吃音さえなければ|そう思った4人の言葉と、社交不安の研究

目次

「吃音さえなければ、あのとき言えたのに」「吃音さえなければ、違う人生だったのに」——うまく言えなかった場面を思い返した夜に、この言葉が出てくることがあります。この記事は、その思いを間違いだと言うためのものではありません。

ここでは、同じ言葉を口にした4人の当事者の記録と、慶應義塾大学病院の医療・健康情報サイト、国立精神・神経医療研究センターの解説、日本言語聴覚士協会の案内、そして成人の不安を統合した研究が何を言えているのかを、一つずつ並べていきます。最後に、つらさが続くときの相談先もまとめました。

ソンタクマン(toVoice 運営)
吃音当事者。研究論文と当事者の声をもとに、吃音の情報を出典つきで発信しています。

この記事は情報提供を目的としたもので、診断や治療の判断に代わるものではありません。気持ちのつらさが続くときや、生活・行動に影響が出ていると感じるときは、一人で抱えずに専門家にご相談ください。

まず結論から

  • 「吃音がなければ、何でも出来るのにと思う」という受けとめは、当事者の実感を集めた一覧に項目として並ぶほど、繰り返し語られてきたものです。
  • 思春期以降には、話す前に「この言葉は出にくそうだ」と身構える段階、言いやすい言葉に置き換える段階、その場面自体を避ける段階が加わることがあり、これを「吃音の進展」と呼びます。
  • 吃音のある大人は、もともとの不安の感じやすさも、人前での不安も、はっきり高いことが、条件を満たした研究だけを集めて統合した分析で確かめられています。
  • 研究者はこの不安を、吃音の原因ではなく、話す場面で重ねてきた経験から予測できる結果として位置づけています。
  • そして、話しにくさの回数が変わらなくても、不安や回避のほうは扱えることが報告されています。

ただし、ここに並べた数字は集団をまとめて見たときの傾向です。原典自身が、こうした知見は集団としてのリスクを理解するためのもので、目の前の一人のリスクを言い当てることはできないと明記しています。「吃音さえなければ人生は違った」という思いが正しいか間違っているかを、この記事が判定することもできません。

「吃音さえなければ、幸せだったのに」と思い込んでいた日々

この言葉は、めったに口に出されません。だからこそ、自分だけが抱えている考えのように感じられます。けれど、書き残している人がいます。

当事者の声(公立小学校の教員/自助団体の公募に寄せた手記。氏名・年齢の記載なし)

以前の私は「どもりながら話すのは恥ずかしいこと」「どもっていたら就職ができない。なんとかして治さなければ…」「吃音さえなければ、幸せだったのになぁ」と思い込んでいた。どもりそうになったら話すのをやめる、電話は自分からかけない、音読を避けるなど「逃げの人生」を送っていた。本当に吃音が憎くて仕方がなかった。そんな私が教師になるなんて、自分でもびっくりしている。

教員採用試験の2次面接で自分の名前が出てこなかった人が、その後の日々をこう書いています。読み返して目を引くのは、思いと行動が一続きに書かれていることです。「なんとかして治さなければ」という考えと、電話を自分からかけない・音読を避けるという行動が、別々のことではなく同じ一つの流れとして並んでいます。手記はいま5年生の担任として教壇に立つところまで続きますが、この一節が書いているのは、そこに至る前の長い期間のほうです。同じ形の受けとめは、当事者の実感を集めた一覧にも項目として並んでいます。

出典: どもってもいいよ(日本吃音臨床研究会・伊藤伸二のブログ)(台帳: V0206)

吃音のある大人が抱える問題を当事者の言葉で並べた一覧には、「デモストネス・コンプレックス」という見出しのもとに、次の3つが続けて挙げられています。

  • 吃音がなければ、何でも出来るのにと思う
  • 吃音があるために、自分は何もできないと感じる
  • 吃音が治らないと、したいことは何もできないと感じる

つまりこの受けとめは、一人の思いつきではなく、繰り返し語られてきたためにわざわざ項目として立てられたもの、ということです。同じ一覧には、予期不安(以前失敗したことがまた起きるのではないかと不安になること)、言いにくい言葉を別の言葉に置き換えること、話す場面そのものを避けることも並んでいます。

医療機関の解説も、同じ道筋を「吃音の進展」という言葉で説明しています。言語の症状だけでなく、思春期以降に予期不安・言い換え・回避行動が加わっていくことがあり、これらが強くなると、人前での強い不安と回避が続く状態(社交不安障害)を伴っていると判断される場合がある、という説明です。

「なぜ自分だけが」——人と比べて、自分を採点してしまう

「吃音さえなければ」という言葉が出てくる前には、たいてい比較があります。同じ教室に、まったく苦労せずに話している人がいる、という比較です。

当事者の声(実名・大阪府の支援学校教員/自助団体の会報記事)

ままならぬ自身の吃音を憎み、ペラペラと自由にしゃべるクラスメートに激しい劣等感を抱き、なぜ自分だけが孤独でみじめな日々を過ごさねばならぬのかと、怠惰な生活を送り、未来への希望など全く持てなかった小学校時代。

のちに支援学校の教員になり、自助団体で学び続けている人が、自分の小学校時代を一文でこう振り返っています。名指しされているのは吃音そのものではなく、「ペラペラと自由にしゃべるクラスメート」との差です。比較の相手がいて、その差が自分の値打ちの採点表になり、採点の結果として「なぜ自分だけが」が出てくる——この順番は、あとから読むとはっきり見えます。本人はこの文章を、十数年後に自助グループへ参加するまでの出発点として置いています。では、こうした不安や劣等感は、本人の気の持ちようなのでしょうか。研究はそうは言っていません。

出典: 障害認定で人生が大きく開けるに違いないと考え(吃音相談室サイト・日本吃音臨床研究会の会報記事より)(台帳: V0286)

慢性的な吃音のある大人の不安については、厳しい条件を満たした研究だけを選び、その結果を統計的に合わせて差の大きさをはっきりさせる方法で調べられています。統合の結果、吃音のある大人は、もともとの不安の感じやすさ(特性不安)も、人前での不安(社交不安)も、はっきり高いことが確かめられました。原典は結論で、これらは多くの当事者にとって現実の問題だと述べています。

人前での不安が、診断の基準に届くほど強い場合もあります。吃音のある成人と、年齢と男女比をそろえた吃音のない成人を比べた調査では、社交不安障害(人前で強い不安を感じ、その場面を避ける状態が続くもの)にあたる人の割合が、吃音のある成人で少なくとも40%と推定されています。医療機関の解説も、病院に来る成人の吃音の半分程度は社交不安障害を伴うとするデータがあると書いています。この広がりについては吃音の二次障害の記事で詳しく扱っています。

大人だけの話でもありません。2歳から18歳を対象にした研究を集めて統合した分析では、吃音のある子ども・青年は、同年代の吃音のない子どもより不安の症状が高いと示されています。「気にしすぎ」で片づけられてきたものが、測られている、ということです。

何でも吃音のせいにしていた、と後から気づく

「吃音さえなければ」という考えには、もう一つ特徴があります。うまくいかなかったことの説明として、とても使いやすいのです。

当事者の声(40代男性/言友会の体験談ページ。掲載ページの見出し表記のまま)

それまで吃音を隠し、治さないと何もできないと、劣等感にさいなまれていた私ですが、言友会の活動を続ける中で、吃音に負けないで前向きに生きる多くの人を知って、何でも吃音のせいにしていた自分の過ちに気づいたのです。

思春期以降は必要最低限の会話しかしなくなったと書く人が、約10年前に当事者の集まりへ初めて出た日からの10年を振り返っています。手記の前半には、初めて例会に参加して、同じように吃音で悩む人が多くいることを知った日のことが書かれています。注目したいのは、気づきの順番です。先に「治す」が起きたのではなく、先にその日が来て、そのあとで自分の帰属の仕方——うまくいかないことを全部ひとつの原因に結び直す癖——に気づいた、と書かれています。研究の側にも、この順番と重なる見方があります。

出典: 体験談 3.40代男性(広島言友会)(台帳: V0202)

吃音の発達を扱った総説は、性格の特徴のうち不安が最も多くの注目を集めてきたと述べたうえで、先行研究の言い方を引いて、話す場面や社会的な場面での不安は、吃音のある人が生涯にわたって経験してきた否定的なやりとりの帰結として予測できる結果とみなせる、と紹介しています。つまり、不安が先にあって話しにくさを生んだのではなく、話す場面での経験の積み重ねが不安の側を育てた、という向きです。ただしこの一文は総説が引用した解釈であって、この総説自身が測定した結果ではありません。

生活のほうへの届き方も調べられています。吃音のある大人の生活の満足度を調べた研究は、吃音の重さが日常生活に及ぶ経路は外側からの制約だけではなく、人前での不安や、自分の中に取り込んだ否定的な見方(内面化されたスティグマ)という内側の仕組みも通っている、と結論づけています。そのうえで、支援を話し方の流暢さだけに絞らず、日常の活動へのより十分で意味のある参加を後押しする方向が必要だと述べています。

「何でも吃音のせいにしていた」という気づきは、だから「吃音は関係なかった」という意味ではありません。関係はある。ただ、関係の仕方が、本人が思っていたよりも入り組んでいた、ということです。

良かったか悪かったかは、自分が決める

では、この思いとどう距離を取るのか。決着を急がずに書き残している人がいます。

当事者の声(21歳・東京都/NHK厚生文化事業団の体験作文コンクール佳作作品。実名公開)

時間がかかる日もあれば、スラっと声が出る日もある。そんな日が交互に襲ってくる日々に嫌気を感じることもある。なぜ、自分は皆の様にスラスラ話せないのかと考えてしまうこともある。もちろん考えた所で何も変わらないことは自分が一番よく分かっている。考えた時には、泣くまで考える。何も変わらないと思っているからこそ、悔しくてたまらない。

例えば「吃音があって良かったか、悪かったか」と聞かれたとして、率直に「良かった」とは答えられない。しかし、この二択は他人が決めることではない。自分が自分自身で決めることだ。

3歳で吃音が始まり、言語聴覚士になることを目指している大学4年生が、大学生活の最中にこう書いています。前半には、この記事の2つ目の見出しで見たのと同じ比較が出てきます。それでも書き手は、「良かった」と言い切ることも、「悪かった」と決めつけることも、どちらも選んでいません。決めるのは自分だ、というところで止めている。この止め方は、支援の研究が示している線とも重なります。

出典: 吃音と過ごした21年(NHK厚生文化事業団「第56回NHK障害福祉賞」佳作)(台帳: V0112)

考え方と行動の癖を少しずつ組み替えていく心理療法(認知行動療法)を、話し方を組み立て直す訓練と組み合わせた臨床試験があります。結果は、認知行動療法は吃音の頻度そのものには影響しなかったものの、日常の話す場面での不安と回避は減った、というものでした。

同じ向きの結論が、別の総説にもあります。3週間の集中プログラムを評価した研究について、自分で報告する不安が下がっても吃音の頻度が自動的に減るわけではないこと、そして吃音の頻度が減らない場合でも、吃音にまつわる不安や回避は扱えることの2つが結論として挙げられています。

心理療法を組み合わせた支援について、総説2本が書いていることを2つの段に分けた図。変わらなかったもの=吃音の頻度。認知行動療法は吃音の頻度そのものには影響せず、自分で報告する不安が下がっても吃音の頻度が自動的に減るわけではない。変わったもの=話す場面での不安と回避。話し方の訓練と組み合わせた試験で、日常の話す場面での不安と回避が減り、吃音の頻度が減らない場合でも不安と回避は扱える。2つの段は同じ大きさで並べてあり、段の長さや面積は効果の大きさを表さない。どちらも総説が紹介している臨床試験・プログラムの結論であって、総説自身の測定値ではない
図1: 支援で動いたものと、動かなかったもの。出典: Maguire ら (2020) Front Neurosci が紹介する臨床試験(Menzies ら 2008)/ Blomgren (2013) Psychol Res Behav Manag が紹介する3週間の集中プログラム

この2つは、期待の置き所を変えます。「不安が消えたら動けるようになる」でも「どもらなくなったら不安が消える」でもなく、どもる回数と、避ける行動・気持ちのつらさは、別々に動きうるということです。結婚や恋愛見た目と印象のように「吃音さえなければ」が出てきやすい場面については、それぞれの記事で扱っています。

その数字を、自分の予言にしない

ここまで並べてきた数字には、使い方の注意がついています。しかもそれは、この記事が付け足した注意ではなく、原典が自分で書いている注意です。

2025年の総説は、集団として見れば吃音のある大人は不安やうつなどのリスクが高いという研究があると述べたうえで、これらの知見は集団や母集団の水準のリスクを理解するためのもので、個々の相談者のリスクを言い当てることはできないと明記しています。理由は、吃音をどう体験し、どう折り合い、どう生活の中で扱っているかが人によって大きく違うからです。

うつについては、そもそも言えることが限られています。子ども・青年を対象にした分析では、抑うつを扱った研究の数が少なく統合ができなかったため記述的なまとめにとどめられ、対象となった研究のいずれでも吃音のある群とない群の差は統計的に有意ではありませんでした。抑うつ得点が高い傾向はあったものの有意には達しておらず、より大規模な、できれば長期間追いかける研究による確認が必要だとされています。

2歳から18歳を対象にした研究を集めて統合した2022年の分析が報告していることを2つの段に分けた図。不安は、11のコホート研究・851人から26の効果量を統合でき、効果量0.42で同年代より不安の症状が高い。効果量は0が差なしで、大きいほど差が大きいことを表す。抑うつは、扱った研究の数が少なく統合ができず、どの研究でも群の差は統計的に有意ではなかった。得点が高い傾向はあったが有意には達していない。2つの段は同じ大きさで並べてあり、段の長さや面積は値の大小を表さない。原典は、より大規模な、できれば長期間追いかける研究による確認が必要だとしている
図2: 子ども・青年では、不安は統合でき、抑うつは統合できなかった。出典: Bernard, Hofslundsengen & Frazier Norbury (2022) J Speech Lang Hear Res.

「有意でなかった」の読み方を、はっきり書いている研究もあります。電子カルテから吃音と併存する状態を探した研究では、不安と注意欠如・多動症が、厳しい補正のあとでは統計的な基準に届きませんでした。著者らはこれについて、結果が出なかったことは「無かった」ことの証拠ではなく「判定できない」ということだと明記しています。

つまり、高い数字を見て「自分もそうなる」と読むことも、低い数字を見て「気のせいだったのか」と読むことも、どちらも原典の言っていることからは外れます。

気持ちがつらいとき、どこに相談するか

相談先は、話し方の側と、気持ちの側の両方にあります。どちらか一方を選ばなければならないものではありません。

話し方のことは、言語聴覚士が扱います。日本言語聴覚士協会のページは、ことばの障害の説明の中で、スムーズに話をすることが難しい吃音もことばの障害に含まれる、と明記しています。同じページに、地域の相談窓口の案内も置かれています。子どもの場合は、学校の「ことばの教室」も入口になります。

気持ちのことについては、国立精神・神経医療研究センターの解説が相談の目安を示しています。人はさまざまなことで不安になり、不安そのものは病気ではないと前置きしたうえで、これまでを振り返って明らかに不安が増えて自信を失っている、不安を避けるために特定の対象や人・状況を回避することにこだわっている、生活や行動に影響が出ていると感じた場合には、どうか専門家に相談してほしい、と書かれています。

成人の吃音で人前での不安が強いときについては、安心して話せる環境をつくるとともに、認知行動療法を応用した支援がよいと考えられている、という説明もあります。不安症一般の解説でも、認知行動療法は不安を悪化させる考えや行動を少しずつ修正し、不安をコントロールできるという自信を取り戻すための治療だと説明されており、多くは保険が使えるとされています。薬については、専門の医師に相談することとされ、すぐ効く種類の薬は続けると依存が生じることがあるため注意が必要だとも書かれています。

気持ちが追い詰まっていると感じるとき、「これくらいで相談していいのか」と迷う必要はありません。上の目安は、迷ったときに相談する側へ背中を押すために書かれたものです。動悸や呼吸の苦しさがあるときは、まず内科を受診するようにも案内されています。

「吃音さえなければ」と考えるときの3つの落とし穴

落とし穴1 − できなかったことを、すべて一つの原因で説明する

「吃音さえなければ」は、説明としてとても使いやすい言葉です。だからこそ、関係のあることにも無いことにも当てはまってしまいます。当事者の集まりに通った人が「何でも吃音のせいにしていた」と書いているのは、この使いやすさに気づいた場面でした(台帳の声の記録より)。生活の満足度を調べた研究も、吃音の重さが日常に及ぶ経路には、外からの制約と、人前での不安や自分の中に取り込んだ否定的な見方という内側の仕組みの両方があるとしています。原因は一つではなく、しかも扱える部分がある、というのがここでの要点です。

落とし穴2 − 集団の統計を、自分の未来の予言として読む

「成人の少なくとも40%」「不安が高い」といった数字は、集団をまとめて見たときの傾向です。原典自身が、こうした知見は集団の水準のリスクを理解するためのもので、個々の人のリスクを言い当てることはできないと書いています。数字は「自分だけではなかった」と知るために使うもので、自分の先行きを決めるために使うものではありません。

落とし穴3 − 不安が消えてから動こうとする

順番を「まず治す・まず不安を消す、それから動く」に固定すると、動き出す日が来ません。研究が示しているのは、不安が下がっても吃音の頻度は自動的には減らないこと、そして吃音の頻度が減らない場合でも不安や回避は扱えることの2つです。心理療法を組み合わせた試験でも、吃音の頻度は変わらないまま、日常の話す場面での不安と回避が減りました。動くことと、どもらなくなることは、別の線の上にあります。

日々の記録を残しておくと、気持ちの波と話しやすさの波が同じではないことに、自分で気づけることがあります。相談のときにも、その記録が手がかりになります。

よくある質問

「吃音さえなければ」と思ってしまう自分は、考え方が後ろ向きなのでしょうか?

その受けとめは、当事者の実感を集めた一覧に「吃音がなければ、何でも出来るのにと思う」という項目として挙げられているほど、繰り返し語られてきたものです。性格の問題として説明できるものではなく、話す場面で重ねてきた経験の帰結として位置づける見方が研究にもあります。

吃音があると、不安やうつになりやすいのですか?

不安については、大人でも子ども・青年でも、吃音のない人より高いと報告されています。うつについては、子ども・青年を対象にした分析では研究の数が足りず統合ができておらず、対象となった研究で有意な差は報告されていません。いずれも集団の傾向で、一人ひとりのリスクを言い当てるものではないと原典が明記しています。

不安が消えれば、吃音も軽くなりますか?

自動的にはそうならない、と報告されています。集中プログラムを評価した研究の結論は、自分で報告する不安が下がっても吃音の頻度は自動的には減らないこと、そして頻度が減らない場合でも不安や回避は扱えること、の2つでした。心理療法を組み合わせた試験でも、吃音の頻度は変わらず、日常の話す場面での不安と回避が減っています。

気持ちがつらいとき、何科に相談すればいいですか?

話し方のことは言語聴覚士が扱い、職能団体のページでも吃音はことばの障害に含まれると明記されています。気持ちの側は、明らかに不安が増えて自信を失っている、回避にこだわっている、生活や行動に影響が出ていると感じるときに専門家へ相談するよう案内されています。動悸や呼吸の苦しさがあるときは、まず内科の診察を受けるようにとされています。

自助グループや当事者の集まりには、行ったほうがいいのでしょうか?

この記事で引いた4人のうち3人は、当事者の集まりで「同じように悩む人が多くいる」と知ったことを転機として書いています(台帳の声の記録より)。ただしこれは個人の体験であって、効果が確かめられた方法として紹介できるものではありません。合う・合わないもありますので、参加するかどうかはご自身で決めて構いません。

まとめ

  • 「吃音がなければ何でも出来るのに」という受けとめは、当事者の実感の一覧に項目として立つほど、繰り返し語られてきた。
  • 思春期以降、予期不安・言い換え・場面の回避が加わっていくことがあり、これは「吃音の進展」と呼ばれる。
  • 吃音のある大人は、もともとの不安の感じやすさも人前での不安も高いことが統合分析で確かめられており、人前での不安が診断の基準に届く人は少なくとも40%と推定されている。
  • 研究者はこの不安を、吃音の原因ではなく、話す場面で重ねた経験から予測できる結果として位置づけている。生活への届き方も、外からの制約と内側の仕組みの両方を通る。
  • 集団の統計は個々の人のリスクを言い当てない、と原典自身が明記している。「有意でなかった」も「無かった」ではなく「判定できない」。
  • 不安が下がっても吃音の頻度は自動的には減らないが、頻度が減らなくても不安と回避は扱える。つらさが続くときは、言語聴覚士と、気持ちの側の専門家の両方に相談先がある。

参考文献

  1. 吃音ポータルサイト「成人の方 ─ 吃音の問題あれこれ」
  2. 慶應義塾大学病院 医療・健康情報サイト KOMPAS「発話流暢性障害(吃音、クラタリング)」(2022年)
  3. 国立精神・神経医療研究センター「こころの情報サイト」不安症(社交不安症を含む)(2023年)
  4. 一般社団法人 日本言語聴覚士協会「言語聴覚士に相談する(ことばの相談窓口)」
  5. Craig & Tran (2014) Trait and social anxiety in adults with chronic stuttering: conclusions following meta-analysis. J Fluency Disord.
  6. Blumgart, Tran & Craig (2010) Social anxiety disorder in adults who stutter. Depression and Anxiety.
  7. Bernard, Hofslundsengen & Frazier Norbury (2022) Anxiety and Depression Symptoms in Children and Adolescents Who Stutter: A Systematic Review and Meta-Analysis. J Speech Lang Hear Res.
  8. Smith & Weber (2017) How Stuttering Develops: The Multifactorial Dynamic Pathways Theory. J Speech Lang Hear Res.
  9. Mutlu & Cemali (2025) Assessment of occupational balance and life satisfaction in adults who stutter. BMC Psychology.
  10. Maguire et al. (2020) The Pharmacologic Treatment of Stuttering and Its Neuropharmacologic Basis. Front Neurosci.
  11. Blomgren (2013) Behavioral treatments for children and adults who stutter: a review. Psychol Res Behav Manag.
  12. Chang et al. (2025) Stuttering: Our Current Knowledge, Research Opportunities, and Ways to Address Critical Gaps. Neurobiology of Language.
  13. Pruett et al. (2021) Identifying developmental stuttering and associated comorbidities in electronic health records and creating a phenome risk classifier. J Fluency Disord.

当事者の声の出典: V0206(日本吃音臨床研究会・伊藤伸二のブログに掲載された手記「どもってもいいよ」)/ V0286(吃音相談室サイトに再掲された自助団体の会報記事・掛田力哉さん)/ V0202(広島言友会「体験談」ページ・40代男性)/ V0112(NHK厚生文化事業団「第56回NHK障害福祉賞」佳作・和智南生さん)。いずれも公開記事。引用は原文どおり。

更新履歴: 2026-09-11 公開