まず結論から
- 榛葉賀津也さんは、自身の公式Xで、自助グループ「浜松言友会」が主宰する「青少年のための吃音講座」に参加し、吃音当事者として体験発表をしたと書いています。
- 聞き手がいる場面では、吃音のある成人の話し方そのものが変わります。聴衆がいる条件では、同じ文を言うときの口の動きがより決まった型に寄り、安定する方向へ動いたと報告されています。
- 大人の吃音のうち、周りから見て分かる形で出ているのは一部です。表に出ている吃音が約0.63%、隠している吃音が約0.33%と推定されています。
- 同じ吃音のある人が集まる自助団体は各地にありますが、実際に関わっている大人は1%に満たないと推定されています。
- 吃音があることを自分から先に伝えた話し手のほうが、聞き手から友好的・外向的・自信があると受け取られやすかったという報告があります。
ただし、これは「明かせばうまくいく」という話ではありません。実験が測っているのは短い動画を見た人の評価であり、明かしたあとに本人が引き受けるものまでは測られていません。原典自身も、吃音を明かすことがすべての場面・すべての人にとって有益とは限らないと断っています。
榛葉賀津也さんが、吃音について書いたこと
参議院議員の榛葉賀津也さんは、自身の公式Xで吃音に触れています。2018年10月29日の投稿には、こう書かれています。
自助グループ「浜松言友会」が主宰する「青少年のための吃音講座」に参加。
吃音当事者として体験発表をさせて頂きました。
吃音に悩む当事者、ご家族の皆様のお力に少しでもなれましたら幸いです。
自助団体が開いた吃音の講座に足を運び、当事者として自分の体験を話した——本人の投稿に書かれているのは、ここまでです。いつから吃音があるのか、どんな症状なのかといった来歴は書かれていないので、この記事でもそこには踏み込みません。政治の話も扱いません。
この短い投稿が示しているのは、二つのことです。一つは、人前で話すことが日常になっている立場の人の中にも吃音のある人がいるということ。もう一つは、その人が体験を話した相手が、自助団体に集まった青少年とその家族だったということです。以下では、大勢の前に立つ場面で当事者の身に何が起きるのか、そして同じ吃音のある人が集まる場所がどんな役割を持っているのかを、当事者4人の記録と研究から順に見ていきます。
大勢の前に立つ日、本人の中で起きていること
吃音のない人から見ると、壇上で言葉に詰まるのは「あがっているから」に見えます。当事者にとっては、その日の何日も前から始まっている出来事です。まず、大人数の前で読み上げるという場面が具体的にどういう経験なのかを、本人の記録から見てみます。
当事者の声(高校で後期の学級長に指名された当事者本人。年代・職業の記載はなし/自助団体が運営する体験談サイトの本人記事)
そのおかげか、自分でも驚くほど発表がスムーズに進んでいきました。
このままいけると思ったその時、突然「す」の音が出てこなくなりました。
息だけがスーッと漏れてしまったのです。
「しまった。」
そう思いましたが、ここまで読んだから、読み切ってしまおうと気を取り直しました。
その時、誰かが吃った私の真似をしました。
それに連鎖するように、何十人の人々が真似をしてきたのです。
1泊研修で、学年約600人の前に立つことになった高校生の記録です。原稿を渡されたのは本番の3日前。読み上げる分量は持ち時間いっぱいで、つまり一度もつっかえられないという意味でした。どの文字でつまずきそうかを一つずつ確かめて練習し、その夜、高校に上がって初めて泣いたと本人は書いています。吃音のことは誰にも相談していなかった、する気もなかった、とも書かれています。ここで起きているのは話し方の巧拙ではなく、用意した原稿の一音が、その場で声にならないという事態です。聞き手が大勢いる場面が発話そのものに影響することは、研究でも測られています。
出典: 600人の前で吃音が出て笑われた。その時、友達がかけてくれた一言に救われた。(HAPPY FOX)(台帳: V0117)
吃音のある成人20人と吃音のない成人21人に、聞き手がいる条件といない条件で同じ文を繰り返し言ってもらい、唇の動きを記録した実験があります。吃音のある人たちでは、聴衆がいる条件のほうが、一文の中の口の動きがより決まった型に寄り、安定する方向へ動きました。研究チームはこれを、社会的な緊張にさらされたときに、より狭く、融通のきかない話し方を選んでいる状態だと解釈し、見た目に流暢な話し方を保つための方策と考えられると述べています。不安を感じやすい一部の人では、聴衆がいる条件のほうが文と文のあいだのばらつきが小さくなっていました。壇上で起きているのは、気持ちの問題だけではないということです。
言わないまま、10年働く
大人になると、人前で話す場面は学校行事より散らばった形で来ます。会議、電話、来客の取り次ぎ。そのすべてを「言わないまま」やり過ごしている人がいます。
当事者の声(書籍の編集の仕事を10年以上続けている男性。子どもの頃は連発、現在は難発が多いタイプ/ウェブメディアのインタビュー。聞き手も吃音当事者)
hiroさん:困ります。僕「あいうえお」の母音が苦手なんですね。社名が母音から始まるんですよ。電話って出る人も、掛ける人も、まず社名を言うじゃないですか。苦手な音が社名になっちゃっているので電話はすごい苦手です。けど、逆に言えば電話以外はそんなに困らないので。そういった意味でも、周りには吃音のことを言ってないんです。よっぽど業務のあちこちで困っていれば何かしら言って、配慮を求めると思うんですけど。
勤めて10年以上になるが、いまだに電話が怖い——そう語ったあとに続く言葉です。苦手な音が自社の社名の頭に来ているため、電話を取るたびに同じ音の前で止まる。それでも、困っているのが電話だけなら周りに言う必要はない、と本人は整理しています。言うか言わないかの線を、本人が困りごとの広がりで引いていることが分かります。同じような線引きは、公的な解説にも当事者の実感として並んでいます。言いにくい言葉を別の言葉に置き換えて話す、言いにくい言葉があるときは話さないようにする、といった行動です。周りから見えている吃音は、その人の吃音の全部ではありません。
出典: 「吃音をなくすことより、"吃音だからこそ"の出会いや経験を大切にしたい」吃音当事者として情報発信するhiroさんの歩み(soar)(台帳: V0032)
大人の吃音がどれくらいの割合で見られるのかを、設計の強い研究だけを使って計算し直した論文があります。大人のおよそ100人に1人という推定で、その内訳は、周りから分かる形で出ている吃音が約0.63%、隠している吃音が約0.33%でした。原典は、隠している吃音の推定は多めに出ている可能性があり、ごく軽い場合も多いだろうと自ら注記しています。それでも、数の上で無視できない人数が、周りに知られない形で吃音とともに働いていることになります。
同じ吃音のある人が集まる場所
榛葉賀津也さんが体験を話した相手は、自助グループが開いた講座に集まった人たちでした。この「自助グループ」という場は、日本では60年ほどの歴史を持っています。
当事者の声(自助グループ「言友会」創立者の一人で「吃音者宣言」を起草した伊藤伸二さん・82歳/全国紙系の署名記事。記者の地の文と本人の発言が交互に出る)
10代のころは吃音が出ることを恐れ、勉強も部活もせず友達もいなかった。21歳で東京の吃音矯正所に入ったが「ここへ来るのは3回目」と入寮者が話すのを聞き、「治すのではなく共に生きていこう」と決めた。
意気投合した当事者10人と66年に言友会を設立し、吃音者宣言へつなげた。「昔と比べて随分しゃべれるようになったが、訓練のおかげではない。仲間と気分良くしゃべっているうちに自然に変わっていく」
1976年に採択された「吃音者宣言」を起草した本人が、半世紀後に語った言葉です。10代で話す場面を恐れ、21歳で矯正所の門をくぐった先で、同じ場所に3度目だという入寮者に出会った。そこで方針を変え、仲間10人と会をつくった——記事に書かれているのはこの順序です。本人は現在、別の団体の会長として相談会を開き、「どもっていても大丈夫」と伝え続けているとされています。話せるようになったのは訓練の成果ではないという本人の受け止めは、あくまで一人の体験です。ただし、同じ吃音のある人と出会うことが心理面の変化のきっかけになる場合があることは、学会の解説にも書かれています。
出典: 「どもっていても大丈夫」、吃音者宣言起草の伊藤さん 支持広がらずも伝え続ける思い(中日新聞Web)(台帳: V0119)
日本吃音・流暢性障害学会の解説は、国内にさまざまな吃音の自助団体があるとしたうえで、活動の中心はおおむね、当事者が「吃音があるのは自分だけではない」と認識し、共通の体験を語り合い、苦悩を分かち合い、互いに援助し合うことにあるとしています。1965年に発足した「言友会」が国内で最も歴史が古く、定例会や全国大会を開くなど活発に活動している団体として挙げられ、近年は若者を対象とした団体や、女性の集いを開く団体も設立されていると紹介されています。榛葉賀津也さんが参加したと書いている浜松言友会も、この言友会の地域の会です。
一方で、こうした場につながっている人は多くありません。先ほどの割合の研究は、英語圏のオンラインの支援グループ、英国の全国団体、マンチェスターの地域の自助グループから集めたデータをもとに、吃音のある大人のうち当事者のコミュニティに関わっているのは1%に満たないと結論づけています。原典は、実際の関与はこの推定よりさらに低いだろうとも注記しています。講座の会場にいる人よりも、まだ誰ともつながっていない人のほうが、はるかに多いということです。
隠す側から、語る側へ
体験を人前で話すというのは、公表のいちばん濃い形です。長く隠してきた人が、その側にまわることがあります。
当事者の声(介護施設に長年勤めた女性・越賀美穂さん・60歳。現在は自身の経験を題材にした曲のライブと講演を行う/地方紙の人物欄。記者の地の文と本人の発言が交互に出る)
同じ時期に吃音の歌手が登場する「月9」ドラマが放送され、衝撃を受けた。「元々人前に出たいタイプ。症状を歌で知らせたい」。友人らを介し、丹波地域の音楽イベントに出演したり、小学校での講演会に登壇したりするようになった。吃音の子どもから「勇気をもらえた」と伝えられたこともあった。
大学時代はロックバンドのボーカルで、歌はスムーズに歌えたのに、曲の合間の進行ができずに歌の道を諦めた人です。介護施設に長く勤めながら、他人には吃音を隠してきた。50歳の頃、息子2人の自立を機に「人生でやり残したことはないか」と思うようになり、その中で同じ吃音のある多くの仲間と巡り合った。悩みを打ち明けて「一人ではない」と感じた——記事にはそう書かれています。そこから、音楽イベントや小学校の講演会という人前の場に自分から立つようになった——記事に書かれているのはこの経過です。本人は「吃音を堂々と言えるようになり、心の中の重りが取れた」「当事者が言えるようになるためには、周りの人の理解が必要」と語っています。この「自分から先に言う」という行為が聞き手に何をするのかは、実験でも調べられています。
出典: 「吃音」当事者として歌や講演で理解深める 越賀美穂さん(丹波市)(丹波新聞)(台帳: V0133)
吃音のある話し手が自分から吃音を伝えた動画と、伝えなかった動画を見比べてもらった実験では、聞き手は、伝えた話し手のほうを友好的・外向的・自信があるとして選びやすく、伝えなかった話し手のほうを不親切・内気として選びやすかったと報告されています。原典は、この結果を、自己開示は吃音のある人が聞き手の受け取り方に良い影響を与えるために使える手立てだという見方を支えるもの、とまとめています。ここで言う「自己開示」とは、自分に吃音があることを自分の口から先に伝えることです。
伝えるなら、どう伝えるか
同じ研究グループは、「伝えるか伝えないか」だけでなく、伝え方を2種類に分けて比べています。面接の冒頭で、一つは「始める前に、私には吃音があることをお伝えします。音や語句を繰り返すことがあるかもしれませんが、私の言うことで分からないところがあれば遠慮なく聞いてください」という趣旨の、事実として説明する言い方。もう一つは、うまく話せないことをあらかじめ詫びる言い方です。動画の中の話し方そのものはそろえてあり、違うのは冒頭のひと言だけでした。
友好的かどうかの評価では、事実として説明した条件が、詫びる条件よりも、また何も言わない条件よりも高く評価されました。差がいちばん大きかったのは、自信があるように見えるかどうかの評価です。事実として説明した条件がもっとも高く、次に詫びる条件、いちばん低いのが何も言わない条件でした。詫びる言い方であっても、何も言わないよりは自信があるように見えていた——そう出たのは、この項目だけです。
そして原典は、結論の最後にこう断っています。吃音を明かすことは、すべての場面・すべての人にとって有益とは限らない。使うかどうかの判断も、そのあとに起きること——自分の内側の反応も、相手の反応も——人によって違いうる。研究が支えているのはここまでで、その先は一人ひとりの状況の話になります。
日本の解説でも、開示は環境を整える手立てとして位置づけられています。発達性吃音の研究プロジェクトの解説は、本人が周囲に自分が吃ることを伝えて協力を求めること——つまり本人の話し方ではなく周りの接し方のほうを変えること——を治療の一部に数えており、わざとどもってみせる方法などで吃ることを周りに知らせると心理的な負担が減り、楽にやりとりできるようになるとしています。同じ解説は、障害者差別解消法などにより、雇用主は吃音のある人から求められれば合理的配慮をする義務があるとし、面接時間を長くする、電話業務を免除するといった例を挙げています。ただし、そのためには吃音の診断書が必要とされることが多いとも書かれています。
「あの人も吃音」を読むときの3つの落とし穴
落とし穴1 − 公表した人の姿から、症状の重さを推し量る
人前で話している姿を見て「あの程度なら軽いのだろう」と考えるのは、根拠のない読み方です。聴衆がいる条件では、吃音のある人の口の動きはより狭く、決まった型に寄る方向へ動いていました。研究チームはこれを、見た目に流暢な話し方を保つための方策と解釈しています。舞台の上で見えているものは、その人が払っている負荷の結果であって、負荷の大きさそのものではありません。そもそも、周りから分かる形で出ている吃音は全体の一部で、隠している吃音も相当数あると推定されています。
落とし穴2 − 「公表すればうまくいく」と読む
実験が測っているのは、短い動画を見た人が話し手をどう評価したかです。同じ職場で何年も付き合う相手との関係や、明かしたあとに本人が引き受けるものは測られていません。原典自身が、明かすことはすべての場面・すべての人に有益とは限らないと書いています。良い結果が出た研究があることと、あなたの明日の会議でうまくいくことは、別の話です。
落とし穴3 − 一人で決めようとする
明かすかどうかは本人が決めることですが、決める前に話せる相手がいるほうが楽になります。同じ吃音のある人と出会うことが、吃音を否定的に捉えることが減るといった心理的な変化のきっかけになる場合があると、学会の解説も書いています。国内には各地に自助団体があり、活動の中心は共通の体験を語り合い、互いに援助し合うことにあるとされています。
相談先として名前が挙がるのは、子どもなら「ことばの教室」、大人も子どもも言語聴覚士です。大人の場合、話し方の訓練だけで楽になる人は多くなく、半数以上で心理面への対応が必要になるとされ、考え方の癖に働きかける方法(認知行動療法)や、周りに伝えて接し方を変えてもらう工夫が併せて挙げられています。人前で話す予定が近づいて眠れない、話す場面そのものを避け始めている——そうしたときは、様子を見るだけで抱え込まず、相談を考えてみてください。
あわせて、どの場面で言葉が出にくかったのかを書き留めておくと、相談のときに手ぶらで行かずに済みます。まずは気づいたことを一行書き留めるところから始め、相談できる場所があればそちらが確実です。
よくある質問
榛葉賀津也さんには吃音があるのですか?
本人が自身の公式Xで、自助グループ「浜松言友会」が主宰する「青少年のための吃音講座」に参加し、吃音当事者として体験発表をしたと書いています。この記事で扱えるのは、その投稿に書かれている範囲までです。いつから吃音があるのか、どんな症状なのかといった来歴は書かれていないため、ここでも触れていません。
吃音があるのに、大勢の前で話せるのはなぜですか?
話せる・話せないは症状の軽重だけでは決まりません。聴衆がいる条件では、吃音のある成人の口の動きがより決まった型に寄り、安定する方向へ動いたという実験があります。研究チームは、これを見た目に流暢な話し方を保つための方策と解釈しています。壇上で平静に見えることと、本人の負担が軽いことは同じではありません。
吃音があることは、周りに伝えたほうがいいのですか?
伝えた話し手のほうが、聞き手から友好的・外向的・自信があると受け取られやすかったという報告があります。ただし原典は、明かすことがすべての場面・すべての人にとって有益とは限らないと自ら断っています。決めるのは本人で、研究の結果は「こうすべきだ」という指示ではありません。
言友会のような自助団体には、どんな人が集まっているのですか?
国内にはさまざまな吃音の自助団体があり、活動の中心はおおむね、当事者が「吃音があるのは自分だけではない」と認識し、共通の体験を語り合い、苦悩を分かち合い、互いに援助し合うことにあるとされています。1965年に発足した「言友会」が国内で最も歴史が古く、定例会や全国大会を開いている団体として紹介されています。
吃音のある大人はどれくらいいますか?
設計の強い研究をもとに計算し直した推定では、大人の吃音の割合は約0.96%で、周りから分かる形で出ている吃音が約0.63%、隠している吃音が約0.33%とされています。同じ研究は、吃音のある大人のうち当事者のコミュニティに関わっている人は1%に満たないと結論づけています。
まとめ
- 榛葉賀津也さんの投稿に書かれているのは、浜松言友会が主宰する青少年向けの吃音講座に参加し、吃音当事者として体験発表をしたこと——ここまでである。
- 聴衆がいる条件では、吃音のある成人の口の動きがより決まった型に寄り、安定する方向へ動いた。見た目に流暢な話し方を保つための方策と解釈されている。
- 大人の吃音は約0.96%で、うち隠している吃音が約0.33%を占めると推定される。周りに見えている吃音がすべてではない。
- 自助団体の活動の中心は、共通の体験を語り合い、互いに援助し合うことにある。ただし関わっている大人は1%に満たないと推定されている。
- 自分から先に伝えた話し手のほうが友好的・自信があると受け取られやすい。ただし、明かすことがすべての場面・すべての人に有益とは限らないと原典自身が述べている。