まず結論から
- 達磨(だるま)さんは愛知県出身・在住のラッパーで、高校1年生からラップを始め、2018年に高校生ラップの大会の本戦に出場、2019年にNHK『バリバラ』に出演し、同じ年に映画『ブラック校則』で俳優デビューしています。吃音があることは本人がメディアで公表しています。
- 歌うとき、二人で声を合わせるとき、独り言を言うときなどに、一時的に流暢になる人が多いことは、学会の公式解説にも書かれています。達磨さんだけの特別な体質ではありません。
- 研究の側では、声を合わせて一緒に読む「斉読(せいどく)」の最中に、どもりが大きく減ることが繰り返し確かめられています。
- その仕組みとして有力なのは、外から拍(タイミング)が与えられると、脳が自前で「今、次の音を出す」という合図を作らなくて済むという説明です。ラップのビートも、この「外から来る拍」に当たります。
- ただし、歌うとなぜ吃音が消えるのかは、いまも解けていない問いとして総説の中に残っています。
ただし、ラップや歌で言葉が出ることは「一時的に流暢になる条件」の一つであって、吃音が無くなったということではありません。話す場面での困りごとは、その人の中にそのまま残っていることがあります。
ステージに立つ人が、コンビニの注文をあきらめていた
達磨さんの名前を知るきっかけは、たいてい舞台の上の姿です。けれど本人がインタビューで語っているのは、まったく別の場面のことでした。
当事者本人の声(ラッパー・達磨さん/Webメディアのインタビュー。聞き手の質問をはさむ形式です)
知らない人は、まだまだ多いと感じます。
お店で料理をオーダーをするのも、けっこうプレッシャーなんです。僕はカ行と濁点が苦手なので、「からあげ棒」の発音がうまくできなくて…いつも注文をあきらめていました。
店員さんに笑われたくないから、「食べたいもの」より「頼みやすいもの」を選ぶようになってしまうんです。
小学生のころから症状があり、中学から高校にかけて悪化したと本人は振り返っています。授業で指名されるのが本当に嫌だったこと、「ただ緊張しているだけ」と受け取られて笑われたこともあると語っています。舞台で何千という言葉を並べる人が、レジの前では食べたいものの名前を言えずに、言いやすいほうへ手を伸ばす——この落差こそが、この記事で確かめたいことの入り口です。吃音は、言いたい言葉が分かっていて、発声する器官も動かせるのに、その制御が途切れる状態だと説明されています。
出典: 「悩みだった吃音症が、ラップバトルで武器になった」ラッパー・達磨が語る“弱みは強み”(新R25)(台帳: V0417)
この「場面によって出方が変わる」というのは、吃音の中心的な特徴の一つです。学会の解説も、状況によって症状が出やすかったり出にくくなったりすること、さらに数週間から数か月にわたって調子の良い時期・悪い時期が続く「波」があることを説明しています。
そして困りやすい場面は、年齢とともに変わっていきます。中高生では部活動や入学面接、大学生ではゼミの発表や就職活動、社会人では職場の電話応対などが、話しにくさを感じやすい場面として挙げられています。達磨さんが挙げた「注文」も、相手がいて、言い換えのきかない固有名詞を口にしなければならない場面です。
一度覚えた歌詞なら、「この先」を考えずに進める
では、ラップのときには何が違うのか。同じ問いを、自分の内側の感覚として言葉にしている人がいます。
当事者の声(研究者・ドミニク・チェンさん/Webメディアの対談。聞き手も吃音当事者です)
歌を歌うときになぜどもらないか、というのを考えるととても不思議な感じがします。恥ずかしいんですけど、ぼくヒップホップが好きで、ティーンの頃などはいろいろな言語の歌詞をプリントして防水加工して、シャワー浴びながらラップしたりしてたんですが(笑)、ひとつの詩っていうのは結構長いんですよね。でも一度暗記した歌詞を歌っているときは、さっきのような先を予測するということは一切意識していなくて、言えばこの先が出てくる、という感じ。
研究者として日本語・フランス語・英語のあいだを行き来してきた人が、ヒップホップに夢中だった十代の自分を持ち出して、歌詞を口にしているときの感覚を説明しています。手前の対談で本人が言っているのは、話すときには「次に何を言うか」を先回りして考えてしまい、そこで詰まるということでした。暗記した歌詞にはその先回りが要らない——本人はそれを「視野がものすごく限定されている状態を突き進んでいる感じ」とも言い換えています。この感覚は、研究が言う「自動化されていない発話」という条件と重なります。
出典: 「隠れ吃音」と付き合って生きていくということ──ドミニク・チェン+伊藤亜紗(WIRED.jp)(台帳: V0187)
一時的に流暢になる条件として総説が挙げているのは、声を合わせて読む斉読、メトロノームに合わせて話すこと、外国語のアクセントや役を演じるような「ふだんの自動的な話し方ではない話し方」、雑音を流すこと、そして歌うことです。「暗記した歌詞をなぞる」は、この中の歌うことと、ふだんの話し方ではない話し方の、両方に足をかけています。
歌と話し声の違いを、総説はこう整理しています。歌の旋律は決まっていて、同じ歌詞なら毎回ほぼ同じ高さをたどります。一方、話し声の抑揚は、伝えたい内容によって毎回変わります。そして歌の旋律を出すときは、覚えた音を思い出して確かめながら出す働きをより多く使い、話し声のほうはより自動化されている、とも述べられています。「決まっているものは楽だ」という本人の実感は、この違いに触れているのかもしれません。
誰かと声をそろえているあいだは、言葉が出る
達磨さんがラップを始めたのは、友だちと遊びで始めた「サイファー」——公園や広場で何人かが輪になって、順番に即興でラップをする遊び——がきっかけでした。一人で話すのではなく、鳴っているビートと仲間の声の中に自分の声を置く形です。同じことは、音楽のサークルでも起きます。
当事者の声(大学生/医療者向けの語りのデータベースに収められたインタビュー)
歌、歌ってるときとか、なんかそういうときは全然どもらないってのがあったりとかして、原因はよく分かんないんですけども、歌ってるときとかは、吃音持ってる人も持ってない人もみんな一緒に、楽しめたりだとか、バンドとかでも歌ってるときは全然だいじょぶだったりとか、そもそも楽器弾いてるときは、しゃべる必要もないですし、普通の人と同じようにサークル活動ができたりってのがすごく楽しくて続けてます。
合唱とバンドとミュージカルができるサークルを続けている大学生が、なぜ続けているのかを語っています。本人は「原因はよく分かんない」と前置きしながら、吃音のある人もない人も同じように楽しめる場としてサークルを説明しています。同じインタビューの続きで、この人は「流暢にはしゃべれないけども、話すこと自体は別に好き」とも語っています。話すことが嫌いなのではなく、話すときだけ出方が変わる——この非対称が、研究の側でも課題として扱われてきました。
出典: 合唱とバンドとミュージカルができるインカレのサークルに入っているが、歌っている時は全くどもらず、楽器の演奏は話さないということもあり、とても活動を楽しんでいる(健康と病いの語り ディペックス・ジャパン「障害学生の語り」)(台帳: V0135)
同じ人に三つの課題をやってもらって比べた研究があります。一人で自由に話す、一人で声に出して読む、そして臨床家と声をそろえて読む(斉読)の三つです。吃音のある大人では、連発・伸発・難発といった吃音の中心的な症状は、一人で話すときと一人で読むときに多く、斉読では大きく減りました。吃音のない対照群では、課題による差は見られていません。
この研究の考察は、斉読で流暢になる理由として「相手の声が、発話のタイミングを外から与えている」という考えを紹介しています。さらに、斉読の効果は相手を直接まねる働きの一種で、他人の動きを見聞きしたときに働く神経細胞(ミラーニューロン)に支えられている、という説も併記しています。
歌えることと、話せることは別だった
ここまで読むと「では音楽の道に進めばいい」と思えてきます。けれど、そう単純ではありません。歌えるのに、歌と歌のあいだで詰まってしまう人がいます。
当事者の声(兵庫県丹波市・越賀美穂さん/地域紙の取材記事。記者が書いた紹介の部分です)
小学低学年の頃に本を思うように音読できず、吃音を自覚した。大学時代はロックバンドに所属し、ボーカルを務めた。歌ならスムーズに歌えたが、場の進行(MC)ができずに歌の道を諦めた。
バンドのボーカルを務めていた女性が、歌ではなく曲の合間の進行で行き止まりに当たり、音楽の道から離れた経緯を、記者が短くまとめています。この記事によれば、その後は介護施設で長く働きながら吃音を周りに伏せていて、50歳の頃に治療に取り組む中で同じ吃音のある仲間と出会い、いまは自分の経験を題材にした曲のライブや講演を続けているといいます。歌えることは、話せることを意味しませんでした。総説も、人や聴衆に向けられた発話や、何かを伝える目的をもつ発話では吃音が現れる一方、声に出した独り言には出ないことを、よく知られた現象として挙げています。
出典: 「吃音」当事者として歌や講演で理解深める 越賀美穂さん(丹波市)(丹波新聞)(台帳: V0133)
総説は、重症度が「伝える相手がいるかどうか」と時間の切迫によって変わることを述べ、特定の社会的な場面が体の覚醒を高め、もともと崩れやすい発話の運動の仕組みを破綻させるという見方を示しています。MCは、相手がいて、時間が空いてはいけない、まさにその場面です。
だからこの総説は、未解決の謎の一つ目に「話すときには吃音が出るのに、歌うときには出ないのはなぜか」を、二つ目に「伝える相手がいる場面では出るのに、そうでない発話では出ないのはなぜか」を挙げています。当事者が毎日不思議に思っていることが、そのまま研究の未解決の問いとして並んでいるということです。
「ラップだとどもらない」を、脳の側の説明に置き直す
ここまでの声を、研究の枠組みでまとめ直します。鍵になるのは「次の音を出す合図を、誰が作っているか」という見方です。
ある総説は、発話の制御を二つに分けて考えます。一つは、唇や舌をどう動かすかという動きの型を作る回路。もう一つは、その型を適切な瞬間にオンにしたりオフにしたりする「始動回路」です。この始動回路にあたるのが、脳の奥にある大脳基底核(今の状況に合う動きを選び、ほかに出かかった動きを抑える部分)を通る回路で、吃音の中核はこの回路の不調だというのが、この総説の立場です。
この見方は、吃音の三つの症状をきれいに説明します。今の音を終える合図が出そこねると、その音が伸びたまま続きます(伸発)。次の音を始める合図が出そこねると、言葉が出ないまま詰まります(難発)。合図が一瞬途切れると、次の音が始まりかけて早く終わり、また始まり直します(連発)。三つは別々の故障ではなく、同じ合図の別々の失敗だという整理です。
そのうえで、外から拍が与えられる条件の説明が来ます。斉読やメトロノームに合わせた発話では、そのタイミングが外から感覚の担当領域に入ってきて、そのまま発話を始める領域へ渡されます。だから大脳基底核の回路が自前で合図を作る必要が減る、というのがこの総説の説明です。ビートが鳴り続けているラップは、この「外から来る拍」がずっと供給されている状態に当たります。
自分の声の聞こえ方を変える条件も、別の枠組みから説明されています。雑音を流すと、自分の声との差が聞き取りにくくなり、細かいずれを直そうとする働きが起きにくくなるため、繰り返しが減るという説明です。声を遅らせて返す装置や斉読も、元の声と同時に別の音が聞こえる点で同じ向きに働くと考えられています。ただし同じ論文は、雑音より装置や斉読のほうが効果が大きいので、聞こえ方の変化だけでは説明しきれないとも書いています。
そして歌については、総説は率直です。歌うことは、最も重い例でも吃音を劇的に消してしまう。話すときに比べて、のどと口の動きの組み合わせ方や時間の組み立てが変わり、母音が伸び、発声が安定する——そこまでは分かっている。けれど、なぜそれで吃音が消えるのかは未解決のまま残されています。ラップが「歌と会話の中間」に見えるのは確かですが、その中間のどこで何が効いているのかは、まだ誰も測り切っていません。
もう一つ大事な条件があります。歌や斉読で吃音がすぐ減るのは、子どもの時期に始まる発達性の吃音の特徴です。大人になってから脳の損傷などで生じた神経原性の吃音は、課題によって出方が変わらず、流暢になりやすい条件でも改善しない——パーキンソン病の患者を調べた研究は、先行研究のこの記述を引いたうえで、自分たちが調べたパーキンソン病の吃音は斉読で大きく減った点でそれとは違っていた、と述べています。「歌えばどもらない」は、どの吃音にも当てはまる万能の性質ではありません。
相談できる場所と、周りにできること
ここまでの話は「ラップをやれば楽になる」という助言ではありません。話す場面の困りごとには、それ専用の相談先があります。
吃音の相談にあたるのは、主に言語聴覚士です。学校や職場で配慮を求めるときにも、医師の診断書や言語聴覚士の報告書の提出が求められる場合があると説明されています。子どもであれば、地域の「ことばの教室」が窓口になります。次のようなときは、一人で抱えずに相談を考えてみてください(あくまで目安で、当てはまらなくても相談して構いません)。
- 面接・発表・電話応対など、避けられない場面が近づいていて不安が強い
- 言い換えや先延ばしで乗り切る負担が大きく、日常的に警戒し続けている
- 話す場面を避けるようになり、人付き合いや進路の選択に影響が出ている
制度の側も動いています。2016年に施行された障害者差別解消法により、学校や職場での吃音を理由とした差別的な言動・扱いは禁止されていて、発表や電話応対の免除、試験などでの面接時間の延長といった合理的配慮を求めることができます。条件を満たせば精神障害者保健福祉手帳や身体障害者手帳が交付される場合もあります。
同じ立場の人と会う場もあります。1965年に発足した「言友会」は国内で最も歴史が古く、定例会や全国大会を開いています。近年は若者を対象とした団体や、女性の集いを開く団体も設立されています。自助団体に参加して他の吃音のある人と出会うことが、吃音を否定的に捉えることが減るといった心理的な変化のきっかけになることもある、とも書かれています。
なお達磨さんは、名古屋の専門学校で言語聴覚士の勉強をしていると語っています。そこで学んだことも生かして、吃音について社会の理解を深める取り組みができたらと話しています。
「ラップならどもらない」で陥りがちな3つの落とし穴
落とし穴1 − 「ラップで言葉が出た=吃音が無くなった」と読む
歌や斉読で流暢になることは、一時的に流暢になる条件の一つとして整理されているものです。学会の解説も「一時的ですが流暢になる人が多い」という書き方をしています。舞台で流れるように言葉を並べている人が、その日の帰りに注文で詰まることは、矛盾ではありません。達磨さん自身も、レジの前の困りごとをインタビューで語っています。
落とし穴2 − 「ラップを練習すれば治る」と本人や家族に勧める
研究が示しているのは、外から拍が与えられる場面ではどもりが減るということであって、その場面を繰り返せば話す場面が良くなる、ということではありません。歌うとなぜ吃音が消えるのかすら、まだ解けていない問いとして残っています。訓練の相談は言語聴覚士に向けてください。良かれと思った「これをやってみたら」は、うまくいかなかったときに本人の責任にすり替わります。
落とし穴3 − 「吃音症のラッパー」というラベルで人を見る
この点は、本人がはっきり語っています。吃音症は「ラッパー達磨」の特徴の一つでしかないので、「吃音症ラッパー」と呼ばれるのはもどかしい、と。吃音があるから注目されただけだと言われることも、吃音のある人から励まされたと言われることも、どちらもあるといいます。映画『ブラック校則』では、吃音のある高校生・東詩音を演じ、自分と同じ境遇だったのでクライマックスでは半分は自分自身を出すつもりでラップと演技をした、とコメントしています。人を、症状の名前で要約しないということです。
よくある質問
吃音症のラッパー・達磨さんはどんな人ですか?
愛知県出身・在住のラッパーで、高校1年生からラップを始めました。2018年に高校生ラップの大会の本戦に出場し、2019年にNHK『バリバラ』へ出演、同じ年に映画『ブラック校則』で俳優デビューしています。吃音をテーマにした楽曲「音文」があり、『バリバラ』で放映されたライブ映像は300万回ほど再生されたと語っています。名古屋の専門学校で言語聴覚士の勉強もしています。
なぜラップだとどもらない人がいるのですか?
有力な説明は「外から拍が与えられると、脳が自前で『次の音を出す』合図を作らなくて済む」というものです。声を合わせて読む斉読では、相手の声が発話のタイミングを外から与えていると考えられています。ビートが鳴り続けるラップは、この外から来る拍がずっとある状態に当たります。ただし、歌うとなぜ吃音が消えるのかは未解決の問いとして残っています。
ラップや歌を練習すれば、吃音は治りますか?
そうは言えません。研究が確かめているのは、歌や斉読といった条件の「最中に」どもりが減るということで、その効果が日常の会話に移るかどうかは別の問題です。学会の解説も、こうした場面での流暢さを「一時的」と書いています。話す場面の相談は言語聴覚士にしてください。
歌えるのに話せないと、周りに分かってもらえません。どう説明すればいいですか?
吃音は、状況によって症状が出やすかったり出にくくなったりするものだと、学会の解説が明記しています。研究でも、一人で話すときと一人で読むときにはどもりが多く、声を合わせて読むときには大きく減ることが確かめられています。「場面によって変わるのがこの症状の性質です」と、公的な解説のページごと見てもらうのが早いかもしれません。
大人になってから出た吃音でも、歌えばどもらないのですか?
同じようには当てはまらないとされています。歌唱・斉読などで流暢さが増す現象は、子どもの時期に始まる発達性の吃音ではすぐに現れます。大人になってから脳の損傷などで生じた神経原性の吃音は、流暢になりやすい条件でも改善しないと先行研究では記述されている、とパーキンソン病の吃音を調べた研究が引いています(その研究自身のパーキンソン病の患者では、斉読で吃音が大きく減っていました)。出方が違うときは、自己判断せず医療機関に相談してください。
まとめ
- 達磨さんは愛知県出身のラッパーで、高校1年からラップを始め、『バリバラ』出演と映画『ブラック校則』での俳優デビューを経ている。吃音があることは本人が公表している。
- 歌うとき・声を合わせるとき・独り言のときに一時的に流暢になる人が多いことは、学会の公式解説にも書かれている。達磨さんだけの特別な現象ではない。
- 斉読の最中にどもりが大きく減ることは研究で確かめられており、相手の声が外からタイミングを与えているという説明がある。
- その仕組みは「外から拍が来ると、脳が自前で次の音の合図を作らずに済む」と説明されている。ラップのビートはこの拍に当たる。
- ただし、歌うとなぜ吃音が消えるのかは未解決の問いとして残っており、大人になってから生じた神経原性の吃音は流暢になりやすい条件でも改善しないと先行研究では記述されている一方、パーキンソン病では斉読で減った例がある。
- 「歌えること」は「話せること」ではない。話す場面の困りごとは言語聴覚士に相談でき、配慮を求める法的な根拠も自助団体もある。