まず結論から
- 吃音には、状況によって症状が出やすかったり出にくくなったりする特徴があります。歌を歌うとき、2人で声を合わせるとき、独り言を言うときなどに、一時的ですがなめらかに話せる(流暢になる)人が多い、と学会の解説は書いています。
- 脳の回路を扱った総説も、一時的に流暢になる条件として、誰かと声をそろえて話す・読むこと、メトロノームに合わせること、外国語のアクセントや役を演じることのような身についていない話し方、ホワイトノイズ、歌を並べています。舞台でセリフを言うことは、この並びの中にあります。
- 話す仕事に就いた当事者本人が、「アナウンサーになっても吃音は治らなかった」「以来、50年間はずっとどもっている」と自分の文章に書いています。舞台やマイクの前で出ないことと、吃音が無くなることは別です。
- 自分から「吃音がある」と相手に伝えること(研究の言葉では自己開示)については、18件の研究をまとめた系統的レビューがあり、18件のうち15件で全体として好意的な影響が示されました。謝るような言い方をしない伝え方のほうが、謝る言い方や伝えない場合より好意的に受け取られていました。
- 一方で吃音は、否定的な固定観念にもとづく偏見や差別と結びつきやすく、とくに症状が重い場合や、原因が心理的なものだと見なされる場合にそうだと総説は述べています。本人が自分から出すことと、他人が笑いの材料にすることは、同じ「笑い」でも別のことです。
ただし、「舞台では出ない」は集団の傾向と本人の実感であって、誰にでも同じように起きると確かめられたものではありません。なぜそうなるのかも、まだ推し量られている段階です。またこの記事は、実在の方の吃音の程度や現在の状態を判定するものではなく、本人が公表した範囲だけを扱います。
「演劇の舞台ではつっかえない」——話す仕事を選べた理由
吃音のある人が、なぜ人前で話す仕事を選べるのか。周りから見れば不思議に映るこの問いに、本人が答えている記録があります。長く報道番組の司会を務めたアナウンサーが、少年時代に自分で見つけた法則から話し始めています。
フリーアナウンサーの小倉智昭さん(ラジオ番組での発言の書き起こし・2024年5月配信分。聞き手は番組パーソナリティの植竹公和さん)
小倉:自分のリズムで話せる独り言は吃音にはならない。それと、歌を歌っているときもつっかえない。
植竹:言われてみればなんとなくわかります。
小倉:一時期、僕の話には“メロディ”がつくことがあったんですよ(笑)。
植竹:へええ! 歌みたいに話せば大丈夫だったからですね。
小倉:そうしたら、「なんか話し方が変じゃない?」って言われました(笑)。あとは、教科書をみんなで読むときも吃音にならないし、かえってうまいと褒められたんです。演劇の舞台に立ってセリフを言うときもつっかえない。そういうことに気付いていって、「ひょっとしたら俺は話す職業に就けるかもしれない」と思うようになったんです。
犬の散歩で河原を歩きながら独り言を話し、どこが人と違うのか、どうやったらなめらかに話せるのかを一生懸命考えた——本人は、この引用の直前で少年時代をそう振り返っています。見つけたのは、独り言・歌・みんなで読む教科書・演劇の舞台のセリフでは出ない、という自分の中の法則でした。話に「メロディ」がついて変だと言われた時期があったこと、みんなで読むときは「かえってうまい」と褒められたことまで、具体的です。そしてこの法則の先に、「話す職業に就けるかもしれない」という考えが立ち上がります。同じ番組の別の箇所で本人は、今でも激昂したときや突然話を振られたとき、電話では出ると語っていて、舞台と日常はきちんと別に扱われています。状況によって出方が変わることは、学会の解説が吃音の特徴として挙げているものです。
出典: 小倉智昭 吃音に苦しんだ幼少期…それでも「アナウンサー」を志した理由とは?(TOKYO FM+/AuDee)(台帳: V0126)
日本吃音・流暢性障害学会の解説は、吃音の特徴として、状況によって症状が出やすかったり出にくくなったりすることがあると書き、例として、歌を歌うとき、2人で声を合わせるとき、独り言を言うときなどに、一時的ですが流暢になる人が多いと挙げています。少年が河原で見つけた法則は、学会が特徴として書いていることとほぼ重なります。
舞台についても、研究の側に手がかりがあります。脳の回路を扱った総説は、一時的に流暢になる条件として、誰かと声をそろえて話す・読むこと、メトロノームに合わせて話すこと、外国語のアクセント・役を演じること・演技のような、身についていない話し方、ホワイトノイズ、そして歌を並べています。舞台でセリフを言うことは、このうち「役を演じる」に当たります。英国の吃音支援団体がまとめた著名人の一覧には、コメディ俳優のローワン・アトキンソンさんが雑誌のインタビューで「自分以外の人物を演じているときは、吃音が消える。それが、この仕事を選んだ着想の一部だったかもしれない」という趣旨のことを語った、と紹介されています。
ただし、なぜそうなるのかは、まだ推し量られている段階です。2004年の総説は、気持ちの高ぶりが吃音を悪くするとは限らず、逆に良くする場合もあると述べたうえで、有名な当事者のなかには自分を人前に置くことで吃音を「治療」してきた人がいる、と引用符つきで書いています。続けて、8歳で吃音が始まった米国の俳優ブルース・ウィリスさんが高校で演劇部に入ると、観客の前では吃音が消えた、という逸話を挙げています。総説自身が「逸話として」と断っているとおり、これは誰にでも当てはまる方法ではありません。歌についても同じ並びに名前が出ますが、歌のほうは吃音と歌とスキャットマンと吃音の記事が正面から扱っているので、ここでは触れるにとどめます。
笑われた記憶が、ネタになるまで
芸人という仕事は、笑われることが仕事の一部です。吃音があって笑われた記憶を、この人はどう扱ったのか。全国紙の新年連載が、お笑い芸人インタレスティングたけしさんの生い立ちを追っています。
お笑い芸人インタレスティングたけしさん(東京新聞デジタルの新年連載。記者が本人に取材して書いた記事の地の文で、本人の発言はかぎ括弧の中)
小学校の国語の授業では、先生に教科書を音読するようによく指名された。吃音が目立つと、同級生にクスクス笑われ「恥ずかしくなく、快感だった」。もっと笑わせようと声色を変えた。
中学校時代は、文化放送の斉藤一美アナウンサーのラジオ番組にのめり込む。お題に沿って考えたネタを読んでもらおうと、はがき職人になり数百枚ものはがきを送った。ラジオネームは習いたての英単語を使い「インタレスティングたけし」。ネタを披露する芸人になりたいと思い始めた。
音読で指名され、吃音が目立って笑われる。ふつうなら避けたい場面を、この人は「快感だった」と受け取り、もっと笑わせようと声色を変えていきます。中学で送り続けたはがきのラジオネームが、そのまま今の芸名です。記事によれば、高校ではいじめられ不登校になった時期があり、親に言われて21歳でデパートの清掃員になります。あるとき処理の仕方が分からず上司に電話をしても何も伝わらず笑われ、「清掃よりお笑いが向いているのでは」と言われて、かつての夢を思い出したといいます。25歳で東京の劇場でデビュー。いまの定番のネタは、自己紹介からつっかえて同じ言葉が連発される「ど、どうもー、イ、インタレスティングたけ、たけしと申しまーす」から始まり、失敗談を語るたびにギターを鳴らす形だと記事は伝えています。笑われた場面と笑わせる場面が、同じ人生の中で地続きになっています。吃音を演目に取り込んだコメディアンは、海外の一覧にも載っています。
出典: 「言葉が出なければ、何度でも言い直せばいい」…吃音の芸人・インタレスティングたけしの「揺るがない夢」(東京新聞デジタル)(台帳: V0191)
英国の吃音支援団体 STAMMA の著名人一覧には、歌手や俳優と並んで「コメディアン」という区分があります。そこには、2015年に米国のオーディション番組で吃音の経験をネタに取り込んだ漫談を披露し、決勝まで進んで2位になった人の紹介もあります。同じページで、企業の経営者だった人は、初めて人前で話したときに「ユーモア、つまり聴衆を笑わせることも、助けになる技術の一つだと気づいた」という趣旨のことを語っています。笑わせる側に立つことを、話す場面を切り抜ける一つの技術として使った人は、芸人以外にもいるということです。
ただし、それを「笑われるうちに慣れた」という話に丸めないでください。先の総説が、有名な当事者が自分を人前に置くことで吃音を「治療」してきたと書いたときに引用符を付けたのは、それが治療ではないからです。この芸人本人も、記事の中で清掃員時代に電話が通じず笑われた場面を語っています。笑いを仕事にしたあとも、笑われることのすべてが快感だったわけではないことは、本人の語りの中に残っています。
「地獄でしかない」——笑いにされるのを見た親の側
同じ「笑われる」が、別の立場からはまったく違って見えます。ある番組に、自分の吃音を笑いに変えている芸人が出た週、吃音のある小学1年生の息子と一緒にいた母親が、迷ったうえで書き残した記録があります。
吃音のある小学1年生の息子をもつ母親の声(個人ブログ。番組の放送を受けて書いた投稿)
これ、誰でも見れて影響力があるテレビでその人がどもって笑われてる姿を世間にさらすんよね??
みんながみんなそうじゃないかもしれないけど、吃音の子どもをもつ親の身としてはそんなの面白くもなんともなくて、むしろ地獄でしかない。
先に書いておくべきことがあります。この母親は、自分は洗い物をしていて放送の中身は見ていない、と自分で明記しています。だからこれは芸そのものへの評価ではありません。見ていたのは、小1の息子が「あ、この人吃音だ。」と画面を見ていたことのほうです。同じ投稿によれば、息子は保育園のときにからかわれて笑われ、「おはよう」「ありがとう」のようなあ行で始まる言葉を一時期言わなくなり、園長・担任・他のクラスの先生の協力で卒園までに言えるようになったといいます。母親は、表舞台に出ること自体は「知ってもらえるいい機会」と書き、映画やドラマで吃音のある登場人物がラップや歌で拍手をもらう描き方は「希望になる」とも書いています。「だけど、その吃音を笑いに変えるって??」——線を引いているのは、吃音そのものを笑いの材料にすることに対してです。吃音がどんな偏見と結びつきやすいかは、総説がまとめています。
出典: 水曜日のダウンタウン(なっちゃんの育児日記トキドキKPとの日常)(台帳: V0192)
脳の回路を扱った総説は、導入部で吃音の社会的な面にも触れています。吃音は否定的な固定観念にもとづく偏見(研究の言葉ではスティグマ)や差別と結びつきやすく、とくに症状が重い場合や、原因が心理的なものだと見なされる場合にそうだ、と述べています。あわせて、人前に出る場面への不安(社会不安)の水準が高いことも挙げています。母親が恐れているのは、「どもって笑われている姿」が世間に流れることで、息子の周りにこの固定観念が増えることでしょう。学会の解説も、吃音をからかわれるなどのいやな経験をすると、社交不安症やうつなどの心理的な問題を生じることもある、と書いています。
ここで、研究の言葉を一つ確かめておきます。自分から吃音を明かすことを調べた系統的レビューは、その対象を「吃音のある人が、自分に吃音があることを自分から相手に伝えること」と定義しています。定義の上では、本人が選んで出すことだけが自己開示です。母親が引いた線——表舞台に出ることは構わない、でも吃音そのものを笑いにされるのは違う——は、この定義が引いている線と重なっています。
「当事者の僕に一言なかった」——ネタにする側の本音
笑いにされる側の違和感は、団体の抗議という形にもなりました。抗議の対象になった番組に出ていた芸人本人は、その顛末をどう受け止めたのか。対談の中で、率直に語っています。
インタレスティングたけしさん(乙武洋匡さんとの対談記事・日刊SPA!。引用は対談の一部で、聞き手の発言を含む)
インたけ:「急に先輩芸人にキレられたらどうなるか」というドッキリ企画で、僕が怒られて吃っている様子が放送されて、日本吃音協会がテレビ局に抗議したのですが、「なんで当事者の僕に一言言ってもらえなかったんだ」というのが率直な感想でした。
番組では吃音をいじったり、触れたりすることもなかったのに。
乙武:協会の抗議に対して、「インたけさんの芸風自体を否定している」という批判的な意見も多かったですよね。
インたけ:こんな騒ぎになったら、もう二度とテレビに出演できないんじゃないか。そう思ってショックでした。
あと「テレビで晒すのはかわいそう」と擁護の声も多かったですが、そう思われると笑われづらくなるので、芸人としては困りましたね。
僕は個性だと思ってるので、そういうふうに見てほしいです。
本人がまず口にしたのは、抗議そのものへの反論ではなく、「当事者の僕に一言なかった」ことへの違和感でした。番組では吃音をいじる場面はなかった、と本人は言います。そして騒ぎのあとに感じたのは、もう二度とテレビに出られないのではないかというショックです。興味深いのは、そのあとです。「晒すのはかわいそう」という擁護の声が、芸人としては困る——そう思われると笑われづらくなるから。かわいそうと見られることは、この人が芸人として避けたいことでした。だから「個性として見てほしい」という言葉が出てきます。対談はこのあと、救われたコメントもあった、と続きます。自分から吃音を出すことが相手にどう受け取られるかは、研究の側でも調べられてきました。
出典: 「障害を個性として見てほしい」乙武洋匡と吃音芸人・インタレスティングたけしが対談(日刊SPA!)(台帳: V0040)
自分から吃音を明かすこと(自己開示)を調べた研究を、2026年に出た系統的レビュー——同じテーマの研究を、あらかじめ決めた手順で集めて整理したもの——がまとめています。条件を満たした量的研究は18件で、全体として好意的な影響が示されたのは18件のうち15件でした。伝え方を比べた研究に限ると、謝るような言い方をしない伝え方のほうが、謝る言い方や伝えない場合よりも好意的に受け取られていて、これは13件のうち12件にのぼります。レビューの結論は、謝らない形の自己開示が、否定的な思い込みを向けられるかもしれないという負担(研究の言葉ではステレオタイプ脅威)をやわらげるのを支持する、というものです。数字を図にしたものは吃音の有名人の記事に置いてあります。
ただし、レビュー自身が書いている限界も、そのまま書いておきます。話し手や観察者の性別による違いは研究によってまちまちで、伝える場面・年齢・吃音の頻度や重さ・吃音のある人と知り合いかどうかは、そもそも調べた研究が少ないとされています。そして、レビューが定義しているのは相手に「自分から伝える」ことで、舞台でネタとして出すことがこの研究の扱った場面と同じかどうかは、要旨からは分かりません。「個性として見てほしい」という本人の言葉は、謝らない伝え方に近い姿勢だと私は思いますが、それをこの研究が支持しているとまでは言えません。
とっさに言葉が出ないから生まれた、「頭の中の作文」
舞台やマイクの前では出ない、といっても、何もしないで出ないという意味ではありません。長く話す仕事を続けた人が、自分の技術をどう説明しているか。名物だった朝の番組のオープニングトークについて聞かれた場面です。
小倉智昭さん(著書『本音』からの抜粋インタビュー。聞き手は社会学者・作家の古市憲寿さん/Book Bang)
吃音だと、とっさに言葉は出てこないんですよ。何か言い返そうとしても、必ずつかえてしまったりとか、口ごもってしまったりする。
自分は何て言い返すべきなのかといったことは常に頭の中で考えていた。そうすれば言い返しやすいじゃないですか。その積み重ねみたいなところがあって。だからスポーツ実況、競馬の中継でも僕は瞬間的に作文しながらしゃべってたんです。
古市: 子供の頃から吃音の影響で、言葉をいったん塞き止めてから脳内で文章化していたことが後になって役立ったということでしょうか。
小倉: そうかもわからない。まあ加えて本を読むのが好きだったから、それで養われたのか。意識して身につけたスキルではないので、自分自身ではわからないんですね。
よどみなく5分、10分と続いたオープニングトークについて、本人は事前の原稿は用意していない、しないほうがいいとすら思っている、と答えています。子どものころ、作文に必要な起承転結がしゃべりにも必要だと気づき、頭の中で文章を組み立ててから口に出す。新人のアナウンサーには「なるべく書かないほうがいいよ」と言ってきた、とも語ります。引用したのは、それがトレーニングでできるようになったのかと尋ねられた場面です。とっさに言葉が出ないから、何を言い返すべきかを常に頭の中で考えていた。その積み重ねが、実況の技術になった。ただし最後の一言で本人は、意識して身につけたスキルではないから自分では分からない、と留保を置いています。同じ人は別の文章で、マイクの前でどもらない理由を尋ねられると「お金をもらうとどもらない」と必ず答える、と書いています。
出典: 「とくダネ!」名物オープニングトークの裏に「吃音」あり 小倉智昭さんが明かした秘話【後編】(Book Bang)(台帳: V0021)
その文章は、日本吃音臨床研究会のサイトに転載されています。書き出しは「吃音が治らない」で、小学生のころ「ども金」と馬鹿にされたこと、以来50年間ずっとどもっていること、親に「もっと落ち着いて話せ」「ゆっくり話せ」と注文をつけられても一向に良くならなかったことが、本人の言葉で続きます。転載にあたって紹介文を書いた同会の代表は、自分と小倉さんはずいぶん違う道を歩いてきたとしたうえで、最後にみつけたのは「どもりは治らない」「どもりが治らなくても生きていける」だ、と書いています。技術は、治癒ではありません。マイクの前で出ないことと、吃音が残っていることは、本人の中で矛盾なく両立しています。
研究の側には、この「先に組み立てる」という工夫を直接測ったものは手元にありません。総説が整理しているのは、幼いころから始まる発達性吃音では、語や句の始め、長い語や意味の重い語、組み立ての複雑な文で症状が目立ち、同じ文章を繰り返し読むと頻度が下がっていく(適応)ということまでです。頭の中で先に文を組むことがこれとどう関わるかは、ここからは言えません。一方で、英国の一覧に載っている女性コメディアンは、母音で始まる語が自分の引き金になる語だったので12歳のころから類語辞典を読み始めた、と語っています。言い換えの語彙を増やすという工夫は、国や職業をまたいで出てきます。
ただし、この工夫には裏面があります。学会の解説は、吃音を巧みに隠そうとして言いにくい単語を言い換えるなどの工夫をする場合、吃音は目立たなくなるが、実際は吃音が出ないかを日々警戒しながら生活しているため、ストレスや悩みを抱え込みやすくなると書いています。人前で流暢に見える人の技術は、見えないところで警戒を続けることと隣り合っています。
話す仕事をしていても、相談していい
人前で話せているからといって、困りごとが無いわけではありません。相談先を先に置いておきます。
日本言語聴覚士協会は、聞こえやことばの障害、飲み込みの障害のある人を支援する専門職が言語聴覚士だと説明し、専門知識と技術を用いて検査・訓練・指導や援助を行い、障害のある人がよりよい生活を送れるように支援する、としています。同じページは、ことばの障害の種類を挙げるなかで、スムースに話をすることが難しい吃音もことばの障害に含まれると明記しています。人前で話す仕事をしていても、相談してよい相手だということです。
探し方には注意が要ります。吃音ポータルサイトは、言語聴覚士が国家資格で養成課程に吃音が含まれていると説明したうえで、業務が多岐にわたるため、必ずしも全ての言語聴覚士が吃音の指導や支援を行えるわけではないと書いています。病院や協会、都道府県の言語聴覚士会に事前に問い合わせる、という手順もそこに示されています。大人向けの専門外来としては、国立障害者リハビリテーションセンター病院が成人吃音相談外来を設けていて、初診専用の外来なので予約センターで予約を取ったうえで受診するよう案内しています。受診希望者が多く予約が取りにくくなっているとも書かれています。
同じ立場の人と会う場もあります。吃音ポータルサイトは、言友会などの自助グループについて、当事者の集まりなので言語聴覚士のような学術的な知識や専門的な指導・支援が受けられるわけではないと先に断ったうえで、同じ問題を持つ仲間と出会い、当事者同士でないと感じられない連帯感のなかで悩みを聞いてもらったり、同じ悩みを持つ立場から具体的な助言をもらったりできる、と書いています。
仕事の場面での困りごとには、制度の側の手当てもあります。学会の解説は、社会人では職場の電話応対が発話に困難を感じやすい場面として挙げられるとし、学校や職場では、発表や電話応対の免除、試験等での面接時間の延長といった配慮——法律の言葉では「合理的配慮」といいます——を求めることができると書いています。その際、医師の診断書や言語聴覚士の報告書の提出などが求められる場合があります。舞台の上では出なくても、電話や打ち合わせで困っているなら、それは配慮を求めてよい困りごとです。
次のようなときは、様子を見るだけにせず、相談を考えてみてください(当てはまらなくても相談して構いません)。
- 人前では話せるために「困っていない」と受け取られ、電話や日常の会話での困りごとを言い出せない
- 話し始める前から不安や恐怖が強く、話す場面や仕事を避けるようになってきた
- 言いにくい言葉を言い換え続けていて、出ないかどうかを日々警戒するのがつらい
この3つは相談を考えるきっかけとして挙げたもので、特定の資料が「受診の目安」として定めているものではありません。3つめの「隠すことの負担」は、学会の解説が書いている中高生以上・成人の特徴にもとづいています。
「芸人にもいるのだから」で陥りがちな3つの落とし穴
落とし穴1 − 「舞台で出ないなら、もう治ったのだろう」と受け取る
状況によって症状が出やすかったり出にくくなったりするのは、吃音の特徴そのものです。役を演じることや歌は、一時的に流暢になる条件として並べられているもので、その場を離れれば元に戻ります。話す仕事を長く続けた本人が「アナウンサーになっても吃音は治らなかった」と書いているとおり、舞台で出ないことは、治ったことの証拠にはなりません。周囲がここを取り違えると、本人は「あのときは話せていたのに」という言葉を受け取ることになります。
落とし穴2 − 芸人の例を「笑われても平気になれ」という教訓にする
この記事には、音読で笑われて「快感だった」と語る当事者と、子どもの吃音が笑いにされるのは「地獄でしかない」と書く親が、同じ記事の中に並んでいます。どちらも本人の言葉で、どちらかが間違っているわけではありません。吃音は否定的な固定観念にもとづく偏見と結びつきやすいと総説は述べていて、笑われる経験がどう響くかは人と場面で変わります。自分から出すかどうかを決めるのは本人で、他人が笑いの材料にすることはその決定の外にあります。芸人の例は、あなたやあなたの子どもが笑われることを引き受けなければならない理由にはなりません。
落とし穴3 − 名前の一覧から「あの人も吃音」を確かめに行く
「吃音だった芸能人」の名前を並べたページはたくさんありますが、本人が語っているのか、そう言われているだけなのかが分けて書かれていないものも多いです。英国の支援団体の一覧は、裏づけになる情報源が見つからない人物には名前の横に疑問符を付け、その理由を書き添えています。この記事が扱ったのは、本人がインタビューや自著で語り、その原文が残っている範囲だけです。一覧の読み方そのものは、吃音の有名人の記事でくわしく扱っています。
そのうえで、人前で話す仕事をしているかどうかにかかわらず、記録は残しておくと役に立ちます。どの場面で出やすかったか、どの場面では楽だったかを書き留めておくと、相談のときに自分の状態を説明しやすくなります。相談できる場合は、言語聴覚士に相談するのが確実です。
よくある質問
吃音のある芸人や芸能人には、どんな人がいますか?
この記事では、本人がインタビューや自著で語り、その原文が残っている人だけを扱いました。日本ではフリーアナウンサーの小倉智昭さんが自分の吃音について文章を書いており、お笑い芸人のインタレスティングたけしさんが取材や対談で語っています。英国の吃音支援団体の一覧には、歌手や俳優と並んで「コメディアン」という区分があり、本人の言葉つきで紹介されています。名前の一覧の読み方は吃音の有名人の記事にまとめてあります。
吃音があっても、人前で話す仕事はできますか?
実際に続けている人がいます。吃音には状況によって症状が出やすかったり出にくくなったりする特徴があり、歌や声を合わせる場面、独り言などで一時的に流暢になる人が多いと学会の解説は書いています。役を演じることも、一時的に流暢になる条件として総説に挙げられています。ただし、話す仕事を長く続けた本人が「アナウンサーになっても吃音は治らなかった」と書いているように、仕事ができることと吃音が無くなることは別です。
舞台やネタのときにどもらないのは、なぜですか?
総説は、誰かと声をそろえること、メトロノーム、外国語のアクセントや役を演じるといった身についていない話し方、ホワイトノイズ、歌を、一時的に流暢になる条件として並べています。別の総説は、気持ちの高ぶりが吃音を良くする場合もあると述べ、高校で演劇部に入ると観客の前では吃音が消えたという俳優の逸話を挙げていますが、逸話だと断っています。なぜそうなるのかは、まだ推し量られている段階です。歌についてはスキャットマンと吃音の記事が扱っています。
吃音を笑いのネタにするのは、よくないことですか?
この記事では、自分の吃音をネタにしている芸人本人の言葉と、子どもの吃音が笑いにされることを「地獄でしかない」と書いた親の言葉を、両方そのまま載せました。研究が「自己開示」と呼ぶのは、吃音のある人が自分から相手に伝えることです。本人が選んで出すことと、他人が笑いの材料にすることは、定義の上でも別のことです。よい・悪いを一律に決めるより、誰が選んでいるのかを見るほうが実際に近いと思います。
「吃音だった芸能人」と聞きますが、その人たちは治ったのですか?
「だった」と言い切れる話ばかりではありません。話す仕事を続けてきた当事者は自分の文章で「以来、50年間はずっとどもっている」と書き、英国の一覧には、演技で吃音が治ったという報道を本人が否定している俳優の例も載っています。舞台やマイクの前で出ないことは、一時的に流暢になる条件の話であって、治ったことの証拠ではありません。
まとめ
- 吃音は状況によって出方が変わり、歌・声を合わせる場面・独り言などで一時的に流暢になる人が多い。役を演じることも同じ並びにあり、話す仕事を選べた当事者は少年時代にこの法則を自分で見つけていた。
- ただし、舞台やマイクの前で出ないことと、吃音が無くなることは別。長く話す仕事を続けた本人が「アナウンサーになっても吃音は治らなかった」と書いている。
- 笑われた記憶を「快感だった」と受け取ってネタにした芸人がいる一方、子どもの吃音が笑いにされることを「地獄でしかない」と書いた親がいる。吃音は否定的な固定観念にもとづく偏見と結びつきやすく、どう響くかは人と場面で変わる。
- 自分から吃音を明かすことは、18件のうち15件の研究で全体として好意的で、謝らない伝え方のほうが好意的に受け取られた。ただし研究が定義しているのは「自分から伝える」ことで、他人が笑いの材料にすることはその外にある。
- 人前で話せていても相談してよい。吃音はことばの障害に含まれ、全員が吃音を扱えるわけではないので事前の問い合わせが要る。大人の専門外来は予約制。職場での電話応対の免除などの配慮を求めることもできる。
