まず結論から
- エミリー・ブラントの名前は、米国の Stuttering Foundation と英国の STAMMA という吃音の支援団体が公開している著名人の一覧の、両方に載っています。ただし米国の一覧は代表作を一行で紹介しているだけで、吃音についての本人の言葉は載せていません。
- 英国の一覧は、本人が自分の吃音についてオープンだとしたうえで、People 誌のインタビューで子どものころそれがどれだけ大変だったかと、背中を押してくれた先生について話している、と書いています。「先生」が出てくるのは、日本語の記事と同じです。
- 同じ一覧は、American Institute for Stuttering のために収録された対談にも触れています。演技によって吃音が「治った」としばしば報じられることについて、本人は「うーん、そうでもないの。短い一言としては聞こえがいいのは分かるけれど、本当ではない。私はこれからもずっと吃音のある人間だし、そのことを誇りに思っている」という趣旨のことを語っています。「演技で治った」は、本人の言葉ではありません。
- 役を演じるときにどもらないのは、この人に固有の話ではありません。同じ一覧には、自分以外の役を演じるときは吃音が消える、それが今の職業を選んだきっかけの一つかもしれない、という趣旨のことを語っている俳優も載っています。歌うこと、二人以上で声をそろえて話したり読んだりすること、ささやき声などは、その場で詰まりがすぐ減る条件として整理されています。
- ただしそれは条件であって、治療ではありません。学会の解説も、状況によって症状が出やすかったり出にくくなったりし、そのときの流暢さ(なめらかさ)は一時的だと書いています。
ただし、この記事は本人が公の場で語った言葉と、支援団体の一覧・日本語の記事に書かれた範囲だけを扱い、吃音の程度やその後の経過を判定しません。日本語の記事にある「先生に『北部なまり』で話すように言われた」という出来事が、なぜそう働いたのかについても、この記事の材料は説明を持っていません。
「10歳のころから」——本人が語っているのはどこまでか
日本語で読める本人の言葉は、映画のニュースサイトが出した短い記事の中にあります。ウェブサイト「デイリー・ビースト」を情報源として、本人の回顧を伝えたものです。記事はまず、10歳のころから自分は吃音症であると意識するようになった、と書きます。その直後に置かれているのが、次の一節です。
俳優エミリー・ブラント本人の発言を、映画ニュースサイト シネマトゥデイが日本語で伝えた記事から(情報源はウェブサイト「デイリー・ビースト」。地の文と本人の発言の日本語訳が交互に置かれている)
「精神的に、乗り越えられない大きな山に直面したわ。最初はただの癖かと思ったけれど、だんだん本格的になってきて、一生この状態なのかと思ったらたまらない気持ちだった」と告白。以後、症状はさらに悪くなり、12歳のころにはまったく話すのをやめてしまったという。
本人の言葉として置かれているのは、二つのことです。乗り越えられない大きな山に直面したと感じたこと。最初はただの癖かと思ったけれど、だんだん本格的になってきて、一生この状態なのかと思ったらたまらなかったこと。10歳・12歳という年齢と、症状がさらに悪くなって話すのをやめてしまったという経過は、記者の地の文です。記事はこのあと、学校の演劇と先生の話へ進み、そこから数年かけて話せるようになったという筋で結ばれます。同じ記事の終わりでは、当時の気持ちとして「わたしってなぜこうなの? どうしてわたしだけうまくしゃべれないの? 何が悪いの? って思い続けていたわ。友達はそんなわたしを受け入れてくれたけど、そんな風に受け入れられることも嫌だった」とも振り返っています。受け入れてもらうこと自体が嫌だった、という一言のほうが、この記事の中でいちばん具体的です。話す場面が避けられていく経過は、学会の解説も同じ向きで書いています。
出典: エミリー・ブラント、少女時代に患った吃音症回復のきっかけは「北部なまり」(シネマトゥデイ)(台帳: V0415)
この経過は、めずらしいものではありません。日本吃音・流暢性障害学会の解説は、吃音があることを恥ずかしいと思うようになり、隠そうとして発話を避けるためのさまざまな工夫をしたり、吃音の悩みを人に打ち明けることも恥ずかしいと思って孤独感を感じるようになったりする、と書いています。同じ解説は、思春期以降になると、症状は音の繰り返し(連発)や引き伸ばし(伸発)よりも、最初の音が出しにくくなる難発が中心になり、話す前から不安や恐怖を感じて会話や社交を避けるようになること、言いにくい単語を言い換えるなどして吃音を巧みに隠そうとすると、吃音は目立たなくなるが実際には出ないかを日々警戒しながら過ごすことになる、とも説明しています。「12歳でまったく話すのをやめた」という一行は、その経過の一番端にあたります。
一方、英国の支援団体 STAMMA の一覧は、この人について別の場面を記録しています。本人は自分の吃音についてオープンで、People 誌のインタビューで自身の経験——子どものころそれがどれだけ大変だったかと、背中を押してくれた先生のこと——を話している、と。米国の Stuttering Foundation の一覧にも名前はありますが、そちらは代表作を挙げ、同財団の冊子とポスターで取り上げられていると書くだけで、吃音についての本人の言葉は載せていません。名前の一覧そのものの読み方は、吃音の有名人の記事にまとめてあります。
学校の劇でセリフが出なかったとき、大人は何をしたか
「学校の演劇で先生が」という一行を読んで、自分の子どもの発表会を思い浮かべた保護者の方もいると思います。日本にも、同じ場面の記録があります。幼稚園の年長、卒園前の2月の生活発表会。役柄に自分から立候補し、家では他の子のセリフまでスラスラ言えていた息子が、本番の舞台に立ったところからの数十秒です。
吃音のある息子について母(ブログ名義「しまうま」・関西在住の2児の母)が書いた連載の第4回。卒園までの経過を振り返った回
そしていざ、セリフ!!
フリーズ
なぜなんだ…
あれだけ家でスラスラと他の子のセリフまで完コピしていたのに
そこで先生が助け舟。
舞台の袖でピアノを弾いていた先生が
ずっとささやき女将してくれてて
先生、ほんとうにありがとうございます
先生がささやいた通りに復唱する息子。
なんとか劇は進んで、息子の出番終わり…。
家では言えていたセリフが、舞台では出ませんでした。先生がしたのは、代わりに言うことでも、役を替えることでもなく、舞台の袖から一言ずつささやいて、本人に言わせることでした。母は同じ回で、幼稚園の日直で朝の会の挨拶などに詰まっても、クラスの子たちが「息子くん、がんばれー だいじょうぶー!」と声援を送ってくれ、誰一人としてからかう子がいなかったと先生から聞いた、とも書いています。劇のあと、合流した息子は「ちょっと間違えちゃった」というくらいの様子で、母のほうが辛かった、と続きます。学校や園の側に何を伝えておくとよいかについては、学会の解説が具体的に書いています。
出典: 親愛なる我が息子について④卒園までの吃音(アメブロ)(台帳: V0055)
学会の解説は、学齢期の子どもについて、学校に対して、吃音は病気ではないこと、緊張やストレスや家庭環境のみから生じるものではないこと、本人がわざとやっているわけではないことを伝え、クラス内や学童保育内、習い事などで吃音の理解と啓発の機会を設けてもらえるように働きかけましょう、と勧めています。理由も書かれています。吃音の指摘やからかいを減らすことによって、本人が安心して吃音を出しながら話し続けてよいのだと実感することができるから、です。舞台の袖からささやいた先生がしていたのは、まさに「出しながら続けてよい」形のほうでした。
幼児期の保護者の対応についても、同じ解説が書いています。心配そうな表情をせずに、子どもが楽しくおしゃべりを続けられるように、話の内容に耳を傾けて聞いてあげてください、と。そして、昔は「吃音に気がつかせない方がよい」という対応が主流だったが、今はそのような考え方は否定されている、と明記しています。親子で吃音について話ができる関係づくりを心がけ、「どもってもよいから、たくさんおしゃべりしてね」というメッセージを伝えましょう、というのが解説の勧めです。英国の一覧が「背中を押してくれた先生」という言い方で残しているものも、役を取り上げなかったという一点では、ここに近いのかもしれません。子どもへの向き合い方は子どもの吃音の対応、学校での指導はことばの教室の指導の記事で詳しく扱っています。
舞台に立ち続けている当事者は、そこで何をしているか
「演じているときは出ない」と聞くと、舞台に上がりさえすれば言葉が出るように思えます。けれど、いま実際に舞台に立っている当事者の書いたものを読むと、そこには準備の工程がありました。吃音には音が連続して出てしまう連声型・語頭が伸びる伸発型・言いたい言葉が声として出ない無声型の3種類があるとしたうえで、自分はそのうち連声型と無声型を抱えていると書いているフリーの舞台役者が、稽古の三つの段階を順に説明しています。台本を読む「本読み」、動きを付ける「立ち稽古」、本番どおりに通す「通し」。次は、二つ目の段階についての部分です。
舞台役者の財前優一さん本人の投稿(note。1995年生まれ・舞台を中心に活動するフリーの役者と本人が書いている)
ここで行わないといけない事は工夫です。
工夫とは、身体を叩く、足踏みをする等の吃音状態から脱却するための行動です。そんな事で、吃音から脱却できるの?と思う方もいるかもしれませんが、一時的ではありますが出来るんです。何か行動と共に言葉を発すると声が出やすいのが吃音の性質で、その動作が幼い頃から定着してしまい、随伴症状となってしまっている方もいます。
引用の最後にある「随伴症状」とは、声を出そうとして顔や体に力が入り、必要のない動きが出てしまうことを指す言葉です。この人が書いているのは、その動きを役の動作として先に組み込んでおく、という順序です。台本を読む段階では、苦手なセリフに目星を付けるだけで、何度も練習して直そうとはしない——何度も練習すれば治る程度なら、そもそもこんなに困らないから、と本人は書いています。動きを付ける段階では、たとえばコンビニの店員の役で「ありがとうございました」と言うセリフがあり、母音から始まるその言葉が苦手なら、頭を下げる動きを足して言う。役柄とその動作が一致していれば、そのセリフの不安は解消される、と。それでも残るセリフがあるときは、脚本家や演出家に相談して、同じ意味の言い回しに変えてもらうこともある、と続きます。舞台の上で出ていないことの裏側には、この工程があります。そして本人が「一時的ではありますが」と断っているとおり、条件を外せば元に戻るものとして書かれています。その場で詰まりがすぐ減る条件があることは、研究の側でも先行研究の整理として並べられています。
出典: 吃音症でも舞台役者になれるのか(note)(台帳: V0037)
学会の解説も、同じ性質を吃音の特徴として挙げています。状況によって症状が出やすかったり出にくくなったりすること、たとえば歌を歌うときや2人で声を合わせるとき、独り言を言うときなどに、一時的ですが流暢になる人が多いこと。そして、調子が良い状態や悪い状態が数週間から数か月にわたって続く人も多く、この変動を「波」と呼ぶこと。ある日の舞台で出なかったことは、その日その条件での出来事であって、翌週の電話や自己紹介を約束するものではありません。
この投稿には、もう一つ書かれていることがあります。「吃音が無かったらもっと上手く行くのに」「なんで自分だけ声を出したい時に出ないんだ」と悩んだことや悔しい思いをしたことは数え切れないほどある、と。そのうえで、悲観的になってしまった時こそ「自分はそれを含めて自分なんだ」と逃げずに自分と向き合うようにしている、と書いています。舞台の上で出ないことを、無くなったことの証拠として書いてはいません。人前で話す仕事をしている当事者の言葉は、吃音症の芸人の記事にもまとめてあります。
「演技で治った」という報じられ方を、本人はどう言っているか
ここまでを踏まえて、この記事の入口に戻ります。日本語で読める記事は、学校の演劇で先生に「北部なまり」で話すように言われたことがきっかけで徐々に回復し、それから5年間ほどで流ちょうに話ができるようになった、という筋で結ばれています。一方、英国の支援団体 STAMMA の一覧は、その報じられ方そのものについての本人の発言を記録しています。
一覧はこう書いています。American Institute for Stuttering のために収録された対談の中で、本人は、自分の吃音が演技によって「治った」としばしば報じられる誤った情報に触れている、と。そして開始から59秒の箇所として、「うーん、そうでもないの。短い一言としては聞こえがいいのは分かるけれど、本当ではない。私はこれからもずっと吃音のある人間だし、そのことを誇りに思っている」という趣旨の発言を引いています。本人が否定しているのは、演技で治ったという言い方そのものです。この記事が材料にした日本語の記事に、この否定は出てきません。
同じ一覧には、この一覧の作り手の姿勢もはっきり出ています。ネット上で吃音があるとされていても裏づけになる情報源が見つからない人物には、名前の横に疑問符を付けている、と書いたうえで、実例を挙げています。ある音楽家について「父親の扱いが原因で兄弟が吃音になった」という伝記の記述に触れつつ、伝記の主張以外に出典が見つからないと述べ、続けて「私たちが分かっているのは、親が吃音の原因になることはない、ということです」と明記して打ち消しています。裏づけの取れない話を並べないという姿勢と、本人の否定を本人の言葉のまま載せる姿勢は、同じ一つの姿勢です。
では、役を演じるときに出ないという現象そのものは、どう扱われているのでしょうか。同じ一覧には、ある英国の俳優が「自分以外の役を演じているときは、吃音が消えるんです。それが、この職業を目指した動機の一部だったのかもしれません」という趣旨のことを雑誌のインタビューで語ったと記録されています。個人の奇跡ではなく、複数の当事者が同じことを語っているわけです。
研究の側にも、似た整理があります。話す課題ごとに詰まりの数を比べた2018年の研究は、その導入で、歌うこと、二人以上で声をそろえて話すこと、声をそろえて読むこと、ささやき声、聞こえ方を遅らせたり変えたりすること、同じ文章を繰り返し読むことといった条件を「流暢さを高める条件」として挙げ、子どものころから始まる吃音ではこれらの条件で詰まりがすぐ減るのに対し、脳の損傷などのあとに起きた吃音では同じ減り方は観察されていない、とこれまでの報告をまとめています。この一文は、その論文自身が測った結果ではなく先行研究の要約です。吃音の原因を扱った2004年の総説も、声をそろえて読むこと・歌うこと・メトロノームに合わせて読むことのように、その場ですぐ吃音が減る方法に共通するのは外からの合図があることだとし、その合図が外部の「ペースメーカー」として働いてずれた活動を同期し直しているのではないか、という説明を出しています。仕組みの話は吃音とメトロノームと吃音のメカニズムの記事が正面から扱っています。
ただし、ここで正直に書いておかなければならないことがあります。「なまりを付けて話す」ことは、この記事が参照した資料が挙げている条件の一覧には出てきません。ですから、日本語の記事にある「北部なまり」の出来事が、なぜそう働いたのかを、この記事は説明できません。同じ総説は、人前に出ることで吃音を「治療」してきた有名な当事者がいるという言い方に引用符を付け、別の俳優の似た逸話を「逸話として」と断って紹介しています。一人の出来事を、だれにでも当てはまる方法として広げない——それが研究の側の扱い方です。同じ「舞台に立ったら出なかった」型の話が本人の言葉・団体の要約・研究者の総説でどう変わっていくかは、ブルース・ウィリスの吃音の記事で一件ずつ並べて追いかけています。
劇や発表が近いとき、相談できる場所
有名人の名前は入口にはなりますが、来週の発表会には答えてくれません。相談先を置いておきます。学会の解説は、楽に話しやすくなるために周囲のコミュニケーション環境を整える方法(環境調整)や、直接発話に働きかける方法、吃音のことを理解する方法など、年齢や状態に合わせた指導が行われるとしたうえで、小児を扱う言語聴覚士(ことばの専門職)や、ことばの教室の教員に相談しましょうと書いています。この節の文責は北里大学 医療衛生学部の教員です。
学校や園に伝えることも、相談の一部です。先に引いたとおり、解説は、吃音は病気ではないこと・緊張やストレスや家庭環境のみから生じるものではないこと・本人がわざとやっているわけではないことを伝え、理解と啓発の機会を設けてもらえるように働きかけることを勧めています。中高生以上では、制度の側の手当てもあります。2016年に施行された障害者差別解消法により学校や職場での吃音に対する差別的言動および差別的扱いは禁止されており、発表や電話応対の免除、試験等での面接時間の延長などの合理的配慮——本人の困りごとに合わせて周りがやり方を変えることです——を求めることができる、と解説は書いています。その際、医師の診断書や言語聴覚士の報告書の提出などが求められる場合があるとも書かれています。
同じ立場の人と会う場もあります。解説は、吃音の自助団体に参加してほかの吃音のある人と出会うことが心理的な変化(吃音を否定的に捉えることが減るなど)のきっかけになることもあるとし、日本には、当事者が「吃音があるのは自分だけではない」ということを認識し、共通の体験を語り合い、苦悩を分かち合い、互いに援助し合うことを活動の中心とする自助団体がいくつもあると説明しています。1965年に発足した「言友会」が日本で最も歴史が古く、近年は若者を対象とした団体や、女性の集いを開催する団体も設立されている、と具体名を挙げています。
次のようなときは、様子を見るだけにせず、相談を考えてみてください(当てはまらなくても相談して構いません)。
- 劇や発表の前後で、話すこと自体を避け始めている
- 家では言えるのに人前では出ない状態が続き、本人が「なぜ自分だけ」と口にするようになっている
- 話し方をからかわれる場面があり、それ以来、園や学校に行きたがらない
この3つは相談を考えるきっかけとして挙げたもので、特定の資料が「受診の目安」として定めているものではありません。3つめは、吃音の症状をからかわれるなどのいやな経験が心理的な問題につながることもあるという学会の解説にもとづいています。
「演技で吃音が治った」で陥りがちな3つの落とし穴
落とし穴1 − 本人が否定している言い方を、本人の話として広める
演技によって吃音が「治った」としばしば報じられることについて、本人は対談の中で、聞こえはいいけれど本当ではない、自分はこれからもずっと吃音のある人間だし、そのことを誇りに思っている、という趣旨のことを語っています。それでも「治すために女優になった」という形の紹介は残り続けています。人物の吃音について何かを伝えるときは、その一行が本人の言葉なのか、誰かの要約なのかを分けて書くほうが安全です。裏づけの取れない話に疑問符を付け、親が吃音の原因になることはないと明記している一覧の作法は、そのまま参考になります。
落とし穴2 − 舞台で出なかったことを、無くなった証拠にする
歌うこと、声をそろえて話したり読んだりすること、ささやき声などで詰まりがすぐ減ることは、これまでの報告としてまとめられています。学会の解説も、状況によって出方が変わり、そのときの流暢さは一時的だと書き、調子の良し悪しが数週間から数か月続く「波」があるとしています。舞台に立ち続けている当事者自身も、稽古で工夫を組み込んだうえで「一時的ではありますが」と断っています。ある日の舞台の出来事は、その日その条件での出来事です。
落とし穴3 − 「同じ方法で」と、自分や子どもに当てはめる
「北部なまり」で話すという出来事が、なぜそう働いたのかを説明する材料は、この記事にはありません。総説が有名な当事者の「治療」に引用符を付け、似た逸話を「逸話として」と断っているのも、一人の経過をだれにでも通じる方法として広げないためです。劇の役を持たせるかどうか、発表を代わるかどうかは、本人の様子と、園や学校との相談で決めることであって、遠い国の一つの逸話が決めることではありません。相談できる場合は、小児を扱う言語聴覚士やことばの教室の教員に相談するのが確実です。
そのうえで、劇や発表が近い時期には、どの場面で出やすかったか・どの場面では楽だったかを短く書き留めておくと役に立ちます。相談のときに状態を説明しやすくなり、園や学校に配慮をお願いするときの材料にもなります。
よくある質問
エミリー・ブラントには、本当に吃音があったのですか?
米国の Stuttering Foundation と英国の STAMMA という吃音の支援団体が公開している著名人の一覧の、両方に名前が載っています。英国の一覧は、本人が自分の吃音についてオープンで、People 誌のインタビューで子どものころの大変さと背中を押してくれた先生について話している、と書いています。日本語では、10歳のころから吃音を意識するようになり、12歳のころには話すのをやめてしまったという回顧を伝えた映画ニュースの記事があります。この記事は、吃音の程度やその後の経過を判定していません。
「演技をしたら吃音が治った」というのは本当ですか?
本人が否定しています。英国の一覧は、演技によって吃音が「治った」としばしば報じられる誤った情報について、本人が「聞こえはいいのは分かるけれど、本当ではない。私はこれからもずっと吃音のある人間だし、そのことを誇りに思っている」という趣旨のことを語った対談を記録しています。この記事が材料にした日本語の記事には、この否定は出てきません。
役を演じるとどもらないのは、なぜですか?
役を演じるときに出ないと語っている当事者は、ほかにもいます。歌うこと、二人以上で声をそろえて話したり読んだりすること、ささやき声などで詰まりがすぐ減ることは、これまでの報告としてまとめられています。外からの合図が「ペースメーカー」のように働いてずれを整えているのではないか、という説明も出されています。ただし、なまりを付けて話すことについては、この記事が参照した資料に記載がありません。
子どもが劇のセリフを言えません。役を代えたほうがいいですか?
一律の答えはありません。この記事で紹介した幼稚園の記録では、先生が舞台の袖から一言ずつささやき、本人が復唱して劇を最後まで進めました。学会の解説は、吃音の指摘やからかいを減らすことで、本人が安心して吃音を出しながら話し続けてよいのだと実感できる、として、学校に理解と啓発の機会を求めることを勧めています。決め方に迷うときは、小児を扱う言語聴覚士やことばの教室の教員に相談してください。
吃音のある俳優は、ほかにもいますか?
英国と米国の支援団体の一覧に、俳優・歌手・政治家などの区分で多くの名前が並んでいます。英国の一覧は、裏づけになる情報源が見つからない人物には名前の横に疑問符を付けています。一覧の読み方は吃音の有名人、ブルース・ウィリスはブルース・ウィリスの吃音、マリリン・モンローはマリリン・モンローの吃音の記事で扱っています。
まとめ
- エミリー・ブラントの名前は、米国と英国の吃音支援団体の一覧の両方に載っている。英国の一覧は、本人が People 誌のインタビューで子どものころの大変さと、背中を押してくれた先生について話していると書いている。
- 演技によって吃音が「治った」としばしば報じられることを、本人は「聞こえはいいけれど本当ではない。私はこれからもずっと吃音のある人間で、そのことを誇りに思っている」という趣旨で否定している。「演技で治った」は本人の言葉ではない。
- 役を演じるときに出ないと語る当事者はほかにもいる。歌う・声をそろえる・ささやくなどで詰まりがすぐ減ることは報告としてまとめられているが、それは条件であって治療ではなく、そのときの流暢さは一時的である。
- 幼稚園の劇でセリフが出なかった子どもに、先生がしたのは舞台の袖からささやいて本人に言わせることだった。学会の解説は、吃音の指摘やからかいを減らすことで安心して話し続けられるとして、学校への働きかけを勧めている。「気がつかせない方がよい」という昔の対応は否定されている。
- いま舞台に立っている当事者は、苦手なセリフに目星を付け、動きを足し、必要なら言い回しの変更を相談するという工程を持っている。相談先は小児を扱う言語聴覚士・ことばの教室・自助団体。