まず結論から
- 大人で吃音がある人の割合は0.7〜1%ほどとされています。子どものうちに吃音が出る確率(8〜10%)とは桁が違い、身近で出会いにくいのはこのためです。
- そのうえ、言いたい言葉を別の言葉に替える・話す場面そのものを避けるといった、聞き手からは見えない行動があります。500人を超える大人への調査では、約半数が少なくともときどきそうしていました。
- どもる瞬間に恥ずかしさ・きまり悪さ・気持ちの消耗を「よく感じる/いつも感じる」と答えた人は45〜53%でした。ただし同じ論文は、感じ方も起こり方も人によって大きく違うと述べています。
- 外から測った吃音の重さと、本人が感じている重さのあいだには相関が無い、という報告が重ねられています。他の人の話と自分を並べても、どちらが重いかは決まりません。
- 吃音のある大人では、人前で恥をかくことや悪く評価されることを強く恐れる状態(社交不安障害)の割合が高く、少なくとも40%という推定があります。
ただし、これらはいずれも大勢をまとめた平均の話で、名前の出ない書き込み一つひとつが本当かどうかを判定できるものではありません。誰がいつ書いたのかも、どんな検査を受けた人なのかも確かめようがないので、この記事では書き込みの中身そのものは扱わず、名前や立場を明かして公開された記録と、研究・専門機関の資料だけを材料にしています。
その話し方に名前があると知ったのは、いつでしたか
吃音の話題が続いている場所にたまたま行き当たって、そこで初めて「自分のこれには名前がある」と知る人がいます。名前を知る前と後では、抱えているものの形が変わります。
当事者の声(25歳・建設/不動産関連の会社員。吃音情報サイトのインタビュー)
ショックですね。
ずっと正体もわからないまま抱えてきたコンプレックスみたいなものに、名前がついているってわかって、それが病気であり障害でもあるってことが判明して。
それまで名前もわからないまま抱えてきたものの正体が知れたことによって、また違うものを抱えることになったというか。
しっかり病気というか診断名がついてる障害みたいなことを知って、まあすがすがしくもあり。
でも治療法があんまりないってこともその時点で分かったんですよ。その時はすごい絶望でしたね。
治んない、このまま、一生このままだってことが分かってしまって。
将来を悲観もしたし、数週間は暗い気持ちでいっぱいだったし、その時に両親に初めて相談もしました。
保育園のころ、同級生の男の子から「なんで君は繰り返して『たたた』っていうふう喋るの?」と聞かれたのが最初だったと、この人は話しています。それでも名前を知らないまま、友達にも親にも先生にも言わずに小学校を過ごしました。携帯電話を持っていなかった中学3年生のある日、家のパソコンで「喋れないのは何か」を調べたくなり、調べてすぐに行き当たった——そのときのことばが、この引用です。名前がついた安堵と、治療法が乏しいという情報とが、同じ夜に同時に来ています。詰まっている、うまく操れない、というあの感覚を知っているのは話している本人だけだという指摘は、500人を超える大人への調査でも確かめられています。
出典: 「態度が悪い」の背景にある“吃音”という存在を知ってほしいー25歳当事者の学生時代と今(きつおんりんく)(台帳: V0193)
名前のほうから確かめておきます。大学病院の解説によれば、発達性吃音は2〜5歳ごろに始まり、発症率(吃音になる確率)は8〜10%ですが、その大部分は自然に治るため、成人での有病率(吃音がある確率)は0.7〜1%ほどとされています。発症率や有病率は国や言語によって差が無いことも書かれています。
一方、当事者に向けた解説は、吃音の問題を二段構えで捉え直しています。「(1) ことばがどもって (2) 困ること」——つまり、どもり方そのものより、困っている中身のほうが問題の大きさを決めるという見方です。困ることの中身としては、恥ずかしい思いをする、言いたいことが言えずにいらいらする、周囲からのからかいや特別視、話すことを避けてしまう、といった状態が並べられています。
身近で見かけないのは、いないからではない
「100人に1人」といった数字を読んだあとで、それなら自分のまわりにもいていいはずなのに、と思ったことはないでしょうか。見かけないことには、数のほかにもう一つ理由があります。
当事者の声(掛田力哉さん・当時 大阪教育大学 特殊教育特別専攻科。自助団体の集まりでの発表記録)
どうしてそんなに苦しかったのかと考えると、自分の問題が分からなかったからです。吃音ということばも知らなかったし、どもるということが他の人にもあるということも全く知らなかった。多分、自分は気が小さいから、消極的だから、ことばが出ないんだろうと、その思いだけをずっとひきずっていたんです。だから、誰にも話せないし、自分がダメなんだと思っていました。「おまえはおかしい、おかしい」と言われたから、本当に俺はおかしい人間なんだということをずっと思っていた。ほんとに孤独だったんだと思います。
どもることそのものじゃなくて、どもるということを自分でも分からない、誰にも分かってもらえない、伝えられない。とにかく自分ひとりで悩んでいたという孤独が一番辛かったかなあと、今思っています。
小学1年生のとき、前の席の同級生から「掛田君、しゃべるとき、目ぱちぱちするね」と言われ、それまで一度も気にしたことのなかった自分の話し方に意識が向くようになった——発表はそこから始まります。5年生の担任からは叱責を受け、ことばが出ずに足を動かしたところを殴られた、とも語っています。おなかが痛いと言って休み、喘息を理由に体育の行事に出なかったのは、どもることを知られたくなかったからだと本人は振り返ります。こうして外から見えなくなる工夫を、研究は「隠れた行動」という言い方で扱っています。
出典: 2003年 第9回吃音ショートコース【発表の広場】(日本吃音臨床研究会)(台帳: V0096)
聞き手に気づかれにくい行動として研究が挙げているのは、特定の音・語・場面を避けること、どもりそうだと感じた語をとっさに別の語へ言い換えることです。500人を超える大人への調査では、約半数が少なくともときどきそうした行動をとっており、10〜20%は「よく/いつも」そうしていると答えました。
さらに、流暢さを高める技法を使っているときは、聞き手には流暢に聞こえていても、本人はより大きな努力を払っています。そうして得られた流暢さは、吃音のない人の自然な流暢さとは別のものとされ、「見せかけの流暢さ」と呼ばれてきました。外から分かる乱れが無いまま、話すことを自分で操れない感覚だけが起きている場合もあります。同じ論文は、観察できるどもりが無いことを「吃音が無い」の目安に使うと、本当は話すこと自体を避けているだけの人が、流暢に話せているように見えるために支援を早く打ち切られてしまう危険がある、と指摘しています。
大人での割合が0.7〜1%であることに、この見えにくさが重なります。見かけないことは、いないことではありません。
笑われた記憶は、気にしすぎなのか
どもって笑われた、真似された——そういう記憶は、時間が経つほど「自分が気にしすぎただけではないか」と思えてきます。同じ日のことを、当時の子どもの側から書き残している人がいます。
当事者の声(名義「派遣 優@吃音」。自助団体が運営するメディアへの寄稿)
私が自分は吃音症なんだと自覚したのは、小学校4年生の時でした。
ある授業中に、1番の仲良しの近所の子に私のしゃべり方を真似され、教室中が大爆笑になり、自分はみんなと違うんだ、しゃべると笑われるんだ、そう思ったことを今でもはっきり覚えています。
これが吃音を自覚した最初の出来事だったと思います。
その日から、あれほど楽しかった学校が苦痛の場になってしまったのです。
いちばん仲の良かった近所の子に話し方を真似され、教室じゅうが笑った——その一日が、学校の意味を変えています。中学ではさらに、授業で先生が日付から出席番号を指名する方式をとり、15番だったこの人は15日に音読を割り当てられました。やがて5日・25日にも指名されるようになり、前の晩から不安に耐えられずに休み、5の付く日だけ休むと変に思われると考えて前後も休み、欠席は2週間に達します。笑いは一瞬でも、そのあとに残るものは日単位・週単位で積み上がるということです。研究は、こうした周囲からの反応を、本人の性格ではなく本人を取り巻く環境の側の要因として位置づけています。
出典: 音読中に吃音を笑われて学校を休んだ中学生時代。1人音読の必要性を疑問視(HAPPY FOX・日本吃音協会)(台帳: V0045)
どもる瞬間にどんな感情がどのくらいの頻度で起きるかを大人に尋ねた調査では、「よく感じる/いつも感じる」と答えた人が、恥ずかしさで45%、きまり悪さで53%、気持ちの消耗で49%でした。同じ論文は、否定的な感情の反応はよくある体験だが、その形も起こり方も人によって大きく違う、とも述べています。よくあることだが、同じではない——ここが両方とも書かれている点は大事です。
そして、社会の側はしばしば吃音のある人を否定的に描き、吃音を異常なものとする見方を強めてしまうとされます。そうした評価を受け続けると、「流暢に話せて当たり前という期待に、自分の落ち度や限界のせいで応えられていない」という受け止め方が生まれます。研究はこれを自己スティグマ(自分自身に向けてしまう偏見)と呼んでいます。外から話すことを急かされる圧力は体の力みを増やし、その力みが見た目のどもりと伝えにくさをさらに増やす、という循環も指摘されています。
電話やアルバイトの応募で、1回ずつ落ちていく
短いやりとりほど、言い換えが効きません。名乗る、あいさつする、注文する——言う言葉が決まっているからです。
当事者の声(26歳・男性・エンジニア。note の個人ブログ)
電話をかけて、「もしもし」と言おうとするのに、声が詰まる。
沈黙が続いて、相手から「もしもーし?」と聞こえてくる。
それでも声が出せずにいると、
「冷やかしですかー!」
高校生になってアルバイトを始められる年齢になり、近くで働ける場所を探し始めた時期のことを、本人が振り返っています。この電話は切られた、しかもそれは1回や2回ではなく、電話の段階で10件以上落ちた、と書いています。面接まで進んだ先でもさらに10件。採用された飲食店の厨房は「接客はしなくていい」という条件でしたが、忙しくなると売り場に出され、うまく話せずに終わっています。怠けていたわけでも努力していなかったわけでもない、と本人は書き添えます。研究は、こうした一回ずつの積み重ねを、生活の側に現れる制限として扱っています。
出典: 吃音が理由で、アルバイトに20件落ちた話(note)(台帳: V0001)
大学病院の解説は、思春期以降にこうした場面が重なると、症状に別のものが加わっていくと説明しています。「この言葉は吃音が出そうだ」と前もって予感すること(予期不安)、出そうだと感じた言葉をとっさに別の言葉へ替えること(言い換え)、そして人前や電話など話す場面そのものを避けること(回避行動)の3つで、これをまとめて吃音の進展と呼びます。
研究の側からは、大人について、より地位の低い職業へ誘導されること、収入が失われること、職を失うこと、社会的に拒まれることが挙げられています。子どもについては、学校の成績や課外活動、人間関係を築くことや自分で決める力を育てることに困難が生じうるとされます。一回のやりとりの話に見えて、積み上がる先はここだということです。
他の人の話と自分を、比べられない理由
名前の出ないやりとりを読むとき、いちばん起きやすいのは、自分の状態を誰かの状態と並べて「自分は軽いほうだ」「自分のほうが重い」と決めてしまうことです。ここには、研究の側からはっきり言えることが3つあります。
1つめ。どもった音節の割合や重症度の検査で外から測った重さと、本人が質問紙で答える重さのあいだには相関が無い、という報告が重ねられています。日本語を話す人でも、青年でも同じでした。一部に有意な相関を報告した研究もありますが、その係数は一貫して弱いものです。いっぽう、本人の受け止めを測る質問紙どうしのあいだには、強い相関があります。外から見える量は、その人がどれだけ困っているかの目盛りにならないということです。
2つめ。詰まっている、自分で操れない、というあの感覚を知っているのは、話している本人だけです。502人の大人に、どもる瞬間の前後で何を考え、何を感じ、何をしているかを尋ねた調査が、それを確かめました。聞き手にできるのは、どもりが起きたと外から気づくことだけで、その瞬間に何が起きていたかを判定できる材料は聞き手の側に無い、と論文は述べています。
3つめ。当事者に向けた解説は、吃音の問題の大きさを、3つの辺を掛け合わせた立方体の体積にたとえるモデルを紹介しています。3辺とは、どもり方そのもの(言語症状)、それに対する周囲の反応、そしてその両方に対する本人の反応です。どもり方が目立たなくても周囲の反応が大きい場合、どもり方も周囲の反応も小さいのに本人の受け止めが大きい場合、逆にどもり方は大きいのに周囲も本人も気にしていない場合——いずれもありうる、と書かれています。1つの辺だけを見比べても、その人の問題の大きさは出てきません。
読んだあとに、どこへ持っていくか
名前を出さずに書ける場所は、同じ話し方の人がいると知るには向いています。ただ、そこで手に入らないものが2つあります。1つは、その話が誰のいつの話かという裏づけ。もう1つは、自分の状態を専門家に見てもらうことです。
目を向けておきたいのは、話す場面の不安のほうです。吃音のある大人と、年齢と性別の比をそろえた吃音のない大人を比べた横断研究は、吃音のある人で不安と社交不安が有意に高く、社交不安障害の時点有病率が少なくとも40%だったと報告しています。総説も、吃音のある大人で社交不安障害の割合が高いという知見が積み上がってきたと整理しています。社交不安障害とは、人前や何かを実演する場面で、恥をかくこと・きまりが悪くなること・悪く評価されることを強く恐れる状態のことです。日本の大学病院の解説も、病院に来る成人の吃音のうち半分程度は社交不安障害を伴うとするデータがある、と書いています。
相談先はことばの専門家です。先に挙げた解説を書いているのは、大学病院の耳鼻咽喉科・頭頸部外科です。同じ解説は、吃音の治療は年齢に応じてさまざまで確実な治療法はまだないと言われる一方、どの年齢にも共通して言えるのは、吃音が生じても安心して話せる環境をつくることだとしています。そして、社交不安障害を伴うような成人の吃音では、安心して話せる環境づくりとともに、考え方や行動のくせに働きかける心理療法(認知行動療法)を応用した支援がよいと考えられている、とも書かれています。
次のようなときは、一人で抱えたままにせず、言語聴覚士のいる医療機関やことばの教室に相談することを考えてみてください。
- 電話・レジ・自己紹介など、決まった言葉を言う場面を避けるようになってきた
- 話す場面を思い出すだけで気が重くなり、予定そのものを断るようになった
- 気持ちの落ち込みが数週間続いている
この3つは相談を考えるきっかけとして挙げたもので、特定の資料が「受診の目安」として定めているものではありません。どの窓口が誰に適しているかを決められる材料も、この記事の出典の中にはありません。
名前の出ないやりとりで陥りがちな3つの落とし穴
落とし穴1 − 誰かの経過を、自分の見通しとして読む
書き手が誰で、いつの、どんな状態の話なのかを確かめる手立てがありません。そのうえ、外から測った重さと本人の感じる重さには相関が無いのですから、読んだ話と自分を並べても、自分の重さも見通しも出てきません。参考になるのは「そういう場面がある」という事実までで、そこから先は自分の状態を見てもらうしかありません。
落とし穴2 − 見つけた方法を、一人で試し続ける
大学病院の解説は、吃音の治療は年齢に応じてさまざまで、確実な治療法はまだないと言われている、と書いています。どの年齢にも共通して言えるのは、吃音が生じても安心して話せる環境をつくることだ、とも述べています。一人で試して戻ってを繰り返すより、何をどのくらい試したかを持って相談したほうが、次の一手が決まりやすくなります。
落とし穴3 − 話す場面を、少しずつ減らしていく
避けることは、その場をしのぐ方法として確かに働きます。ただ、避けた結果として外から見えるどもりが減ると、話すことを避けているだけなのに流暢に話せているように見え、支援が早く打ち切られる危険がある、と研究は指摘しています。避けているかどうかは外からは分からないので、自分で書き留めておくしかありません。どの場面で、何を言い換えたか、何を断ったか——日々の記録があると、相談のときに手がかりになります。
よくある質問
匿名の場で吃音の話を読むのは、よくないことですか?
良い悪いを決められる資料は手元にありません。はっきりしているのは、名前の出ない書き込みからは、誰がいつ書いたのかを確かめられないということです。また、外から測った重さと本人が感じる重さには相関が無いと繰り返し報告されているので、他の人の状態と自分を並べて重さを判断することはできません。同じ場面を経験した人がいると知ることと、自分の状態を測ることは、分けて考えるのが安全です。
身近に吃音の人を見かけないのはなぜですか?
まず割合です。子どものうちに吃音が出る確率は8〜10%ですが、その大部分は自然に治るため、成人での有病率は0.7〜1%ほどとされています。さらに、特定の音・語・場面を避けたり、言いにくい語を別の語へ言い換えたりする行動は聞き手から見えにくく、500人を超える大人への調査では約半数が少なくともときどきそうしていました。流暢に聞こえていても本人は大きな努力を払っている場合もあります。
言い換えたり、話す場面を避けたりしているのは自分だけですか?
そうではないと報告されています。500人を超える大人への調査では、約半数が少なくともときどき、10〜20%は「よく/いつも」こうした行動をとっていました。大学病院の解説も、予期不安・言い換え・回避行動が思春期以降に加わっていく過程を吃音の進展として説明しています。
どもるたびに恥ずかしいと感じるのは、気にしすぎですか?
どもる瞬間の感情の頻度を尋ねた調査では、「よく感じる/いつも感じる」と答えた人が恥ずかしさで45%、きまり悪さで53%、気持ちの消耗で49%でした。同じ論文は、こうした反応はよくある体験だが、形も起こり方も人によって大きく違うとも述べています。感じ方の強さは、外から見えるどもりの量とは対応しません。
話す場面が怖くて生活に響いています。どうすればいいですか?
吃音のある大人では社交不安障害の割合が高く、時点有病率が少なくとも40%という報告があります。病院に来る成人の吃音のうち半分程度は社交不安障害を伴うとするデータもあります。同じ解説は、社交不安障害を伴うような成人の吃音では、安心して話せる環境づくりとともに、認知行動療法を応用した支援がよいと考えられているとしています。言語聴覚士のいる医療機関やことばの教室に相談してみてください。
まとめ
- 大人での有病率は0.7〜1%ほど。子どものうちに吃音が出る確率8〜10%との差が、身近で出会いにくい理由の1つ。
- もう1つの理由は見えにくさ。避ける・言い換えるといった行動は約半数が少なくともときどきとっており、流暢に聞こえていても本人は大きな努力を払っている場合がある。
- どもる瞬間の恥ずかしさ・きまり悪さ・消耗を「よく/いつも感じる」人は45〜53%。ただし感じ方は人によって大きく違う。
- 外から測った重さと本人が感じる重さには相関が無く、質問紙どうしには強い相関がある。他の人の話と自分を並べて重さは測れない。
- 吃音のある大人では社交不安障害の割合が高い(時点有病率で少なくとも40%)。話す場面の不安が生活に食い込んでいるなら、言語聴覚士のいる医療機関やことばの教室に相談を。