まず結論から
- 吃音は「言いたいことが分からなくなる」ものではありません。ある総説は、話し手は言いたいことを正確に分かっていて発声器官も動かせるのに、制御が断続的に失われて構音の動きが凍りつく状態だと定義しています。
- だから多くの人が、言葉そのものを別の言葉に置き換えます。学会の解説も、どもらないための工夫として「ことばを言い換える」「言いやすい言葉を最初に言う」を挙げています。
- 歌うときや2人で声を合わせるとき、独り言のときに一時的に流暢になる人が多いことも、同じ解説に書かれています。斉読・メトロノームに合わせた発話・演技・歌唱は「一時的に流暢になる条件」として並べられてきました。
- 有力な説明は、外から拍(タイミング)が与えられると、脳が自前で「今、次の音を出す」という合図を作らずに済むというものです。歌詞のように言葉と旋律があらかじめ決まっていることも、この線上にあります。
- 音楽の技法としての言葉の反復と、吃音の症状は別のものです。吃音の反復は主に音節や語の先頭で起き、本人の意図とは無関係に起こるとされています。
ただし、歌やラップで言葉が出ることは「一時的に流暢になる条件」の一つであって、吃音が無くなったということではありません。そもそも、なぜ歌うと吃音が消えるのかは、2024年の総説がいまも「未解決の謎」の一つ目に挙げている問いです。
言いたい言葉を、別の言葉に置き換えて渡している
ラップの話に入る前に、吃音のある人が日常でやっていることを一つだけ押さえておく必要があります。言いにくい語を、その場で別の語に差し替えるという作業です。外からは何も起きていないように見えます。
当事者本人の声(難発が主の成人・名義 nagy/個人ブログ note の連載記事)
しかも、必ずしも似た言葉で言い換えができるとは限らず、「ありがとうございます」→「すみません」のように、感謝を伝えたいのに謝罪してしまうという、本来伝えたいこととは異なる気持ちを伝えてしまうことになり、ときによっては誤解されてしまうことも。
同じ記事の前半で、この書き手は自分の言い換えの実例を並べています。「ありがとうございます」は「すみません」に、勤め先の教室名を含む名乗りは教室名を落とした短い形に。理由は「お」が言えない、教室名が言えない、という音の側の事情です。一番出にくいのは「あ」行で、次いで「か」行「た」行だったため、その行から始まる単語をよく言い換えていたとも書いています。置き換えた結果、相手には別の意味が届く。感謝のつもりが謝罪になる。そのうえ、頭の中で変換を終えても一言目が出ないことがある——本人はそれを「言いたい言葉を事前に変換してから話すというのはとてもストレス」だと書いています。この「言いたいことは決まっているのに出てこない」という形は、研究の側の定義とも一致します。
出典: 変わる。吃音と「言い換え」の矛盾した苦しさ(note)(台帳: V0147)
2024年の総説は、吃音を神経科学の側からこう定義しています。話し手は自分が何を言いたいかを正確に分かっており、発声に使う器官を協調させて動かすこともできる。それなのに制御の断続的な喪失が起き、構音の動きが凍りついたり空回りしたりする。表に出る中核の症状として、言葉が出せずに固まるブロック(難発)、音や音節の繰り返し(連発)、引き伸ばし(伸発)を挙げ、そこに瞬きやしかめ顔といった随伴行動、恥やもどかしさから社会不安に至る見えない帰結、教育や就労の成果にまで及ぶ障壁が続くとしています。
日本吃音・流暢性障害学会の解説も、同じ3つの中核症状を挙げたうえで、そのほかにどもらないための工夫(ことばを言い換える、言いやすい言葉を最初に言うなど)をしたり、吃音があることを隠そうとして発話を避けるための工夫をしたりすることがある、と書いています。言い換えは症状ではなく、症状に対して本人が選んでいる手立てのほうです。
言い方が決まっている場所ほど、逃げ場がない
言い換えという手立てには、はっきりした弱点があります。言う言葉が先に決められている場面では、使えないということです。
当事者本人の声(自動車会社のデザイナーとして働いてきた渕野健太郎さん・症状に波がある側だと本人が説明/個人ブログ note の手記)
しかも、内線なら「はい、デザイン部です」、外線なら「はい、○○○○(会社名)デザイン部です」と、定型文を言う必要がありました。
私にとって、この「決められた言葉を言わなければならない状況」が特に苦痛でした。ひどいときは、言葉が完全に詰まってしまい、一言も発せずに無言のまま電話を切ってしまうことも。相手からすると、電話を取ったのに話さないという謎の状況になり、とても困ったことでしょう。
高校生のときに「喋らなくていい仕事に就きたい」と考えて絵を描く道を選んだ、とこの手記は始まります。実際に自動車会社のデザイナーになったところで待っていたのが、新入社員の仕事とされていた電話応対でした。当時は個人に支給される携帯電話がなく、多い時は5分に1本の頻度でオフィスの固定電話が鳴る。しかも出だしの言葉は内線と外線で決まっている。本人は、かろうじて最初の「はい、」までは言えてもその後が続かない日があったと書いています。症状が出ない日には普通に話せるため、周りには障害なのか話し下手なのかも分からなかっただろう、とも振り返っています。言葉を選び直す余地が無い場面ほど重くなるという形は、症状がどの位置で起きやすいかという研究の記述と重なります。
出典: 吃音と仕事のリアル:デザイナーが語る苦悩と成長(note)(台帳: V0328)
2014年の総説は、発達性吃音の古典的な特徴として、音・音節・語の繰り返し(連発)、音の引き伸ばし(伸発)、発話のブロック(難発)の3つを挙げ、これらは主に音節の先頭か語の先頭で起きると述べています。名乗りや決まった挨拶が難しくなるのは、まさにその位置に固有名詞や定型句の頭が来るからです。同じ総説は、同じ文章を繰り返し読むと言葉のつかえが減る「適応効果」と、繰り返し読んでも同じ語や同じ音節でまた出る「一貫性効果」が示されてきたことにも触れています。ただし、この2つの効果には強い批判もあると併記されています。
学会の解説も、吃音による失敗体験が重なると、話し始める前に不安や恐怖を感じ、次第に会話や社交を避けるようになることがあると書いています。避けられる場面は避け、避けられない場面だけが残る——電話応対や自己紹介が繰り返し語られるのは、そこが「残る側」だからです。
決まり文句のほうを、自分で作り替えてしまう
言い換えが使えないなら、言い換えられるように場のほうを作り替える。そういう向き合い方をしている人もいます。
当事者本人の声(阿部研さん・企業の研修部で働く吃音研修講師/個人ブログの「電話応対の工夫」記事。原文の絵文字も本人の表記のまま)
これは私だけではないと思いますが、マニュアルはしんどいです💦
長いし、硬いし、言いづらいし、いい事なしです。。。
なので思い切ってマニュアルを無視しましょう❗️
具体的には、
「はい、〇〇株式会社の阿部です。」ぐらいに縮めていいと思います👍
上記はほんの1例なので、ご自身が最も言いやすい、"失礼でない程度"の言い方を考えてみて下さい。
研修部という職種柄、電話とは切り離せない——そう前置きしたうえで、この書き手は自分の工夫を3つ挙げています。受話器を取ってから3秒はタイミングを計る時間にすること、マニュアル通りの言い回しを無視すること、メールで伝えられることは事前か事後にメールすること。3つ目の理由として本人が書いているのは、どもらないように話すとどうしても言い換えが生じ、仕事では言い換えた結果が間違って伝わる危険もゼロではない、ということでした。ここで起きているのは、症状を消す作業ではなく、言葉を出しやすい形に環境のほうを寄せる作業です。吃音の出方が場面や相手によって変わることは、総説の側も繰り返し述べています。
出典: どもりにくい電話応対の工夫(阿部研修講師のブログ)(台帳: V0521)
2024年の総説は、吃音の神経生物学的な基盤が突き止めにくい理由として、症状の変動の大きさを挙げています。同じ人の中でも重さが日・週・月の単位で揺れ、良い時期と悪化する時期が数週間から数か月続く。見え方や聞こえ方は、性格・社会的な文脈・何を伝えようとしているか・そのときの感情の状態によって変わる。そして、音や語を避ける・言い換える・つなぎ語を入れるといった隠すための方略も、人によって場面によって違うと述べています。同じ総説は、神経画像の研究の多くが表に出る吃音を指標にしてきたために、いまの知識が不完全だとも認めています。
学会の解説も、調子の良い状態や悪い状態が数週間から数か月にわたって続く人が多く、この変動を「波」と呼ぶと説明しています。外から見た軽さは、その人の困りごとの軽さではありません。
言葉を置き換える手癖が、詞を書く仕事で働くとき
ここまでは、言い換えが本人に負わせている負担の話でした。一方で、同じ作業を別の場所で使っている人がいます。バンドで作詞を担当している当事者の手記です。
当事者本人の声(タナカヒロキさん・LEGO BIG MORL のギターと作詞を担当/NPO法人日本吃音協会が運営するメディアの体験談。本人名義の手記)
吃音の”おかげで”言葉を言い換えることに慣れている私は作詞家として音符の数に合わせて瞬時に詞を当てはめることができる。
吃音の”おかげで”KITSUという活動ができ、音楽だけでは出会えない人たちに出会えた。
この手記の前半には、言葉を扱う仕事をしながら思うように言葉を発音できない吃音者である、という皮肉に直面した、という一節が置かれています。転機として書かれているのは、心を許せる数人の友人に「吃音って知ってる?」と尋ねてみた場面でした。返ってきたのは「あーなんか吃るやつ?」「その漢字なんて読むん?」といった答えで、本人は、当事者の自分でさえ吃音を知らなかったのだからそんなものかとも思う、と受け止めています。そこから、隠しながら生きるよりもっと世の中に打ち明けていけば暮らしやすい環境ができるのではないか、という考えに進みます。引用した2文は、その流れの先に本人が書いた自己評価です。音符の数は先に決まっていて、そこに入る言葉は自分で選べる——日常では負担だった置き換えの速さが、詞を書く場面では持ち場になる、という筋です。ただし本人も、これを吃音が良くなった話としては書いていません。
出典: なぜ吃音であるのに自分は今こうなっているのか(HAPPY FOX・NPO法人日本吃音協会)(台帳: V0251)
音楽に向かった当事者がほかにもいることは、支援団体の資料から確かめられます。英国の吃音支援団体 STAMMA がまとめている著名人の一覧には、歌手・音楽家の区分があり、本人の言葉の引用が添えられています。あるラップのアーティストは、子どもの頃どもっていた、だから自分のエネルギーを音楽をつくることに注いだのだと思う、それが自分の考えを外に出す方法だった、と語っています。あるシンガーソングライターは、子ども向け番組の朗読の中で自分の子どもの頃の吃音に触れ、それが自分を人と違うと感じさせた、昔は吃音なしに話せる日は来ないと心配していたが今は歌うし人とも話している、と述べています。米国の吃音財団も、俳優・歌手・エンターテイナーの区分を持つ同様の一覧を公開しています。
同じ一覧には但し書きも付いています。STAMMA は、裏づけの取れない名前には疑問符を付けていると明記し、ある有名人について吃音があると書かれたページが多数あるが裏づけとなる情報源が見つからないため疑問符を付けた、と具体的に説明しています。名前が挙がっていることと、その人が公表していることは、同じではありません。
歌詞やラップだと言葉が出るのは、なぜなのか
ここからは、当事者が「不思議だ」と言っているこの現象を、研究の枠組みに置き直します。鍵になるのは「次の音を出す合図を、誰が作っているか」という見方です。
まず、この現象自体は広く知られています。学会の解説は、吃音の特徴として状況によって症状が出やすかったり出にくくなったりすることを挙げ、例として歌を歌うときや2人で声を合わせるとき、独り言を言うときなどに、一時的ですが流暢になる人が多いと書いています。2014年の総説も「一時的に流暢になる条件」を列挙しており、斉読(声を合わせて読むこと)、メトロノームに合わせた発話、外国語のアクセントや役割演技・演技のような自動化されていない話し方、ホワイトノイズ、そして歌唱が並んでいます。この総説は、こうした条件で改善することは、問題が声の通り道や末梢の神経の異常ではなく、発話運動の計画の水準にあることを示唆すると解釈しています。
脳の側の説明はこうです。2020年の総説は、発話の制御を、唇や舌の動かし方の型を作る回路と、その型を適切な瞬間にオンにしたりオフにしたりする「始動回路」に分けます。「pet」と言うとき、脳の奥にある大脳基底核(今の状況に合う動きを選び、出かかった別の動きを抑える部分)は「p」の完了の兆し——唇が閉じた、といった手がかり——を見張り、完了を検出すると終了の合図を送って、次に「e」を選んで始動させる。繰り返し練習すると、この順番を追う仕事を大脳基底核の回路が引き受けるようになり、発話が「自動的」になって高次の領域が手を離せるようになる。この見方では、吃音は覚えた発話の並びを始動し順序づける役目の不調として解釈できる、というのがこの総説の立場です。
そのうえで、外から拍が与えられる場面がどう違うのかを説明します。始動と終了の合図は「いつ動きを始めるか・終えるか」を示すタイミングの信号だと捉えると、誰かと声をそろえて読む斉読や、メトロノームに合わせて話す条件では、そのタイミングが外から感覚の担当領域に入ってきて、そのまま発話を始める領域へ渡される。だから大脳基底核の回路が自前で合図を作る必要が減る、という説明になります。同じ総説は、歌うと流暢になる現象については、普通の発話とは別の仕組みで音のタイミングを作っている可能性が高い、と慎重に書いています。
歌と話し声は、どこが違うのか。2024年の総説は、歌の旋律は決まっていなければ旋律として認識されないのに対し、話し声の抑揚は伝えたい内容によって毎回変わるという対比を置いています。同じ歌詞でも歌えば毎回ほぼ同じ高さをたどるのに、話すときは上がり調子で高揚を、下がり調子で皮肉を示すというように別の型を使える。リズムと音量の時間的な枠組みも、歌では固定されている。そして、歌の旋律を出すときは聴覚の記憶とフィードバックによる制御をより多く使い、話し声のほうがより自動化されている、と整理しています。歌うときには話すときに比べて、のどと口の動きの組み合わせ方や時間の組み立てが変わり、短い発声区間の割合が減って母音が伸び、構音の速さが落ち、発声が安定するとも述べています。
それでも、最後の一段は分かっていません。同じ総説は、未解決の謎の一つ目に「話すときには吃音が出るのに、歌うときには出ないのはなぜか」を挙げ、歌うことが最も重い例でも吃音を劇的に消してしまうことを起点に検討を進めたうえで、答えを問いのまま残しています。歌詞のように言葉と旋律があらかじめ決まっていることが効いているのか、拍が外から来ていることが効いているのか、切り分けはまだ済んでいません。
ラップの中の言葉の反復と、吃音の症状は別のもの
ここが、この記事でいちばん取り違えられやすいところです。言葉を細かく刻む、同じ音を続ける、わざと詰まらせる——ラップやポエトリーリーディングで使われるこうした手つきは、聞こえ方だけなら吃音の症状に似ています。ただ、研究が吃音と呼んでいるものとは、成り立ちが違います。
違いは3つの点に整理できます。
- 意図されているかどうか。 2024年の総説による吃音の定義は、話し手は言いたいことを正確に分かっており発声器官も動かせるのに、制御の断続的な喪失が起きるというものです。作品の中の反復は、書いた側が選んで置いたものです。
- どの位置で起きるか。 2014年の総説は、吃音は主に音節の先頭か語の先頭で起きると述べています。表現としての反復は語尾でも句の途中でも置けます。
- やめられるかどうか。 吃音では、同じ文章を繰り返し読んでも同じ語や同じ音節でまた出るという「一貫性効果」が示されてきたとされます(ただしこの効果には強い批判もあると同じ総説が併記しています)。作品の反復は、次のテイクで別の形にできます。
紛らわしさには理由もあります。2014年の総説が挙げる「一時的に流暢になる条件」には、外国語のアクセントや役割演技・演技のような自動化されていない話し方が含まれています。普段と違う声色や語り口で話すこと自体が、その場では言葉を出しやすくする条件になりうるということです。作品の中で意図的に言葉を刻んでいる人が、同時に吃音のある人でもある、ということも当然あります。どちらか一方だけが正しい読み方だ、という話ではありません。
そのうえで、はっきりさせておくべきことがあります。作品の中の表現や、話しているときの声の印象から、その人に吃音があるかどうかを決めることはできません。 英国の支援団体が著名人の一覧に疑問符を付け、裏づけとなる情報源が見つからないと明記しているのは、この線を引くためです。本人が自分で公表していない限り、外からは分かりません。
逆の向きの取り違えもあります。吃音のある人が全員、歌えばどもらないわけでもありません。学会の解説が書いているのは「一時的ですが流暢になる人が多い」であって、全員ではありません。総説が挙げる変動の大きさも、同じ人の中で日や週の単位で揺れることを含みます。
相談できる場所と、周りにできること
音楽や表現を続けることと、話す場面の困りごとを相談することは、別々に進めて構いません。むしろ、別々に置いたほうが安全です。
子どもの場合、学会の解説は、楽に話しやすくなるために周囲のコミュニケーション環境を整える方法(環境調整)や、直接発話に働きかける方法、吃音のことを理解する方法など、年齢や状態に合わせた指導が行われるとしたうえで、小児を扱う言語聴覚士(ことばや聞こえの専門職)や、ことばの教室の教員に相談することを勧めています。周囲の大人に向けては、本人がわざとやっているわけではないことを伝え、クラスや学童保育、習い事の場で吃音の理解と啓発の機会を設けてもらえるよう働きかけること、そして吃音の指摘やからかいを減らすことによって本人が安心して話し続けてよいのだと実感できるようになることを挙げています。
働いている人には、制度の側の後ろ盾があります。2016年に施行された障害者差別解消法により、学校や職場での吃音に対する差別的な言動や扱いは禁止されており、発表や電話応対の免除、試験等での面接時間の延長といった配慮——法律の言葉では「合理的配慮」——を求めることができます。その際に、医師の診断書や言語聴覚士の報告書の提出を求められる場合があります。電話応対の免除がこの例に名指しで挙がっているのは、この記事で2人が語った場面がそのまま制度の想定に入っているということでもあります。
次のようなときは、様子を見るだけにせず、相談を考えてみてください(あくまで目安で、当てはまらなくても相談して構いません)。
- 歌や表現の場では困っていないように見えるために、話す場面の困りごとを言い出せずにいる
- 名乗りや定型の挨拶が必要な業務を避け続けていて、続けたかった仕事や進路を変えようとしている
- 頭の中で言葉を置き換え続けることに疲れ、会話そのものを避けるようになっている
この3つは相談を考えるきっかけとして挙げたもので、特定の資料が「受診の目安」として定めているものではありません。なお学会の解説は、吃音による失敗体験が重なると、話し始める前に不安や恐怖を感じ、次第に会話や社交を避けるようになることがある、と書いています。
「ラップならどもらない」で陥りがちな3つの落とし穴
落とし穴1 − 作品の中の言葉の刻み方を、その人の症状として読む
意図して置いた反復と、制御が断続的に失われて起きる反復は、成り立ちが違います。吃音の反復は主に音節や語の先頭で起き、繰り返し読んでも同じ語でまた出るとされてきました。作品の中の表現からは、その人に吃音があるかどうかは決められません。英国の支援団体が著名人の一覧に疑問符を付けているのも、裏づけの取れない帰属を避けるためです。
落とし穴2 − 「歌える=話せる」と受け取る
学会の解説は、歌うときなどに流暢になることを「一時的ですが」という言い方で書いています。ステージで最後まで歌い切れることは、名乗りや電話の第一声でも言葉が出ることの証拠にはなりません。この記事で語られているのは、決められた言葉を言わなければならない場面で言葉が完全に詰まった、という経験のほうです。周囲がここを取り違えると、本人は「歌えていたのに」という言葉を受け取ることになります。
落とし穴3 − 「ラップをやれば良くなる」と本人や家族に勧める
研究が示しているのは、外から拍が与えられる場面や歌う場面ではどもりが減るということであって、その場面を繰り返せば話す場面が良くなる、ということではありません。歌うとなぜ吃音が消えるのかすら、いまだ解けていない問いとして残っています。音楽は楽しみや持ち場として続けたうえで、話す場面の相談は言語聴覚士やことばの教室に向けてください。
そのうえで、どの場面で言葉が出にくかったか・どの場面では楽だったかを書き留めておくと、相談のときに自分の状態を説明しやすくなります。歌では出なかった、でも名乗りでは出た、という記録は、職場で配慮を頼むときの材料にもなります。
よくある質問
ラップで言葉が詰まったり同じ音が続いたりするのは、吃音なのですか?
作品の中の表現だけからは決められません。研究が吃音と呼んでいるのは、言いたいことは正確に分かっていて発声器官も動かせるのに、制御が断続的に失われる状態です。また、吃音の症状は主に音節の先頭か語の先頭で起きるとされています。意図して置いた反復とは成り立ちが違いますが、両方が同じ人に起きていることもあります。
あるアーティストに吃音があるかどうかは、どこで確かめられますか?
本人が自分で公表した範囲までしか分かりません。英国の吃音支援団体は著名人の一覧を公開していますが、裏づけとなる情報源が見つからない名前には疑問符を付けていると明記しています。米国の吃音財団も同様の一覧を公開しています。ネット上に多くのページがあることは、裏づけがあることを意味しません。
なぜ、歌詞やラップだと言葉が出るのですか?
有力な説明は「外から拍(タイミング)が与えられると、脳が自前で『次の音を出す』合図を作らなくて済む」というものです。斉読・メトロノームに合わせた発話・演技・歌唱は、一時的に流暢になる条件として並べられてきました。歌では旋律もリズムも決まっており、話し声の抑揚のように毎回変わることがない、という違いも指摘されています。ただし、歌うとなぜ吃音が消えるのかは未解決の問いとして残っています。
言い換えを続けるのはよくないことですか?
良い悪いを判定できる資料はありません。学会の解説は、言い換えや言いやすい言葉を先に言うことを、どもらないための工夫として事実として挙げています。ある総説も、音や語を避ける・言い換える・つなぎ語を入れるといった方略が人によって場面によって違うと述べています。ただし、言い換えたせいで伝えたい意味が変わることがあると当事者が書いているとおり、負担や行き違いが伴う場面もあります。困りごとが続くときは言語聴覚士に相談してください。
職場の電話応対がどうしても苦しいときは、どうすればいいですか?
2016年に施行された障害者差別解消法により、発表や電話応対の免除、試験等での面接時間の延長といった合理的配慮を求めることができるとされています。その際、医師の診断書や言語聴覚士の報告書の提出を求められる場合があります。手立ての工夫としては、決まった言い回しを自分が言いやすい形に縮める、伝える内容をメールで補うといった方法を当事者が書いています。
まとめ
- 吃音は、言いたいことは正確に分かっていて発声器官も動かせるのに、制御が断続的に失われる状態だと定義されている。だから多くの人が、言葉そのものを別の言葉に置き換えている。
- 言い換えには、伝えたい意味が変わってしまうという代償がある。当事者は「感謝を伝えたいのに謝罪してしまう」という例を書いている。
- 言い方が先に決まっている場面では、言い換えが使えない。吃音の症状は主に音節や語の先頭で起きるため、名乗りや定型の挨拶が難しくなる。
- 歌うときや2人で声を合わせるときに一時的に流暢になる人が多いことは、学会の解説に書かれている。斉読・メトロノーム・演技・歌唱は一時的に流暢になる条件として並べられてきた。
- 仕組みは「外から拍が来ると、脳が自前で次の音の合図を作らずに済む」と説明される。歌では旋律もリズムも固定されている点も指摘されている。ただし、なぜ歌うと消えるのかは未解決のまま残っている。
- 作品の中の言葉の反復と吃音の症状は、意図されているか・どの位置で起きるか・やめられるかの3点で違う。作品や声の印象から、その人に吃音があるかは決められない。
- 話す場面の相談先は言語聴覚士とことばの教室。学校や職場では、電話応対の免除などの合理的配慮を求められる。