吃音の人との接し方|「ゆっくり」より待つ・当事者の声と研究

目次

目の前の人の言葉が止まる。数秒、口が動いているのに音が出ない。「急がなくていいよ」と言えばいいのか、黙っていたほうがいいのか、それとも言いたそうな言葉を先に出したほうが親切なのか——同僚や友人、店員として吃音のある人と向き合ったとき、正解が分からないまま反応してしまった、という経験は珍しくありません。

この記事は、「こうしなさい」という心得の一覧ではなく、当事者が実際に「こうしてほしかった」「これはつらかった」と書き残した言葉と、日本吃音・流暢性障害学会の解説、筑波大学の研究者らが関わる自己開示の研究、厚生労働省の職場向け資料を並べていきます。助言どうしが食い違って見える理由も、そのまま書きます。

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吃音当事者。研究論文と当事者の声をもとに、吃音の情報を出典つきで発信しています。

この記事は情報提供を目的としたもので、診断や治療の判断に代わるものではありません。気になる症状があるときは、言語聴覚士やことばの教室にご相談ください。

まず結論から

  • 言葉が詰まっている瞬間に何が起きているかは、外からは見えません。詰まっている・制御を失っているという感覚を知りうるのは話し手だけだと報告されています。
  • 「ゆっくり」「落ち着いて」という声かけは、家庭での接し方を具体化した公的な解説でも極力控えることが勧められています。
  • 本人が自分から吃音を伝えた場面を比べた研究では、謝る形よりも、情報として伝える形のほうが聞き手の印象がよかったと報告されています。受け取る側は、詫びさせない受け取り方ができます。
  • ただし「待ってほしい」が全員の希望ではありません。開示はすべての人・すべての場面で有益とは限らない、と研究自身が断っています。
  • 職場や学校では、発表や電話応対の免除、試験時の時間の延長といった配慮を求められることが、法律を根拠に位置づけられています。

ただし、ここに並んだのはどれも「多くの人に当てはまる傾向」であって、目の前のその人の正解ではありません。希望は一人ずつ違うので、最終的には本人に確かめるのがいちばん確実です。

見えている部分は、起きていることの一部

接し方を考える前に、そもそも何が起きているのかを押さえておくと、迷いが減ります。学会の解説は、音や語の繰り返し・引き伸ばし・詰まりといった症状に加えて、調子の良い状態や悪い状態が数週間から数か月続く人も多く、この変動を「波」と呼ぶと説明しています。「先週は普通に話していたのに」と感じるとき、その人の話し方が気分で変わったのではなく、こうした波の中にいることがあります。

さらに、外から見える詰まりは起きていることの一部にすぎません。500人を超える成人への調査では、約半数が、言いにくい音・語・場面を避けたり、詰まりそうな語を別の言い方に差し替えたりする行動を少なくともときどきとっており、1〜2割は「よく」「いつも」そうしていると答えています。つまり、その場で詰まっていない=困っていない、ではないということです。滑らかに聞こえる会話の裏側で、言いたかった言葉が言える言葉に置き換わっていることがあります。

原因についても、古い説が今も残っています。学会は、親の接し方が悪かった(愛情不足)ことを原因とする考え方や、親が吃音だと思って対応することが原因だとする説を最も問題のある間違った原因論として名指しで否定し、話し方を真似すると吃音になる(伝染する)という俗説にも触れています。周りの人が「自分の関わり方のせいだろうか」と抱え込む必要はありません(真似と伝染の話は吃音は真似するとうつる?で詳しく扱っています)。

「ゆっくりでいいよ」と言いたくなるとき

言葉が出てこない相手を前にして、最も多く口をついて出るのがこの一言です。気遣いから出た言葉で、悪意はどこにもありません。ただ、受け取る側がそれをどう感じているかは、あまり語られてきませんでした。

当事者の声(吃音とADHDのある看護学生・本人のブログ)

吃音があると言うと、「焦らなくていいよ」「ゆっくり話したらいいよ」と言ってもらうことがあります。もちろん、気遣って言ってくれているのは分かるし、「待ってくれる」という安心感はありがたいです。ただ、ゆっくり喋れば必ず吃音が出なくなるわけではありません。

私も、「よし、落ち着いて……ゆっくり……」と思って、口「…………」って普通になります。私「ゆっくり以前にスタートできてない。」

なので個人的には、「ゆっくり喋って」よりも、言葉が出るまで普通に待ってもらえることの方がありがたいです。途中で代わりに言葉を言われるより、「出るまでちょっと待っててくれ〜」と思うこともあります。もちろんこれも人によって違うので、吃音がある人全員が同じように感じるわけではありません。

看護師を目指して実習に立つ当事者が、周囲からかけられる言葉を順に振り返っています。気遣いであることは本人も分かっていて、待ってもらえる安心感はありがたいとも書いている。そのうえで記録されているのは、落ち着いてゆっくり話そうとしたまさにその瞬間に、最初の音そのものが出てこないという事実です。助言の内容と、体の中で起きていることの間にずれがある。本人が挙げたのは、話し方への指示ではなく、言葉が出るまでの時間でした。研究の側も、話すときに何を目標に置くかが体験そのものを変えることを報告しています。

出典: 吃音って「どもる」だけじゃない。言葉が出ない、言い換える、話す前から怖くなる話(note)(台帳: V0320)

ここには、よく似ていて実はまったく違う2つの行為が混ざっています。聞き手が自分の話す速さを落とすことと、相手に速さを指示することです。家庭での接し方を行動レベルで具体化した吃音ポータルサイトの解説は、大人の側の話し方や、話し終えてから一呼吸置くことを整えるよう勧める一方で、子どもに対して「ゆっくり」「落ち着いて」などの声かけは極力控えるとしています。整えるのは自分の側であって、相手の話し方ではない、という分け方です。

なぜ指示のほうが逆効果になりうるのか。500人を超える成人に「話すときの目標は何か」を尋ねた調査では、回答が2つに分かれました。より流暢に話す・どもらないことと、どもるかどうかにかかわらず言いたいことを言うことです。そして前者の目標を強く持つ人ほど、場面や音や語を避け、力んでもがき、恥ずかしさや罪悪感、恐れを経験しやすいと報告されています。「うまく話すこと」を目標の中心に置くほど、負担が増える向きに働くということです。聞き手の一言は、その目標をどちらに寄せるかに触れています。

言葉が出ない数秒を、埋めてしまう

沈黙が続くと、聞き手の側にも居心地の悪さが生まれます。それを解消しようとして、言いかけの言葉を先に出す。会話は滑らかになり、その場は収まったように見えます。

当事者の声(生来の吃音とともに60年を過ごしてきた男性・本人のブログ)

難発でことばが詰まり出なくなり数秒沈黙していると、気を利かせた相手がすかさず空白にことばをすべりこませコミュニケーションを円滑にさせたりしたことがあるのも、こっちとしては意図せざるもので、そうじゃないよ、不本意だと感じ、ちょっぴりつらいんです。待っていてほしかった。

薬局での会話の場面として書かれた一節です。言葉が出ずに数秒の空白が空き、相手はそこを埋めようとして先に言葉を差し出す。差し出した側にとっては、沈黙を放っておかないための気遣いでした。受け取った側には、言おうとしていた言葉が途中で引き取られた出来事として残っています。同じ数秒を、二人はまったく違うものとして見ている。この食い違いは、詰まっている瞬間に何が起きているかを外から見ることの難しさそのものでもあります。

出典: なにげない日常にこそ吃音差別がある(note)(台帳: V0497)

研究の側は、この非対称をはっきり書いています。詰まっている・制御を失っているという内側の感覚を知りうるのは話し手だけだ、というのが500人規模の調査から得られた結論でした。聞き手に見えているのは、止まった口と空いた時間だけです。

同じ論文はさらに踏み込んで、吃音がほぼもっぱら聞き手の目と耳を通して定義されてきたことを問題にしています。古典的な定義でも「吃音という語は聞き手が下す判断を意味する」と述べられ、その後の分類も聞き手の判断にもとづいてきました。しかし観察される行動は変動が大きく、判断の信頼性にも疑問があるため、どもる瞬間を聞き手が見聞きしたものから正確に定義できるという前提そのものが成り立たないかもしれないと論じられています。「もう言い終わったようだ」「困っているから助けよう」という判断も、この外側からの読み取りの上に立っています。

「待つ」が全員の正解とは限らない

ここまで読むと、「最後まで黙って待てばいい」という一つの答えにたどり着きそうになります。ところが、その一般化でこぼれる人がいることを、場を運営した側が記録しています。

当事者の声(「注文に時間がかかるカフェ」発起人・女性。Webメディアのインタビュー)

たとえば、「店員が話し終わるまで待ってください」というのが吃音を持つ人に対する一般的な配慮ですが、話の途中でも先を推測してほしい人もいました。そういった人の話を聞くなかで、吃音というのはいろんな症状があって、考え方もさまざまだということに改めて気がつきました。

どうしようかと考えた末に、「注文に時間がかかるカフェ」を始めた頃はコロナ期間でマスクをつけていたため、マスクに自分がどうして欲しいか、ひと言書くことにしたんです。ほかにも考えることがでてきたら、その都度みんなで話し合って解決してきました。

吃音のある若者が店員として立つ1日限定のカフェを、全国で開いてきた発起人の言葉です。入り口で客に配慮の方法を説明する決まりを作ったところ、その「一般的な配慮」に当てはまらない参加者がいることが分かってきた。待ってほしい人がいる一方で、途中で先を推測してほしい人もいる。説明を一つに決めてしまうと、後者の希望は最初から消えてしまいます。たどり着いたのは、配慮の中身を運営側が決めるのをやめ、本人がその日の希望を一言書いて客に伝える形でした。何をしてほしいかを決める権限が、本人の側に戻っています。

出典: 吃音で諦めた夢を「注文に時間がかかるカフェ」批判乗り越え3年で全国約50か所で開催(CHANTO WEB)(台帳: V0249)

「どちらが正しいのか」を研究に求めても、いまのところ答えは返ってきません。自己開示を扱った研究を、あらかじめ決めた条件で集めて突き合わせた報告は、伝える場面・話し手や聞き手の年齢・吃音の頻度や重さ・その聞き手が吃音のある人と知り合いかどうかといった条件について、調べた研究自体が少ないと述べています。条件ごとの最適解は、まだ分かっていないということです。

面接場面で開示のしかたを比べた研究も、結論の最後で開示はすべての状況・すべての人に有益とは限らないと断っています。使うかどうかの判断も、返ってくる反応も、人によって変わりうるからです。「吃音のある人にはこうする」という一枚の心得表が作れないのは、記事の書き手が煮え切らないからではなく、そういう性質のものだからです。迷ったら、目の前の人に「どうするのがいい?」と聞くのがいちばん早く、それ自体が失礼な質問ではありません。

打ち明けられたとき、受け取る側は何をするか

「実は吃音があって」と本人から言われる場面があります。よく見かける心得の多くはここで終わっていて、受け取った側が次に何をするかは、あまり書かれていません。

当事者の声(専門学校生のときカフェで働いた本人・本人のブログ)

仕事は食器洗浄と謳っているも、軽食の店内調理の仕事も兼ねていてとても楽しかった。面接のときに、吃音のことは他の従業員にも話してほしいと伝えていたため、仕事仲間が私のことを理解してくれていたのはとても心強かった。

アルバイト探しを振り返った記録です。選んだのはチェーンカフェの食器洗浄で、面接では吃音があること、人前で話す自信がないこと、本当はレジやバリスタに憧れがあることまで話したうえで採用されています。そこで本人が頼んだのが、吃音のことを他の従業員にも伝えてほしい、ということでした。打ち明ける相手を面接の一人で終わらせず、一緒に働く人たちまで広げてほしい——受け取った店長がその通りにしたため、初日には仕事仲間がすでに知っている状態が用意されていました。伝える負担をどこで引き取るか、という話でもあります。研究の側は、伝え方によって聞き手の受け取り方が変わることを報告しています。

出典: 吃音があったってカフェ店員やりたいし、やっていい(note)(台帳: V0153)

開示のしかたを比べた実験では、就職面接の冒頭で話し手が述べる文言を3通り用意しました。情報として伝える形では、始める前に自分は吃音があると知らせ、音や語を繰り返すことがあるが、分からないことがあれば遠慮なく聞いてほしい、と続けます。もう一方は謝る形、そして開示なしです。観察者の評価を比べた結果、情報として伝える形は開示しない場合より肯定的に受け取られ、外向的・自信がある・不安げといった評価では効果は中程度でした。複数の研究を集めて突き合わせた報告でも、条件として比べた研究では、謝る形や開示しない場合より謝らない形の開示のほうが好意的に受け止められています。

この結果は、受け取る側への含意を持っています。本人に詫びさせない受け取り方ができる、ということです。「すみません、うまく話せなくて」と切り出されたときに、謝罪として処理せず情報として受け取る。反応を大ごとにしない。開示の効果は、聞き手の反応と組で決まります。

日本ではもう一つ前提があります。日本の成人当事者を対象にした調査では、吃音を打ち明ける度合いが米国の調査より低く、これは社会文化的な違いを映しているのかもしれないと述べられています。同じ調査では、自助グループの経験があること、自己受容が高いこと、自己スティグマが低いことが、より高い開示と結びついていました。打ち明けること自体が、この国ではまだ小さな決断ではありません。一度の開示を軽く扱わない理由がここにあります(社会に知られていないことで何が起きるかは吃音の認知度で扱っています)。

特別扱いをせずに、普通に

配慮を意識すると、今度は逆方向に振れます。腫れ物に触るような扱い、必要以上の気遣い、本人の前で話題を避ける空気。これも当事者から繰り返し挙がる困りごとです。

当事者の声(当事者団体の支部代表・看護師の女性。地方紙が伝えた吃音の啓発イベントでの発表)

症状が軽度だからといって悩みが少ないわけではない。症状が出やすい場面を避け、言葉を選んで話している現状がある。当事者に接するときは、吃音だとわかった上で最後まで話を聞いてほしいし、話し終わるのを待ってほしい。そして特別扱いせずに普通に接してほしい

吃音を知ってもらうためのイベントで、看護師として働く当事者が発表に立った場面です。自分の症状は軽いほうだと前置きしたうえで、それでも出やすい場面を避け、言葉を選んで話していると明かしています。そのうえで会場に向けて挙げたのが、最後まで聞くこと、話し終わるのを待つこと、そして特別扱いせずに普通に接することでした。「待つ」と「特別扱いしない」は一見すると反対を向いていますが、どちらも会話の主導権を話し手の側に残すという一点でつながっています。

出典: 吃音って何? 研究者と当事者が語る吃音の今とリアル(十勝毎日新聞電子版)(台帳: V0404)

「普通に」という願いの背景には、社会の側の影響があります。研究は、周囲の人や社会全体からの影響を環境の側の要因として扱い、多くの当事者が実際の・あるいは感じ取った話すことへの圧力の悪影響を語っていることを挙げています。そして、社会はしばしば吃音のある人を否定的に描き、吃音を異常なものとする見方を強めてしまうと述べています。

そうした評価にさらされることは、「流暢であるべきという期待に、自分の落ち度や限界のせいで応えられない」という自己スティグマ——自分で自分に向ける否定的な見方——につながるとされます。さらに、外からの話す圧力を感じると体の力みが増え、それが見た目の重さと伝えにくさを増すという循環も指摘されています。特別扱いは、善意であっても「あなたは普通ではない」という合図として届くことがあります。それが力みの側に働くなら、親切は目的と反対に作用しかねません。

職場や学校では、制度の側からもできることがある

個人の心がけだけに寄せると、うまくいかなかったときに誰かの人柄の問題になってしまいます。職場と学校には、それとは別に制度の枠があります。学会の解説は、2016年に施行された障害者差別解消法により学校や職場での吃音に対する差別的言動・差別的扱いが禁止されていること、そして発表や電話応対の免除、試験等での面接時間の延長などの合理的配慮を求められることを挙げています。ただし、その際に医師の診断書や言語聴覚士の報告書の提出が求められる場合があるとも書かれています。

雇う側に向けては、厚生労働省が障害者雇用対策基本方針をもとに、望まれる職場づくりを具体的に挙げています。採用試験では応募者の希望を踏まえ、試験時間の延長や休憩の付与など、応募者の能力を適切に評価できる配慮が挙げられ、教育訓練の期間や適性・希望を踏まえた処遇も並んでいます。同じ資料には、一般の従業員を主な対象に精神障害・発達障害の正しい理解を促し、職場での応援者を育てる「精神・発達障害者しごとサポーター養成講座」が全国で開催されていることも書かれています。同僚の立場でできることが、制度としても用意されているということです(制度の詳細は吃音と合理的配慮にまとめています)。

相談先としては、大人なら言語聴覚士のいる医療機関、子どもなら学校・地域の「ことばの教室」が窓口になります。周りの人の立場でできるのは、本人に代わって決めることではなく、相談したいと言われたときに調べる時間や手続きを一緒に引き受けることです。

相談先の挙げ方は一般的な案内で、特定の資料が「この順で受診する」と定めているものではありません。診断書や報告書が必要になる場面があることは学会の解説に書かれています。

よかれと思って陥りがちな3つの落とし穴

落とし穴1 − 気遣いの言葉が、話し方への指導になっている

「ゆっくり」「落ち着いて」「深呼吸して」は、どれも相手の話し方を変えさせる指示です。家庭での接し方を具体化した解説は、こうした声かけを極力控え、整えるのは大人の側の話し方や間の取り方だとしています。自分の話す速さを落とすことと、相手に速さを指示することは別の行為です。前者は静かに効き、後者は相手の目標を「うまく話すこと」に寄せます。

落とし穴2 − 一度覚えた「正解」を、目の前の人にも当てはめる

「最後まで待つのが正解」と覚えると、先を推測してほしい人の希望が見えなくなります。1日限定カフェの運営でも、一般的な配慮に当てはまらない人がいることが分かり、本人が希望を書いて伝える形に切り替えられました。研究の側でも、場面や年齢、吃音の頻度や重さによって開示の効き方がどう変わるかは、調べた研究自体が少ない状態です。心得を暗記するより、その人に一度たずねるほうが確実です。

落とし穴3 − 打ち明けられた場を、重くしてしまう

「実は吃音があって」と言われたときに、深刻な告白として受け止め直すと、本人は次から言いにくくなります。情報として伝える形の開示は、開示しない場合より肯定的に受け取られており、複数の研究を集めて突き合わせた報告でも謝らない形のほうが好意的に受け止められています。日本では打ち明ける度合いがもともと低いという調査もあります。受け取る側にできるのは、謝罪として処理せず、「何をしてほしい?」まで会話を進めることです。そのうえで、本人が自分の状態を書き留めておきたいと言うなら、日々の記録を残す道具を選ぶのも選択肢の一つです(記録は治療ではなく、経過を見返すためのものです)。

よくある質問

言葉が詰まっているとき、代わりに言ってあげたほうがいいですか?

一律には決まりません。言葉を先に出されるより待ってほしいと書き残している当事者がいる一方で、途中で先を推測してほしい人もいると、当事者の場を運営した側が報告しています。研究の側でも、場面や相手によって何が効くかを調べた研究は少ないとされています。最初に一度、どうしてほしいかを本人にたずねるのが確実です。

「ゆっくりでいいよ」と声をかけるのは、よくないことですか?

禁句という話ではなく、効きにくいという話です。家庭での接し方の解説は「ゆっくり」「落ち着いて」などの声かけを極力控えるよう勧めています。話す速さを落としても詰まりが消えるとは限らず、「うまく話すこと」を目標に寄せるほど、回避や力み、恥ずかしさを経験しやすいことが報告されています。自分の話す速さや間を整えるほうが、相手の話し方に触れずに済みます。

吃音のことに触れてもいいですか。聞かないほうが失礼になりませんか?

学会は、子どもについて「吃音に気がつかせない方がよい」という旧来の対応は今は否定されていると明記し、吃音について話ができる関係づくりを勧めています。大人についても、打ち明けられたときに情報として受け取るほうが好意的な反応につながることが報告されています。話題にすること自体より、話し方を評価したり助言に変えたりしないことが要点です。

職場に吃音のある同僚がいます。何から始めればいいですか?

本人がどうしてほしいかを確かめるのが出発点です。制度の側では、発表や電話応対の免除、試験等での時間の延長といった合理的配慮を求められることが法律を根拠に位置づけられています。採用試験での時間の延長や休憩の付与など、事業主に望まれる配慮も示されています。一般の従業員向けに理解を広げる「精神・発達障害者しごとサポーター養成講座」も全国で開かれています。

子どもが相手のときも、接し方は同じですか?

重なる部分と、そうでない部分があります。話し方を指示しない、最後まで聞くという点は共通しますが、子どもの場合は家庭の環境づくりや、打ち明けてきたときの受け止め方が具体的に示されています。学会も、保護者は心配そうな表情をせずに話の内容に耳を傾けるよう勧めています。詳しくは子どもの吃音への対応小学生の吃音への対応で扱っています。

まとめ

  • 詰まっている瞬間の内側の感覚を知りうるのは話し手だけで、聞き手に見えているのは止まった口と空いた時間だけ。
  • 「ゆっくり」「落ち着いて」の声かけは極力控えるとされる。整えるのは自分の話し方と間であって、相手の話し方ではない。
  • 「待ってほしい」は多数派の希望だが全員ではない。条件ごとの効き方はまだ調べられておらず、開示も万人・全場面に有効とは限らない。
  • 打ち明けられたときは、謝罪として処理せず情報として受け取る。情報として伝える形の開示は、開示しない場合より肯定的に受け取られている。日本では打ち明ける度合いがもともと低いという調査もある。
  • 特別扱いは「普通ではない」という合図にもなる。社会の否定的な描き方が自己スティグマにつながり、話す圧力は力みを増やすと指摘されている。
  • 職場・学校には制度の枠がある。合理的配慮の根拠と、同僚向けの理解促進の講座まで公的資料に書かれている。

参考文献

  1. 日本吃音・流暢性障害学会 広報委員会「吃音(きつおん)について」(2023年10月1日)
  2. 吃音ポータルサイト「お子さんとの接し方の提案」
  3. 厚生労働省「事業主の方へ 〜従業員を雇う場合のルールと支援策〜」(障害者雇用対策基本方針・令和5年厚生労働省告示第126号ほか)
  4. Tichenor, Herring & Yaruss (2022) Understanding the Speaker's Experience of Stuttering Can Improve Stuttering Therapy. Topics in Language Disorders.
  5. Byrd, Croft, Gkalitsiou & Hampton (2017) Clinical utility of self-disclosure for adults who stutter: Apologetic versus informative statements. J Fluency Disord.
  6. Coalson, Rodriguez, Albaum, Allen & Byrd (2026) Self-disclosure of stuttering: A systematic review. J Fluency Disord.
  7. Iimura, Takahashi, Aoki, Yoshizawa, Yanai, Miyamoto & Boyle (2026) Relationships between psychosocial aspects of stuttering and self-disclosure of stuttering in a Japanese sample. J Fluency Disord.(筑波大学)

当事者の声の出典: V0320(note・ソルさん)/ V0497(note・戸嶋久さん)/ V0249(CHANTO WEB・奥村安莉沙さんへのインタビュー)/ V0153(note・shimaさん)/ V0404(十勝毎日新聞電子版・北海道言友会の発表を伝えた記事)。いずれも公開記事。引用は原文どおり。

更新履歴: 2026-09-12 公開