まず結論から
- 吃音には、状況によって症状が出やすかったり出にくくなったりする特徴があり、歌を歌うとき・2人で声を合わせるとき・独り言を言うときなどに、一時的ですが流暢になる人が多い、と学会の解説は書いています。音楽の場は、その「出にくい場」のひとつになりえます。
- ただし、音楽の場にも話す場面はあります。一人で自由に話すときと一人で音読するときのあいだに差はなく、どもった音節の割合がはっきり下がったのは、誰かと声をそろえて読むときだけでした。自己紹介・名乗り・部活での発言は、声をそろえる場面ではありません。
- 学校では、他の子どもから話し方を真似されたり、笑われたり、質問されたりすることが多く、担任・養育者・支援者が本人にオープンに聞くことが勧められています。この記事の記録では、合唱の練習もその場面のひとつでした。
- 学校や職場では、発表や電話応対の免除、試験等での面接時間の延長といった配慮——法律の言葉では「合理的配慮」——を求めることができます。入試の面接でも、事前に吃音があることを伝えておくと、寛容な聞き手の姿勢や時間的な余裕の確保などの配慮を受けることができます。
- 音楽で人とつながる場は、当事者自身が作ってもいます。自助団体については、「吃音があるのは自分だけではない」と認識し、共通の体験を語り合い、互いに援助し合うことが活動の中心だと学会は説明しています。
ただし、「歌えばどもらない」が誰にでも同じように起きると確かめられているわけではありませんし、音楽を続ければ吃音が治るという話でもありません。リズムに乗せた発話を治療の唯一あるいは主たる柱にすることは、ドイツ語圏の診療ガイドラインが「用いるべきでない」に挙げています(ただし、その判断を支える根拠自体は強くない、とも書かれています)。
合唱の伴奏に乗せて、吃音を真似された
音楽の授業は、話さなくて済む時間だと思われがちです。けれど合唱の練習は、クラス全員が同じ場所に立ち、同じ伴奏を聞く時間でもあります。そこで起きたことを、30年近く前の中学時代として書き残している人がいます。
当事者本人の声(渡邊さん・「私の吃音遍歴」を連載する個人ブログ。中学時代をふり返った記録)
あるとき数人の男子が伴奏のメロディーに合わせて、♪チェッ、チェッ、ハッ、ハッ、チェッ、チェッ、ハ~♪と歌いだしました。何を言っているのか私は分かりませんでしたが、その後も練習でピアノの伴奏が始まるとその歌詞が聞こえてくるのです。しかも徐々に歌う人数が増えてくる。意味は分かりませんでしたが、何となく嫌な予感はしていました。そしてある日、同じように伴奏が始まって、例の歌詞がうたわれ始めたときに、前列に立っていた私は後ろからクスクス笑われながら蹴られたのです。この時、私の吃音が真似されていたんだと理解しました。
小学校のときは言葉が出ないタイプだった吃音が、中学に入って同じ音を繰り返すタイプに変わった、と本人は書いています。国語の音読では教科書を読み進められず、声を出そうとして口を鳴らし、息が荒くなる。通っていた中学校では合唱が盛んで、各クラスに合唱曲があり、朝礼や終礼、音楽の授業で練習をしていました。数人の男子が伴奏に合わせて歌い始めた「歌詞」の意味が分かったのは、後ろから蹴られた日でした。そのあと「吃音モノマネ」はしばらく続き、やがて放課後のトイレで殴る蹴るの暴行を受けます。一部始終を見ていた友達から「やめろ!」の声がかかったこともあり、すぐに終わった、と書かれています。本人はこの時期を、吃音の人生でもっとも辛い時期だったと書いています。学校で真似・笑い・質問を受けるリスクは、支援する側の資料も正面から書いています。
出典: 私の吃音遍歴・中学校時代の回(個人ブログ stammering.site)(台帳: V0457)
発達障害ナビポータルの解説(執筆は九州大学病院の医師)は、吃音のある子どもは発話場面でしか症状が出ないため悩みが過小評価されやすいとしたうえで、他の子どもから話し方を真似されたり、笑われたり、「なんでそんな話し方なの?」と質問されたりすることが多いと書いています。担任の先生・養育者・支援者が本人に「真似されていない?」「笑われていない?」「話し方を質問されていない?」とオープンに聞くことが、吃音の話をオープンにするきっかけになる、という提案です。学校では毎年クラス替えがあり、そのたびに真似・笑い・質問を受けるリスクがあるため、早く気づいて対応をオープンに話すことが予防につながるとも書かれています。
同じ解説が困りやすい場面として挙げているのは、日直の号令、音読、発表、かけ算の九九、学習発表会、卒業式です。この記録の合唱の練習は、その一覧には入っていません。「音楽の時間なら話さないから大丈夫」という前提のほうを、先に疑っておいたほうがよさそうです。学会の解説も、吃音をからかわれるなどのいやな経験をすると、人前に出る場面への強い不安(社交不安症)やうつなどの心理的な問題を生じることもある、と書いています。
音楽の先生に誘われて、昼休みのコーラス部に通った
同じ「合唱」でも、居場所になった人がいます。誘ったのは、音楽の指導には厳しいという先生でした。
当事者本人の声(佐藤隆治さん・自助団体「小中高校生の吃音のつどい」への寄稿。中学時代をふり返った記録)
放課後は来なくてもいい、昼休みだけでいいから、歌を歌いにおいで。まあ昼休みだけなら、別にかまわないだろう。勉強にも差し支えない。昼休みはどうせ、運動場か、教室で遊んでいるだけだ。外にいるときはいいが、雨で教室にいるときは、つまらないいじめっ子から逃れる事もできるし。
通ってみると、これが結構面白かった。毎日通った。大きな声で歌うという事はいい事だ。外で走り回る事もいい事だが。楽しい。大きないい声が出るようになってきた。歌う事にとても自信ができてきた。今までは、歌のテストとなると、小さくなっていたのが、別人のように堂々と歌えるようになる。
中学1年のときの音楽の先生は、他校の先生が大勢参観に来た授業で、シューベルトについて調べて発表する役に、この生徒を意図的に指名した人でした。その先生がもう一つくれたのが、コーラス部への勧誘です。男子がコーラス部に入って女子に混じって歌の練習をするのは「非常に奇特な行為」で、女声コーラスは盛んでも混声合唱はやりたくてもやれない学校だった、と本人は書いています。水泳部に籍を置いたまま、昼休みだけ通う。引用はその条件と、通ってみてからのことです。歌のテストで小さくなっていた生徒が、堂々と歌えるようになった。本人が挙げているのは、毎日少しずつ続けたこと、男子が少なくて大切にされたこと、楽しかったことです。歌う場面で言葉が出やすいことは、学会の解説も吃音の特徴として書いています。
出典: 私の中学校時代(小中高校生の吃音のつどい)(台帳: V0452)
日本吃音・流暢性障害学会の解説は、吃音の特徴として、状況によって症状が出やすかったり出にくくなったりすることがあるとし、例として、歌を歌うとき、2人で声を合わせるとき、独り言を言うときなどに、一時的ですが流暢になる人が多いと書いています。発達障害ナビポータルも、伴奏に合わせて歌ったり、2人で同じ言葉を言ったりする——外からタイミングが与えられる——場合に吃音は消失して流暢に話せるため、吃音は発話のタイミングの障害と言われている、と説明しています。
測った研究もあります。発達性吃音(子どもの頃から始まるタイプの吃音)のある成人に、一人で自由に話す・一人で音読する・臨床家と声をそろえて読む、の3つをしてもらうと、吃音の中核症状(音のくり返し・引きのばし・言葉が出ない詰まり)は一人で話すときと一人で音読するときに多く出て、声をそろえて読むと大きく減りました。同じ論文は、声をそろえて読むあいだに吃音の頻度が劇的に下がり、流暢な水準に近づく人が多いと述べ、相手の声が発話のタイミングを外から与えているのではないか、という説明を紹介しています。なぜそうなるのかは、スキャットマンと吃音の記事が正面から扱っているので、ここでは触れるにとどめます。
ただし、この記録で本人が「自信」と書いているのは、歌のテストと、歌という得意なものを手に入れたことについてです。学校で言葉が出なかった場面がなくなったとは書かれていません。同じ文章の別の箇所で本人は、学校ではどもるが家では全くどもらない、と自分の症状を説明しています。コーラス部は、話す場面を変えた場ではなく、話さなくても居られる場を一つ足した——そう読むのが実際に近いと思います。
楽器を吹いているだけでは済まない——部活で「発言する側」になる
楽器は、話さなくても音が出ます。だから吹奏楽部は、吃音のある子にとって入りやすい部活に見えます。けれど部活は、演奏だけの場ではありません。
横田百合香さん・吃音のある中学2年生の娘の母(日本吃音臨床研究会の機関誌に載った手記の再掲)
現在、娘は、吹奏楽をこよなく愛し、朝に夕に、休日に、トランペットの練習に明け暮れている、中学2年生です。副パートリーダーとして、パートリーダーの3年生を助け、不在時は、練習メニューを作成し、指揮をとっています。
娘は、部員全員を前にして、お願いや感想、意見を求められ、発言するチャンスが多々あるようです。発言をしたその日は、帰宅するやいなや、そのときの状況や発言内容まで、報告してくれます。流暢な日もあれば、どもりが強い日もあります。
手記は、トランペットを小脇に抱えて客席に視線を向け、堂々と舞台に立つ娘の姿から始まります。会場が拍手に包まれ、母は体が震えて涙があふれた、と書いています。娘の吃音は幼稚園に入って間もなく、自分の名前の一文字目を重ねながら帰宅した日に始まりました。幼児ことばの教室に通い、症状の日記をつけ、症状が軽い日は自分の接し方がうまくいったと判断し、強い日は自分の注意が足りなかったと判断する——母はそう自分を追い詰めていた時期をふり返っています。引用した「今」の場面で母が記しているのは、発言するチャンスが多々あることと、その日の状況を娘が報告してくれることです。「流暢な日もあれば、どもりが強い日もあります」という一文は、吃音が消えたとは書いていません。部活動が話す場面を含むことは、学会の解説も挙げています。
出典: レジリエンスを育てる~親の体験・親の気持ち~(日本吃音臨床研究会)(台帳: V0159)
日本吃音・流暢性障害学会の解説は、中高生では部活動や入学面接、大学生ではゼミの発表や就職活動、社会人では職場の電話応対などが、発話に困難を感じやすい場面として挙げられると書いています。部活動が最初に挙がっています。同じ解説は、学齢になる頃には幼児期のように吃音が全く出ない時期を経験することは少なくなるとし、調子が良い状態や悪い状態が数週間から数か月にわたって続く人も多く、この変動を(調子の)「波」と呼ぶ、とも説明しています。「流暢な日もあれば、どもりが強い日もある」は、この波の言い方と重なります。
吹奏楽部を選ぶことは、話す場面を避けることにはなりません。副パートリーダーとして練習メニューを作り、指揮をとり、部員全員の前で意見を求められる。楽器の部活は、演奏の場であると同時に、人前で話す場でもあります。だからこそ、日によって出方が違うことを周りが知っているかどうかが効いてきます。
ピアノで入った音楽大学に、名乗る場面が待っていた
音楽を専門に学ぶ場は、歌と楽器の場だと思われています。けれど大学は、自己紹介と試験と電話の場でもあります。
当事者本人の声(堤野瑛一さん・24歳〔発表当時〕・大阪スタタリングプロジェクト。自助団体の機関誌に載った手記)
しかし大学は、僕の思っていたような楽しい場所ではなく、辛く厳しい場所でした。大学入学後、どの授業に出ても、まず自己紹介をさせられます。必死に言おうとしますが、10秒、20秒たっても言葉が出て来ません。僕のどもって力んでいる顔をチラチラ見ては、周りがクスクスと笑い出します。
どの授業でも、いつ当てられるかと、ビクビクしていました。声楽の試験の時は、大勢の生徒や審査員の先生がいる前で、自分の生徒番号と名前、歌う曲目を言わなければなりません。ピアノや声楽の試験の結果を、自分の門下の先生に電話報告しなければなりません。
高校2年のとき、言葉を発しようとすると息が詰まり、足で地面を叩かないと声が出なくなった——それが吃音だと知ったのは、チック症で通っていた病院の先生に言われたときでした。どもると話すのを止め、言い換えて隠し、授業で当てられて分かっている答えも「分かりません」と答えていた高校時代に、趣味だったピアノで芸術大学を受験すると決めます。練習しているあいだは吃音のことより合格のことで頭がいっぱいで、合格発表の喜びは今でも忘れない、と書いています。引用はその先です。自己紹介、声楽の試験での生徒番号と名前と曲目、門下の先生への電話報告、事務室での書類の説明。高校のように隠してごまかすことができなくなり、恐怖は何倍にも膨れ上がって、自分の意志で中退した——「中退せざるを得なくなった」のだ、と本人は言い直しています。名乗る場面と声をそろえる場面で出方が違うことは、研究の側でも測られています。
出典: 何とか治したいと思い続けた日々(日本吃音臨床研究会)(台帳: V0090)
吃音のある成人と吃音のない成人に、絵を見て一人で話す・一人で音読する・評価者と声をそろえて読む、の3つをしてもらった比較があります。吃音のある人たちで、どもった音節の割合がはっきり下がったのは声をそろえて読んだときだけで、一人で話すときと一人で音読するときのあいだには差がありませんでした。しかも、声をそろえて読む条件でも、吃音のある人とない人の差は残っていました。同じ研究は、外から与える刺激は必ずしも耳から入る必要はないが、話し手がそれを「発話」として受け取ることが吃音を減らす条件になる、とも述べています。
声楽の試験で歌う曲目を言う場面は、一人で名乗る場面です。ピアノを弾く場面でも、歌う場面でもありません。音楽を専門に学ぶ場にも、声をそろえない・一人で話す場面が組み込まれている——この記録が示しているのはそこです。そしてこれは、配慮を求めてよい困りごとです。ドイツ語圏の診療ガイドラインは、学校や職場でのストレスは不利益が補われるようにすることでも防げるとし、その例として、口頭試験で追加の時間を認めたり機器の使用を認めたりして機会の平等を確保することを挙げています。日本では、学校や職場で発表や電話応対の免除、試験等での面接時間の延長などの合理的配慮を求めることができる、と学会の解説が書いています。この手記が発表されたのは2002年で、学校や職場での吃音に対する差別的な扱いを禁じた障害者差別解消法が施行された2016年より前のことです。
話す言葉で言えない分を音楽に乗せる——学生の音楽団を作った高校生
ここまでは、既にある場——授業・部活・大学——の話でした。最後は、場を自分で作った人の記録です。
吃音のある高校2年生の声(吃音を持つ学生の音楽団の代表。母も吃音当事者で音楽教室を主宰しており、母の個人ブログに置かれた本人の挨拶文から)
周りの友達や大人の中に同じ症状を持った人はいなく自分しかこの辛さはわからないんだと決めつけていました。
そんな中昨年注文に時間がかかるカフェに出会い、それに参加すると共に同じように悩みを持って受け入れている人がこんなにもたくさんいるんだと感動し吃音への想いが180度変わりました。
私は幼い頃から音楽が好きで言葉が話しづらい分音楽で自分を表現してきました。
このブログを書いているのは、音楽教室を主宰する母親です。自分に吃音があり、高校2年の息子にもあり、たくさん悩んだこともあったが今は前向きに取り組んでいる、という話をここ数年で何度もしてきた、と冒頭にあります。吃音のある若者が接客に挑戦する「注文に時間がかかるカフェ」を、前年の夏に自分の教室で開いたことも記されています。息子は小学3年生のころから吃音があり、今も続いていると挨拶文に書いています。そのカフェに参加して、同じように悩みを持ちながら受け入れている人がこんなにもたくさんいると知ったことが、吃音への思いが180度変わるきっかけでした。そして、幼い頃から音楽が好きで、話しづらい分を音楽で表現してきた自分が、音楽を通して自信が持てるイベントを開きたいと、吃音のある学生による音楽団を立ち上げます。「話す言葉では言えないような吃音への思いや気持ちを音楽に乗せて伝えよう」が、その音楽団のテーマだと母は書いています。同じ立場の人と出会う場の意味は、学会の解説も自助団体の項で書いています。
出典: 吃音を持つ学生の音楽団「コンアニマ」始動します!!(Azuza Diary♪・Ameba)(台帳: V0383)
日本吃音・流暢性障害学会の解説は、吃音の自助団体について、団体によって活動の目的や規模は異なるが、吃音のある当事者が「吃音があるのは自分だけではない」ということを認識し、共通の体験を語り合い、苦悩を分かち合い、互いに援助し合うことが概ね活動の中心だとしています。1965年に発足した言友会が日本で最も歴史が古く、近年では若者を対象とした団体や、女性の集いを開催する団体も設立されている、とも紹介しています。自助団体に参加してほかの吃音のある人と出会うことが、吃音を否定的に捉えることが減るといった心理的な変化のきっかけになることもある、という書き方です。ドイツ語圏の診療ガイドラインも、自助グループへの参加を専門家の合意にもとづいて推奨しています(効果を測った研究にもとづく推奨ではない、と原典の書き方から分かります)。
「自分しかこの辛さはわからない」から「こんなにもたくさんいる」への変化は、解説が書いている「自分だけではない」の認識そのものです。学生の音楽団は自助団体という名前で呼ばれてはいませんが、同じ働きをする場として作られています。音楽は、そこで話す代わりに使われる道具でした。
吃音があると、リズム感は弱いのか
音楽の場に入るとき、本人も周りもふと考えることがあります。吃音は発話のタイミングの障害と言われる。それなら、リズムを聞き分けたり拍に合わせたりする力も弱いのではないか、と。この問いに、2025年に出た大規模な疫学研究が一つの答えを出しています。
ヴァンダービルト大学医療センターなどの研究者による研究は、音楽のリズムの能力の弱さと、話しことば・言語・読みの発達の障害が絡み合っているという見方を、これまでで最大規模の調査で検証したものです。複数の独立した集団で、リズムの得点が低いほど、子どもの頃に言語療法を受けた経験や、読みの苦労、音を正しく出す力の障害といった問題を報告する割合が高いという関連が一貫して見られました。統合すると、リズムの得点が平均的なばらつき1つ分低いごとに、話しことば・言語・読みの障害の経験を報告する見込みが1.33倍になりました。この関連は、社会経済的な状況や、音楽にどれだけ関わってきたかを考えに入れても変わらなかったと書かれています。ただしこの確かめ方は、調べた集団のうち2つに限って行われたものです。
ところが、吃音だけは逆向きでした。オランダの大規模な集団(Lifelines)で、吃音の経験がある1,510人と、経験のない33,385人を比べた解析では、リズムの得点が平均的なばらつき1つ分低いごとに、吃音の経験がある見込みは7%低くなっていました。著者らはこれを、先行研究から予想された向きではないと明記しています。吃音のある人はリズムが弱い、という向きの結果は、少なくともこの調査では出なかったということです。吃音を外して統合し直しても、全体の値はほとんど変わりませんでした。
なぜ逆向きになったのかについて、著者らは二つの説明を挙げています。一つは、この研究が吃音のある人と無い人を比べる設計ではなく、吃音のある人の中でのリズムの個人差に注目していること。もう一つは、吃音のある人がリズムを使った訓練を受けている可能性があり、それによってリズムの能力が上がっているのかもしれないこと。リズムに乗せた発話や歌などの音楽療法が吃音の治療に使われてきた長い歴史がある、と述べたうえで、この推測は今後の研究で系統的に検証されるべきだとしています。限界としては、集団やモデルによっては該当する人数が少なく統計的な力が足りなかったこと、治療歴の影響を調べられないこと、遺伝の解析が欧州系の人のデータにもとづいていることが挙げられています。
この研究から言えるのは、「吃音があるからリズム感が弱い」と決めてかかる根拠は無い、というところまでです。音楽の場に入るかどうかを、そこで迷う必要はなさそうです。
相談先と、場をつくる側にできること
音楽の場で困りごとがあるとき、相談先を先に置いておきます。
子どもの場合、金沢大学の吃音ポータルサイトは、幼児期の吃音は少なくとも半数の子どもが特別な指導や支援をしなくても小学校に入学するぐらいまでに問題が見られなくなるとしたうえで、小学校に入って吃音が引き続き見られる子どもでも、ことばの教室や言語聴覚士(ことばや聞こえの専門職)の適切な指導・支援を受けることで、多くの場合、身体の緊張を伴う重い吃音があまり見られなくなったり、緊張をうまくコントロールしながら話す方法を身につけたりする、と書いています。中高生以上・成人で本人が治療を希望する場合は、言語聴覚士による発話訓練を受けるという選択肢があり、発話訓練だけで症状が改善しない場合や吃音に対する不安が強い場合には、カウンセリングや心理療法が役立つこともあるとされています。
場をつくる側——先生・部活の顧問・保護者・仲間——にできることも、資料に書かれています。学校では、担任・養育者・支援者が本人に「真似されていない?」「笑われていない?」「話し方を質問されていない?」とオープンに聞くことが提案されています。入試の面接では、事前に吃音があることを伝えておくと、「過重な負担」となる範囲を除き、寛容な聞き手の姿勢や時間的な余裕の確保などの合理的配慮を受けることができ、入学後の修学上の困難についても、双方の建設的な対話の上に配慮が受けられるようになっています。学校や職場では、発表や電話応対の免除、試験等での面接時間の延長などの合理的配慮を求めることができ、その際に医師の診断書や言語聴覚士の報告書の提出などを求められる場合があります。合唱部やバンドで言えば、名乗りや進行を一人に固定しない、発言の順番を本人と決めておく、といった配り方が考えられます。
相談の場面で、一つ注意があります。発達障害ナビポータルは、相談に来た子が目の前では思ったほど症状が出ないことが多く、その流暢に話す様子に相談を受けた人がつい「気にならないですね」「軽い吃音ですね」と言うことは、養育者にとってプラスに働くことが少ない、と書いています。歌えている・演奏できている場面だけを見て「困っていない」と判断されることは、音楽の場では起きやすい取り違えです。
次のようなときは、様子を見るだけにせず、相談を考えてみてください(当てはまらなくても相談して構いません)。
- 合唱や音楽の時間に、話し方を真似されたり笑われたりしていると本人が話している
- 部活や授業で発言や名乗りの場面を避けるようになり、続けたかった活動をやめようとしている
- 歌える・演奏できる場面があるために「困っていない」と受け取られ、必要な配慮を言い出せない
この3つは相談を考えるきっかけとして挙げたもので、特定の資料が「受診の目安」として定めているものではありません。1つめの「真似・笑い」は、支援する側の資料が実際に確認を勧めている項目です。
「音楽なら大丈夫」で陥りがちな3つの落とし穴
落とし穴1 − 「歌えるなら、話すのも問題ないはず」と受け取る
一人で話すときと一人で音読するときのあいだに差はなく、はっきり減ったのは誰かと声をそろえて読むときだけでした。歌えることは、自己紹介や名乗りでも言葉が出ることの証拠にはなりません。音楽大学に入った人の記録が示しているとおり、音楽の場にも一人で名乗る場面は組み込まれています。周囲がここを取り違えると、本人は「歌えていたのに」という言葉を受け取ることになります。
落とし穴2 − 音楽を続けていれば吃音が治る、と期待する
リズムに乗せた発話や呼吸の調整を治療の唯一あるいは主たる柱にすることは、ドイツ語圏の診療ガイドラインが「用いるべきでない」に挙げています(ただし、その根拠自体は強くないとも書かれています)。リズムの研究も、リズムに乗せた発話や歌などの音楽療法が使われてきた歴史があると述べたうえで、吃音のある人のリズムが訓練で上がっているのかもしれないという推測は今後の検証が要るとしています。音楽は楽しみや居場所として続けたうえで、治療は治療として別に検討するのが安全です。治療の見取り図は吃音と歌の記事に置いてあります。
落とし穴3 − 「音楽の時間は話さないから安全」と、場を見ずに決める
合唱の伴奏に乗せて真似をされた記録が、この記事にはあります。支援する側の資料は、学校で真似・笑い・質問を受けるリスクがあるとして本人にオープンに聞くことを勧めていますが、そこに挙がる場面の一覧に音楽の時間は入っていません。部活動も、学会の解説では発話に困難を感じやすい場面の先頭に挙がっています。音楽の場が楽な場になるか辛い場になるかは、音楽が決めるのではなく、その場にいる人が決めています。
そのうえで、どの場面で言葉が出にくかったか・どの場面では楽だったかを書き留めておくと、相談のときに自分の状態を説明しやすくなります。合唱では出なかった、部活の発言では出た、という記録は、周りに配慮を頼むときの材料にもなります。
よくある質問
吃音があると、歌や合唱ではどもらないのですか?
学会の解説は、歌を歌うとき、2人で声を合わせるとき、独り言を言うときなどに、一時的ですが流暢になる人が多いと書いています。伴奏に合わせて歌ったり2人で同じ言葉を言ったりする、外からタイミングが与えられる場合に吃音が消失する、という説明もあります。ただし、声をそろえて読む条件でも吃音のある人とない人の差は残っており、誰にでも同じように起きると確かめられたわけではありません。仕組みはスキャットマンと吃音の記事で扱っています。
吃音があると、リズム感や音楽の才能は弱いのですか?
約3万5千人の成人を対象にした研究では、リズムの得点が低いほど吃音の経験がある見込みはむしろわずかに低く、著者ら自身が先行研究から予想された向きではないと書いています。他の話しことば・言語・読みの障害ではリズムの弱さがリスクと結びついていたのに対し、吃音だけが逆向きでした。「吃音があるからリズム感が弱い」と決めてかかる根拠は、少なくともこの調査からは出ていません。
吹奏楽部や合唱部に入っても大丈夫ですか?
入るかどうかは本人が決めることですが、知っておくとよいことがあります。学会の解説は、中高生が発話に困難を感じやすい場面の先頭に部活動を挙げています。楽器の部活にも、部員の前で意見を求められる場面があります。一方で、昼休みだけ通ったコーラス部が居場所になった人の記録もあります。合唱の練習で真似をされた記録もあるので、担任や顧問が「真似されていない?」「笑われていない?」とオープンに聞くことが勧められています。
音楽療法やボイストレーニングで吃音は治りますか?
治ると言える根拠は見当たりません。ドイツ語圏の診療ガイドラインは、リズムに乗せた発話や呼吸の調整を治療の唯一あるいは主たる柱にすることを「用いるべきでない」に挙げています(その根拠自体は強くない、とも書かれています)。リズムの研究も、音楽療法が吃音の治療に使われてきた歴史に触れつつ、その影響は今後の研究で検証されるべきだとしています。音楽を楽しみとして続けることを否定するものではありません。詳しくは吃音と歌の記事を参考にしてください。
吃音があっても、音大や音楽の仕事を目指せますか?
目指している人も、続けている人もいます。米国の吃音支援財団は、俳優・歌手・エンターテイナーの区分で吃音のある人物の一覧を公開しています。ただし、音楽の場にも自己紹介・名乗り・電話の場面はあり、一人で話す場面では歌う場面と同じようにはいきません。入試の面接で事前に伝えておくと合理的配慮を受けることができ、試験等での面接時間の延長などを求めることもできます。国内外の音楽家の言葉は吃音と歌の記事にまとめてあります。
まとめ
- 吃音は状況によって出方が変わり、歌を歌うとき・2人で声を合わせるときなどに一時的に流暢になる人が多い。音楽の場は「出にくい場」になりうるが、それは歌う場面に限られる。
- 音楽の場にも、自己紹介・名乗り・部活での発言・電話という一人で話す場面が組み込まれている。一人で話すときと一人で音読するときのあいだに差はなく、減ったのは声をそろえて読むときだけだった。
- 合唱の練習で伴奏に乗せて真似された記録がある。学校では真似・笑い・質問を受けるリスクがあり、担任・養育者・支援者が本人にオープンに聞くことが勧められている。部活動は発話に困難を感じやすい場面の先頭に挙がっている。
- 約3万5千人の調査で、リズムの得点が低いほど吃音の経験はむしろわずかに少なく、著者らは予想と逆向きだと明記している。「吃音があるからリズム感が弱い」と決めてかかる根拠は無い。
- 相談先はことばの教室・言語聴覚士。学校や職場では発表の免除や面接時間の延長などの合理的配慮を求められ、入試の面接でも事前に伝えると配慮を受けられる。同じ立場の人と出会う場は自助団体にあり、学生の音楽団のように当事者自身が作った場もある。
