まず結論から
- 吃音をテーマにした集まりは一つの形ではありません。当事者団体の例会や全国大会、研究者と臨床家と当事者団体が集まる学会の大会、吃音のある若者が接客に挑戦するカフェまで、目的も雰囲気もかなり違います。
- 自助グループに通う成人13人に理由を聞いた質的研究では、12人(92.3%)が、会に出たことで自分の吃音の受け止め方が前向きに変わったと答えています。
- 10代22人が当事者団体の年次大会に参加した前後を測った研究では、吃音の否定的な影響を測る質問紙の得点が、大会の前と直後のあいだで有意に下がっていました。
- ドイツの診療ガイドラインは、同国の自助連盟などの自助グループへの参加を、専門家の合意にもとづいて勧めています。
- 一方で、こうしたコミュニティに実際に関わっている人は、吃音のある成人のうち1%前後と推定されています。行っていない人のほうが、圧倒的に多いということです。
ただし、これらは「参加した人たち」を見た研究であって、行けば誰でも気持ちが変わると確かめられたわけではありません。先ほどの13人のうち1人(7.7%)は、会に出ても自分の吃音の見方は変わらなかったと答えています。
行ってみるまで、そこが何の集まりなのか分からない
吃音の集まりに行こうとするとき、最初の壁は「話せるだろうか」ではなく、「これはどういう会なのか」が案内文だけでは読み取れないことです。会場が公民館の一室ということもあれば、ホールということもあります。そして、名前が同じでも中身は主催者によって違います。
当事者の声(社会人男性・二児の父/個人ブログ note の連載「僕の吃音歴」)
オフ会の会場は、池袋の古くて小さな公民館でした。当日、僕は池袋に着くも不案内な土地で道に迷ってしまい、とんちんかんな場所を彷徨っていました。参加を諦めかけたのですが、なんとか会場を見つけ出し、遅れて参加をしました。
公民館の一室へ入ると、7,8人くらいの参加者がテーブルを囲んでいました。テーブルの上にはお菓子がたくさん置いてあり、お菓子を食べながら、最初はフリートークのような感じで自由にお喋りをしました。
すでに地域の当事者団体に通っていた男性が、インターネットの当事者コミュニティに流れてきた告知を見て、初めての「オフ会」に申し込んだ日の記録です。菓子を囲んだ自由なお喋りはしばらく続き、やがて主催者がノートパソコンを持ち出して、全員で吃音の改善法を紹介する動画を見る時間になります。動画が終わると教材の金額が提示され、会はそこでお開きになりました。帰り道に他の参加者と交わした会話だけは、はっきり覚えていると本人は書いています。会の名前からは、そこまでは読み取れませんでした。行ってみるまで分からないものがある、という前提は、研究が描く「良い場」の姿とあわせて持っておいたほうがよさそうです。
出典: 僕の吃音歴(吃音に関わる活動編③ 初めてのオフ会主催)(note)(台帳: V0243)
では、うまくいっている会はどんな場だと語られているのでしょうか。南アフリカで自助グループに通う成人13人に半構造化インタビューを行った研究では、13人中9人(69.2%)が、その会を「自分の話が聞かれ、安全で、くつろげて、自由でいられ、居場所があると感じられる場だった」と表現しています。逆にいえば、この感触が持てない会は、名前が同じでも自分に合っていないということです。
この男性はその後、自分でオフ会を主催する側に回りました。会場を押さえ、告知を出し、返事を書き、当日は机と椅子を並べる——そうした準備は、参加する側からは見えません。集まりの中身は、その見えない部分を誰がどう担っているかで決まります。
「フェス」と名の付く集まりでは、何をしているのか
近年は、講演と質疑応答という形だけでなく、舞台の上で当事者が芸を披露する催しも開かれています。「フェス」という名前から想像される、あの賑やかさに近いものです。
当事者の声(吃音のあるお笑い芸人・本人公式ブログ)
昨日は大道芸あり、落語あり、僕のフリップ&ギター漫談あり、最後はみんなでトークセッションしました!吃音の事でお話をしました!
zoomで配信をしながらトークセッションをしました!!
山形県で初めて開かれた「どもフェス」に出演した芸人が、翌日の新幹線の中で書いた報告です。大道芸、落語、フリップとギターの漫談が並び、締めは出演者全員でのトークセッション。その様子をオンラインでも同時に配信し、来場者からの質問コーナーで予定の時間を超えた、と書かれています。舞台を降りたあとは打ち上げに合流し、翌日は一人で街を歩いて帰路につきました。同じ書き手は、その少し前に当事者団体が主催した「吃音フォーラム」にも出演しており、そちらでは当事者本人の意見を聞き、質疑応答で意見を交換できたことを収穫として挙げています。名前が「フェス」でも「フォーラム」でも、中心にあるのは当事者どうしが言葉を交わす時間だということが見えてきます。
出典: 昨日は山形県にて「どもフェス」に出演してきました!(インタレスティングたけしのやっちゃった日記)(台帳: V0483)
もう少し堅い集まりもあります。日本吃音・流暢性障害学会は、吃音および流暢性障害(クラタリングなど)の研究の発展と、これらの障害の研究や医療・福祉・セルフヘルプグループ活動などに関わる者どうしの相互交流を図ることを目的とした学会です。研究者の集まりでありながら、当事者団体の活動が目的の文言にはっきり入っているのが特徴です。学術集会の開催は、この学会の事業の一つとして掲げられています。
実際の大会も公開されています。第13回大会は2025年8月23日・24日に九州大学医学部百年講堂で開かれ、プログラム・抄録集はPDFで公開されています。2018年7月には、吃音・クラタリング世界合同会議として広島国際会議場で開催された回もありました。
さらに毛色の違う場として、吃音のある若者が接客に挑戦するカフェもあります。公式ページは「このカフェでは、たまに時間が止まります」という言い方で店の趣旨を説明したうえで、吃音の有無を問わず誰でも利用でき、吃音のある人どうしの交流というよりは一般のカフェだと明言しています。接客をしたい若者や企業からの依頼で開催されるため、決まった地域での定期開催や常設店はありません。「当事者どうしで話す場」を求めて行くと、期待とはずれることになります。
行った人には、何が起きているのか
当日のプログラムより、多くの人が本当に知りたいのはこちらでしょう。行くと、自分の何かが変わるのか。変わるとしたら、それは話し方のことなのか。
当事者の声(当時中学2年・地元の中学校生徒意見発表会で学校代表として読んだ弁論原稿/全国言友会連絡協議会「小中高校生の吃音のつどい」サイト掲載)
そして、吃音者で作られているグループ、「小中高校生の吃音のつどい」を紹介してくれました。発表するのが苦手な私でも、その会の中では気が楽でした。お互いに声が出ない苦しみを知っている。吃っても、皆が静かに次の言葉を待っていてくれる。「大丈夫だよ。」という視線が私を包んでくれる。自分一人が悩んでいる訳ではないのだと気づき、私の中でつっぱっていたものが溶けていくような気がしました。
お礼の言葉が声にならず黙ってしまう、授業中の発表を半分まで話したところで先生に結論をまとめられてしまう——そんな日々を重ねた中学2年の女子生徒が、両親に連れられて訪れた病院で言語聴覚士に出会い、同世代の集まりを紹介されました。会の中で起きたこととして彼女が挙げているのは、話し方が変わったことではありません。待ってもらえたこと、そして自分一人ではなかったと気づいたことです。研究が「参加する理由」として整理してきたものも、ほぼ同じ場所を指しています。
出典: ともに―吃音と生きる―(体験談)(小中高校生の吃音のつどい)(台帳: V0069)
先ほどの13人の研究では、語りから4つのまとまりが取り出されました。自分の吃音の受け止め方が変わること、仲間としての感覚が増すこと、支え合いが一方通行ではないこと、そして場の雰囲気・参加者・話題そのものです。個別に見ると、13人中8人(61.5%)が、会に出たことで自分の吃音を受け入れられるようになったと述べています。
「自分だけではない」という気づきも、実際に数えられています。13人中7人が、会に出て、吃音とともに歩んでいるのは自分だけではないと気づいたと報告しており、その気づきが孤立感を減らしたとされています。また同じく7人が、他の吃音のある人から話し方や対処の工夫を学べる機会に価値を見いだしていました。専門家からではなく、同じ立場の人から受け取るものがある、ということです。
10代についても調べられています。吃音のある若い人の全米組織が開く年次大会で、10歳から18歳の22人に協力してもらい、吃音が生活に与える影響を測る質問紙を大会の前・直後・3か月後の3時点で実施した研究があります。分析の結果、大会の前と直後のあいだで、吃音の否定的な影響が有意に下がっていました。一部の参加者に行った面接からは、仲間・共同体をつくること、参加者どうしの学び合い、認知とコミュニケーションの変化、自分を受け入れること、吃音を特別なことでなくしていくこと、という5つのテーマが浮かび上がっています。
この研究には、比べるための対照群も無作為の割り付けもありません。大会に参加した22人の前後を見たもので、参加しなかった場合にどうだったかは分かりません。
子どもを連れていくか、家族と行くか
参加を考えるのが保護者である場合、悩みはもう一段増えます。本人が嫌がるかもしれない。行くことで、かえって自分の話し方を意識させてしまうかもしれない。連れていく/連れていかないの判断は、毎回その家庭で下されています。
保護者の声(島根スタタリングフォーラムに参加した保護者・氏名非公開/日本吃音臨床研究会「吃音相談室」の記録)
子どもは、テレビに出たいという夢をもっています。でも、どもるので、壁にぶち当たりそうだけど、その夢につきあいたいと思っています。1年前と比べて、「あのことば、よくつまるね」と言えるようになりました。下の子が姉をからかうことも出てきました。なので、「姉がタタタ…ということについて話す会に行くんだよ」と言って、つれてきました。
2日間のフォーラムのなかで開かれた保護者の話し合いで、一人の母親が語った内容です。姉の話し方をからかうようになった下の子に、会の性格を子どもの言葉に翻訳して伝え、そのまま一緒に連れてきたと述べています。同じ場では、6歳の子について「今は少しおさまっているので、今は気づかせなくてもいい」と考えて連れてこなかった母親もいれば、この会に朝から参加させたかったのに家族の予定が優先されたと語る母親もいました。連れていくかどうかに一つの正解は示されていません。ただ、10代を対象にした調査は、こうした場が言語療法に加える選択肢になりうると述べています。
出典: 第7回島根スタタリングフォーラム 親の話し合い(日本吃音臨床研究会「吃音相談室」)(台帳: V0115)
同じ話し合いの場では、家庭で見ているかぎり吃音を気にしている様子はなかった子が、子どもどうしの話し合いでは自分の話し方について話していたと知った、という報告も出ています。別の保護者は「家では全然しないことも、このフォーラムではしているようです」と述べています。家で見えている姿と、同じ立場の子といるときの姿は、必ずしも同じではないということです。
研究の側は、若い人にとっての利点は現時点では分かっていない、というところから出発しています。そのうえで先ほどの調査は、自助団体は吃音の否定的な影響を減らすうえで有益でありうるとし、従来の言語療法に加える価値のある選択肢として検討されるべきだと結論づけました。「かもしれない」という慎重な言い方であり、言語療法の代わりになるとは書かれていません。
近くに集まりが無い、行ける日がない——オンラインという選択肢
集まりの多くは、開催地と日時が限られます。先ほどの13人の研究でも、月1回の開催をもっと頻繁にしてほしい、日時の幅を広げて参加しやすくしてほしいという要望が挙がっていました。この研究の考察は、対面とオンラインを組み合わせるやり方に触れ、場所の壁が減って参加しやすくなる一方、通信環境を持たない人がいることも考える必要があると述べています。
オンラインの場そのものを調べた研究もあります。対面の自助グループを広げ、補うものとして作られたフェイスブック上の非公開グループについて、参加者7人の経験を質的に調べた研究では、参加することの「利点」と「課題」という二つの大きな主題が取り出されました。良い面だけが報告されたわけではない、ということです。結論では、対面での経験と組み合わせて使うことで、他の当事者から心理社会的な支えを得る有用な手段になりうるとまとめられています。
中国の当事者コミュニティを対象にした研究は、もう少し踏み込んだ数字を出しています。吃音が生活に与える影響を測る質問紙の簡体字版を使い、2つの独立した横断データ(2021年 139人/2022〜2024年 346人)を分析したところ、構造化された支援活動に参加した人は、参加しなかった人より、質問紙の4つの領域すべてと全体の得点で悪影響が有意に小さく、その差は中程度から大きい範囲でした。考察では、専門家の関与が支援の効果を高めるうえで重要だと述べたうえで、SNS上の非公式で日常的なやりとりが、気持ちを受け止められる経験と人とのつながりをもたらしていたことにも触れています。
この研究は、参加した人としなかった人を後から比べた横断のデータです。参加するかどうかは本人が選んでいるため、「参加したから良くなった」という因果として読むことはできません。
どこを探せばいいか、そして相談先はどこか
日本にはさまざまな吃音の自助団体があり、団体によって活動の目的や規模は異なりますが、吃音のある当事者が「吃音があるのは自分だけではない」ということを認識し、共通の体験を語り合い、苦悩を分かち合い、互いに援助し合うことが概ね活動の中心だとされています。そのなかで、1965年に発足した言友会は日本で最も歴史が古く、定例会や全国大会を開催するなど活発に活動している団体として紹介されています。近年は、若者を対象とした団体や、女性の集いを開催する団体など、特色のある団体も設立されています。
研究と臨床の側の集まりを見たいときは、学会の大会が入口になります。日本吃音・流暢性障害学会は、国内外の吃音および流暢性障害の関連団体どうしの連携の促進を事業に掲げており、過去の大会については開催日・会場とともに、プログラム・抄録集のPDFが公開されています。当事者として参加できるかは大会ごとに異なるので、各回の案内を確かめてください。
行く前に知っておくと気が楽になることが、もう一つあります。先ほどの研究の考察は、会の運営者に向けて、話したくない人には発言しなくてよいと伝えること、守秘の約束を参加者自身で決めること、会と会の間でも参加者どうしが連絡を取れる仕組みを作ることなどを提案しています。参加するために話さなければならない、という決まりがあるわけではありません。
そして、集まりは専門的な支援の代わりではありません。ドイツの診療ガイドラインが自助グループへの参加を勧めている根拠は、効果を測った研究ではなく専門家の合意です。10代を対象にした調査も、自助団体を言語療法に「加える」選択肢として位置づけています。話し方そのものや、学校・職場での困りごとをどう相談するかについては、吃音の相談先を整理した記事のほうが役に立つはずです。気になる症状があるときは、集まりを探す前でも後でも、言語聴覚士やことばの教室に相談して構いません。
吃音の集まりを探すときに陥りがちな3つの落とし穴
落とし穴1 − 名前だけで中身を判断してしまう
「フェス」「フォーラム」「つどい」「カフェ」は、どれも中身を一つに決める言葉ではありません。当事者どうしが話す会もあれば、吃音の有無を問わず誰でも入れる一般のカフェとして運営されている場もあります。会の趣旨・参加できる人・当日の流れが案内に書かれているかを、申し込む前に確かめるのが確実です。案内から読み取れないときは、主催者に直接たずねて構いません。
落とし穴2 − 「一度行けば気持ちが変わる」と期待しすぎる
13人に聞いた研究で、自分の吃音の見方が変わらなかったと答えた1人は、その理由として周囲の聞き手の反応や世間の見方を挙げ、流暢に話せないことへの否定的な見方が自分に残ると語っています。会の外側は、会に出ても変わりません。合わないと感じたら、別の会を見てもいいし、行かない時期があってもかまいません。
落とし穴3 − 集まりを、専門的な支援の代わりに考えてしまう
ドイツの診療ガイドラインが自助グループへの参加を勧めているのは、専門家の合意にもとづく推奨であって、効果を測った研究の格付けとは別の枠です。10代への調査も、自助団体を従来の言語療法に加える選択肢として検討する価値がある、という慎重な言い方をしています。二者択一にせず、必要なら両方を使うほうが現実に近いといえます。
行った日のこと、話せた場面と詰まった場面、そのときの気持ち——短くても書き留めておくと、次にどの場が自分に合うかを選ぶ材料になりますし、専門機関に相談するときにも役立ちます。
よくある質問
「吃音フェス」と「吃音フォーラム」は何が違うのですか?
名前で中身が決まるわけではなく、どちらも主催者によって内容が異なります。舞台で大道芸や落語、漫談が並び、最後に出演者と参加者でトークセッションをする催しもあれば、講演と質疑応答が中心の回もあります。共通しているのは、当事者どうしが吃音について言葉を交わす時間が置かれていることです。会の性格は、主催団体と案内文で確かめるのが確実です。
初めてでも参加できますか。人前で話さなければいけませんか?
自助グループについて調べた研究の考察は、話したくない人には発言しなくてよいと伝えることを、会を運営する側への提案として挙げています。参加者自身も、話したくないときに話さなくてよいと分かっていること自体に価値を感じていたと報告されています。不安があれば、申し込みのときに「まず見学したい」と伝えておくとよいでしょう。
参加すると、吃音は軽くなるのですか?
そのように読める研究はありません。報告されているのは主に、吃音の受け止め方や孤立感の変化です。13人に聞いた研究では12人(92.3%)が自分の吃音の見方が前向きに変わったと答え、10代22人の調査では大会の前と直後で吃音の否定的な影響を測る得点が有意に下がりました。話し方そのものについては、言語聴覚士など専門家の支援が担当する領域です。
子どもを連れていったほうがいいですか?
一律の答えは示されていません。若い人にとっての利点は現時点では分かっていない、というところから研究は出発しています。そのうえで、10代22人を対象にした調査は、自助団体が吃音の否定的な影響を減らすうえで有益でありうるとし、従来の言語療法に加える価値のある選択肢として検討されるべきだと結論づけています。実際の保護者の判断も、連れていった人・今回は連れてこなかった人の両方が記録に残っています。
近くで開かれていません。オンラインでも意味はありますか?
フェイスブック上の非公開グループを調べた研究は、利点と課題の両方を報告したうえで、対面での経験と組み合わせて使うことで心理社会的な支えを得る有用な手段になりうるとまとめています。中国の当事者コミュニティの研究でも、SNS上の日常的なやりとりが気持ちを受け止められる経験と人とのつながりをもたらしていたと述べられています。対面をそのまま置き換えられる、とは書かれていません。
まとめ
- 吃音をテーマにした集まりは、当事者団体の例会や全国大会、学会の大会、接客に挑戦するカフェまで幅があり、名前だけでは中身が決まらない。
- 自助グループに通う成人13人の研究では、12人(92.3%)が自分の吃音の受け止め方が前向きに変わったと答え、8人(61.5%)が吃音を受け入れられるようになったと述べている。1人は変わらなかったと答えている。
- 10代22人が年次大会に参加した前後では、吃音の否定的な影響を測る得点が有意に下がった。ただし対照群のない前後比較である。
- 近くに集まりが無いときは、オンラインの場が対面を補う手段になりうるが、置き換えられるとは書かれていない。
- 集まりは専門的な支援の代わりではない。ガイドラインの推奨は専門家の合意にもとづくもので、自助団体は言語療法に「加える」選択肢とされている。