まず結論から
- 吃音緩和法は、どもらずに話すことではなく「楽にどもれるようになること」を目標に置く訓練です。吃音を受け入れること、吃音にまつわる恐れと不安を減らすことが柱とされています。
- 日本語の解説では、話し方に直接はたらきかける「直接法」の一つとして、どもりにくい話し方を身につける訓練と並べて説明されています。
- 「わざとどもる」練習は思いつきではなく、居心地の悪いものに少しずつ触れて反応を小さくしていく脱感作という手順の代表例として、長く使われてきました。
- 大人の吃音を治す方法は現時点では無く、どの技法も補うためのものなので、良くなった状態を保つには使い続ける必要があるとされています。
- 思春期以降では話し方を組み立て直す訓練に良い根拠があるとされる一方、6歳から12歳には確かな根拠のある方法が無い、と診療ガイドラインは整理しています。
ただし、ここに挙げたのはいずれも大勢をまとめて見たときの傾向で、一人ひとりにどの方法が合うかを決めるものではありません。何をどう組み立てるかは、実際に話を聞いた言語聴覚士が本人と決めていくものです。
「吃音緩和法」とは、どんな考え方の訓練なのか
青年期以降の吃音に対する訓練法は古くからあり、大きく二つに分かれると説明されています。話し方に直接はたらきかける直接法と、発話そのものには直接はたらきかけない間接法です。
このうち直接法の主なものとして挙げられているのが、吃音が出にくいコントロールされた話し方を身につける流暢性形成法と、楽に吃ることを目標とする吃音緩和法の二つです。つまり「吃音緩和法」という名前は、どもりを消すための方法ではなく、どもり方のほうを変えていくための方法に付けられた名前だということになります。
もう一方の間接法としては、メンタルリハーサル法が挙げられています。話し方には直接ふれず、日常生活では話すことへ意識を向けず、工夫や回避をしないように指導しながら、夜寝る前に頭の中のイメージで毎日話す練習をする方法です。この記事を読んでいる方が「吃音 間接法」という言葉に行き当たったとき、幼児の相談で出てくる間接法(子どもの話し方ではなく周りのほうを変える環境調整法)とは別の話をしている場合があるのは、このためです。
英語圏では、吃音緩和法にあたる考え方は「吃音のマネジメント」と呼ばれてきました。中心にあり続けているのが「わざとどもる」という手法で、これは負の練習法と呼ばれるやり方に由来します。その後この系統の治療は複数の研究者の仕事で発展し、多くがアイオワ大学で生まれたことから「アイオワ学派」とも呼ばれます。
中身は二つの部分に分かれます。わざとどもるなどを通じて吃音への恐れをやわらげる脱感作と、どもっている最中の筋肉の力みを減らすための修正の技法です。そして目標として置かれているのが、吃音を受け入れること、吃音にまつわる恐れと不安を減らすこと、そして力まずにどもれるようになることの三つです。
一方で、この考え方には最初から限界も併記されています。直接法では、その人が本来持っている話し方とは違うコントロールされた不自然な話し方になるため違和感を持つ人もいますし、治療の効果を維持するのが難しいという意見もある、と国内の解説は書いています。
「やわらかく声を出す」練習を、続けてみた人がいます
こうした訓練で教わる技法には、名前が付いています。たとえば、声の出はじめをやわらかく立ち上げる練習は「軟起声(なんきせい)」と呼ばれます。実際にこれを試した人の記録が残っています。
当事者の声(小中高校生の吃音のつどい代表・教員向けに読み上げた体験談スピーチの原稿)
先生方、ひょっとすると、吃音の子供達をとても可哀そうとお感じになられて、吃音を治してあげよう、軽くしてあげよう、改善してあげようとお考えかもしれません。「軟起声」という最初にふわっと優しく声を出す等、私や仲間が行ってはきましたが、一時的な改善効果しかなく、持続性が無い。Sustainable なものではなかったです。
自助の集まりの代表として、教員に向けて読み上げた原稿の冒頭です。子どもをかわいそうだと思う気持ちから「治してあげよう」に向かう大人へ、自分と仲間が実際にやってみた結果を先に置いて語りかけています。ここで名前が挙がっている軟起声は、この人の思いつきの練習ではありません。大学の集中プログラムでも中核に据えられている技法のひとつで、音節を引き伸ばす練習、調音の力を抜く練習と並んで教えられています。ただし、その位置づけは「吃音緩和法」ではなく、流暢に話しやすい型に作り替える側にあります。
出典: 意味づけを変えられるか ―可哀そうな存在ではなく―(体験談)(小中高校生の吃音のつどい)(台帳: V0542)
ここは、名前が似ているために混ざりやすいところです。話し方を新しく組み立て直す訓練は発話再構成と呼ばれ、流暢性形成法、あるいは引き伸ばし発話とも呼ばれます。ゆっくり引き伸ばした話し方が中心で、引き伸ばした音節、速度の制御、ゆっくり話す、なめらかに話す、といった呼び方をされる技法がここに含まれます。
この訓練については、発表された研究の幅が比較的広く、吃音の頻度が減ることが示されているとされています。一方で、いわゆる「純粋な」発話再構成は、否定的な感情や役に立たない構え、吃音にまつわる不安には触れません。訓練室の中では吃音の頻度がかなり大きく下がることもあるのに、日常の話す場面で制御を保ち続けるのは非常に難しいと、同じ総説は書いています。吃音はぶり返しやすいので、どもったときの扱い方を教えるマネジメントもあわせて学ぶのが賢明だ、とも述べられています。緩和法という考え方が、この訓練の代わりではなく「もう一方の柱」として語られるのは、この点があるからです。
「どこまで滑らかになればゴールなのか」に、専門職も迷っています
どもりが減ることを目標にするのか、楽にどもれることを目標にするのか。この選択は、訓練を受ける側だけの問題ではありません。訓練を提供する側も、同じところで立ち止まります。
当事者の声(言語聴覚士・臨床心理士。自身も吃音がある。当事者メディアのインタビュー記事)
治療としては、喋りの滑らかさが指標としてあり、ある程度の水準までいくことがゴールになります。「つまるのが、全体の何%以内」とか。
そこが、迷いというか、とまどいです。
もちろん、喋りにくい、苦しい、というのは、本人は子どもであっても苦しいと思うので、取り去ってあげたいと思いますが、吃音がある自然な話し方っていうのは、治さなくていいのかなとも思います。
私は、家では1〜2回の繰り返しで喋っていて、それが私の自然な喋り方です。なので、その多少の吃音が出て喋っているのは、「マルだな」って自分で思っています。
小児科のクリニックで子どもの吃音に向き合っている言語聴覚士が、自分自身も吃音のある人として語っている場面です。仕事の側には「つまるのが全体の何%以内」という数え方があり、自分の側には家で1〜2回繰り返しながら話す自然な話し方がある。その二つを同じ人が抱えたまま、迷っていると言い切っています。この迷いは、この人ひとりのものではありません。近年の総説は、どもる回数を減らすことだけに焦点を当てた従来のやり方を、不自然で努力を要する話し方につながって維持が難しく、自己認識に悪い影響を与えると批判し、治療の第一の目標は流暢さではなく効果的なコミュニケーションであるべきだという声が多かったと報告しています。
出典: 吃音者であり、セラピストである(きつ女録)(台帳: V0543)
もう一歩踏み込んだ議論もあります。2026年の総説は、「流暢さをより直接に狙う」と説明されている治療が実際に訓練しているのは、外から見えるどもりを減らすことや、技法に頼った話し方であって、流暢さそのものではないと述べています。吃音は場面や予期、相手からの要求で変わりますし、そもそも普通の発話も完全に途切れないわけではないので、流暢さは安定して直接に訓練できる到達点ではなく、文脈によって変わる多面的な結果だ、という整理です。
そのうえでこの総説は、もがきを減らす、回避を減らす、自発性を増やす、技法を柔軟に使えるようにする、伝わる場に参加する——という直接に狙える過程を目標と評価の軸に据えることを提案しています。話し方を変える技法は、もがきを減らして関わりを増やす道具としては有用でも、流暢さへの直行路ではない。流暢さは治療の副産物として起こりうるもの、という位置づけです。「流暢さ」を目標にしない選択肢という言い方が出てくるのは、こうした流れの中です。
外から見える流暢さを指標にすることには、別の危うさも指摘されています。流暢さを高める技法を使っているとき、聞き手には流暢に聞こえても、本人はより大きな努力を払っています。そうして得られた流暢さは、吃音のない人の自然な流暢さとは別物で、「見せかけの流暢さ」と呼ばれてきました。実際には話すこと自体を避けているだけなのに、流暢に話しているように見えるために訓練を早く終了させられてしまう危険がある、と原典は書いています。
「治す」ための場所で、正反対の二つを同時に教わった人
日本語で書かれた資料の中で、この二つの考え方が並んで存在してきたことを、実際に体験した側から書き残している人がいます。1965年に民間の吃音矯正所へ入った、当時21歳の男性の手記です。
当事者の声(自助グループ創設者。現在は日本吃音臨床研究会代表。同会サイトの手記「吃音治療・吃音コントロールの難しさ」)
私はこれまで、民間吃音矯正所を批判してきた。しかし、現在の世界の吃音治療の現状をみると、日本の吃音矯正所があながち大きな間違いをしたわけではないと気づいた。「必ず治る」と宣伝し過ぎたこと、呼吸練習の重視は問題だとしても、実際の吃音コントロール法は、今、オーストラリアやアメリカなどの大学で行われている「流暢性の緩和・形成」の治療法と大差がないのである。
小学2年の秋から吃音に悩み、「いつか必ず治る」という思いを支えに学童期と思春期を過ごした人が、21歳の夏休みに1か月の寮生活と一日中の訓練、その後3か月の通院を経験しています。その場所では、ゆっくりと吃音をコントロールして話す教え方と、「吃っても、どんどん話そう」というアイオワ学派の考え方、そして随意吃(意図的にどもること)とが、同時に教えられていました。本人は、どちらも矯正所の中ではできても日常生活で応用できず、一時的に効果があっても数か月で再発していたと書いています。この手記が「流暢性の緩和・形成」と一息に書き並べているとおり、英語圏でもこの二つの立場は長く対立してきました。
出典: 吃音治療・吃音コントロールの難しさ(日本吃音臨床研究会「臨床の広場」)(台帳: V0293)
ここに出てくる随意吃——意図的に、わざとどもってみせること——は、いまも訓練の中にあります。本物のどもりに似た話し方を意図的に出すことで、本物のどもりに伴う居心地の悪さを、より安全な場で経験できるようにするのが狙いです。慣れるにつれて力みや頻度を上げ、実際の吃音に近づけていきます。
脱感作の対象は、自分の話し方だけではありません。電話で切られる、笑われるといった周囲の反応への脱感作もあり、臨床家は易しい場面から難しい場面への段階をその人ごとに作ります。訓練室の中での電話から始めて、別室の臨床家へ、親しい友人へ、店へと進み、最後は切られることを期待して飲食店に電話する、という段階の例が挙げられています。電話の場面だけで言葉が出ないという困りごとに、こうした組み立てが用いられることがあります。
国内の解説も、成人については、随意吃などで吃ることを周囲に知らせると心理的な負担が減り、楽にコミュニケーションができるようになる、と書いています。どもったあとに使う技法もあり、どもっている最中に意図的にいったん止める、どもった語をなめらかに言い直す、といったものが挙げられています。
ここで紹介したのは訓練の中で使われている段階の考え方であって、自分で手順どおりに実施するための手引きではありません。わざとどもる練習を単独で試すことの向き不向きについては、わざとどもる練習の根拠と向き不向きで扱っています。
言語聴覚士のもとでは、どこから始めるのか
実際に通っている人の記録を見ると、最初に出てくるのはたいてい「ゆっくり読む」です。名前の付いた技法よりも、ずっと地味な作業から始まります。
当事者の声(幼少期から吃音があり、現在も言語聴覚士のもとで訓練中。自助団体が運営するメディアへの寄稿)
そこで、音読の上手な友達や、芸能人などの話し方を真似してみると良いのではないかと思います。
「いつもと違う話し方をすることで、変に思われてしまうのではないか?」という恥ずかしさもあるかと思います。
ただ、どうせ吃ってしまってやるせない思いを抱えてしまうのなら、いろいろな話し方を試してみると良いと思います。
もしかしたら自分に合った話し方、新たな自分を発見することができるかもしれません。
私も現在、言語聴覚士の方のアドバイスで、いつもよりゆっくりした速度で音読をする練習を続けています。
小学校の音読の時間がつらかったという記憶から書き起こし、当時の自分に何を言ってやりたいかを綴った文章の終わりの部分です。最後の一行で、いまも続けている練習の中身が明かされます——言語聴覚士の助言のもとで、いつもよりゆっくりした速度で音読をすること。音読から始めるという順番自体に、理由があります。言語聴覚士は、言葉や文の難しさ、そして考えることと発話を組み立てる負担をもとに段階を作ることができ、音読から始めて自由な会話へ進むのはその一例として挙げられています。
出典: タイムマシンに乗って当時の自分に教えたい!音読時の不安解消法(HAPPY FOX/NPO法人日本吃音協会)(台帳: V0219)
「ゆっくり話す」には、意外な落とし穴が知られています。ゆっくり話すように言われた人の多くは、語そのものを伸ばすのではなく、語と語の間の休止を長くしてしまうのです。実際、速度を落とす研究では参加者全員が休止を倍以上にしたのに、語の長さを有意に延ばしたのは一部だけでした。そのため多くの吃音の訓練プログラムは、休止ではなく音を引き伸ばすやり方を言語聴覚士が教える形をとっています。「ゆっくり」と言われたときに、何をゆっくりにするのかが違うわけです。
子どもと一緒に自分のどもり方を確かめる段階では、言い方そのものが変わります。「かたい話し方」「らくな話し方」という言い回しがよく使われ、かたい話し方は体に力が入って速い話し方、らくな話し方は力が抜けてゆっくりした話し方と説明されます。一部の言語聴覚士は、子どもが自分や他人の話し方を見比べられるように手助けし、力みの強さや詰まりの長さを減らすことを目指すとされています。言語聴覚士が吃音に対して何をするのかは、こうした具体の積み重ねです。
子どもには、この考え方を使わないのか
「楽にどもれるようになる」という目標は、大人の訓練を説明するときに出てくる言い方です。では幼児の場合はどうなるのか。実際に通った家庭の記録を見てみます。
当事者の子の母の声(4歳半から外来療育に通った長男について、個人ブログに残した記録)
他にも色々やりましたが、覚えているものを書きました。
訓練中はずっと、言葉をゆっくり言うことで、詰まらずに言う成功体験を増やそうという感じでした。
先生も優しくて、本人は月に1、2回楽しく療育に通えたと思います。
療育センターで受けた説明と、4歳半から通った外来療育でやったことを、母親が覚えている範囲で書き出した記録の締めくくりです。書き出された課題は十数項目あります。綿のようにふわふわ優しく1語から2語言う、鏡を見ながらの口の体操、先生が言った文や数字の復唱、サイコロを振って文をつくる、しりとり、リズムをつけて言う、日記を書いてゆっくり読む——その一つひとつを貫いていたものを、母親は「詰まらずに言う成功体験を増やす」と受け取っていました。療育に入る前に説明されたのは、話し方のアドバイスはしない、つかえてもさえぎらず最後まで聞く、といった周りの側の心がけだったといいます。
出典: 【吃音】4歳から6歳の様子と言語療育(note)(台帳: V0184)
この順番には根拠があります。国内の解説は、幼児期は意識的に発話を修正できないため、まず周りの環境を整えることから行う、としています。周りの人がゆったりと楽に話し、吃るかどうかではなく内容を聞くように努める、というのが具体的な中身です。そして、悪化が見られるか、どもり始めてから1年半から2年以上たつか、就学の1年前までに治らない場合に、訓練へ切り替える判断が挙げられています。
幼児の訓練でも、自分のどもり方を確かめる段階そのものは使われます。先ほどの「かたい話し方」「らくな話し方」という言い方は、まさに確かめる段階で導入されるものです。ただし原典は、この臨床での言い回しと幼児自身が感じている話しにくさが重なる点を興味深い可能性として挙げているだけで、この進め方の効果を確かめた研究ではないと断っています。
もう一つ、率直な指摘もあります。就学前の子どもへの治療は多くが間接的で、たいてい保護者が実施しますが、設計のよい効果試験は少なく、利用できる証拠では治療を受けた場合と受けない自然回復の差は小さいとされています。効果がわからない方法を親にやらせることは、有効な支援の開始を遅らせ、回復しなかったときの親の罪悪感を高めるおそれがある、とも書かれています。幼児期の進め方については小児の吃音治療で詳しく扱っています。
根拠はどこまで示されているのか
ここが、この話でいちばん正直に書かれるべきところです。吃音緩和法の側の根拠は、話し方を組み立て直す側ほど厚くありません。総説は、子ども向けの多因子アプローチと大人向けの吃音マネジメントについて、人気はあるが理論のモデルに基づいており、根拠の土台は強固ではなく、認知行動療法や脱感作といった他分野の研究から推し量られる傾向がある、と書いています。
年齢で見ると、評価はさらにはっきり分かれます。ドイツの診療ガイドラインは、就学前の子どもにはリッカム療法に最も良い効果の根拠があり、間接的な方法にも強い根拠があるとする一方、6歳から12歳の子どもにはどの治療にも確かな根拠がないとしています。思春期以降については、話し方を組み立て直す方法に、効果の大きい良好な根拠があるとされています。この年齢ごとの分かれ方は吃音のガイドラインの記事でも扱っています。
では、緩和法が重く見ている「不安や回避」の側はどうでしょうか。認知行動療法を発話の組み直しの訓練と組み合わせた臨床試験では、認知行動療法は吃音の頻度そのものには影響しなかったが、日常の話す場面での不安と回避を減らしたと報告されています。同じ原典は、吃音のある大人は不安症を持つ確率が数倍高く、社交不安の基準を満たす確率はさらに大きく高いという調査にも触れ、不安の高さは標準的な言語のプログラムの成果を悪くすることが多いと述べています。
理論の側からの説明もあります。流暢さそのものを目標にする訓練は、制御の処理を増やすことで短期的には言葉の詰まりを減らせます。しかし実生活の話す場面は制御と自動の釣り合いを求めるため、その技法は使いにくくなる。さらに流暢さの訓練が求める過剰な制御が、かえって頭の中の葛藤を増やし、再発と失敗感につながりうる——原典はそう論じています。これに対し、伝える力そのものを高める方向の治療や、吃音を受け入れる方向の治療は、長期的には葛藤を減らせるかもしれない、と続けています。ただしこれは理論からの見通しで、原典自身も推量の言い方で書いていることは押さえておく必要があります。
国内でも、二つを組み合わせる方向の研究が進んでいます。成人については、言語訓練だけで改善する例は少なく、過半数で心理面への対応が必要になるとされ、認知行動療法・メンタルリハーサル法・シャドーイング・随意吃による開示が挙げられています。国立の研究機関が進めているグループ訓練の紹介では、発話症状を軽減するための意図的で自然ではない発話のコントロールは練習せず、自然で楽な発話能力を強化していくという方針が示され、①吃ることをほとんど忘れて自然に話せる能力があると理解し、それを信じて使うようにする、②コミュニケーションの目標を「吃らない」以外の肯定的で具体的なことにする、③吃音に注意を取られずに自分の向けたい方に注意を向けられるようになる、という三つが目標に掲げられています。
どこで受けられるのか、そして何科に相談するのか
吃音の治療を担う職種として挙げられているのは言語聴覚士です。総説は、言語聴覚士が吃音を含むコミュニケーションの障害を見つけ、手当てするための幅広い訓練を受けた、吃音治療の適切な担い手だと書いています。多くの国で、国の認定機関による免許や資格が求められるとも述べられています。
相談先を探すときは、次のような場所が挙がります。幼児・学齢の子どもはことばの教室、大人は言語聴覚士のいる医療機関です。ただし、吃音を扱っているかどうかは施設によって違うので、探し方は吃音と言語聴覚士の記事にまとめています。
職場での困りごとについては、制度の側の受け皿もあります。障害者差別解消法などにより、雇用主は吃音のある人から求められれば合理的配慮をする義務があり、面接時間を長くする、電話業務を免除するといった例が挙げられています。ただし、このためには吃音の診断書が必要とされることが多いとも書かれています。
そして、見通しについての率直な記述をもう一度置いておきます。大人の吃音を治す方法は現時点では無く、あらゆる技法は本質的に補うためのもので、良くなった状態を保つには使い続けなければならないとされています。だからこそ、どんな治療でも長期の方針を組み込み、本人が自分自身の指導者になれるように教え、長く続く相談や追いかけの機会を用意することが欠かせない、と原典は書いています。
相談を考えるきっかけとしては、次のようなときが挙げられます(あくまで目安で、当てはまらなくても相談して構いません)。
- 言葉が出ずに間があく、体に力が入るといった状態が重くなってきた
- 話すことを避けはじめている、言いたいことを言わずに済ませている
- 子どもの場合、どもり始めてから1年半から2年以上たつ、または就学の1年前までに治まっていない
「吃音緩和法」を調べるときに陥りがちな3つの落とし穴
落とし穴1 − 「緩和」という言葉から、症状を軽くする方法だと思ってしまう
この名前の「緩和」は、どもりの量を減らすという意味ではありません。原典が挙げている目標は、吃音を受け入れること、恐れと不安を減らすこと、そして力まずにどもれるようになることの三つです。どもりにくい話し方を身につけるほうは流暢性形成法という別の名前で呼ばれており、国内の解説も、この二つを直接法の中の別々のものとして並べています。どちらを探しているのかを先に決めておくと、資料の読み間違いが減ります。
落とし穴2 − 「わざとどもる」を、自分だけで再現しようとする
随意吃は思いつきの荒療治ではなく、脱感作という手順の中に位置づけられた技法で、臨床家が易しい場面から難しい場面への段階をその人ごとに作ります。段階の組み方は個人差が大きく、飛ばすと居心地の悪さだけが残ります。相談できる先があるなら、そちらで組み立ててもらうのが確実です。
落とし穴3 − 「どもりが減ったかどうか」だけで、うまくいったかを判定する
外から見える流暢さは、本人がより大きな努力を払って得ているかもしれず、「見せかけの流暢さ」と呼ばれてきました。実際には話すことを避けているだけなのに、流暢に見えるために訓練が早く終わってしまう危険も指摘されています。どこで、誰と、どんな言葉が言えたか。そちらを書き留めておくと、相談のときに伝えられる材料が増えます。
記録の付け方は自由ですが、場面と一緒に残すのがこつです。まずは気づいたことを書き留めておくことから小さく始め、言語聴覚士やことばの教室に相談できる場合はそちらが確実です。
よくある質問
吃音緩和法とは、どんな方法ですか?
楽に吃ることを目標とする訓練で、話し方に直接はたらきかける直接法の一つとして説明されています。英語圏では吃音のマネジメントと呼ばれ、わざとどもるなどで吃音への恐れをやわらげる脱感作と、どもるときの力みを減らす修正の技法からなります。掲げられている目標は、吃音を受け入れること、恐れと不安を減らすこと、力まずにどもれるようになることです。
吃音緩和法と、どもりにくい話し方を身につける訓練は、どちらがよいのですか?
どちらが上かを決める書き方は、手元の資料には見当たりません。話し方を組み立て直す訓練には、吃音の頻度が減ることを示した研究の幅が比較的広くあります。一方でそれは否定的な感情や不安には触れず、日常の場面で制御を保ち続けるのは非常に難しいため、どもったときの扱い方もあわせて学ぶのが賢明だとされています。どちらを重く置くかは、本人の困りごとに合わせて決めるものだと考えられています。
「わざとどもる」練習は、自分で試してもいいのですか?
この記事は手順を案内するものではありません。随意吃は脱感作という手順の代表例で、臨床家が易しい場面から難しい場面への段階をその人ごとに作ることが前提とされています。国内の解説は、随意吃などで吃ることを周囲に知らせると心理的な負担が減り、楽にコミュニケーションができるようになるとしています。試したいときは、言語聴覚士に相談したうえで組み立てるのが確実です。
「吃音 間接法」というのは、吃音緩和法のことですか?
違います。成人の訓練を二つに分ける言い方では、間接法はメンタルリハーサル法などを指し、話し方には直接ふれずに、夜寝る前に頭の中のイメージで毎日話す練習をする方法です。一方、幼児の相談で出てくる「間接的な方法」は、子どもの話し方ではなく周りの環境を整えることを指します。同じ言葉が別の場面で違う中身を指しているので、どちらの話かを確かめてから読むと混乱しません。
吃音緩和法は、どこで受けられますか?
担い手として挙げられているのは言語聴覚士で、吃音を含むコミュニケーションの障害について幅広い訓練を受けた適切な提供者だとされています。子どもはことばの教室、大人は言語聴覚士のいる医療機関が相談先になります。国内では、意図的な発話のコントロールを練習しないグループ訓練の研究も進められており、週1回で5週間の暫定プログラムが作られた段階だと報告されています。
まとめ
- 吃音緩和法は、楽に吃ることを目標に置く訓練で、話し方に直接はたらきかける直接法の一つとして、どもりにくい話し方を身につける訓練と並べて説明されている。
- 中身は、わざとどもるなどによる脱感作と、どもるときの力みを減らす修正の技法。目標は、受け入れること・恐れと不安を減らすこと・力まずにどもれるようになることの三つ。
- 話し方を組み立て直す訓練には吃音の頻度が減るという研究の蓄積があるが、感情や不安には触れず、日常の場面で保ち続けるのが難しい。だからどもったときの扱い方もあわせて学ぶのが賢明だとされる。
- 緩和法の側の根拠の土台は強固ではなく、他分野の研究から推し量られる傾向がある。年齢別では、6歳から12歳にはどの治療にも確かな根拠がないとされている。
- 認知行動療法は吃音の頻度そのものは変えなかったが、日常の話す場面での不安と回避を減らしたと報告されている。目標を流暢さから「伝わること」へ置き換える議論も進んでいる。
- 大人の吃音を治す方法は現時点では無く、技法は使い続ける前提のもの。長期の方針と相談の機会をあわせて用意することが欠かせないとされている。