本の当事者が実際にどのくらい伝えているかは、別に調べる必要があります。日本の吃音のある成人を自助グループなどを通じて集めた筑波大学の研究者らの調査では、伝える度合いは、同じ尺度を使った米国の調査より低いという結果でした。伝える度合いが高いことと結びついていたのは、男性であること、自助グループの経験があること、自分の吃音を受け入れている度合いが高いこと、偏見を自分自身に向けてしまう度合い(自己スティグマ)が低いことで、著者らは、日本の当事者が伝えにくい傾向には社会文化的な違いが表れているのかもしれないと述べています。取材を受けて名前を出すことは、この「伝える」のいちばん大きな形です。それを選ぶ人がいる一方で、伝える度合いが全体として低いのが、日本の当事者の現在地です。知られていないことで当事者の生活に何が起きるかは、吃音の認知度の記事で扱っています。
地方紙が載せた「話し終わるのを待ってほしい」
取材を受けるのは、有名人や、すでに発信している人だけではありません。当事者の自助団体が開いた啓発イベントを地元の新聞が取材し、壇上で語られた言葉をそのまま記事にした例があります。十勝で4月12日に開かれた、道東では初めての吃音啓発イベントには約100人が集まり、10代から30代の当事者3人が体験談を発表しました。
当事者の声(この会を企画した当事者本人が壇上で発表した言葉/十勝毎日新聞電子版の取材記事。記者の地の文の中に置かれた本人の発言のカギ括弧内から引用)
症状が軽度だからといって悩みが少ないわけではない。症状が出やすい場面を避け、言葉を選んで話している現状がある。当事者に接するときは、吃音だとわかった上で最後まで話を聞いてほしいし、話し終わるのを待ってほしい。そして特別扱いせずに普通に接してほしい
最初に登壇したのは中学2年生でした。生後から町の発達支援センターに通い、言葉が出たのが3歳ごろだったと切り出し、保育所のころから同じ仲間と過ごしてきて、からかわれたことはなく、みんなが話し終わるのを待ってくれる、と周囲への感謝を話しました。そのうえで、進学や就職で環境が変われば周りがどう接してくれるか不安だ、とも語っています。2人目の成人の当事者は、見た目では分からない障害だから苦しむことがあるとして、就職活動で受けた不当に低い評価を語り、いまの職場では仕事の質で評価され、苦手な電話応対をしなくてよいと会社側から提案されたと話しました。そして3人目、この会を企画した当事者が壇上で頼んだのが、上の言葉です。記事によれば、終了後には支援者から具体的な場面での対応について質問が寄せられ、企画者は、吃音のある人が実際に何に悩み何を望んでいるのかは教科書どおりとは限らない、当事者自らが伝えることで響くものがある、と振り返っています。「待ってほしい」という頼みは、英国の当事者団体が取材する側に向けて書いている指針と、そのまま重なります。
出典: 吃音って何? 研究者と当事者が語る吃音の今とリアル(十勝毎日新聞電子版)(台帳: V0404)
英国の当事者団体 STAMMA の語り方の指針は、「取材する・配役する・話す・一緒に働く相手が吃る人であるとき」の応じ方として、さえぎらずに話し終えるまで待つこと、ときどきうなずいて聞いていると伝えること、自然な目線を保つこと、話し方の良し悪しを口にしたり流暢に話せたことを褒めたりしないこと(吃音が悪いことだという考えを補強してしまうため)、吃ったときに冗談にしたり憐れんだりしないことを並べています。壇上の当事者が頼んだ「最後まで聞いてほしい」「特別扱いせずに普通に接してほしい」は、この一覧の言い換えのようです。
では、こうした会や記事は、周りの人の態度を実際に変えるのでしょうか。日本の一般の成人671人を分析した調査では、職場に吃音のある人がいて知っているという経験だけが、より肯定的な態度と有意に結びついていました。著者らは、肯定的な態度と結びつく主な要因は職場での接触経験だと述べています。ただしこれは関連であって、接する機会をつくれば態度が変わることを確かめた研究ではありません。なお、国際吃音連盟が制定した国際吃音啓発の日(10月22日)については、別の記事で扱います。
記事を書く側にも当事者がいる——「治します」の広告を暴きたかった20代
吃音のニュースを「読む」側と「出る」側のあいだに、もう一つの立場があります。書く側です。吃音のある人たちを取材したノンフィクションを書いたライターは、自身も吃音の当事者でした。同じく当事者である作家との公開トークで、最初の記事を書いた動機をこう振り返っています。
当事者の声(ライターの近藤雄生さん・吃音当事者。聞き手は作家の重松清さんで、同じく吃音当事者/新潮社ウェブマガジン「考える人」のトークショー採録・2019年12月公開)
この本へとつながる最初の取材・執筆を行ったのは、2002年、吃音で悩んでいた20代の頃でした。当時、「吃音、治します」といった類の広告を雑誌などに出している怪しげな“吃音矯正所”が少なからずあり、その実態を暴きたいというのが、記事を書こうというモチベーションでした。しかし同時に、吃音をテーマに取材して記事を書いたら、自分の吃音に何か変化が起きるかもしれない、というぼんやりとした期待もありました。結局、何も変わらなかったんですけれど。
雑誌に「治します」と広告を出す矯正所の実態を暴くことが、最初の動機でした。同時に、書けば自分の吃音に何かが起きるかもしれないという期待もあり、何も変わらなかった、と本人は言います。その取材は2014年から2017年の雑誌連載を経て、2019年1月に1冊の本になりました。そこで書き手が最後まで抱えたのが、実名か仮名かという問題です。実名だと読み手にも書き手にも重みが生じるが、仮名にすると逃げ道ができてしまう、だからできるだけ実名で書きたい——そう述べる一方で、本に登場する小学校低学年の子どもについては、実名でよかったのかという気持ちがいまなおあり、書いたからにはそのことを考え続けなければならない、とも語っています。さらに、いまは悩まなくなった自分は、いま悩んでいる当事者に「気持ちがわかります」とは簡単に言えない、いま悩んでいることと過去に悩んだ経験のあいだには大きな隔たりがある、とも。書く側が言葉をどう選ぶかについて、当事者団体が指針の形にまとめたものがあります。
出典: 第2回 家族の物語として|「吃音」をもっと知るために~重松清が近藤雄生に聞く~(考える人・新潮社)(台帳: V0130)
英国の当事者団体 STAMMA は、吃音について語り、書くための指針を公開しています。指針はまず、長いあいだ吃音が性格の欠陥や身体的な不足を表すため、また笑いを取るために使われてきたとし、そうした型にはめた描き方には現実の帰結がある——流暢に話す人より弱く能力が低いと誤って受け取られ、話し方に否定的で不適切な反応を向けられる——と述べます。そのうえでメディアに向けて、吃音の声がテレビ・ラジオ・映画で聞こえるようにしてほしい、ただし誰かが吃音を「克服した」「打ち負かされた」「治した」という文脈ではなく、あらゆる内容を作っているアクセントと声の豊かな模様の一部として、と求めています。具体的な言い換えも並びます。吃音に「苦しんでいる」と言う代わりに「その人は吃る」と書く。吃音を「打ち負かす」「克服する」と言うのを避ける(治せるものではないため)。物事が滞ったり失敗したりする様子に「吃る」という語を使わない。誰かの吃音を「今日は調子が悪い」と評さない——その人はただ話しているだけだから。この指針は英国王立言語聴覚士会の承認を受け、40年を超えて当事者を代表してきた経験にもとづく生きた指針として、2024年1月に最終更新されています。配布物としても公開され、放送で使う、学校や職場へ持っていく、線を越えた表現に出会ったらどの線を越えたのかを相手に伝える、と呼びかけられています。
日本語の資料では、九州大学病院の耳鼻咽喉科の医師が、保護者からの質問に答える連載の中で、「吃音が悪化する」「吃音がひどくなる」ではなく「吃音が増える」、「改善する」ではなく「減った」という中立的な言葉を勧めています。見出しに使われがちな「克服」「悪化」は、当事者の側と医師の側の両方から言い換えの候補が出ている語です。「どもり」という呼び方をどう考えるかは、吃音と差別用語の記事で扱っています。
海外のニュースが開いた、30年前の記憶
ニュースは、遠い国の出来事でも、読んだ当事者の中で自分の記憶と結びつきます。米国のコーヒー店で、名前をどもった客を店員が真似し、受け取ったカップにもその真似が書かれていた——客の友人がSNSに投稿して公になり、店員が解雇された。2018年7月に日本語でも配信されたこのニュースを、ある当事者が自分のブログで取り上げました。
当事者の声(渡邊さん/個人ブログ「私はずっと吃音症」。Yahoo!ニュースに配信された2018年7月7日付の海外ニュースを紹介した記事)
私も名前こそ書かれたことはありませんが、話し方を真似されたことはあります。学校の先生に。しかもよりによって母親がいる事業参観の授業で。
真似された瞬間、恥ずかしさと悔しさで頭が真っ白になり、ただただショックで深く傷つきました。
ブログが紹介したニュースの中身は、米国ペンシルベニア州の店で客が注文の際に自分の名前をどもると、店員が同じように繰り返して返し、カップにもそう書かれていた、というものでした。書き手はそれを紹介したあと、吃音の人なら話し方を真似された経験が一度や二度はあるだろう、と自分の話に移ります。学校の先生に、母親がいる参観の授業で、話し方を真似された。自分が最も気にしていること、最も隠したいこと、最も触れてほしくないことに触れられ、しかもそれを大勢の前でさらされた——30年以上たった今でも忘れられないが、振り返れば仕方のないことだったのかとも理解している、と本人は書いています。ただ、この人はそこで終わりません。見た目で分からない障害は障害であることが伝わらず、理解が広がらないのは仕方がないと続け、最近は無理して吃音を隠すのをやめた、どもる自分を見せることで吃音を知ってほしい、と書いています。そして、日本でもありうる話であり、その個人を批判しただけでは解決にならない、吃音とは何かを正しく伝えることが必要だ、と結んでいます。真似されることが当事者に何を残すかは、学会の解説にも書かれています。
出典: 吃音症の客をバカにしたスタバ店員が解雇された出来事に思うこと(私はずっと吃音症)(台帳: V0458)
日本吃音・流暢性障害学会の解説は、吃音のある人の話し方を真似すると吃音になる(伝染する)という俗説があり、吃音のある子とは遊んではいけないという差別があった(今もあるかもしれない)と明記しています。そして、吃音の症状をからかわれるなどのいやな経験をすると、社交不安症(人と接する場面で強い不安が続く状態)やうつなどの心理的な問題を生じることもあるとしています。自助団体に参加していたり治療を求めたりする吃音のある成人では、約20%から半数近くに社交不安症を合併していることが報告されています。
研究の側は、描かれ方と当事者の内側の関係を、もう一段はっきり書いています。吃音のある人自身の体験を治療に生かすことを論じた2022年の総説は、社会がしばしば吃音のある人を否定的に描き、吃音を異常なものとする理想を強化してしまう、と述べます。そうした社会からの評価を受けることが、「流暢であるべきという期待に、自分の落ち度や限界のせいで応えられない」という自己スティグマ——世間の偏見を自分自身に向けてしまうこと——につながる、というのが総説の整理です。英国の指針が冒頭で、吃音は長いあいだ笑いを取るために使われてきたと書いているのも、同じ地点を指しています。笑いにされる側と笑いにする側の話は吃音症の芸人の記事に、学校での真似やからかいは吃音といじめの記事にあります。
「前向きに生きる当事者」の記事の、外側にいる人
ニュースに出る当事者は、多くの場合、人前で語れる人です。では、語れない人はどこにいるのか。1976年に採択された「吃音者宣言」から半世紀の節目に、新聞が当事者たちの思いを聞いた連載があります。その中の一人は、前向きに生きる当事者の姿を、こう受け止めていました。
新聞連載の記事の地の文と、取材に応じた当事者の発言(秋田県内の25歳男性/中日新聞Web 連載「吃音と生きるあなたへ」。記事の続きは会員限定で、引用は無料で読める冒頭部分から)
吃音(きつおん)の症状があっても明るく生きようと表明した1976年の「吃音者宣言」の採択から半世紀たってもなお、生きづらさを感じ、苦悩する人は少なくない。
「吃音でも前向きに生きられる人はすごい。自分には無理」。そう明かすのは秋田県の男性(25)。「自身の話し方を聞かされているよう」と、吃音の人に会うのもつらいという。
連載の前書きで記者は、50年前の宣言は吃音は治らないと断じて共に生きる決意を示したもので、当初は共感を得たが、現在広く支持されているとは言えない、と書いています。その節目に取材に応じた25歳の男性が口にしたのは、前向きに生きられる人はすごい、自分には無理だ、という言葉でした。自分の話し方を聞かされているようで、吃音のある人に会うのもつらい、とも。同じ吃音のある人の姿が、励みではなく鏡になってしまう。ニュースや特集に登場する当事者が前向きであるほど、その外側にいる人は見えにくくなります。この人の言葉の続きは記事の会員限定部分にあり、ここで引けるのは冒頭だけです。英国の指針が「克服した」という文脈を避けてほしいと求めた理由の一つは、ここにあると私は読みます。
出典: 吃音で前向きに生きる、「自分には無理」 25歳男性、生きづらさ消えず(中日新聞Web)(台帳: V0363)
英国の指針は、吃音の声を「克服した」「打ち負かされた」「治した」という文脈ではなく、声の多様性の一部として聞こえるようにしてほしいと求め、「克服」を避ける理由として、治せるものではないからだと書いています。日本の学会の解説も、最近の考え方として、吃音に気がつかない振りをして子どもを孤立させるのではなく、「吃音とうまく付き合っていく」方法を支援者と一緒に考えることが大切だとしています。「治した人」「乗り越えた人」の物語は、この考え方とはずれています。
知ってもらう取り組みの効果も、一様ではありません。インドの大学生を対象に吃音への態度を変える取り組みを行い、2か月後まで追った研究では、態度は改善したものの安定性は限られ、もともと態度が否定的だった人は良くなり、肯定的だった人は下がる「入れ替わり」が見られました。著者らは、こうした取り組みでは効果が出ない人や、かえって態度が悪くなる人が一定の割合で出ることは以前から知られている、と背景に書いています。一度の報道で見方が変わって定着する、と考える根拠は、この結果からは出てきません。有名人の公表を当事者がどう受け止めるかは、吃音の有名人の記事で扱っています。
研究がニュースになるとき——「吃音の遺伝子」の報道と、総説の留保
吃音のニュースには、研究の発表も含まれます。2011年にまとめられた吃音の遺伝研究の総説(それまでの研究をまとめて評価した論文)は、「吃音の基盤として初めて同定された遺伝子」として世界的に報じられた研究を取り上げ、報道が大きかったからこそ厳しく検討されるべきだと述べています。その研究では、近親婚の多い一つの大家族の吃音のある人の多くに GNPTAB という遺伝子の変異(生まれつきの遺伝子の違い)が見つかり、別の遺伝子 NAGPA の変異も別の地域の数人に見られました。これらの遺伝子は、細胞内のリソソームという小器官の代謝を方向づける酵素の設計図にあたります。
総説が挙げた留保は具体的です。反論を寄せた研究者の一人は、これらの変異が見つかったのは血縁のない吃音のある人393人のうち21人にすぎないと指摘しました。総説の著者ら自身も、所見が一つの家族に大きく依存し、その家族の中にも変異を持たない吃音のある人が3人いること、家族の外では血縁のない316人のうち6人にしか見つからなかったこと、もう一方の遺伝子の3つの変異は393例中7例、つまり1%だったことを挙げ、この研究から吃音のある人全体に一般化できる情報はほとんど得られないと評価しています。そして、生物学的な研究でリソソームの働きと発話の流暢さが結びつけられるまでは、ごく一部の人に見られたこの共起を原因とみなすことはできない、と結論しています。
同じ総説は今後の課題として、最も重要なのは再現(別の集団で同じ結果が得られること)だと述べ、統合失調症や双極性障害の初期の遺伝研究が大きく報道されたのちに再現できなかった例から学ぶべきだ、と書いています。ニュースになった研究がその後どう検証されたかは、見出しには載りません。吃音の遺伝そのものについては、100万人規模の解析を含めて吃音は遺伝しても治る?の記事に整理しています。
ニュースを見て気になったら——相談先と、制度の後ろ盾
吃音のニュースを見て、自分や子どもの話し方が気になった人のために、相談先を置いておきます。日本吃音・流暢性障害学会の解説は、吃音の中核症状として、音の繰り返し(連発)、引き伸ばし(伸発)、ことばを出せずに間があいてしまう(難発)の3つを挙げています。幼児期の発症率は約8〜11%、学童期以降から成人までの時点有症率(ある時点で吃音のある人の割合)は0.8%が妥当とされています。
子どもについては、小児を扱う言語聴覚士(ことばとコミュニケーションの専門職)や、ことばの教室の教員に相談するよう勧めています。大人については、吃音の自助団体に参加してほかの吃音のある人と出会うことが心理的な変化のきっかけになることもあるとし、1965年に発足した言友会が日本で最も歴史が古いとしています。自助団体の活動の中心は、「吃音があるのは自分だけではない」と認識し、共通の体験を語り合い、苦悩を分かち合い、互いに援助し合うことだと書かれています。日本の当事者調査でも、自助グループの経験がある人ほど自分から伝える度合いが高いという関連が報告されています。
制度の側では、2016年に施行された障害者差別解消法により、学校や職場での吃音に対する差別的言動および差別的扱いは禁止され、発表や電話応対の免除、試験等での面接時間の延長などの合理的配慮(本人の申し出に応じて学校や職場が行う調整)を求めることができます。その際、医師の診断書や言語聴覚士の報告書の提出などが求められる場合があります。制度の中身と申し出の手順は吃音と合理的配慮の記事にまとめています。
次のようなときは、ニュースを読むだけにせず、相談を考えてみてください(あくまで目安で、当てはまらなくても相談して構いません)。
- ニュースで見た症状と自分や子どもの話し方が似ていて、様子を見るべきか判断がつかない
- 「克服した」という記事を読んで、自分や子どもがそうなれないことに焦りを感じている
- 真似やからかいの話題を見て、過去の記憶がよみがえり、話す場面を避けはじめている
この3つは相談を考えるきっかけとして挙げたもので、特定の資料が「受診の目安」として定めているものではありません。
吃音のニュースをめぐる3つの落とし穴
落とし穴1 − 見出しの大きさを、研究の大きさと取り違える
「吃音の遺伝子が見つかった」と世界的に報じられた研究について、総説は、変異が見つかったのはごく一部の人で、一般化できる情報はほとんど得られず、原因とみなすことはできないと留保を付けました。同じ総説は、再現が最も重要な課題であり、大きく報道されたのちに再現できなかった他の病気の例から学ぶべきだとも書いています。研究のニュースを読むときは、「何人のうち何人に当てはまったのか」「別の集団で再現されたのか」を、見出しの外で確かめる必要があります。
落とし穴2 − 「前向きな当事者」の記事だけを読んで、自分や子どもと比べる
この記事には、前向きに生きられる人はすごい、自分には無理だ、と語った25歳の当事者の言葉を載せました。社会はしばしば吃音のある人を否定的に描き、それが自己スティグマにつながると研究は述べています。「克服した」という物語もまた、その外側にいる人に「応えられない期待」を渡します。英国の指針が「克服した」「治した」という文脈を避けてほしいと求めているのは、そのためです。誰かの記事は、あなたやあなたの子どもの見通しではありません。
落とし穴3 − 報じられた個人を責めて終わる
海外のニュースを取り上げた当事者は、その個人を批判しただけでは解決にならず、吃音とは何かを正しく伝えることが必要だと書いていました。知ってもらう取り組みには効果が見られた一方で、全員に同じように効くわけではなく、時間がたつと戻る動きも報告されています。英国の当事者団体は、線を越えた表現に出会ったら、どの線を越えたのかを相手に伝えるよう呼びかけています。責めるより、何が違ったのかを伝えるほうが、次の記事を変えます。
そのうえで、ニュースを見て自分のことが気になったなら、どんな場面で出やすいか、そのとき周りがどう応じたかを書き留めておくと、相談のときに伝えやすくなります。相談できる場合は、言語聴覚士やことばの教室に相談するのが確実です。
よくある質問
吃音のニュースを、まとめて追える場所はありますか?
この記事が参照した資料の中に、いまの吃音のニュースを継続して集めた場所はありませんでした。この記事も一覧ではなく、取材を受けた当事者・記事を書いた当事者・記事を読んだ当事者の記録を並べたものです。世界的には、1995年に設立された国際吃音連盟が国際吃音啓発の日(10月22日)を制定し、日本を含む各地で啓発の取り組みが行われています。この日については別の記事で扱います。
ニュースで吃音を見かけるようになった気がします。吃音のある人は増えているのですか?
増えたかどうかを示す資料は、この記事の手元にはありません。分かっているのは、幼児期の発症率が約8〜11%、学童期以降から成人までの時点有症率が0.8%とされていること、日本の一般の成人671人を分析した調査で、職場・友人・家族のいずれかに吃音のある人を知っている人が41.3%だったことです。100人に1人弱ですから、報道で見かける以前から、身近にいる存在です。
記事やSNSで吃音のある人について書くとき、避けたほうがいい言い方はありますか?
英国の当事者団体の指針は、吃音に「苦しんでいる」と言う代わりに「その人は吃る」と書くこと、「打ち負かす」「克服する」と言うのを避けること、物事が滞ったり失敗したりする様子に「吃る」という語を使わないこと、「今日は調子が悪い」と評さないことを挙げています。取材する相手が吃る人であるときは、さえぎらずに話し終えるまで待ち、流暢に話せたことを褒めない、とも書いています。日本語では、九州大学病院の医師が「悪化」ではなく「増える」、「改善」ではなく「減った」という中立的な言葉を勧めています。
「吃音を克服した」というニュースを見ました。吃音は治るのですか?
英国の当事者団体の指針は、「克服する」という言い方を避ける理由として、治せるものではないからだと書いています。一方で、幼児期に始まった吃音の自然治癒率は、吃音が始まって2年後までで31%、3年後までで63%、4年後までで74%と報告され、発症から4年以上たつと自然治癒の確率は減少するとされています。「克服した」という見出しの裏には、自然に収まった経過も、方略を身につけて付き合っている経過もありえます。学会の解説は、「吃音とうまく付き合っていく」方法を支援者と一緒に考えることが大切だとしています。回復と持続の見通しは吃音は遺伝しても治る?の記事にあります。
自分の吃音について取材を受けると、何が起きますか?
取材を受けた小学校教師は、記事になったあと講演を依頼され、吃音のある児童や保護者から個別に相談を受けるようになったと語っています。研究の側では、自分から吃音を伝えることは量的研究18件のうち15件で好意的に働き、謝らない言い方のほうが受け止めがよかったと報告されていますが、場面や年齢による違いは研究が少ないとされています。日本の当事者は伝える度合いが米国より低く、自助グループの経験や自己受容と関連していました。取材を受けるかどうか、どこまで出すかは本人が決めることで、決まった正解はありません。
まとめ
- 吃音のある人は学童期以降で100人に1人弱いる。取材を受けた当事者が伝えたかったのは、知らなくて当然だから、接したときに少しでも思い出してほしい、ということだった。自分から伝えることは18件中15件の研究で好意的に働いたが、日本の当事者の伝える度合いは米国より低い。
- 地方紙が載せた当事者の頼みは「最後まで聞いてほしい」「特別扱いせず普通に接してほしい」。英国の当事者団体が取材する側に向けて書いた指針と重なる。職場で吃音のある人を知っていることは肯定的な態度と結びついていたが、関連であって因果ではない。
- 記事を書く側にも当事者がいる。20代で「治します」の広告を暴こうと記事を書き、実名か仮名かを考え続けている書き手の記録がある。英国の指針は「克服した」「治した」という文脈ではなく声の多様性の一部として吃音の声を扱うよう求め、九州大学病院の医師は「悪化」ではなく「増える」という中立的な言葉を勧めている。
- 海外のニュースが、30年前に教師から真似された記憶を開いた当事者がいる。学会は「真似するとうつる」という俗説と差別を明記し、研究は、社会の否定的な描き方が自己スティグマにつながると述べている。「前向きな当事者」の記事の外側には、自分には無理だと語る当事者がいる。
- 「吃音の遺伝子」と世界的に報じられた研究に、総説はごく一部にしか当てはまらないと留保を付け、再現が最も重要だと書いた。見出しの大きさと研究の中身は同じではない。気になったら、言語聴覚士・ことばの教室・自助団体へ。
