まず結論から
- 出どころは、司馬遷『史記』巻六十三・老子韓非列伝です。韓非を紹介する冒頭に「非為人口吃,不能道說,而善著書」——人となりは口吃で、口で説くことはできず、書を著すのに優れていた——と記されています。
- ただしその一文は、口で説けなかったことと書くのが得意だったことを並べて書いているだけで、前者が後者の原因だとは書いていません。
- 二千年以上前の記述から、現代の診断名を確定することはできません。同時代のローマ皇帝クラウディウスを扱った医学史研究は、残された記述は非常に限られていて正確な診断を下すには不足だと明記しています。
- 吃音そのものは、いまもありふれた状態です。総説は人口のおよそ1%が該当し、米国で推計300万人、世界で5,500万人と述べています。
- 「吃音だった歴史上の人物」の一覧には、裏づけの取れないものも混ざります。英国の当事者団体の一覧は、資料を見つけられなかった人物の名前の横に疑問符を付けています。
ただし、ここで確かめられるのは『史記』という書物に何と書かれているかまでです。韓非本人の話し方を直接記録したものは残っておらず、この記事も「史料にこう書かれている」という以上のことは言えません。
「韓非子は吃音だった」という話は、どこから来たのか
この話には、はっきりした出どころがあります。前漢の歴史家・司馬遷が書いた『史記』の、韓非の伝記にあたる部分です。日本語で読める現代語訳の抄訳は、その書き出しをこう伝えています。
紀元前3世紀の思想家・韓非についての『史記』の記述(史記現代語訳サイトの抄訳。歴史上の人物のため本人の一次発信ではなく、史料の紹介にあたります)
韓非は、韓の公子の末流である。刑罰(刑名)・法術を好んで、黄帝・老子の道を学問の根本とした。生来の吃音(どもり)で十分に持論を唱えることができなかったが、著作を積極的に書いた。
同じ法家の李斯(りし)と共に筍卿(じゅんけい)に師事したが、李斯は韓非に実力が及ばないと思っていた。
韓非は韓の領土が削られ国力が弱まるのを見て、韓王に書面を送って諌めたが、韓王はその助言を用いることができなかった。
『史記』は、伝説上の黄帝から前漢の武帝までを人物ごとにまとめた歴史書で、韓非の伝記は老子・荘子・申不害と同じ一巻に収められています。つまりこれは韓非ひとりの伝ではなく、四人の合伝です。その中で、韓非という人物を読者に紹介する最初の数行に、話し方のことが書き込まれている。二千年以上あとの日本語で「生来の吃音(どもり)」と訳されているその語を、原文で確かめておきます。
出典: 『史記 老子・韓非列伝 第三』の現代語訳・抄訳:2(Es Discovery)(台帳: V0438)
中国語版ウィキソース(維基文庫)に収められた『史記』巻六十三の本文は、韓非を紹介する書き出しをこう記しています——「韓非者,韓之諸公子也。喜刑名法術之學,而其歸本於黃老。非為人口吃,不能道說,而善著書。與李斯俱事荀卿,斯自以為不如非。」。
「口吃」は、言葉が詰まる話し方を指す古い漢語です。「不能道說」は口で説くことができない、「善著書」は書を著すのに優れている、という意味になります。現代語訳が「生来の吃音(どもり)で十分に持論を唱えることができなかったが、著作を積極的に書いた」と訳しているのは、この十数字です。
同じ列伝は、韓非が著述に向かった経緯もたどっています。韓の領土が削られ国力が弱まるのを見て、たびたび書面で韓王を諫めたが用いられなかったこと。法制を整えず、実務に働く者を用いない当時の政治を憂えたこと。そして過去の得失の移り変わりを観て、『孤憤』『五蠹』『内外儲』『説林』『説難』など十余万言(十万字あまり)に及ぶ書物を著したことが、続けて記されます。
結末も書かれています。秦王がその書物を読んで著者に会いたいと願い、韓王が韓非を秦へ遣わしたものの、李斯と姚賈の讒言によって獄に下され、李斯の送った薬で自殺に追い込まれた。秦王が後悔して赦そうとしたときには、すでに死んでいた。司馬遷は巻末近くで、韓非が説得の難しさを論じた『説難』を著しながら、自らはその難を脱することができなかったことを悲しむ、と書き添えています。
「話せないから書いた」と読んでよいのか
この一文を読んだ人の多くが、そこに一本の線を引きます。話せなかったから、書いたのだ、と。ただ、列伝の本文にその因果は書かれていません。書かれているのは、口で説けなかったことと、書くのが得意だったことが、同じ一文に並んでいるという事実だけです。線を引いているのは、読むほうです。
では、その線はまったくの見当違いなのか。現代の当事者が書いたものを読むと、そう単純でもありません。
当事者の声(ライター・3児の母/こくみん共済 coop の当事者エッセイ)
それからの私は、他の社員たちがせっせと電話対応してくださる中、何か他のことで還元したいと思い、得意の「書くこと」を率先して受けるようになりました。実務とは別に、報告書、調査書、企画書、プレゼン資料、ちょっとしたFAXから、会社案内まで、ときに残業したり持ち帰ったりもしましたが、とにかく誰かの役に立っているという充実感が嬉しくて楽しくて夢中で仕事をしました。
あれから10年以上が経ちました。
いまはライターとして主に在宅で仕事をしています。あの頃と同じように、誰かの役に立っているという充実感が嬉しくて、楽しく仕事をしています。
電話で自社名の最初の一音が出ない——営業部の事務員として働いていた女性が、そのことを上司に伝えたのは、ストレスで体重が落ち、穀物アレルギーを発症したあとでした。返ってきたのは「それは吃音ではないですか?」という言葉で、自分の状態に名前があると知ったのはこのときです。同僚が電話を代わるようになり、その代わりに引き受けたのが、報告書から会社案内までの「書くこと」でした。話す仕事から書く仕事へ逃げた、という順序では書かれていません。もともと得意なものがあり、返せるものがそこにあった、という順序です。話しにくい場面と、その場面を避ける工夫は、学会の解説にもそのまま並んでいます。
出典: うまく言葉が出ない『吃音(吃音症)』とは〜"知ること"で救われる「たすけあい」(こくみん共済 coop「ENJOY たすけあい JOURNAL」)(台帳: V0026)
日本吃音・流暢性障害学会の解説は、思春期以降の経過をこう説明しています。症状は、音のくりかえし(連発)や引き伸ばし(伸発)よりも、最初の音が出しにくくなる難発が中心になる。発話場面での失敗体験が重なると、話し始める前に不安や恐怖を感じ、次第に会話や社交を避けるようになる。言いにくい単語を別の言葉に言い換えて吃音を隠そうとすることもあり、その場合、吃音は目立たなくなるものの、実際には吃音が出ないかを日々警戒しながら生活している状態になる、とも書かれています。
困難を感じやすい場面として挙げられているのは、中高生の部活動や入学面接、大学生のゼミ発表や就職活動、そして社会人の職場の電話応対です。いま名前が挙がっている場面は、どれも「その場で、口で」応じることが求められる場面でした。
そして「話す以外の手段で働く」ことは、現在では制度の側にも置かれています。2016年に施行された障害者差別解消法により、学校や職場での吃音に対する差別的な言動・扱いは禁止されており、発表や電話応対の免除、試験等での面接時間の延長といった合理的配慮——障害のある人が困らないように学校や職場の側が行う調整のことです——を求めることができます。ただしその際、医師の診断書や言語聴覚士の報告書の提出が求められる場合があるとも書かれています。
歴史の中の人に、自分を重ねるとき
「あの人も吃音だった」と知ることは、励ましにもなれば、別の重しにもなります。歴史や物語の中の誰かに自分を重ねたとき、そこから何を受け取るかは、受け取る側で決まってしまうからです。
当事者の声(執筆時41歳・市役所職員/日本吃音臨床研究会「ことば文学賞」受賞作)
どもりで苦しんでいた私にこれらの言葉は衝撃だった。このとき思った。「そうか、どもりは私にとって背負うべき十字架なのだ」
小さいころから人より少し勉強ができたせいで、うぬぼれていたところはあった。目立ちたがり屋で傲慢なところもあった。そういう私に罰をお与えになるために神様は、私をどもりにしたのだと思った。
これを友達に話したら大爆笑された。
小さいころから本を読むのが好きで、好きな台詞に線を引いては何度も読み返していたという女性が、中学生のときに遠藤周作の『白い人・黄色い人』を読みます。作中には、醜い顔を持つ神学生と、斜視のせいで父親からも嘲られて育った主人公の対話があり、引用の冒頭にある「これらの言葉」はその対話を指します。本人の吃音は、普段の会話ではあまり出ず、授業で当てられたときなどに突然言葉が発せなくなるタイプでした。物語から借りた一語が自分の話し方の意味づけになり、そこから祈りへ、自責へと形を変えていった経過が、この受賞作の中心に置かれています。人の名前から作られた言い方が、吃音のまわりにはもう一つあります。
出典: 第16回ことば文学賞〜あるどもり人(びと)の告白(日本吃音臨床研究会「吃音相談室」ブログ)(台帳: V0157)
成人の当事者に向けた解説には、「デモストネス・コンプレックス」という言い方が「まめちしき」として置かれています。古代ギリシャ時代に重度の吃音を克服して雄弁家として活躍したデモストネスにちなんだ言葉で、吃音のある人が「吃音を克服しないと、自分の人生に成功はない」「吃音さえなければ、すばらしい人生を送ることが出来るのに」と考えてしまう傾向を指します。歴史上の人物の名前が、励ましではなく合格ラインとして働いてしまう型には、すでに名前が付いているということです。
そのデモステネス自身の逸話——浜辺に行き、口に小石を含んで波の音に負けじと叫んだ——も、英国の当事者団体の一覧では「そう伝えられている」という書き方で紹介されています。同じ一覧の歴史上の人物の区分には、英国王ジョージ6世、アラン・チューリング、チャールズ・ダーウィン、ローマ皇帝クラウディウス、フランス王フランソワ2世といった名前が並びます。
この一覧で目を引くのは、書き手の慎重さのほうです。ネット上で吃音があるとされていても裏づけとなる資料を見つけられなかった人物には、名前の横に疑問符を付けた、と運営側が明記しています。ある人物については、父親の扱いのせいで兄弟が吃音になったという伝記の記述に触れたうえで、親が吃音の原因になることはないとはっきり打ち消してもいます。韓非の場合、名前に付いているのは疑問符ではなく『史記』という史料そのものです。ただし史料があることと、現代の診断名が当てはまることは別の話になります。
二千年以上前の記述に、現代の診断名は当てられるのか
古い史料の記述から話し方の問題が語り継がれてきた人物は、韓非だけではありません。ローマ帝国の第4代皇帝クラウディウスがその代表で、梨花女子大学の研究者が、古代の著述家の残した記述を医学史の観点から整理した論文を出しています。
その論文は、クラウディウスについて、歩行の不安定さ、腕と頭の震え、そして幼少期からの、言葉に詰まったり発音がうまくいかなかったりする話し方の問題が史料に記されていること、知的能力は平均かそれ以上だったのに公職に適さないとみなされたことを述べています。後世の研究者は、残された記録をもとに、脳性まひ、体が意図せずこわばるジストニア、脊髄の炎症(横断性脊髄炎)、トゥレット症候群といった診断名を提案してきました。かつては脳性まひ説を採る研究者が多かったものの、近年はジストニアやトゥレット症候群を支持する解釈のほうが有力だとされています。
ただし、この記事にとって大事なのは、論文自身が置いている留保のほうです。現在まで残っている歴史的な記述は非常に限られているため、症状について正確な診断を下すには不足だ、と明記されています。適切な検査もなく、患者を直接観察もせずに診断名を確定することは、もっと詳しい記録があったとしても難しい、とも書かれています。
同じ論文は、症状が幼少期から時期によって変わり、即位後は職務を果たせる比較的安定した状態を保っていたと史料が示すことにも触れています。日常の会話では覚束ないのに演説では明瞭だった、という同時代の書簡も引かれています。そして、歩き方と話し方は、死後まで嘲笑の対象であり続けました。身体の状態を理由に、母・姉・祖母から蔑んで扱われたことも、史料からたどられています。
韓非について確かめられるのも、同じ線までです。『史記』は「口吃」と書いた。それがどんな話し方だったのか、いまの吃音と同じものだったのかは、この一文からは決められません。
昔の人は、吃音をどう説明してきたか
古い記述を現代の言葉で読み直すときに慎重になるべき理由は、もう一つあります。吃音の原因をどう説明するかが、時代ごとに何度も入れ替わってきたからです。
古代ギリシャでは、原因は舌の乾きにあるとされていました。19世紀には発声器官の異常が原因と考えられ、大がかりな外科手術による治療が行われて、傷や別の障害を残すこともありました。舌に重りを付ける器具や、口に入れる装具も使われています。
別の総説も、同じ筋道をたどっています。かつては喉頭や舌の形の異常が原因とされ、その部位への外科手術や薬品の処置が行われましたが、症状は改善しませんでした。20世紀の初頭になって、脳の働きの異常として吃音を捉える見方が現れます。その後、精神分析の理論が、幼い時期の親子のやりとりで解決されなかった葛藤の現れとして吃音を説明しようとし、この総説は、それが吃音への偏見を強めてしまったと明記しています。現在は、脳の中で発話をつかさどる中枢の優位性が不完全なことによる神経の障害で、原因は多くの要因が関わるものと考えられています。
吃音という現象を、聖書の時代から歴史と文化の視点で扱った解説もあります。原因についての諸説と、18〜19世紀の外科的な処置を含むかつての治療法を検討したと述べ、ルネサンス以降は舞台芸術の分野に吃音のある人の例が見つかっているとも書いています。
韓非が生きた時代から数えて、吃音が何なのかについての説明は何度も書き換えられてきました。いま手元にあるのは、そのうちの最新版にすぎません。二千年以上前の一文を「これは現代でいう吃音だ」と言い切れないのは、記録が足りないからだけではなく、当てはめようとしている物差しのほうも動き続けてきたからです。
いま同じ地域で報告されていることと、相談先
時代を今日まで引いておきます。韓非が生きたのは、のちの中国にあたる地域です。その中国で、吃音のある成人の暮らしへの影響を測り、他国と比べた研究があります。
パデュー大学フォートウェイン校などの研究チームが、中国語版の質問紙を使って中国の当事者の回答を集め、オーストラリア・オランダ・日本・スウェーデン・米国のデータと比べました。回答は重い側に偏り、全体の状況・吃音への反応・生活の質の各セクションの平均点は、中等度から重度の範囲に入っています。国をまたいだ比較では、中国のデータは他の5か国より影響の重さが有意に高いという結果でした。
論文がその背景として挙げているのは、吃音への否定的な態度の強さ、障害のある人への社会的な偏見、そして専門的な支援の乏しさです。さらに、上下関係の隔たりが大きく集団を重んじる文化のあり方も、影響の大きさに結びつくと考察しています。話しにくさそのものより、周囲の受け止めと支援が届いているかどうかが、当事者の負担を大きく左右する——そう読める結果です。
では、いま日本で話しにくさに困っているとき、どこに持っていけばよいのか。学会の解説が相談先として名前を挙げているのは、小児を扱う言語聴覚士とことばの教室の教員です。年齢や状態に合わせた指導として、周囲のコミュニケーション環境を整える方法、直接発話に働きかける方法、吃音のことを理解する方法が挙げられています。大人の場合、本人が治療を希望するなら言語聴覚士による発話訓練という選択肢があり、発話訓練だけで症状が改善しない場合や吃音への不安が強い場合には、カウンセリングや心理療法が役立つこともあるとされています。
同じ人と出会える場も用意されています。1965年に発足した「言友会」は日本で最も歴史が古い自助団体で、定例会や全国大会を開催しています。近年は若者を対象とした団体や、女性の集いを開催する団体も設立されました。世界的には1995年に国際吃音連盟(ISA)が設立され、10月22日を国際吃音啓発の日と定めています。自助団体でほかの吃音のある人と出会うことが、吃音を否定的に捉えることが減るといった心理的な変化のきっかけになることもある、と解説は書いています。
次のようなときは、一人で抱え込まずに相談を考えてみてください(あくまで目安で、当てはまらなくても相談して構いません)。話す場面を避けることが増えてきたとき/言いたい言葉を別の言葉に置き換えるのが習慣になっているとき/話し方のことで学校生活や仕事に支障が出ていると感じるとき。
韓非子の話を人に伝えるときの3つの落とし穴
落とし穴1 − 「吃音だったから書いた」を、史実の因果として伝える
『史記』が書いているのは、人となりは口吃で、口で説くことはできず、書を著すのに優れていた、という並びまでです。前者が後者の原因だ、という接続詞は本文にありません。「話せないから書いた」は、読み手が引いた線であって、司馬遷が引いた線ではありません。人に渡すときは、「史料にはこう並べて書かれている」という形のほうが安全です。
落とし穴2 − 古い記述に、現代の診断名を当てる
同じ古代の人物であるクラウディウスを扱った研究は、残っている歴史的な記述は非常に限られていて、正確な診断を下すには不足だと明記しています。適切な検査もなく、本人を直接観察もせずに診断名を確定するのは、もっと詳しい記録があっても難しい、とも書いています。しかも、吃音を何と説明するかは古代ギリシャの「舌の乾き」から現在まで何度も入れ替わってきました。「韓非子は発達性吃音だった」と言い切れる材料は、手元にありません。
落とし穴3 − 歴史上の人物を、自分の合格ラインにしてしまう
「吃音を克服しないと、自分の人生に成功はない」と考えてしまう傾向には、古代ギリシャの雄弁家の名から「デモストネス・コンプレックス」という名前が付いています。これは「こういう考え方に陥りやすい」という注意として書かれているのであって、そうあるべきだという話ではありません。韓非も、十万字あまりを書き残した一方で、秦で讒言に遭い、自ら弁明する機会も得られないまま亡くなっています。誰かの生涯を自分の基準に据える前に、いま困っている場面のほうを書き留めておくほうが、相談のときに役立ちます。
よくある質問
韓非子は本当に吃音だったのですか?
『史記』老子韓非列伝に「非為人口吃,不能道說,而善著書」と記されているところまでが、確かめられる事実です。「口吃」は言葉が詰まる話し方を指す古い漢語ですが、それが現代の発達性吃音と同じものかどうかは、この一文からは決められません。古代の人物に現代の診断名を当てることの難しさは、ローマ皇帝クラウディウスを扱った医学史研究が、記述が非常に限られていて正確な診断には不足だと明記しています。
『史記』には具体的に何と書かれているのですか?
韓非を紹介する冒頭に「韓非者,韓之諸公子也。喜刑名法術之學,而其歸本於黃老。非為人口吃,不能道說,而善著書。」とあります。続けて、韓の国力が弱まるのを見てたびたび書面で韓王を諫めたが用いられなかったこと、『孤憤』『五蠹』『内外儲』『説林』『説難』など十余万言を著したことが記されています。なお韓非の伝記は単独の巻ではなく、老子・荘子・申不害と同じ一巻に収められた合伝です。
韓非子は吃音だったから著作を書いたのですか?
『史記』の本文は、口で説くことができなかったことと、書を著すのに優れていたことを並べて記しているだけで、因果としては書いていません。列伝が著述の理由として挙げているのは、韓王に進言が用いられなかったことと、当時の政治への批判です。ただし現代でも、話しにくい場面を避ける工夫や言い換えは吃音の経過の中で説明されていますし、発表や電話応対の免除といった配慮を求められる制度も用意されています。
「吃音だった偉人」の一覧は、そのまま信じてよいのですか?
一覧によります。英国の当事者団体の一覧は、ネット上で吃音があるとされていても裏づけとなる資料が見つからない人物には、名前の横に疑問符を付けたと明記しています。デモステネスが口に小石を含んで波音に負けじと叫んだという有名な逸話も、「そう伝えられている」という書き方で紹介されています。同じ一覧は、親が吃音の原因になることはないとも明記しています。
昔の人は、吃音をどうやって治そうとしていたのですか?
古代ギリシャでは原因は舌の乾きにあるとされ、19世紀には発声器官の異常が原因と考えられて、大がかりな外科手術が行われました。手術は傷や別の障害を残すこともあり、舌に重りを付ける器具や口に入れる装具も使われています。別の総説も、喉頭や舌への外科手術や薬品の処置では症状は改善しなかったと述べ、その後に広まった精神分析による説明が吃音への偏見を強めてしまったと明記しています。
まとめ
- 「韓非子は吃音だった」の出どころは『史記』巻六十三・老子韓非列伝の「非為人口吃,不能道說,而善著書」という一文である。
- その一文は、口で説けなかったことと書くのが得意だったことを並べているだけで、因果としては書いていない。「話せないから書いた」は読み手が引いた線。
- 二千年以上前の記述に現代の診断名は当てられない。同時代のクラウディウスを扱った研究は、記述が非常に限られていて正確な診断には不足だと明記している。
- 吃音が何なのかという説明そのものが、古代ギリシャの「舌の乾き」から何度も入れ替わってきた。当てはめる物差しの側も動いている。
- 歴史上の人物を自分の合格ラインにしてしまう傾向には「デモストネス・コンプレックス」という名前が付いている。困っている場面があるなら、言語聴覚士やことばの教室に相談するのが確実。