まず結論から
- 吃音親子サマーキャンプは、日本吃音臨床研究会という当事者の団体が開いている集まりです。言友会や同会のような自助グループは、言語聴覚士のように専門的な指導や支援を受ける場ではない一方、当事者どうしでないと感じられない連帯感や、同じ立場からの具体的な助言が得られる場だとされています。
- 始めた本人の説明では、1990年に小学生から高校生を対象に始まり、柱は「吃音についての話し合い」「劇の稽古と上演」「親の学習会」の3つです。研究の側は、こうした当事者の団体を「吃音のある人が互いに経験を分かち合い、支え合う場」と説明しています。
- 10〜18歳の22人が数日間にわたる当事者団体の大会に参加した研究では、大会の前と直後で、吃音が生活に与える悪い影響の得点が下がっていました。ただし人数が少なく、参加しなかった子と比べた研究ではありません。
- 成人の自助グループを調べた研究では、「自分だけではない」と気づいたことが孤立感を減らしたと答えた人が13人中7人でした。ドイツの診療ガイドラインは、自助グループへの参加を、効果を測った研究ではなく専門家の合意にもとづいて勧めています。
ただし、キャンプに参加することで吃音が治るわけではありません。幼児期に始まった吃音は、少なくとも半数の子どもが特別な指導や支援がなくても小学校に入るころまでに目立たなくなり、続いた場合も、ことばの教室や言語聴覚士の支援を受けながら日常に大きな支障なく過ごせるようになることが多いとされています。キャンプは、その経過の中で「同じ立場の人に会う」ための一つの選択肢であって、治療の代わりではありません。
「治すためのキャンプではない」——始めた本人は、何のために開いたのか
最初に、このキャンプを始めた本人が何を狙ったのかを、本人の言葉で確かめておきます。「治す場」だと思って行くと、期待の置き場所がずれるからです。
日本吃音臨床研究会 会長・伊藤伸二さんの自伝(同会公式サイト。本人も吃音当事者で、1965年に言友会を創立)
僕たちは学童期・思春期、吃音に深刻に悩んだが、真剣に向き合い、学んでこなかった。だから、「ゼロの地点に立つ」ことが難しかったのだと考えた。私たちの経験を子どもたちに伝えれば、吃音を否定し、話すことから逃げる学童期・思春期を送らずにすむのでないか。早期に、吃音に向き合い、吃音とのつきあい方を学んでほしい。「ゼロの地点」に立ってほしい。
1990年、小学生から高校生までを対象にした、吃音親子サマーキャンプを始めた。
吃音についての話し合い:臨床家とどもる人が入り、同年齢の子どものグループで話し合う。
劇の稽古と上演:どもりながら他者に働きかける、ことばの力を体験する。
親の学習会:吃音だけでなく、子育てに必要な、アサーションなどを学ぶ。
自分たちは学童期・思春期に吃音に深刻に悩みながら、真剣に向き合って学ぶことをしなかった——その反省を出発点にして、子どもの側に向けて開いたのがこのキャンプだ、と本人は書いています。同じページには、全国からスタッフを合わせて150人ほどが参加するとあります。三つの柱の最後に出てくる「アサーション」は、自分の気持ちや考えを、相手を尊重しながら伝える方法のことで、親の学習会で学ぶ内容として挙げられています。ここで押さえておきたいのは、三つのどれも「どもらないようにする練習」ではないことです。話し合いも劇も、どもったままで人に働きかける場として置かれています。研究の側では、こうした当事者の団体を「吃音のある人が互いに経験を分かち合い、支え合う場」と説明しています。
出典: 吃音を生き抜く伊藤伸二の人生(日本吃音臨床研究会)(台帳: V0124)
当事者の集まりは専門的な指導の場ではない、と吃音の情報サイトは明記しています。言友会や日本吃音臨床研究会などの自助グループは、言語聴覚士のように学術的な知識や専門的な指導・支援を受けられる場ではないけれども、同じ問題を持つ仲間と出会い、当事者どうしでないと感じられない連帯感の中で悩みを聞いてもらったり、同じ立場からの具体的な助言をもらったりできる、という整理です。ドイツの診療ガイドラインも、自助グループへの参加を勧めていますが、その根拠は効果を測った研究ではなく専門家の合意(臨床的コンセンサス(研究というより専門家の合意))です。「治す」ためではなく「会う」ための場——これが、この先の親子の記録を読むときの前提になります。
「同じ学年の子は、うちの子1人かもしれない」——初めて参加した母のメール
行ってみようと決めても、初めての参加には別の心配があります。同じ年ごろの子がいるのか、慣れない場所で親子とも疲れないか。2022年9月に小学4年の娘と初めて参加した母親が、帰ってすぐに主催団体へ送ったメールが公開されています。
小学4年の娘と初めて参加した母のメール(日本吃音臨床研究会「保護者の体験」ページ・2022年9月)
私にとっても、キャンプ参加前と参加後では、心が前向きになるという変化がありました。夏季休暇前、色々あり心が疲れてしまっていました。初参加だったことや慣れない環境で、正直疲れもしましたが、なぜか心は軽やかになっています。まるでセラピーに行ったようです。
また明日から、日々の生活が始まるわけですが、この3日間でいただいた『活力』を、忘れないようにしたいです。
旅慣れていない家族にとって、準備からして大変だった、と同じメールは始まります。娘と同じ小学4年の参加者は1人だけで、女の子もいなかった、とも書かれています。それでも娘が来年も来たいと言えたのは、キャンプを卒業してスタッフとして参加していた人たちや、スタッフの温かさがあってこそだ、と母親は受け止めています。引用した段落で「心が前向きになる」変化を語っているのは、子どもではなく母親自身です。同じ立場の人に会うという出来事は、子どもだけでなく親にも起きる——この記録が伝えているのは、その点です。自助グループを調べた研究でも、「自分だけではない」と気づくことが参加した本人に何をもたらすかが、繰り返し報告されています。
出典: 保護者の体験(日本吃音臨床研究会「吃音と上手につきあうための吃音相談室」)(台帳: V0057)
南アフリカで自助グループに通う20〜58歳の13人に聞き取りをした研究では、13人中7人が、会に出て「吃音とともに生きているのは自分だけではない」と気づいたと述べ、その気づきが孤立感を減らしたと報告されています。10〜18歳を対象にした米国の研究でも、参加者の語りから見いだされた5つのテーマの最初に「仲間・共同体をつくること」が挙がっています。同じ学年の子が1人でも、その場全体が「どもる人がたくさんいる場所」であること——この母親のメールが書いているのは、そういう出会いです。
「話し合い」で、子どもたちは何を話しているのか
キャンプの柱の一つ、同じ学年の子どもだけで吃音について話す「話し合い」には、親は同席しません。だからこそ、中で何が話されているのかは親には見えません。主催団体は、2003年のキャンプで小学3・4年生の7人が1時間話し合った記録を、編集をしないでそのままサイトに載せています。進行役として大人3人が同席しています。
小学3年の男の子(記録上はD)と、同席した子ども・大人の発言(2003年の吃音親子サマーキャンプ・学年別話し合いの記録。同会サイトに無編集で掲載。「伊藤」は進行役の大人、「E」は4年生の男の子)
D :俺がどもり始めた子と一緒に遊んでたら、友だち4人くらいて来て、なんでお前ら二人だけ、どもってるんやって言われたんや。それがめっちゃむかついてな、キャンプでお母さんに撮ってもらった劇のビデオを、勝手に学校に持っていった。で、先生に一回見せて、教室でみんなに見せてもらってん。
伊藤 :ええ、ちょっと分からんかったけど、キャンプで劇をしてるけど、自分のうつってるビデオか。お母さんがビデオ撮ってくれてたんか。それを学校に持っていったんか?
D :うん。
E :勝手に?
D :うん。
E :お母さんに言わな、あかんやんそんなん。
一緒に遊んでいた友だち(D君によれば、その子もどもるようになっていた)と2人でいたところへ、別の友だちが4人来て「なんでお前ら二人だけ、どもってるんや」と言った——その悔しさから、D君はキャンプで母親に撮ってもらった劇のビデオを、母親に黙って学校に持っていき、担任に見せたうえで教室で流してもらいました。このあと、進行役の大人に「なんのために?」と聞かれたD君の答えは「みんなにいっぱいどもる人がいるというのを知ってもらうため」でした。同席していた別の子が「僕、全然そんなこと思ったことない」と返しているのも、この記録の正直なところです。同じ吃音のある子どもでも、伝えたい子と、そう思ったことのない子がいる。それを大人が結論を出さずに聞いているのが、この話し合いの形です。自分の吃音を自分から周囲に伝えることについては、研究の蓄積があります。
出典: 吃音親子サマーキャンプ・学年別話し合いの記録(日本吃音臨床研究会「小学生のどもる君へ」)(台帳: V0196)
吃音があることを自分から周囲に伝えること(自己開示)を扱った18件の研究を、決まった手順で集めて評価した系統的レビューでは、18件中15件で自己開示は全体として好意的な影響を持ち、伝え方を比べた研究では、謝るような言い方や伝えない場合より、謝らずに伝える言い方のほうが好意的に受け止められていました。ただしこのレビューは、伝える場面や年齢、吃音の頻度や重さによる違いは、調べた研究が少ないとも述べています。D君のやり方が誰にでも当てはまるわけではありませんが、「どもる人は自分だけではない」と見せる、という発想が子ども自身から出てきたことは、10代の当事者団体の研究が挙げた「吃音を特別なことでなくしていく」というテーマと重なります。クラスにどう伝えるかは、担任からの説明・保護者の手紙・本人が嫌がったときの実例を別の記事で整理しています(→ 吃音かるた(どもりカルタ)とは)。
劇の稽古で「ものすごくどもった」翌朝——「そのままやります」
3日目に上演する劇は、始めた本人の説明では「どもりながら他者に働きかける、ことばの力を体験する」ためのものです。稽古の途中で何が起きるのかを、ことばの教室の教員がスタッフとして初めて参加した年の発表で語っています。前の日の話し合いで「僕はタイミングをとってるから、あまりどもらないんだ」と言っていた初参加の男の子が、2日目の夜、小さな部屋から体育館のような広い場所に移って通し稽古をしたら「ものすごくどもった」——引用は、その直後の場面から始まります。
ことばの教室の教員(スタッフとして初参加)の発表記録(日本吃音臨床研究会 会報『スタタリング・ナウ』2008年12月号。編集部による改稿文で、発話そのものの逐語ではない)
真っ青な顔をしているので、終わった後、その子と5分か10分くらいしゃべったんです。「明日どうする?」という話をしていて、「でもまあなんとかやります」という話をして、そのときは「どういうふうにやりたいの?」と言ったら、「やっぱりどもらないでやりたい」と言ってたんです。でも、みんなの様子を見ていると、「どもってもいいかなあともちょっとは思うんだけど」と言って揺れている状態だったようです。
一晩経って、次の日また朝練習したんです。私は直接その様子を見てなかったんですけど、そのときにまたすごくどもったときに、中学生の男の子が「せりふを変える?」と言ったらしいのです。言いにくいことばを違うことばにしたらどうかなというようなことを言ってたみたいなんです。二人のやりとりを聞いていて、どういうふうに言かなと思ったら、「いや、そのままやります」と言いました。
教員は「明日どうする?」と聞いただけで、答えを与えていません。一晩たって、言いにくいことばを別のことばに変えないかと年上の子に提案されたとき、本人が選んだのは「そのままやります」でした。本番でもすらすら言えたわけではないが、舞台の袖から戻ってきたときにすごくいい顔をしていた、と教員は続けています。同じ発表の中で教員は、話し合い・作文・劇と形は違っても、3日間のあいだ何度も自分のどもりと向き合う場面が繰り返されることが、このキャンプの特徴だと述べています。「どもらないでやりたい」と「言いたいことを言う」——どちらを目標に置くかで話す体験の重さが変わることを、研究の側も指摘しています。
出典: 第14回吃音ショートコース~発表の広場~(日本吃音臨床研究会)(台帳: V0167)
吃音のある本人の体験を臨床にどう生かすかを論じた論文は、成人に「話すときの目標は何か」を尋ねた調査を引きながら、目標が「もっと流暢に話す・どもらないこと」に寄る人ほど、場面・音・語を避け、力んでもがき、恥や恐れを経験しやすく、「どもるかどうかにかかわらず言いたいことを言う」ことを目標にする人はその逆の傾向を示した、と述べています。同じ論文は、聞き手には見えない反応——特定の音や語、場面を避ける、どもりそうなときに語を言い換える——が、外から見える症状と並んで吃音の体験を作っていることも指摘しています。「せりふを変える?」という提案は、まさにこの「言い換え」の入口でした。それを断って舞台に立った男の子の選択は、研究が言う二つの目標のうち、後者を自分で選んだ場面として読めます。成人を対象にした研究なので子どもにそのまま当てはめることはできませんが、目標の置き方が体験を左右するという指摘は、この場面を読むときの一つの手がかりになります。
親も作文を書く——「特効薬」と「どもる子いっぱい」
2日目の朝、子どもも親も作文を書きます。誰にも見せない前提です。2007年に小学2年の息子と家族4人で初めて参加した父親が、会報に手記を寄せています。
小学2年の男の子の父親(愛知県・初参加)の手記(日本吃音臨床研究会 会報『スタタリング・ナウ』2007年11月号掲載・同会サイトに再掲)
2日目、朝、みんなで作文を書いた。このキャンプや言葉がつまることについて。誰にも見せないという前提なので素直な気持ちが書けることになっている。息子が書き終えたので、「どんなこと書いたの?」と、たずねると「教えない」と、教えてくれない。「じゃあ、題名だけ教えて」と頼むと「どもる子いっぱい」と言って走っていった。
涙が出そうになった。「なんでぼくだけことばがつまるの?」と泣いた息子が笑っていった。それだけでこのキャンプに感謝だった。
ちなみに私の書いた題名は「特効薬」。なんとか治すための特効薬はないものかという内容だ。
この父親の手記には、その年の3日間の流れがそのまま書かれています。初日の午後に着いてレクリエーション、部屋割りは家族一緒ではなく、子どもは子ども、母親は母親、父親は父親。夜は親のグループに分かれた座談会で、進行役の一人は成人の当事者。2日目の朝に作文、子どもたちが山登りに出ている間に親の座談会と会長の講義、3日目に劇の上演——2泊3日の記録です。「特効薬」と題を付けた父親は、2日目の座談会と講義を経て、治ることにこだわるより、治らないことを前提にできることに取り組もうと考えを変えた、と書いています。ただし本人は同じ手記で、これは逃げでも諦めでもなく「心の持ちようだ」と念を押しています。「なんでぼくだけことばがつまるの?」と泣いた息子が「どもる子いっぱい」と題を付けたこと——親の側の期待と、子どもが持ち帰ったものの違いが、同じ朝に並んでいます。吃音の見通しについて吃音の情報サイトが書いていることは、この父親が座談会で受け取ったことと大きくは離れていません。
出典: 第18回吃音親子サマーキャンプに参加しての感想(日本吃音臨床研究会)(台帳: V0212)
吃音の情報サイトは、幼児期に始まった吃音は、少なくとも半数の子どもが特別な指導や支援がなくても小学校に入るころまでに目立たなくなること、小学校に入っても続く場合でも、ことばの教室や言語聴覚士の指導・支援を受けながら、緊張の強い重い吃音が目立たなくなったり、緊張を抑えて話す方法を身につけたりして、日常に大きな支障なく過ごせるようになることが多いことを説明しています。同じサイトは保護者に向けて、子どもが吃音のことを打ち明けてきたときにタブーにせず、「吃音の話し方」は「くせ」のようなもので、悪いことでもいけないことでもないと伝えられるよう、普段から準備しておくことを勧めています。作文を書き、親どうしで語り合う2日目は、家に帰ってからそういう会話ができるようになるための、一つの練習の場と読むこともできます。
「同じ立場の人に会う」ことを、研究はどこまで言えているか
日本の親子キャンプそのものを調べた研究は、この記事の出典の中にはありません。手がかりになるのは、海外の当事者団体の集まりを調べた研究です。いちばん近いのは、米国の「吃音のある若い人の全国組織」が2016年に開いた数日間の年次大会に参加した10〜18歳の22人を追った研究です。吃音が生活に与える影響を測る質問紙を、大会の前・直後・3か月後の3回に分けて行い、7人には面接もしました。大会の前と直後を比べると、吃音の否定的な影響の得点は、偶然とは考えにくい差で下がっていました。面接から見いだされたテーマは、仲間・共同体をつくること、参加者どうしの学び合い、考え方とコミュニケーションの変化、自分を受け入れること、吃音を特別なことでなくしていくこと、の5つでした。研究者はこの結果から、当事者団体は吃音の否定的な影響を減らすうえで有益でありうるとし、従来の言語療法に加える選択肢として検討する価値があると結論づけています。ただしこの研究は22人で、参加しなかった子と比べていません。研究の冒頭でも、若い人にとっての利点はその時点では分かっていないと書かれていました。
成人ではもう少し材料があります。南アフリカで自助グループに通う13人に聞いた研究では、会に出て吃音の受け止め方が良い方向に変わったと答えた人が13人中12人、自分の吃音を受け入れられるようになったという人が8人、「自分だけではない」と気づいたという人が7人、他の当事者から対処の工夫を学べることに価値を感じた人が7人でした。変わらなかったと答えた1人は、その理由に周囲の聞き手の反応や世間の見方を挙げています。同じ研究の考察は、会に出ることが受容を助けたという結果が、支援グループと自己受容のあいだに関連を見いださなかった先行研究と食い違うことにも触れており、当事者会の効用は一枚岩ではありません。中国のオンラインの当事者コミュニティを調べた研究では、進行役のある支援活動に参加した成人は、参加しなかった人より吃音の悪影響の得点がすべての領域で低かったのですが、参加するかどうかは本人が選んでいるので、参加が改善をもたらしたという因果としては読めません。
まとめると、「同じ立場の人に会うこと」が吃音の否定的な影響を減らす方向に働くという報告は、10代でも成人でも複数ありますが、どれも人数が少ないか、参加を本人が選んでいる研究です。ドイツの診療ガイドラインが自助グループへの参加を「専門家の合意」という根拠で勧めているのは、まさにこの状況を反映しています。「行けば変わる」とも「行っても意味がない」とも言えない、というのが、いまの研究から言える正直なところです。
キャンプの前後に、どこへ相談するか——キャンプ以外の場も
キャンプは治療の場ではありません。自助グループは、言語聴覚士のように学術的な知識や専門的な指導・支援を受ける場ではない、と吃音の情報サイトは明記しています。子どもの吃音について専門的に相談する先は、幼児・学齢期の子ども向けのことばの教室と言語聴覚士です。どこに何を相談できるのか、予約が取れないときにどうするかは、吃音の相談先の記事に整理しています。家庭での声かけは子どもの吃音への対応、学校に頼めることと通級の使い方は吃音と学校の配慮を参照してください。
同じ立場の人に会う場は、このキャンプだけではありません。東京で毎月開かれている当事者会や、子どもと保護者が行ける場については吃音カフェ東京の記事で、保護者どうしの会(親子カフェ)と学校へ渡すリーフレットについては吃音の親の会・学校へ渡すリーフレットの記事で扱っています。また、このキャンプに参加した沖縄の言語聴覚士が地元で研究会を立ち上げ、親子キャンプを開くに至った実践記や、岡山で開かれた吃音キャンプに参加した保護者の寄稿も、主催団体のサイトに載っています。このキャンプ一つに限らず、地域で開かれる集まりが他にもあることは、遠方の家庭にとっての選択肢になります。
開催の日程・場所・費用・申込方法は年ごとに変わるため、この記事には書いていません。手元の記録から分かる範囲では、2007年の父親の手記では2泊3日で初日は午後1時に会場に着いたこと、2022年の母親のメールでは3日間、始めた本人の説明では全国からスタッフを合わせて150人ほどの参加、と書かれていますが、いずれもその年の記録です。自治体の広報誌が2023年に載せた代表へのインタビュー記事では、その年で32回目、延べ3400人を超す親子が参加したと紹介されています。最新の要項は、主催団体である日本吃音臨床研究会の案内で確かめてください。
キャンプに行く前に陥りがちな3つの落とし穴
落とし穴1 − 「治すため」に行く
「特効薬」と作文に書いた父親のように、治すことを期待して行くと、期待の置き場所がずれます。自助グループは専門的な指導の場ではなく、10代を対象にした研究も、当事者団体の集まりを従来の言語療法に「加える」選択肢として位置づけていて、代わりになるとは書いていません。吃音の見通しそのものは、幼児期の少なくとも半数が就学までに目立たなくなり、続く場合も支援で日常の支障を減らせることが多い、という公的な情報サイトの説明が土台になります。
落とし穴2 − 「行けば必ず変わる」「行かないと遅れる」と思い込む
自助グループの研究では、受け止め方が変わらなかったと答えた人もいて、その理由は周囲の反応でした。参加した人のほうが得点が良かったという研究も、参加は本人の選択なので因果とは読めません。行かない選択も、今年は見送る選択も、遅れではありません。行った年の記録が親子の手記として残っているのは、行った人の中の、書いた人の分だけです。
落とし穴3 − ネットで見た年の日程・費用を、そのまま信じる
自助グループの活動は、日を決めて集まる例会や会報など団体ごとに形が違い、キャンプの要項は年ごとに変わります。手記に出てくる「2泊3日」「初日の午後に到着」はその年の記録です。申し込む前に、主催団体の案内で最新の要項を確かめてください。迷ったときは、ことばの教室や言語聴覚士に「こういう集まりがあるらしい」と相談してみるのも一つの方法です。
よくある質問
吃音親子サマーキャンプとは何ですか?
日本吃音臨床研究会という当事者の団体が1990年から開いている、小学生から高校生と保護者が一緒に参加する集まりです。始めた本人の説明では、柱は「吃音についての話し合い」「劇の稽古と上演」「親の学習会」の3つです。自助グループは言語聴覚士のような専門的な指導を受ける場ではなく、当事者どうしの連帯感や同じ立場からの助言が得られる場だとされています。
参加すると吃音は治りますか?
治すための場ではありません。幼児期の吃音は、少なくとも半数の子どもが特別な指導や支援がなくても就学までに目立たなくなり、続く場合も、ことばの教室や言語聴覚士の支援で日常に大きな支障なく過ごせるようになることが多いとされています。10代を対象にした研究は、当事者団体の集まりを従来の言語療法に加える選択肢として検討する価値があるとしており、代わりになるとは書いていません。
同じ学年の子がいないかもしれません。行く意味はありますか?
2022年に初めて参加した母親のメールでは、娘と同じ学年は1人だけで女の子もいませんでしたが、娘は来年も来たいと言い、母親自身も心が前向きになったと書いています。自助グループの研究では、「自分だけではない」と気づいたことが孤立感を減らしたと答えた人が13人中7人でした。同じ学年の子の数より、どもる人がたくさんいる場に身を置くことが、この出会いの中身です。
親も一緒に参加しないといけませんか? 親は何をするのですか?
名前のとおり親子で参加する集まりで、始めた本人の説明では「親の学習会」が3つの柱の一つです。2007年の父親の手記では、親は子どもと別の部屋に泊まり、親どうしの座談会と会長の講義に参加し、子どもと同じ朝に作文を書いています。吃音の情報サイトも保護者に向けて、子どもが吃音のことを打ち明けてきたときにタブーにせず話し合えるよう、普段から準備しておくことを勧めています。
日程・場所・費用はどこで確かめられますか?
年ごとに変わるため、この記事には書いていません。主催団体である日本吃音臨床研究会の案内で確かめてください。自助グループは日を決めて集まる活動で、例会や会報など団体ごとに形が違います。他の地域の親子の集まりや当事者会も選択肢になります。
まとめ
- 吃音親子サマーキャンプは、日本吃音臨床研究会が1990年から開いている親子の集まりで、柱は話し合い・劇・親の学習会。治す場ではなく、当事者どうしの連帯感と同じ立場からの助言が得られる場とされている。
- 初めて参加した母のメール、子どもたちの話し合いの記録、劇の稽古を見ていた教員の発表、作文を書いた父親の手記には、「どもる人は自分だけではない」と知る場面と、「治す」から離れていく親の側の変化が書かれている。
- 10〜18歳の22人を追った研究では、当事者団体の大会の前と直後で吃音の否定的な影響の得点が下がったが、比べる群のない小規模な研究。成人の研究では「自分だけではない」と気づいたことが孤立感を減らした人が13人中7人。
- ドイツの診療ガイドラインは自助グループへの参加を専門家の合意にもとづいて勧めている。専門的な相談先はことばの教室と言語聴覚士。
- 日程・場所・費用は年ごとに変わる。手記にある「2泊3日」はその年の記録で、最新の要項は主催団体の案内で確かめる。
