まず結論から
- 歌は、一時的に話しやすくなる条件のひとつとして挙げられています。同じ並びには、誰かと声をそろえて読むこと、メトロノームに合わせて話すこと、演技や外国語のアクセントで話すこと、ホワイトノイズも入っています。
- 同じ人の中でも、話す課題によって出方は変わります。一人で話すときと一人で音読するときに、吃音の中核症状(音のくり返し・引きのばし・言葉が出ない詰まり)が多く出て、臨床家と声をそろえて読むと大きく減った、という測定があります。
- ただし歌については、外からタイミングの合図が入る場面——誰かと声をそろえて読むときやメトロノームに合わせるとき——とは別の仕組みで音のタイミングを作っているのではないか、と推し量られている段階です。
- 吃音のある音楽家は実在します。英国の吃音支援団体がまとめた一覧には、歌手やミュージシャンの名前が、本人の語った言葉つきで並んでいます。
- 一方で、リズムに乗せた発話や呼吸の調整を治療の唯一あるいは主たる柱にすることは、ドイツの診療ガイドラインが「用いるべきでない」に挙げています。
ただし、ここに並べたのはどれも集団をならして見た話です。「歌えばどもらない」が誰にでも同じように起きると確かめられているわけではなく、レビュー自身も「そう言われている」という言い方でこの現象を紹介しています。歌ってみて楽にならなかったとしても、それはあなただけがおかしいという意味ではありません。
吃音のことを歌にした人が、ほかにもいる
曲をきっかけにこの言葉を調べはじめた方に、まず伝えられることがあります。吃音を題材にして歌をつくっている当事者は、日本にも海外にもいるということです。しかも多くの場合、本人が自分の言葉でその経緯を語っています。
ラッパーKarrce(カーシー)さん・音楽ユニット「コムカイ」のボーカル/障がい者の就労支援をする法人の職員(吃音情報サイトの当事者インタビュー。引用は記事の地の文)
2回生の夏、卒業して就職をする前に、記念として一人でライブに出てみることを思いつき、「とっておきの音楽祭inさかい」に出演する。そこで初めて、吃音についての曲を書いてみることにしたのだ。
幼稚園の年中の頃に症状が出て、音読をしなければならない場面がとくにつらかった——記事はそう伝えています。中学卒業後に進んだ通信制高校では軽音楽部でベースを弾き、文化祭では全てのバンドのサポートに入ったこともありました。短大でも活動を続け、就職を前にした夏、記念のつもりで一人で音楽祭のステージに立ちます。そこで初めて書いたのが、吃音についての曲『another』でした。いまも音楽ユニットで歌い続けている曲だといいます。吃音を歌の題材にした当事者は、この人だけではありません。
出典: 「辛い時に音楽で笑えた」吃音と共に生きるラッパーKarrceさんの福祉×音楽の挑戦(きつおんりんく)(台帳: V0250)
英国の吃音支援団体 STAMMA は、吃音のある著名人の一覧を分野ごとに公開しており、その先頭に「歌手・ミュージシャン」の区分を置いています。そこにはエド・シーラン、ケンドリック・ラマー、スキャットマン・ジョン、JJJJJerome Ellis といった名前が並び、多くに本人の発言が添えられています。ケンドリック・ラマーについては、子どもの頃に吃音があり、だから音楽をつくることにエネルギーを注いだのだと音楽誌に語ったことが引かれています。
この一覧が信頼できるのは、名前を集めていることよりも、集め方を明示しているからです。ネット上で「吃音がある」とされていても裏づけになる情報源が見つからない人物には、名前の横に疑問符を付けたうえで、その理由を書き添えています。ある音楽家については、親の接し方が原因で吃音になったという伝記の記述を紹介しつつ、親が吃音の原因になることはないと打ち消してもいます。「吃音の有名人」を並べた記事を読むときは、この種の但し書きがあるかどうかを見るのが安全です。名前の読み方そのものについては、吃音の有名人の記事でくわしく扱っています。
歌えるのに、自分の名前だけが言えない
「歌える」ことは、そのまま「話せる」ことにはなりません。言葉を扱うことが仕事になっている人ほど、その落差はくっきり出ます。
タナカヒロキさん・LEGO BIG MORL のギタリスト兼作詞担当(NPO法人日本吃音協会が運営するメディアへの、本人名義の手記)
デビューし「LEGO BIG MORLのタナカです」というふうにバンド名の枕詞をつけるとスムーズに名乗れることに気付く。しかし病院の予約や役所への電話という偽名では切り抜けられない場面での恐怖は続いた。忘れたふりしてもその恐怖はずっと胸の奥に棲みつき、いつでも顔を出す。
就職活動の模擬面接で、自分の名字が言えなかった。それが何なのか名前も知らないまま、この人はいくつかの進路をそっと諦め、音楽に逃げたと書いています。デビュー後に見つけた抜け道が、バンド名を枕詞にして名乗るやり方でした。ただしそれは、名乗る相手と場面を選びます。別の名乗り方でごまかせない場面では恐怖が残った、と本人は振り返ります。バンドの作詞担当であり、ライブのMC担当でもある。言葉を扱う仕事をしながら思うように言葉を発音できない、という皮肉な事実に直面しただけだった、とも書いています。同じ人の中で、場面によってここまで出方が変わるのはなぜか。脳の側からこの問いを扱った総説があります。
出典: LEGO BIG MORLタナカヒロキが語る「なぜ吃音であるのに自分は今こうなっているのか」(HAPPY FOX/NPO法人日本吃音協会)(台帳: V0251)
脳の側からこの落差を扱った総説は、外からタイミングの合図が入る場面——たとえば誰かと声をそろえて読むときや、メトロノームに合わせて話すとき——では吃音が大きく減るか、なくなることが多い、とよく観察されてきたことを出発点に置いています。合図が耳などの感覚をとおして入ってくることで、動きを始めたり終えたりする信号を自前でつくる回路への頼り方が減るから、という説明です。
ところが同じ総説は、歌についてはこれと同じではないと書いています。歌も流暢さを高めるが、そこでは話し言葉とは別の仕組みで音のタイミングを作っている可能性が高い、という書き方です。つまり「歌でどもらない理由」は、まだ推し量られている段階にあります。この機序そのものは吃音症の無声型(難発)とはの記事で正面から扱っているので、仕組みを知りたい方はそちらへどうぞ。
ここで押さえておきたいのは、機序ではなく測られた事実のほうです。発達性吃音(子どもの頃から始まるタイプの吃音)のある成人20人、パーキンソン病のある成人20人、吃音のない成人40人に、①一人で自由に話す②一人で音読する③臨床家と声をそろえて音読する、の3つをやってもらった研究があります。発達性吃音のある人たちでは、一人で話すときと一人で音読するときに吃音の中核症状が多く出て、声をそろえて読むと大きく減りました。吃音のない人たちでは、課題による差は見られませんでした。同じ人なのに、話し方の枠組みが変わると出方が変わる——名乗りだけが言えないという落差は、この性質の延長線上にあります。
吃音を歌詞にしていいのか、と迷った
吃音を作品の題材にすることは、当事者にとって当然の選択ではありません。「吃音の人」として受け取られることと、表現そのもので評価されることが、簡単にはつながらないからです。
ラッパー達磨さん・22歳・男性・愛知県(カラオケ企業が運営するメディアの連載インタビュー。引用は聞き手の質問に答えた部分)
そうですね。あと僕にとってももう一つターニングポイントとなったのが、ラップの中で吃音症について触れるようになったことです。最初は葛藤があったんですよ。ラッパー達磨として、ラップの実力で勝負したかったのに、吃音を全面に押し出したら、吃音という「キャラクターの力」になってしまうんじゃないかって。
中学に上がってから吃音を自覚し、高校一年生のときに症状が悪化した。言葉が出ず、友だちとの会話が成立しない日もあったといいます。その友だちと遊びで始めたのが、公園などで輪になって即興でラップをするサイファーでした。やがて高校生の大会を目指すようになり、吃音を歌詞に入れるかどうかで迷います。引用は、ターニングポイントを聞かれて答えるなかで、その迷いに触れた部分です。背中を押したのはオーディションの審査員の言葉で、いまは名古屋の専門学校で言語聴覚士を目指して学んでいるといいます。吃音を表現の中に置いた人は、海外にもいます。
出典: 連載『歌のチカラ』ラッパー達磨さん(第一興商「Singing 歌いながらいこう」)(台帳: V0134)
先ほどの一覧には、吃音を作品に取り込んでいる音楽家が何人も載っています。米国の実験的な作曲家・演奏家である JJJJJerome Ellis について、一覧は「吃音を自分の芸術に取り込んでいる」と紹介し、音楽メディアの取材で本人が「自分にとって吃音は野生の動物で、それが行きたい方についていくのが自分の実践だ」と語ったことを引いています。1990年代に世界的なヒットを出したスキャットマン・ジョンについては、吃音についての、おそらく最も有名な曲を書いた人物であり、その吃音はスキャット唱法にとって強みだった、と書かれています。オーディション番組をきっかけに吃音を世に知らせ、のちに吃音のコーチになった歌手もいます。
吃音を看板にするかどうかは、本人が決めることです。ここで言えるのは、「吃音を出しながら表現している人が現にいる」という事実のほうで、それは「吃音があると歌が上手くなる」という話とはまったく別です。歌えることと歌が上手いことの関係を測った研究は、少なくとも私たちの手元の資料の中にはありません。
歌でどもらないことは、治ったということではない
歌える場面があると、周囲からも自分自身からも「なくなったのでは」「その調子でいけば治るのでは」という期待が向きます。その期待に、否定から入らずに答えておきます。
お笑い芸人インタレスティングたけしさん(全国紙の署名記事。記者が本人に取材して書いた記事の地の文)
インたけは中学生のとき、ラジオ番組にお笑いネタを送る「はがき職人」だった。ネタが初めてラジオで採用されると、自分が認められ、居場所を見つけられたように思えた。
高校を中退し、音楽が好きだったので、駅で弾き語りをした。言葉は詰まるが、歌はすらすら歌えた。
バイトでは接客でうまく言葉が出ずミスばかり。同僚から「何言っているかわかんないんだよ」と罵倒されたこともあった。
歌える場面と、言葉が出ない場面が、同じ人の同じ時期に並んでいます。駅で弾き語りをしていた頃と、接客のアルバイトでミスが続いていた頃は、地続きの時間でした。のちに清掃の仕事をしているときに上司から声をかけられ、25歳で芸人に転身します。いまも清掃の仕事をしながら、週末に舞台に立つ。記事の終わりで本人は「このしゃべり方は、そういう一つの個性として見てもらいたい」と話しています。歌える場面があることと、吃音そのものが治療で減ることは別の問題で、後者については診療ガイドラインがはっきりした整理をしています。
出典: 人気番組への抗議と炎上…テレビから消えた吃音芸人はいま何を思う(朝日新聞デジタル)(台帳: V0189)
ドイツ語圏の診療ガイドラインは、リズムに乗せた発話や呼吸の調整を治療の唯一あるいは主たる柱にすることを「用いるべきでない」に挙げています。ただし、その判断を支える根拠自体は強くない(弱い否定的な根拠にとどまる)ことも、原典が同じ場所で明記しています。同じガイドラインは、日常生活への持ち越しやさまざまな話す場面への広がりを確かめる手立てを含まない方法も、用いるべきでないものとして並べています。歌う場面で楽になるかどうかより、その楽さが日常の会話まで届くかどうかが問われている、ということです。
行動療法以外の方法についても、薬、自分の声を少し遅らせて聞かせる機器(遅延聴覚フィードバック)、鍼のいずれも、長期にわたって吃音をやわらげると証明されたものは無い、と総説は述べています。治療全体の見取り図は吃音の治療の記事に譲ります。
なお、先ほどの著名人の一覧には、「演技で吃音が治った」という報道を本人が否定している俳優の例も載っています。本人は、そう言うと聞こえはいいけれど本当ではない、自分はこれからもずっと吃音のある人間であり、それを誇りに思う、という趣旨のことを語っています。表現の場で流暢に見えることが、そのまま治癒として報じられてしまう——同じ誤解は、歌の側でも起きます。
プロでなくても、歌う場所はある
ここまでは音楽を仕事にした人の話が続きました。けれど、歌う場所はステージだけではありません。サークル、部活、友人とのカラオケ——そこでも同じことが起きています。
21歳・男性・大学の看護学部の学生(認定NPO法人が公開している「障害学生の語り」の逐語録。氏名は非公開でインタビュー番号として公開)
僕は、吃音持ってる人、吃音持ってる人たちの中でもよくある話なんですけども、歌、歌ってるときとか、なんかそういうときは全然どもらないってのがあったりとかして、原因はよく分かんないんですけども、歌ってるときとかは、吃音持ってる人も持ってない人もみんな一緒に、楽しめたりだとか、バンドとかでも歌ってるときは全然だいじょぶだったりとか、そもそも楽器弾いてるときは、しゃべる必要もないですし、普通の人と同じようにサークル活動ができたりってのがすごく楽しくて続けてます。
学校の先輩に誘われて一度顔を出したら楽しくて、そのまま続けている——語り手はサークルに入った経緯をそう説明しています。合唱とバンドとミュージカルが全部できる、少し変わったサークルなのだそうです。歌っているあいだは吃音のある人もない人も一緒に楽しめる。楽器を弾いているあいだは、そもそも話す必要がない。ただし本人は、大勢でわいわいするのも話すこと自体も好きだと語っていて、流暢には話せないけれど「ちょっと時間は欲しい」と言い添えています。歌う場面が特別なのではなく、話しやすくなる条件はほかにもいくつか知られています。
出典: 障害学生の語り インタビュー35(認定NPO法人ディペックス・ジャパン)(台帳: V0135)
脳回路のレビューは、一時的に流暢になる条件として、誰かと声をそろえて話す・読むこと、メトロノームに合わせて話すこと、外国語のアクセントや役を演じるといった身についていない話し方、ホワイトノイズ、そして歌を挙げています。歌だけが特別なのではなく、そういう条件が並んでいるうちの一つだということです。この語り手が「楽器を弾いているあいだは話す必要がない」と言っているように、話す量そのものが減る場面も、実際には同じくらい効いていそうです。
同じレビューは、聞こえ方を人工的に変える方法についても触れていて、自分の声を少し遅らせて聞かせる方法や、声の高さを変えて聞かせる方法は「一時的に流暢さを引き出しうる」という書き方をしています。この機器の話は聴覚フィードバックと吃音の記事にまとめてあります。共通しているのは、その場では効くという言い方までしかされていないことです。
「歌えるのが当たり前」ではない
ここまで読んで、自分には当てはまらないと感じた方がいるかもしれません。歌っても詰まる、カラオケでも言葉が出ない、という人です。「吃音でも歌なら大丈夫」という話が広まるほど、そうでない人は言い出しにくくなります。だから、ここは注記ではなく独立した節として置きます。
まず前提として、吃音はひとつではありません。学会の解説は、低い年齢から始まる発達性吃音と、それ以外の獲得性吃音に分けたうえで、吃音の9割以上は発達性吃音だとしています。獲得性吃音のうち、脳腫瘍・脳の外傷・脳卒中など脳の損傷によって起きるものは神経原性吃音と呼ばれます。
この区別は、歌の話に直接効いてきます。先に紹介した発話課題の研究は、背景の整理として、歌・誰かと声をそろえて話すこと・ささやくこと・聴覚フィードバックを変えることといった条件は、発達性吃音では言葉の詰まりがすぐ減るのに対し、後から起きた神経原性の吃音では同じ減り方は観察されていない、とこれまでの報告をまとめています。この一文は、その論文自身が測った結果ではなく先行研究の要約です——それでも、「歌えるかどうか」が吃音の種類によって違いうることは示しています。
発達性吃音のある人の中でも、そろってはいません。同じ研究の結果を載せた表を見ると、臨床家と声をそろえて読む課題でさえ、発達性吃音のある人たちと吃音のない人たちのあいだの差は残っていました。条件をそろえれば誰でも吃音のない人と同じになる、という結果ではないということです。レビューの側も、この現象を「そう言われている」という慎重な言い方で紹介しています。
ですから、歌ってみて楽にならなかったとしても、それはあなたの吃音が特別に重いという意味でも、やり方が悪かったという意味でもありません。「歌えること」を吃音の必須条件のように扱う言説のほうが、測られた事実より単純すぎるのです。歌が助けにならないなら、別の場面と別の工夫を探せばよく、その手がかりは吃音症の話し方の記事にもまとめてあります。
相談できる場所と、場をつくる側にできること
歌える場面があることと、困りごとが無いことは別です。相談先を先に置いておきます。
本人が吃音の治療を希望する場合、言語聴覚士による発話訓練を受けるという選択肢があります。発話訓練だけで症状が改善しない場合や、吃音に対する不安が強い場合には、カウンセリングや心理療法が役立つこともあるとされています。また、吃音の自助団体に参加してほかの吃音のある人と出会うことが、吃音を否定的に捉えることが減るといった心理的な変化のきっかけになることもあるとされています。子どもの場合は、小児を扱う言語聴覚士や、ことばの教室の教員が相談先として挙げられています。
場をつくる側にもできることがあります。学校や職場では、発表や電話応対の免除、試験などでの面接時間の延長といった配慮——法律の言葉では「合理的配慮」といいます——を求めることができます。その際、医師の診断書や言語聴覚士の報告書の提出を求められる場合があります。サークルやバンドで言えば、MCの担当を固定しない、曲間の進行を分担する、といった配り方がこれにあたります。
次のようなときは、様子を見るだけで抱え込まず、相談を考えてみてください(あくまできっかけの目安で、当てはまらなくても相談して構いません)。
- 話す場面を避けるようになり、進学・就職・仕事の選択がそれで狭まってきた
- 話し始める前から不安や恐怖が強く、それが続いている
- 歌える場面があるために「困っていない」と扱われ、必要な配慮を言い出せない
この3つは相談を考えるきっかけとして挙げたもので、特定の資料が「受診の目安」として定めているものではありません。近くに相談先が見つからないときの探し方は近くに相談先がないときの記事にまとめています。
「歌えるから大丈夫」で陥りがちな3つの落とし穴
落とし穴1 − 「歌えるなら話せるはずだ」と受け取る
同じ人の中でも、話す課題が変われば出方は変わります。歌えたことは、会話でも同じように言葉が出ることの証拠にはなりません。周囲がここを取り違えると、本人は「あのときは話せていたのに」という言葉を受け取ることになります。逆に本人の側も、歌える場面を根拠に「本当は話せるはずだ」と自分を責めないほうがよいところです。
落とし穴2 − ボイストレーニングや音楽療法を「治療」として期待する
歌う場面で楽になること自体は否定しません。ただ、リズムに乗せた発話や呼吸の調整を治療の唯一あるいは主たる柱にすることは、診療ガイドラインが「用いるべきでない」に挙げています。期待をそのまま治療に置き換えると、日常の会話に持ち越せるかどうかの検証が抜け落ちます。歌は楽しみとして続けたうえで、治療は治療として別に検討するのが安全です。
落とし穴3 − 曲や作品から、実在の人の診断を推測する
吃音を題材にした曲や小説があっても、それを作った人や演じている人に吃音があるとは限りません。この記事が特定の楽曲について書かないのも、同じ理由です。作品の中の吃音の描き方をどう読むかについては、創作の中の吃音の記事で扱っています。
そして、歌える場面があってもなくても、記録は残しておくと役に立ちます。どの場面で出やすかったか、どの場面では楽だったかを書き留めておくと、相談のときに自分の状態を説明しやすくなります。
よくある質問
吃音があると、歌ではどもらないのですか?
歌は、一時的に話しやすくなる条件のひとつとして挙げられています。ほかに、誰かと声をそろえて話す・読むこと、メトロノームに合わせること、演技や外国語のアクセントで話すこと、ホワイトノイズが並んでいます。ただしレビュー自身は「そう言われている」という言い方をしており、誰にでも同じように起きると確かめられたわけではありません。実際、声をそろえて読む課題でも、吃音のある人とない人の差は残っていました。
吃音のあるミュージシャンには、どんな人がいますか?
英国の吃音支援団体がまとめた一覧の「歌手・ミュージシャン」の区分に、エド・シーラン、ケンドリック・ラマー、スキャットマン・ジョン、JJJJJerome Ellis らが挙がっており、多くに本人の語った言葉が添えられています。ただし同じ一覧は、ネット上で吃音があるとされていても裏づけになる情報源が見つからない人物には疑問符を付けています。名前だけを鵜呑みにせず、本人の発言があるかどうかを見るのがおすすめです。
ボイストレーニングや音楽療法で、吃音は治りますか?
治ると言える根拠は見当たりません。診療ガイドラインは、リズムに乗せた発話や呼吸の調整を治療の唯一あるいは主たる柱にすることを「用いるべきでない」に挙げています(ただしその判断の根拠自体は強くないとも書かれています)。歌う場面で楽になること自体を否定するものではないので、楽しみとして続けたうえで、治療については吃音の治療の記事を参考にしてください。
歌でも詰まります。おかしいのでしょうか?
おかしくありません。同じ人の中でも、話す課題によって出方は変わります。また、脳の損傷によって後から起きる神経原性吃音は、発達性吃音とは別に扱われています。「歌えるのが当たり前」という前提のほうが、測られた事実より単純です。歌が助けにならないときは、別の場面や別の工夫を探すほうが現実的です。
「吃音症」という曲について知りたくて来ました。歌詞の解説はありますか?
ありません。歌詞は著作物なので引用も要約もできず、また、実在の方に吃音があるかどうかは、本人が語った確かな記録がないかぎり書かないことにしているためです。曲をきっかけに吃音そのものを知りたくなった方に向けて、この記事は当事者の言葉と研究のほうを集めました。吃音の基本的なことは吃音とは何かの記事にまとめてあります。
まとめ
- 歌は、一時的に話しやすくなる条件のひとつとして挙げられている。誰かと声をそろえること・メトロノーム・演技・ホワイトノイズも同じ並びにある。
- 同じ人でも話す課題が変われば出方が変わる。一人で話すとき・一人で音読するときに中核症状が多く、声をそろえて読むと大きく減った。
- ただし歌については、声をそろえて読むこととメトロノームとは別の仕組みではないかと推し量られている段階にとどまる。
- 吃音のある音楽家は実在し、本人の言葉つきで一覧が公開されている。その一覧は裏づけの取れない名前に疑問符を付けている。
- リズム発話や呼吸の調整を治療の主たる柱にすることはガイドラインが勧めておらず、薬・機器・鍼にも長期の改善の証明は無いとされる。相談先は言語聴覚士・ことばの教室・自助団体。
