まず結論から
- 吃音のある大人では、母音で始まる語より子音で始まる語のほうがどもりやすいと報告されてきましたが、どの音が難しいかは人による違いがとても大きく、全員に当てはまる「言いにくい音の一覧」があるとは確かめられていません。
- だから、一覧表に頼るのではなく、本人にどの音が言いにくいと感じるかを尋ねるのが、いちばんよい確かめ方だとされています。
- 長い語ほど、その言語で使われる頻度が低い珍しい語ほど、どもりやすいことも繰り返し確かめられています。
- どもりそうだと思ったときに別の語へ言い換える、特定の音・語・場面を避けるといった聞き手に見えない行動は、500人を超える大人への調査で約半数が少なくともときどき行っていました。
- 自分から「吃音がある」と伝えること(自己開示)を調べた18件の量的研究のうち、15件(83.3%)で全体として好意的な影響が報告されています。
ただし、この記事は重松清さんという個人を診断したり、症状の程度を後から判定したりするものではありません。書けるのは「本人が、いつ、どこで、そう語っているか」までです。ここに並ぶのは一人の経験であって、吃音のある人みんなに当てはまる見通しでも、読んだ人が同じように歩ける道筋でもありません。
本当に吃音があるのか——自分の名前が言えない、と本人が語っている
名前と「吃音」という語だけが並ぶ紹介は多いのに、本人が何を語ったのかまで書いてあるものは、なかなか見つかりません。けれども、公開の場で本人が話した記録は残っています。吃音のあるライター・近藤雄生さんのノンフィクション『吃音 伝えられないもどかしさ』の刊行記念トークショーで、重松さんが聞き手をつとめた対談です。2019年5月31日に東京・下北沢の書店で開かれ、新潮社のウェブマガジンに全4回で採録されました。
重松清さん(作家・1963年生。吃音当事者)。新潮社のウェブマガジンが採録した公開トークショーの第1回。聞き手も吃音当事者のライターで、二人の発言が交互に並ぶ形式
重松 とてもよくわかります。僕も同じく、言い換えができない固有名詞が苦手なのですが、特に、重松清の「き」が本当に言えなくて。そのくせ転校はたくさんしたから、いつも最初の挨拶が大変でした。いまも、電話の通信販売なんかで「お名前は」と聞かれて「重松です」と言った後に、「下のお名前は」と聞かれると、わあ、来た……ってと思います。その場合は、もう一度「重松清です」と一気に言ったり……。一気に言えば、なんとかなるから。
まず置かれているのは、言い換えのきかない語、という条件です。買い物の注文なら別のものを頼んでしのぐこともできる。けれど自分の名前は、ほかの言葉に置き換えられません。転校のたびに最初の挨拶が来て、いまも通信販売の電話で「下のお名前は」と聞かれる場面が続く——そこで取っている方法は「一気に言う」ことだと、本人が説明しています。どの音が出てこないかは人によって違います。吃音のある大人では、母音で始まる語より子音で始まる語のほうがどもりやすいと繰り返し報告されてきましたが、すべての人に共通して難しい音があるとまでは確かめられていません。
出典: 第1回 当事者の苦しみとは(「吃音」をもっと知るために〜重松清が近藤雄生に聞く〜/新潮社「考える人」)(台帳: V0022)
どの語でどもるのかを最初に数えたのは、吃音のある大人に文章を声に出して読んでもらい、どの語で詰まったかの割合と位置を記録した一連の研究でした。読ませたのは、意味のつながった文章と、互いに無関係な語を並べただけのリストの両方です。そこから、語そのものの性質が関わることが見えてきました。長い語は短い語よりどもりやすく、この所見は多くの研究者によって再現されています。その言語で使われる頻度が低い珍しい語ほどどもりやすいことも報告されており、この効き方は語の長さや品詞とは別に働くようだと書かれています。
前後の文脈から予測しにくい語ほどどもりやすいことも、条件をそろえた実験室の課題では繰り返し示されています。ただし自由な会話で同じことを確かめるのは難しかった、と同じ総説は断っています。
そして大事なのは、全員に当てはまる「言いにくい音の順位表」があるとは確かめられていない、という点です。人による違いがとても大きいので、どの音が出しにくいかを確かめるいちばんよい方法は本人に尋ねることだ、と総説は臨床に向けて書いています。このあと本人が「言えなかった」と語った語を続けて並べますが、それはこの人にとっての音であって、吃音のある人みんなの音ではありません。
「角川書店」の「か」——書く仕事を選んだ理由として語られていること
同じトークショーの第3回では、会場から出た「ものを書くことを職業にしたことと、自分が吃音であるということの関係、影響はありますか」という質問に、二人が順番に答えています。重松さんの答えは、最初に勤めた出版社の名前から始まりました。
重松清さん(作家・吃音当事者)。同じ公開トークショーの第3回。聞き手のライターも吃音当事者で、発言が交互に並ぶ
重松 僕は、普通の試験を受けて入ったわけではないんです。実は中上健次さんなど作家さんの推薦でぽんと入ってしまったから、結構ずるいんですよ(笑)。でも、入った会社が「角川書店」で、電話で社名の一文字目の「か」が言えなかった。しんどいなと思いながら働いていました。
近藤 社名が言えないというのは、大変だったと思います。
重松 僕は、自分の思いを伝えたい、という気持ちが強くあります。でも、話すことでは伝えられなかったから、文章を書こうと思ったんです。ただ、とてもシンプルな、小学生でも読めるようなものしか書きたくなかった。伝えられなかったもどかしさが根っこにあるから、伝わる文章を書きたいという思いがすごくあって……。文学的にどうこうではなく、シンプルでわかりやすく、真っすぐに伝わる文章だけで小説を書いていきたい。それだけは常に念頭にありました。
就職の面接は経ていない、という前置きが先に置かれます。そのうえで語られるのが、勤め先の名が「角川書店」で、電話で名乗るたびに一文字目が出てこなかったこと。しんどいと思いながら働いていた、という言い方です。続く段落の順序も、そのまま残しておく価値があります——伝えたい気持ちは強くあった、しかし話すことでは伝えられなかった、だから文章を書こうと思った。研究が、吃音にともなう生活への制限として挙げているものの中にも、仕事に関わる項目が並びます。
出典: 第3回 吃音は「個性」か(「吃音」をもっと知るために〜重松清が近藤雄生に聞く〜/新潮社「考える人」)(台帳: V0481)
子どもでは、学校の成績や課外活動、人間関係を築くことや自分で決める力を育てることに難しさが生じうるとされます。大人については、より地位の低い職業へ誘導されること、収入の損失、失職、そして人から拒まれる経験が挙げられ、これらが積み重なって暮らし全体に広く影響しうると述べられています。
電話で会社名を名乗る場面が難しかった、という語り方は、語の並びの側からも読めます。吃音は発話の前半に集中しやすいという所見があり、臨床では「話し始めさえ越えられれば、こんなに詰まらないのに」という訴えとしてよく聞かれると書かれています。会社名を名乗る電話は、まさにその一語目から始まる場面でした。
なお、語の長さ・文中の位置・品詞・語頭の音は互いに絡み合っていて、どれがどれだけ効いているのかを切り分けるのは難しい、と総説は注意しています。「この音だから出ない」と一つの理由で説明できるほど、単純ではないということです。
言い換えてしのげても、楽になるわけではない
吃音のある人の多くが、言いにくい語を別の語に置き換えて話しています。外からは何も起きていないように見えるので、「それで困っていないのだろう」と受け取られがちな行動でもあります。トークショーの最終回では、その置き換えがいちばん痛い形で起きた場面が語られました。
重松清さん(作家・吃音当事者・娘2人の父)。同じ公開トークショーの第4回。会場からの質問に答える流れの中での発言
重松 そうだったんだね。そう、家族ということでいえば、前にテレビのインタビューで、自分の小説について質問されたとき、「僕の小説というのは、夫婦とか親子とか」と言った後に、「家族とか」って言いたかったのですが、家族の「か」が言えなかったから、「夫婦とか親子とかファミリーとか」と言ってしまったんですよ。自分の小説の一番大事な言葉が言えなくて言い換えてしまったのは、やはりつらかったですね。
テレビの取材で自作について聞かれる、という場面です。「夫婦とか親子とか」までは出た。そこに続けたかった語が出ず、別の語に置き換えて文を終えた。視聴者の側からは、言い換えが起きたことすら分からなかったはずです。本人がそれを振り返る言葉は、つらかった、というものでした。この「置き換え」は、研究では聞き手に見えにくい行動として整理されています——どもりそうだと思ったときに語を言い換える、特定の音・語・場面を避ける、といった反応です。
出典: 第4回 待つことは、認めること(「吃音」をもっと知るために〜重松清が近藤雄生に聞く〜/新潮社「考える人」)(台帳: V0131)
500人を超える吃音のある大人を対象にした調査では、約半数が少なくともときどきこうした見えにくい行動をとっており、1〜2割は「よく」または「いつも」とっていました。つまり、外から見えないことは、何も起きていないことを意味しません。
感情の側の反応も測られています。どもる瞬間にどれくらいの頻度でそれを感じるかを尋ねた調査では、「よく感じる/いつも感じる」と答えた人の割合が、恥ずかしさで45%、きまり悪さで53%、気持ちの消耗で49%でした。ただし同じ論文は、こうした否定的な反応はよくある体験である一方、形も起こり方も人によって大きく違うと結論しています。「吃音のある人はこう感じている」と一つにまとめられる性質のものではない、ということです。
もう一つ、押さえておきたい指摘があります。流暢に話すための技法を使っているとき、聞き手には流暢に聞こえていても、本人はより大きな努力を払っています。そうして得られた流暢さは、吃音のない人の自然な流暢さとは別のものだとされ、「見せかけの流暢さ」と呼ばれてきました。外から分かる乱れがないまま、コントロールを失う感覚だけを経験している場合もあります。だから、観察できるどもりが無いことを「吃音が無い」あるいは「うまくいった」の指標に使うと、本当は話すこと自体を避けているだけの人が早く支援を打ち切られてしまう危険がある、と論文は警告しています。
なぜ吃音の子どもを主人公にした小説を書いたのか
作品の側から入ってきた方が、いちばん知りたいのはここだと思います。トークショーの第2回で、聞き手から「吃音をテーマにした『きよしこ』や『青い鳥』を書かれたことで、何かご自身に変化はありましたか」と問われ、本人はこう答えています。
重松清さん(作家・吃音当事者)。同じ公開トークショーの第2回。聞き手のライターとのやりとりの一部
重松 僕が『きよしこ』を書いたのも2002年でした。もう17年もたっているんだけど、いまでも、もし自分が死んで、棺桶に一冊だけ本を入れてもらうとしたら、それは『きよしこ』なんですよ。
近藤 そうなんですか。
重松 永遠に『きよしこ』です。これを書いて、初めて、作家になってよかったと思ったんです。吃音の子どもを主人公とする小説を『小説新潮』というエンターテインメント小説誌に出してもらえた。絶対にいると思ったんです、こういう小説を必要としている人が。というよりも昔の俺に読ませたかったですね。『きよしこ』と『青い鳥』は。
年が最初に置かれます。書いたのは2002年で、この対談の時点で17年。そのあとに来るのが、棺桶に一冊だけ入れてもらうとしたらこれだ、という言い方です。理由として挙げられているのは、娯楽小説の雑誌に吃音の子どもを主人公とする小説を載せてもらえたこと、そしてそれを必要としている人が必ずいると思ったこと。最後に短く、昔の自分に読ませたかった、と付け加えられます。同じ場で聞き手が、取材の中で『きよしこ』や『青い鳥』を実際に読んでいる当事者に多く出会った、と伝えています。
出典: 第2回 家族の物語として(「吃音」をもっと知るために〜重松清が近藤雄生に聞く〜/新潮社「考える人」)(台帳: V0130)
吃音について日本語で読めるものは、小説だけではありません。日本吃音臨床研究会が出している書籍・教材の目録には、『どもる君へ いま伝えたいこと』という一冊があります。ことばの教室の担当者が、臨床の中で親や子どもから出される質問を集めたもので、小学4年生以上の子どもが直接手に取って読めるように、話しことばで書かれていると説明されています。この本には、作家・重松清のメッセージが特別寄稿として収められています。
同じ目録には、どもる人たちが「べてるの家」と出会った記録である『吃音の当事者研究』や、ナラティヴ・アプローチが引き出す物語る力を扱った本も並んでいます。当事者が自分の言葉で語ったものを重く見る流れが、日本の中にもあるということです。作品としての小説をもう少し広く見たい方は、吃音の小説|作品での描かれ方・読んだ当事者3人の声と研究と、吃音の本|親・当事者・子ども別の選び方と無料リーフレットのほうにまとめてあります。
見えないものを、どう伝えるか
もう一つ、本人の言葉が残っている場所があります。『きよしこ』がNHKでドラマ化された2021年に、慶應塾生新聞が本人に取材した記事です。聞き書きの形で、大学生に向けて書かれています。
重松清さん(作家・吃音当事者)。慶應塾生新聞デジタルのインタビュー記事。本人の語りを一人称でまとめた聞き書き
言葉は、その人の思いの氷山の一角に過ぎないと思う。吃音を持つ人に限らず、誰しも言葉にしていない思いの方が多いはずだ。慶大生は、自分の思いを言葉にするのがうまい人が多いと思う。思いを表現するのが得意な人にこそ、思いを言葉にすることが苦手な人が、何も思っていないわけではないと知ってほしい。
語りかけている相手は、就職活動を控えた大学生です。話すのが得意な側に立つ人に向けて、黙っている人が何も思っていないわけではない、と伝える形になっています。同じ記事の中では、吃音には白杖や車いすのような分かりやすいサインがないため、黙っていたら分からない、とも述べられています。研究の側でも、言葉に詰まるその瞬間に何が起きているかを知っているのは話し手本人だけだ、という結論が出ています。502人の吃音のある大人に、どもる瞬間とその前後に何を考え、何を感じ、どうふるまうかを尋ねた調査がその根拠です。
出典: 重松清さんインタビュー 沈黙から想像する思い〜100人に1人の吃音と向き合う〜(慶應塾生新聞デジタル)(台帳: V0023)
では、見えないものを自分から伝えるとどうなるのか。ここには、条件を決めて研究を集め、まとめて評価した30年ぶんの総まとめがあります。自己開示とは、吃音のある人が「自分は吃音がある」と相手に自分から伝えることを指します。レビューに組み入れられた18件の量的研究のうち15件(83.3%)で、自己開示は全体として好意的な影響を持っていました。
伝え方の違いも比べられています。開示のしかたを条件として並べた研究では、謝る形の開示や開示しない場合よりも、謝らない形の開示のほうが好意的に受け止められていました(13件中12件・92.3%)。レビューの結論は、謝らない形の自己開示が、否定的な思い込みを向けられるかもしれないという負担をやわらげる、というものです。
ただし、このレビューは分かっていないことも並べています。性別による効果は研究によってまちまちで、どんな場面で開示するか、話し手や聞き手の年齢、吃音の頻度や重さ、聞き手が吃音のある人と知り合いかどうかは、そもそも調べた研究が少ないと述べられています。「こう言えば必ずうまくいく」と書ける段階ではない、ということです。
「名前の一覧」と「本人の言葉」は別のもの
吃音のある著名人については、支援団体が一覧を公開しています。米国の Stuttering Foundation は、俳優・歌手・エンターテイナー、スポーツ選手、記者・写真家といった分野ごとに、氏名と一行の経歴を並べたページを持っています。同じサイトには、吃音のある著名人を掘り下げた記事のコーナーへの案内も置かれています。ただし、このページは英語で、並んでいるのは主に英語圏の人です。
一覧が教えてくれるのは名前までで、その人が何を語ったかは別のところにあります。この記事で並べてきたように、本人の言葉は対談やインタビューの側に残っていました。名前の一覧そのものの読み方は、吃音の有名人|励みになる人・しんどくなる人・公表の効果のほうで扱っています。
日本語でまとまった当事者の語りを読みたい場合は、自助グループが自ら出しているものがあります。全国言友会連絡協議会は体験談集を発行しており、さまざまな年代や立場の吃音のある人の体験に触れることができる、と発行者自身が説明しています。そこでは、体験が単なる事実の並びではなく、その体験についての考え方・行動・感情まで書かれているとされています。日本吃音臨床研究会の目録にも、当事者研究や年報が並びます。
作品の中に出てくる登場人物のほうが気になっている方には、アニメ・漫画の吃音|描写は診断ではない・真似される側の話が近いはずです。作中の人物に現実の診断名を当てはめない、という線引きも、そちらでまとめています。
読んで気になったときの相談先
作品や対談を読んで、自分や子どもに当てはまるかもしれないと感じたときに、名前が挙がる先は二つあります。言語聴覚士と、幼児・学齢の子ども向けの「ことばの教室」です。
全国言友会連絡協議会は、ことばの教室など学校の先生や言語聴覚士といった支援者を主な対象にした指導教材と、吃音についての啓発資料を制作しています。啓発リーフレットは幼児編・学童編・中高生編に分かれており、就職を目指す人向けのサポートブックや企業向けの資料もあります。
日本吃音臨床研究会の目録にも、支援する側に向けた本が並びます。『吃音とともに豊かに生きる』は、保護者・ことばの教室の先生・通常の学級の先生に向けて、どもる子どもが幸せに生きるための具体的な提案をまとめた小冊子だと説明されています。『どもりと向き合う 一問一答』は、幼児期と学童期の吃音についてよく出される24の質問に答えたもので、親や教師が子どもに、また子どもがクラスの子に吃音を説明するときに役立つとされています。
言語聴覚士が実際に何をするかについても、研究の側に手がかりがあります。総説は、語や文の難しさについて分かっていることを使って、やさしい水準から練習を進める段階を組み立てられると書いています。考えることと発話の動きを計画する負担が軽い課題から始める例として、声に出して読むところから始めて自由な会話へ進めていく進め方が挙げられています。
次のようなときは、様子を見るだけで抱え込まず、相談を考えてみてください(あくまで目安で、当てはまらなくても相談して構いません)。話しにくさで避けている場面が増えている/言いたい語を毎回置き換えている/人前で話す予定の前に体調を崩すほど気が重い。これらは一般的なきっかけとして挙げているもので、特定の資料が「受診の目安」として定めているものではありません。
作家の吃音の話を読むときの3つの落とし穴
落とし穴1 − 一人の「言えない音」を、吃音のある人みんなの特徴として読む
この記事に並んだのは、自分の名前の「き」、勤め先だった「角川書店」の「か」、自作の中心にある「家族」の「か」でした。同じ行の音が続くので、「吃音の人はこの音が苦手」という形にまとめたくなります。けれども研究は反対のことを言っています。どの音が難しいかは人による違いがとても大きく、全員に当てはまる一覧表があるとは確かめられていません。そもそも、語の長さ・文中の位置・品詞・語頭の音は互いに絡んでいて、どれがどれだけ効いているかを切り分けるのも難しいとされています。一人の経験を、そのまま自分や家族の説明に使うことはできません。
落とし穴2 − 「吃音があったから作家になれた」という物語にまとめる
話すことでは伝えられなかったから文章を書こうと思った、という順序は本人が語ったとおりです。ただし本人は、別のインタビューで、もっと重い吃音の人や文章で思いを伝えることも苦手な人がいることに触れ、その人たちのことを思うと、吃音があってよかったとも、吃音のおかげで作家になれたとも絶対に言えない、と書いています。研究の側から見ても、吃音にともなう制限として挙がっているのは、より地位の低い職業へ誘導されること、収入の損失、失職、人から拒まれる経験でした。うまくいった一人の話を、吃音そのものの効用に読み替えることはできません。
落とし穴3 − ふつうに話しているように見えるから大丈夫、と受け取る
テレビの取材で語が置き換わったことは、見ている側には分かりませんでした。研究でも、約半数の人が少なくともときどき、言い換えや回避といった聞き手に見えない行動をとっています。流暢に聞こえているときも本人はより大きな努力を払っており、外から分かる乱れがないままコントロールを失う感覚だけを経験する場合もあります。だから、観察できるどもりの有無だけで判断すると、話すこと自体を避けているだけの人が早く支援を打ち切られてしまう危険があると指摘されています。
気になっていることを一人で抱えたままにせず、言語聴覚士やことばの教室に相談できる場合はそちらが確実です。相談の前に、どんな場面で言いにくかったか、どの語を置き換えたかを書き留めておくと、伝えるときの手がかりになります。
よくある質問
重松清さんに吃音があるというのは本当ですか?
本人が公開の場で繰り返し語っています。新潮社のウェブマガジンに全4回で採録された2019年の公開トークショーでは、言い換えができない固有名詞が苦手で、自分の名前の音が言えないこと、最初に勤めた出版社の社名の一文字目が電話で出なかったことを、自分の言葉で話しています。2021年の慶應塾生新聞のインタビューでも、自身に吃音があることを前提に大学生へ向けて語っています。この記事が扱えるのは、そうして公開された発言の範囲までで、症状の程度をこちらで判定することはできません。
『きよしこ』は本人の体験から書かれたのですか?
本人は、2002年に『きよしこ』を書いたこと、吃音の子どもを主人公とする小説を娯楽小説の雑誌に載せてもらえたこと、そして「昔の俺に読ませたかった」と語っています。棺桶に一冊だけ本を入れてもらうとしたらこれだ、とも述べています。あらすじや作中の設定については、この記事では扱っていません。作品の描かれ方そのものは、吃音の小説を扱った別の記事にまとめています。
「カ行が言えない」というのは、吃音のある人みんなに当てはまりますか?
当てはまりません。母音で始まる語より子音で始まる語のほうがどもりやすいとは報告されていますが、どの音が難しいかは人による違いがとても大きく、全員に当てはまる「言いにくい音の一覧」があるとは確かめられていません。だから、一覧表に頼らず本人にどの音が言いにくいかを尋ねるのがよい、と研究の側は書いています。長い語や、使われる頻度の低い珍しい語ほどどもりやすい、という語の性質のほうは繰り返し確かめられています。
言い換えて話せているなら、困っていないということですか?
そうとは限りません。500人を超える吃音のある大人への調査では、約半数が少なくともときどき、言い換えや場面の回避といった聞き手に見えない行動をとっており、1〜2割は「よく」または「いつも」とっていました。流暢に聞こえているときも本人はより大きな努力を払っており、外から分かる乱れがないままコントロールを失う感覚だけを経験する場合もあると指摘されています。観察できるどもりの有無だけで判断すると、本人の状態を表面だけで捉えることになります。
作品を読んで自分にも当てはまると感じたら、どこに相談すればいいですか?
言語聴覚士と、幼児・学齢の子ども向けの「ことばの教室」が相談先として挙げられます。全国言友会連絡協議会は、ことばの教室などの先生や言語聴覚士といった支援者向けの指導教材と、幼児編・学童編・中高生編に分かれた啓発リーフレットを制作しています。日本吃音臨床研究会の目録にも、保護者・ことばの教室の先生・通常の学級の先生に向けた手引きや、よく出される24の質問に答えた一問一答が並んでいます。
吃音があると、話す仕事は選べないのでしょうか?
研究は、大人の吃音にともなう制限として、より地位の低い職業へ誘導されること、収入の損失、失職、人から拒まれる経験を挙げています。一方で、自分から吃音があると伝えることについては、18件の量的研究のうち15件(83.3%)で全体として好意的な影響が報告されており、謝らない形で伝えたほうが好意的に受け止められていました。ただし、どんな場面で伝えるかや年齢による違いは調べた研究が少なく、分かっていない部分も残っています。
まとめ
- 作家本人が公開の対談(新潮社のウェブマガジンに全4回で採録)と、慶應塾生新聞のインタビューで、自分に吃音があることを具体的な場面とともに語っている。この記事が並べたのは、その発言と台帳に登録した原典だけ。
- 本人が「言えなかった」と語ったのは、自分の名前の「き」、勤め先だった「角川書店」の「か」、自作の中心にある「家族」の「か」。いずれも言い換えのきかない語だった。
- ただし、どの音が難しいかは人による違いがとても大きく、全員に当てはまる「言いにくい音の一覧」があるとは確かめられていない。確かめる一番よい方法は本人に尋ねることだとされている。
- 言い換えや回避は聞き手に見えない。500人超への調査で約半数が少なくともときどき行っており、流暢に聞こえていても本人はより大きな努力を払っていると指摘されている。
- 自分から吃音があると伝えることについては、18件の量的研究のうち15件(83.3%)で好意的な影響が報告され、謝らない形のほうが好意的に受け止められていた。ただし場面や年齢による違いは研究が少ない。
- 気になったときの相談先は言語聴覚士とことばの教室。支援者向け・保護者向けの教材や手引きが、当事者団体と研究会から出ている。