まず結論から
- 「コンアニマ」は、吃音のある高校生・大学生が2024年2月に立ち上げた音楽団です。「話す言葉では言えない思いや気持ちを音楽に乗せて伝える」ことをテーマに、オリジナル曲の制作やコンサートを行っています。
- 歌を歌うときや2人で声を合わせるとき、独り言を言うときなどに一時的に流暢になる人が多いことは、学会の解説にも書かれています。この音楽団のメンバーだけに起きる特別なことではありません。
- 研究の側でも、誰かと声をそろえて読む「斉読(せいどく)」の最中にどもりが大きく減ることが、同じ人の中での比較で確かめられています。
- 仕組みとして有力なのは、外から拍(タイミング)が与えられると、脳が自前で「今、次の音を出す」という合図を作らずに済むという説明です。ある総説はこれを「外部のペースメーカー」と言い表しています。
- ただし、なぜ歌うと吃音が消えるのかは、いまも解けていない問いとして総説の中に残っています。
ただし、歌で言葉が出ることは「一時的に流暢になる条件」の一つであって、吃音が無くなったということではありません。英国の当事者団体の指針も、方略を学んで管理したり和らげたりはできても、吃音は治すものではないと明記しています。話す場面での困りごとは、その人の中にそのまま残っていることがあります。
全員で歌うところを「ラララ」にしなかった理由
吃音のある人が集まって曲をつくると、どんな曲になるのか。その答えが、いちばん分かりやすく出たのがコーラス——みんなで声を重ねる部分の歌詞でした。
当事者本人の声(喜多龍之祐さん・音楽団コンアニマのメンバー/川崎市が運営する公式コミュニティnote の市民インタビュー連載)
全員で歌うコーラスの部分は、一般的な曲はラララなど決まっていると思うのですが、好きな言葉で歌うことにしました。吃音は症状やニーズが人によって違いがあることを表現したんです。
吃音のある同年代が集まった音楽団で、言葉にするのが難しいからこそ歌で想いを表現しようと結成した、と本人は語りの冒頭に置いています。ライブに向けたオリジナル曲では歌詞にすごく悩み、メンバーと何度も話し合ったといいます。この人が仲間と出会うきっかけは、吃音のある若者が接客に挑戦する「注文に時間がかかるカフェ」に参加したことでした。カフェはドキュメンタリー映画にもなり、本人も出演しています。同じ語りの中で本人は、コンアニマのみんなと出会うまでは吃音は自分だけの悩みだと思っていた、今は一人で悩むものではなく、みんなで支え合っていくものだと感じている、とも述べています。そして曲づくりで選んだのが、全員が同じ音を出す代わりに、一人ひとりが好きな言葉を歌うという形でした。同じ診断名でも出方も困りごとも人によって違う——その事実を、歌の構造そのもので表そうとしたことになります。吃音の症状に連発・伸発・難発という区別があり、同じ人でも時期によって重さが変わることは、学会の解説も説明しています。
出典: 【ほっこりポスター】かわさきって人だよね。(File:058 喜多 龍之祐)(川崎市コミュニティnote)(台帳: V0547)
吃音の中核にある症状は3つです。学会の解説は、音の繰り返し(連発。「か、か、からす」)、引き伸ばし(伸発。「かーーらす」)、そしてことばを出せずに間があいてしまう状態(難発、ブロック。「・・・・からす」)を挙げています。同じ解説は、これに加えて、なんとか声を出そうとして顔や身体に力を入れる動きが出ることや、言いにくい言葉を言い換えるといった工夫をすることもあると書いています。どの症状が強く出るか、どんな工夫をしているかは人によって違います。
この音楽団を立ち上げた本人は、自分の吃音を、小学3年生の頃に出始めて今も続いているものだと書いています。中学生のときは今よりも症状が強く、日常会話もままならず、一時期は学校に通えないこともあったといいます。そのうえで、高校生のときに「注文に時間がかかるカフェ」に参加して、吃音への考え方が180度変わった、と経緯を説明しています。
場をつくる側にまわった家族——一日だけのカフェから音楽団へ
この音楽団は、若い人たちが突然ゼロから立ち上げたものではありません。その手前に、同じ家の中にもう一人の当事者がいました。
当事者であり、吃音のある高校生の親でもある人の声(音楽教室を主宰する母親の個人ブログ)
私が「吃音」という発話障害を持っていて、息子(高2)も持っており、たくさん悩んだこともありましたが、今は前向きにいろんなことに取り組んでいますという話をここ数年でたくさんしてきました。
音楽教室を主宰する女性が、音楽団の始動を知らせる記事の冒頭で、自分と息子の両方に吃音があることを書いています。続く段落で本人は、吃音という一見見た目には分からない障害をもっと広くいろんな人に知ってもらい、理解を深めてほしいという思いで、前の年の夏に同じ志を持つ仲間と「注文に時間がかかるカフェ」を自分の教室で開いた、と経緯を説明しています。吃音のある若者が接客をする、一日だけのカフェです。そこに参加した息子が、翌年に学生の音楽団を立ち上げます。同じ記事で母は、この音楽団を「話す言葉では言えないような吃音への思いや気持ちを音楽に乗せて伝えよう!というテーマの元集まった学生による音楽団」だと紹介しています。当事者どうしが出会う場が、吃音を否定的に捉えることが減るといった心理的な変化のきっかけになることは、学会の解説も自助団体の項で書いています。
出典: 吃音を持つ学生の音楽団「コンアニマ」始動します!!(Azuza Diary♪・Ameba)(台帳: V0383)
日本吃音・流暢性障害学会の解説は、日本にはさまざまな吃音の自助団体があるとしたうえで、団体によって活動の目的や規模は異なるが、吃音のある当事者が「吃音があるのは自分だけではない」ということを認識し、共通の体験を語り合い、苦悩を分かち合い、互いに援助し合うことが概ね活動の中心だと説明しています。1965年に発足した「言友会」が日本で最も歴史が古く、近年では若者を対象とした団体や、女性の集いを開催する団体も設立されている、とも紹介されています。
この音楽団は自助団体という名前では呼ばれていませんが、活動の説明には同じ働きが書かれています。初めての単独コンサートのあとに来場者へ行ったアンケートでは、来場者に占める吃音のある人の割合が約6割だったのに対し、相談できる環境や相手がいると答えた人はその約半数にとどまった、と報告されています。そこから、同じ吃音のある人と直接話し、今の悩みや不安を共有し合うことを活動の柱に据え、そのための道具として音楽を使う、という組み立てになったと説明されています。
なぜ、歌うときや声をそろえるときには言葉が出るのか
ここからは、当事者が「不思議だ」と言っているこの現象を、研究の枠組みに置き直します。鍵になるのは「次の音を出す合図を、誰が作っているか」という見方です。
まず、この現象自体は広く知られています。学会の解説は、吃音の特徴として状況によって症状が出やすかったり出にくくなったりすることを挙げ、例として歌を歌うときや2人で声を合わせるとき、独り言を言うときなどに、一時的ですが流暢になる人が多いと書いています。2026年に出た仮説論文も、吃音が確実に軽くなる場面として、誰もいないところでの独り言、歌、誰かと声をそろえて読むこと、強い没頭や高揚の状態を並べ、反対に確実に重くなる場面として、聴衆の前、目上の人を相手にするとき、自己紹介や自分の名前を言うときを挙げています。この論文は、場面による変わりやすさをでたらめな揺れではなく分類できる構造を持つものだと位置づけています。
数字も出ています。同じ論文がまとめたところでは、誰かと声をそろえて読む条件では参加者全員に改善が見られましたが、減り方の大きさには個人差があり、およそ77.6〜99.7%、別の研究群では90〜100%という幅で報告されています。歌うときも全員に強い減少が見られ、それでも人によるわずかな差は残ったとされています。
同じ人の中で課題を変えて測った研究もあります。一人で自由に話す、一人で声に出して読む、臨床家と声をそろえて読む——この3つを比べると、吃音のある大人では、連発・伸発・難発といった中核の症状は一人で話すときと一人で読むときに多く出て、声をそろえて読むと大きく減りました。吃音のない対照群では、課題による差は見られていません。この論文は、声をそろえて読むあいだにどもりが劇的に減り、流暢な水準に近づく人が多いと述べたうえで、相手の声が発話のタイミングを外から与えているという考えと、この効果は相手を直接まねる働きの一種で、他人の動きを見聞きしたときに働く神経細胞(ミラーニューロン)に支えられているという説を並べています。
脳の側の説明はこうです。ある総説は、発話の制御を、唇や舌の動かし方の型を作る回路と、その型を適切な瞬間にオンにしたりオフにしたりする「始動回路」に分けます。この始動回路にあたるのが、脳の奥にある大脳基底核(今の状況に合う動きを選び、出かかった別の動きを抑える部分)を通る回路で、吃音の中核はこの回路の不調だというのがこの総説の立場です。今の音を終える合図が出そこねれば音が伸びたまま続き(伸発)、次の音を始める合図が出そこねれば言葉が出ないまま詰まり(難発)、合図が一瞬途切れれば次の音が始まりかけて早く終わり、また始まり直す(連発)——3つの症状は、同じ合図の別々の失敗として説明できる、という整理です。
そして、声をそろえて読むときやメトロノームに合わせて話すときには、そのタイミングが外から感覚の担当領域に入ってきて、そのまま発話を始める領域へ渡されます。だから大脳基底核の回路が自前で合図を作る必要が減る、というのがこの総説の説明です。別の総説も、声をそろえて読むこと・歌うこと・メトロノームに合わせて読むことに共通するのは外からの信号が伴うことだとし、それらは耳の担当領域を通って発話を作る仕組みに入るため、つながりが断たれた場所を迂回して、ずれた活動を同期し直せるのではないかと論じています。この論文は、外からの合図を外部のペースメーカーと言い表しています。
もう一つ、注意の向き方から説明する立場もあります。2026年の仮説論文は、吃音が現れる場面と消える場面を分けているのは、話し方の誤りに意識的な注意が向いているかと、人にどう見られるかという判断(社会的評価)が働いているかの二つの重なりだと述べています。歌や、声をそろえること、強い没頭の状態では、注意が旋律やリズムのほうに使われて誤りへの注意が乏しくなる。独り言では、聞き手がいないので社会的評価が働かない。二つが重なったときに吃音が出て、どちらかが欠けると大きく軽くなる、という考え方です。
それでも、最後の一段は分かっていません。2024年の総説は、未解決の謎の一つ目に「話すときには吃音が出るのに、歌うときには出ないのはなぜか」を挙げています。歌うことは最も重い例でも吃音を劇的に消してしまうこと、話すときに比べてのどと口の動きの組み合わせ方や時間の組み立てが変わり、母音が伸び、発声が安定することまでは分かっている。同じ総説は、歌の旋律は決まっていて同じ歌詞なら毎回ほぼ同じ高さをたどるのに対し、話し声の抑揚は伝えたい内容によって毎回変わり、話し声のほうがより自動化されているとも整理しています。それでも、なぜそれで吃音が消えるのかは、問いのまま残されています。
「歌えた」は「治った」ではない
ここは、周りの人がいちばん取り違えやすいところです。ステージで最後まで歌い切った人が、その日の帰りにコンビニで注文をあきらめることは、矛盾ではありません。
学会の解説は、歌うときなどに流暢になることを、はっきり「一時的ですが」と書いています。英国の吃音支援団体が公開している指針も、事実の一覧の中で、吃音は弱さでも欠陥でもないこと、呼吸のしかたが悪いなど本人が何か間違ったことをしているから起きるのではなく神経に由来するものであること、緊張しているからどもるのではないこと、方略を学んで管理したり和らげたりはできても治すものではないことを並べています。同じ指針は、吃音が外から分かりにくい場合があることにも触れ、否定的な反応を予想して言葉や場面を避ける人が多いからだと説明しています。
言葉づかいについても、この指針は具体的な置き換えを示しています。吃音に「苦しんでいる」「冒されている」と言う代わりに「その人はどもる」と書くこと、誰かの吃音を「ひどい」「衰弱させる」と形容しないこと、「打ち負かす」「克服する」という言い方を避けること(治せるものではないため)、そして物事が滞ったり失敗したりする様子を表すのに「どもる」という語を使わないこと。音楽で活動している当事者を紹介するときにも、そのまま当てはまる規則です。
音楽に向かった当事者は、この学生たちだけではありません。英国の支援団体がまとめている一覧には、吃音のある歌手・音楽家の区分があり、本人の言葉が添えられています。あるラッパーは、子どもの頃どもっていた、だから自分のエネルギーを音楽をつくることに注いだのだと思う、と語っています。あるシンガーソングライターは、子ども向け番組の朗読の中で自分の子どもの頃の吃音に触れ、それが自分を人と違うと感じさせたと話しています。ただし、こうした一覧は「音楽をやれば良くなる」という筋書きの証拠ではありません。同じ団体が別のページで、吃音は治すものではないと書いているとおりです。
実在の発信者の名前と吃音が並べて語られることは、ほかにもあります。SNSで活動している人が、自分に吃音症があることを本人の投稿で書いている例もあります。ただ、名前が挙がっていることと、その人の症状や経過が公開されていることは別です。本人が自分で公表した範囲の外にあることは、誰にも分かりません。
相談できる場所と、場をつくる側にできること
音楽で人とつながることと、話す場面の困りごとを相談することは、別々に進めて構いません。むしろ、別々に置いたほうが安全です。
子どもの場合、学会の解説は、楽に話しやすくなるために周囲のコミュニケーション環境を整える方法や、直接発話に働きかける方法、吃音のことを理解する方法など、年齢や状態に合わせた指導が行われるとしたうえで、小児を扱う言語聴覚士(ことばや聞こえの専門職)や、ことばの教室の教員に相談することを勧めています。中高生以上・成人で本人が治療を希望する場合は、言語聴覚士による発話訓練を受けるという選択肢があり、発話訓練だけで症状が改善しない場合や吃音への不安が強い場合は、カウンセリングや心理療法が役立つこともあるとされています。
制度の側の後ろ盾もあります。2016年に施行された障害者差別解消法により、学校や職場での吃音に対する差別的な言動や扱いは禁止されており、発表や電話応対の免除、試験等での面接時間の延長といった配慮——法律の言葉では「合理的配慮」——を求めることができます。その際に、医師の診断書や言語聴覚士の報告書の提出を求められる場合があります。
そして、場をつくる側にできることもあります。この音楽団が自分たちのプロジェクトページに書いているのは、上手な演奏をしたりテクニックを披露したりするイベントではない、楽器の経験や熟練度は一切関係ない、ということでした。同じ吃音のある同年代と一緒に楽器を鳴らし、普段話せない思いや気持ちを表現することが目的だと明記されています。当日は午前に集まって練習し、午後に家族や友人を招いて演奏する、という一日だけの形です。集まる場をつくるとき、参加の条件を「うまさ」に置かないという設計は、そのまま真似できる部分です。
次のようなときは、様子を見るだけにせず、相談を考えてみてください(あくまで目安で、当てはまらなくても相談して構いません)。
- 歌や演奏の場では困っていないように見えるために、話す場面の困りごとを言い出せずにいる
- 自己紹介や名乗りの場面を避けるようになり、続けたかった活動や進路を変えようとしている
- 話し始める前の不安が強く、会話そのものを避けるようになっている
この3つは相談を考えるきっかけとして挙げたもので、特定の資料が「受診の目安」として定めているものではありません。なお学会の解説は、吃音による失敗体験が重なると、話し始める前に不安や恐怖を感じ、次第に会話や社交を避けるようになることがある、と書いています。
「歌えるなら大丈夫」で陥りがちな3つの落とし穴
落とし穴1 − 「歌えた=吃音が無くなった」と受け取る
学会の解説は、歌うときなどに流暢になることを「一時的ですが」という言い方で書いています。研究でも、大きく減ったのは誰かと声をそろえて読む条件で、一人で話すときと一人で読むときのあいだには差がありませんでした。ステージの上で歌い切れることは、自己紹介や名乗りでも言葉が出ることの証拠にはなりません。周囲がここを取り違えると、本人は「歌えていたのに」という言葉を受け取ることになります。
落とし穴2 − 「音楽をやれば良くなる」と本人や家族に勧める
研究が示しているのは、外から拍が与えられる場面ではどもりが減るということであって、その場面を繰り返せば話す場面が良くなる、ということではありません。歌うとなぜ吃音が消えるのかすら、いまだ解けていない問いとして残っています。英国の当事者団体の指針も、方略を学んで管理したり和らげたりはできるが治すものではないと書いています。音楽は楽しみや居場所として続けたうえで、話す場面の相談は言語聴覚士に向けてください。
落とし穴3 − 「吃音の音楽団」という看板で一人ひとりを見る
この音楽団が曲づくりで選んだのは、全員で同じ音を出す代わりに一人ひとりが好きな言葉を歌う形でした。症状もニーズも人によって違うことを表したかったからだと、本人が語っています。英国の当事者団体の指針も、誰かの吃音を「ひどい」と形容したり「今日は調子が悪い」と評したりしないよう求めています。団体の名前で人をまとめて理解しようとすると、その人が何に困っていて何には困っていないのかが、かえって見えなくなります。
そのうえで、どの場面で言葉が出にくかったか・どの場面では楽だったかを書き留めておくと、相談のときに自分の状態を説明しやすくなります。歌では出なかった、でも名乗りでは出た、という記録は、周りに配慮を頼むときの材料にもなります。
よくある質問
コンアニマとはどんな団体ですか?
吃音のある高校生・大学生が2024年2月に立ち上げた音楽団です。「話す言葉では言えないような吃音への思いや気持ちを音楽に乗せて伝える」ことをテーマに、応募してきたメンバーと結成されました。同じ年の11月に初めての単独コンサートを開き、オリジナル曲の制作・配信、講演会や劇団への楽曲提供なども行っていると本人たちが説明しています。
なぜ吃音があっても歌えるのですか?
有力な説明は「外から拍が与えられると、脳が自前で『次の音を出す』合図を作らなくて済む」というものです。誰かと声をそろえて読むときには、相手の声が発話のタイミングを外から与えていると考えられています。別の総説はこうした外からの合図を「外部のペースメーカー」と呼んでいます。ただし、歌うとなぜ吃音が消えるのかは未解決の問いとして残っています。
音楽を続ければ吃音は治りますか?
そうは言えません。研究が確かめているのは、歌や声をそろえて読むといった条件の「最中に」どもりが減るということで、その効果が日常の会話に移るかどうかは別の問題です。学会の解説も、こうした場面での流暢さを「一時的」と書いています。英国の当事者団体の指針は、方略を学んで管理したり和らげたりはできるが治すものではないと明記しています。相談は言語聴覚士に向けてください。
アニメや漫画の登場人物に吃音があるかどうかは、どこで確かめられますか?
作品の描写だけから、現実の診断名を決めることはできません。英国の当事者団体は、吃音が長いあいだ性格の欠陥や身体的な不足を表すため、また笑いを取るために使われてきたと指摘し、そうした型にはめた描き方が現実の帰結を生むと述べています。実在の人物についても、書けるのは本人が公表した範囲までです。創作の中の吃音の扱いについては、アニメ・漫画の吃音の記事で詳しく整理しています。
音楽団のような場に参加してみたいのですが、楽器ができません。
この音楽団が一日限定のバンド企画を募集したときのページには、上手な演奏をしたりテクニックを披露したりするイベントではない、楽器歴や熟練度は一切関係ない、と書かれています。目的は、同じ吃音のある同年代と一緒に音を鳴らし、普段話せない思いや気持ちを表現することだと説明されています。学会の解説も、自助団体の活動の中心は共通の体験を語り合い、互いに援助し合うことだとしています。集まりの種類ごとの違いは吃音フェスとはの記事にまとめてあります。
まとめ
- コンアニマは、吃音のある学生が2024年2月に立ち上げた音楽団。話す言葉では言えない思いを音楽に乗せることをテーマにしている。
- 曲づくりでは、全員で歌うコーラスを「ラララ」にせず、一人ひとりが好きな言葉を歌う形にした。症状もニーズも人によって違うことを表すためだと本人が語っている。
- 歌うときや2人で声を合わせるときに一時的に流暢になる人が多いことは、学会の解説にも書かれている。声をそろえて読む条件では全員に改善が見られたが、減り方には個人差があった。
- 仕組みは「外から拍が来ると、脳が自前で次の音の合図を作らずに済む」と説明され、外からの合図は「外部のペースメーカー」とも呼ばれる。ただし、歌うとなぜ消えるのかは未解決のまま残っている。
- 「歌えた」は「治った」ではない。吃音は方略で管理したり和らげたりはできても治すものではないと、英国の当事者団体の指針が明記している。
- 話す場面の相談先は言語聴覚士とことばの教室。学校や職場では発表や電話応対の免除、面接時間の延長などの合理的配慮を求められる。