まず結論から
- 吃音は、音のくりかえし(連発)・引き伸ばし(伸発)・ことばが出せずに間があくこと(難発)のどれか一つ以上が見られる話し方として定義されています。
- 同じ状態を指す言い方は一つではありません。当事者向けの解説には、吃音を「ことばがどもって」「困ること」の二つの組み合わせとして捉え直す考え方も置かれています。
- 医学の側の名前も動いてきました。米国精神医学会の診断基準は2013年の第5版で、診断名を「吃音」から「小児期発症流暢症」に改め、話す場面についての回避と不安を基準に加えています。
- 言葉が重なることは、実務にも影響します。英語の「stuttering」はカルテの中で歩行や胸の痛みを表すのにも使われていて、人手で確認した記録のうち29%は発話と無関係な用法だけを含んでいました。
- そして、どう呼ぶかを当事者自身が選び直す動きもあります。研究の側でも、どもる話し方それ自体を不調とみなす必要はない、という見方が議論されるようになりました。
ただし、「妙音」に「どもる人」の意味があるという説明について、その出どころ(経典や辞書のどこに書かれているのか)を、この記事は確かめられていません。ここで紹介するのは、その説明に出会った一人の当事者がどう受け止めたかであって、語義そのものの裏づけではありません。
「妙音」が指していたもの
「妙音」を辞書で引くと、言葉にできないほど美しい音声、という意味が並びます。その語に、まったく別の意味も添えられているのを見つけた人がいます。吃音のある本人です。
当事者の声(吃音のある本人・note の手記)
妙音とは
「どもる人」
という意味もある
よどみない
滑らかな言葉ではなく
詰まりながら発する
心からのヒトコトを
「妙音」と呼ぶ
吃音のあるボクには
目からウロコの
話である
そうか、
短い行を積み重ねる詩のような文章で、この人は「妙音菩薩とか 妙音弁財天とか」という名前の話から書き起こしています。美しい声とは透明感のある高い声だ——そう思い込んでいたのは自分のほうだった、と続きます。手記はこのあと「自身の偏見に 辟易する」という一行で、驚きの矛先を語のほうではなく自分のほうへ向け直します。ここで動いているのは症状ではなく、話し方をどう呼ぶかという言葉の側です。そして呼び方の問題は、吃音の資料の中でも一つに定まっていません。
出典: 妙音。(note)(台帳: V0553)
公的な資料が書いているのは、話し方の側の定義です。音のくりかえし(「か、か、からす」)、引き伸ばし(「かーーらす」)、ことばを出せずに間があいてしまう状態(「・・・・からす」)のどれか一つ以上が見られる話し方を吃音と定義する、というのが国際疾病分類にもとづく説明です。
一方、成人の当事者に向けた解説では、そこに一つ足した捉え方が示されています。吃音とは「(1)ことばがどもって(2)困ること」だ、という書き方です。恥ずかしい思いをする、言いたいことが言えない——「困ること」の側にこそ問題がある、という立て方になっています。同じ状態を指しながら、定義の重心は資料ごとに違う場所に置かれています。
同じ「吃る」という一語で呼ばれること
言葉が重なるのは、ありがたい方向ばかりではありません。日常の緊張で言葉に詰まることと、吃音とが、一つの言葉にまとめられてしまう。そこに違和感を書き残した当事者がいます。
当事者の声(当事者本人・筆名で発表/note の手記)
吃音症という発話障害を抱えていない人の、心理状態によって起きる「吃り」と、吃音症によって引き起こされている「吃り」は全く別のものであって、それらが同じ「吃る」というワードで表現されていることが本来おかしい。
もしもこの日本語表現が分けられていたら、俺たちの傷はもう少し浅かったはずだろう。
中学生から二十代前半までがいちばん重かったと自分で書いているこの人は、手記の前半を「吃音の苦しみとは」という見出しに充てています。周囲から「落ち着いて」「緊張しないで」と声をかけられる場面を挙げたすぐあとに、この一節が置かれます。つまり、その声かけが出てくるのは、聞き手が二つの「吃る」を同じものとして扱っているからだ、という順序で書かれています。言葉が分かれていれば傷は浅かったはずだ、という仮定は、本人の実感として書かれたものです。ただ、語が重なることで実際に困りごとが起きる場面は、日本語の外にもあります。
出典: 吃音の苦しみを壊した話(note)(台帳: V0066)
ヴァンダービルト大学の医療センターで、匿名化されたカルテから発達性吃音の記録を探した研究があります。この研究がまず報告しているのは、「stuttering」という語を手がかりに記録を集めても、拾えてくるものの多くが発話の話ではなかった、ということでした。同じ研究班が2018年に行った予備調査を引いて、1,822件の記録を人の目で確かめたところ、29%(521件)は発話と無関係な使い方だけを含んでいました。症状が出たり消えたりすることを指す「stuttering onset」、不安定でたびたび止まる歩き方を指す「stuttering gait」、不規則な胸の痛みを指す「stuttering angina」が、その代表として挙げられています。
さらにこの研究は、同じ予備調査を引いて、診断の請求コードだけを手がかりにした場合、約9万3千件の記録から拾えた発達性吃音はわずか90例だったと述べています。これは、人口の中で見込まれる割合(1〜3%)をはるかに下回る数です。語が重なっていることと、吃音の評価と支援が病院の外で行われることが重なって、吃音は医療記録の上では大きく見落とされている、というのがこの研究の出発点でした。
名前を知らないあいだ、人は別の名前を借りる
自分の話し方に当てる言葉が手元に無いとき、人は近くにある言葉を借りてきます。そして、その借り物の名前のまま、長く生活を組み立ててしまうことがあります。
当事者の声(会社員・吃音歴40年/note の連載)
小学生低学年の時は隠せずどもり倒してきましたが、高学年になり物心ついた時には「吃音は恥ずかしい」と思うようになっていました。
当時は吃音と言う言語障害があることも知らず、あがり症なのかな?みんな普通に自己紹介出来てすごいな〜…僕ももっと普通に喋らないと!と考えていました。
吃音歴40年の会社員が、自分の連載の二本目にこう書いています。名前を借りた先は「あがり症」でした。そして借り物の名前で自分を説明しているあいだにも、生活のほうは動き続けます。言えなさそうな語を別の語に置き換え、名前を言わなければならない場や行事を避ける——その工夫は、この人が一人で編み出したもののように見えて、実は学会の解説にもそのまま並んでいる道筋です。
出典: え?吃音だったの?(note)(台帳: V0287)
日本吃音・流暢性障害学会の解説は、思春期以降の経過をこう説明しています。症状は連発や伸発よりも難発が中心になり、発話場面での失敗体験が重なると、話し始める前に不安や恐怖を感じて、次第に会話や社交を避けるようになる。そして吃音を巧みに隠そうとして、言いにくい単語を言い換える工夫をすることもある。このとき吃音は目立たなくなりますが、実際には吃音が出ないかを日々警戒しながら生活している状態だ、とも書かれています。
こうした「隠す」「避ける」は、かつては症状の外側にある本人の性格の話として扱われがちでした。それが変わったことが、診断基準の文面に残っています。米国精神医学会は2013年の第5版で、診断名を「吃音」から「小児期発症流暢症」へ改めると同時に、話す場面についての回避と不安を診断の基準に加えました。この総説は、多くの人にとって回避と社交不安こそが最も生活を妨げる特徴だ、とも述べています。借り物の名前で「あがり症」と名乗っていた時期の困りごとは、いまは吃音という名前の内側に書き込まれているということです。
呼び名を、自分の側から選び直す
名前を知ったあとに残るのは、それを人にどう伝えるか、という問いです。医学の名前をそのまま使うのか、別の言い方をするのか。そこを自分で決めた人がいます。病気という言い方が呼び込むイメージへの引っかかりと、コミュニティで出会った人たちの様子を書いたあと、その人はこう続けます。
当事者の声(会社員・学生時代に吃音症のコミュニティを運営/note のエッセイ)
もちろん、言葉がうまく発せないことで悩んでいる人はいたけれど、逆に吃音をもっていて良かったなんていう人もいた。
だから、僕はそれ以来、吃音症を”特性”と呼ぶようになった。
この人はエッセイの冒頭で、自分の状態を「言葉が出にくい言語障害」と書いています。そのうえで、周囲に伝えるときには「特性」と言う、と続けます。呼び分けの理由として挙げられているのは、学生時代に自分で立ち上げたコミュニティでの経験でした。重い人も軽い人もいて、それぞれが自分の吃音に向き合っていた——その場に居合わせたことが、呼び名を選び直す根拠になっています。自分の状態をどう名づけるかを本人の側に置く、という発想は、研究の場でも議論されるようになってきました。
出典: 吃音症は“特性”(note)(台帳: V0288)
米国の公的研究機関が主催した会議にもとづく総説は、吃音をめぐる最近の議論として、どもる話し方それ自体を不調とみなす必要はないという前提が検討されるようになったことを紹介しています。人は誰でも流暢さの水準が違い、その幅は人間のありようそのものだ、という見方です。同じ総説は、この見方が治療を望む人にとっての治療の重要性を否定するものではない、とはっきり断ったうえで、自分を障害者だと考えていない当事者の視点を臨床家と研究者が計画に織り込めるようにする、と述べています。
治療の目標についても、同じ会議で意見が寄せられています。どもる回数を減らすことだけに焦点を当てるやり方は、不自然で努力を要する話し方につながって維持が難しく、自己認識に悪い影響を与えると批判されました。そのうえで、第一の目標は流暢さではなく、伝わるコミュニケーションであるべきだという声が多く挙がり、同時に目標は一人ひとり個別に定めるべきだという点でも一致したと記録されています。
言葉には、その人の生き方までくっついてくる
吃音のまわりには、人の名前から作られた言葉もあります。成人向けの解説に「まめちしき」として置かれているのが、「デモストネス・コンプレックス」です。古代ギリシャ時代に、重度の吃音を克服して雄弁家として活躍したデモストネスにちなんだ言い方で、吃音のある人が「吃音を克服しないと、自分の人生に成功はない」「吃音さえなければ、すばらしい人生を送ることが出来るのに」と考えてしまう傾向を指します。
「妙音」と並べてみると、二つの言葉の向きは正反対です。片方は、詰まりながら発する一言を美しいものの側に置く言い方で、もう片方は、克服できていない自分を失格の側に置いてしまう心の傾きに名前を付けたものです。どちらも、話し方そのものではなく、話し方をどう位置づけるかを扱っています。そして後者は「こういう考え方に陥りやすい」という注意として書かれているのであって、そうあるべきだという話ではありません。
言葉の選び方が、実際の行動に触れてくる場面もあります。吃音のある成人が言語訓練を続けるか途中でやめるかの動機を面接で調べた質的研究は、動機に関わる主題として六つを挙げています——治療者の特性、訓練の構成と進め方、治療の場と道具、効果をどう受け止めているか、本人の心理的な力学、そして周囲の支えと受け止めです。ただしこれは、どれが効くかを検証したものではなく、語りから取り出された主題の一覧です。周りがどう受け止めているかが、通い続けるかどうかの話題として語りに出てくる、というところまでが言えることになります。
名前の先にある相談先
呼び名をどう決めても、困りごとが減るとは限りません。相談先として資料に名前が挙がっているのは、小児を扱う言語聴覚士とことばの教室の教員です。学会の解説は、年齢や状態に合わせた指導として、周囲のコミュニケーション環境を整える方法、直接発話に働きかける方法、吃音のことを理解する方法を挙げたうえで、この二つに相談するよう書いています。
大人の場合、話しにくさを感じやすい場面としては、部活動や入学面接、ゼミの発表や就職活動、職場の電話応対などが挙げられています。こうした場面で困っているなら、呼び方をどうするかの前に、相談の窓口を確かめるほうが早いこともあります。学会の解説は注記の中で、全国言友会連絡協議会をはじめとする団体が吃音のリーフレットを公開していることにも触れています。
次のようなときは、一人で抱え込まずに相談を考えてみてください(あくまで目安で、当てはまらなくても相談して構いません)。話す場面を避けることが増えてきたとき/言いたい言葉を別の言葉に置き換えるのが習慣になっているとき/話し方のことで生活や仕事に支障が出ていると感じるとき。
「妙音」という言葉に出会ったときの3つの落とし穴
落とし穴1 − 語源の話として、そのまま人に伝えてしまう
「妙音には『どもる人』の意味もある」という説明は、当事者の手記の中で、その人が出会った話として書かれているものです。どの経典・どの辞書に、どういう形で書かれているのかまでは、この記事の手元の資料では確かめられていません。心に留まる言葉ではありますが、「仏教ではそう決まっている」という形で人に渡すと、根拠のない話を広げることになります。受け取ったままの形——誰かがそう受け止めた、という形で扱うほうが安全です。
落とし穴2 − 緊張して言葉に詰まることと、吃音を同じものとして扱う
日本語の「吃る」は、両方を指してしまう一語です。これは日本語だけの事情ではなく、英語の「stuttering」もカルテの中で歩き方や胸の痛みに使われていて、人手で確かめた記録の29%は発話と無関係な用法だけを含んでいました。言葉が同じでも、指しているものは別です。吃音の側には、音のくりかえし・引き伸ばし・ことばが出せずに間があくという、記述された定義があります。
落とし穴3 − 呼び名を決めることを、相談の代わりにしてしまう
自分の状態を「特性」と呼ぶか「言語障害」と呼ぶかは、本人が決めてよいことです。研究の場でも、自分を障害者だと考えていない当事者の視点を計画に織り込むべきだという議論が出ています。ただし、呼び名が変わっても、話しにくい場面そのものは残ります。困っている場面があるなら、言語聴覚士やことばの教室に相談するのが確実です。日々どんな場面で出やすかったかを書き留めておくと、相談のときに伝えやすくなります。
よくある質問
妙音菩薩は吃音と関係があるのですか?
この記事が確かめられたのは、「妙音には『どもる人』の意味もある」という説明に出会った当事者が、それをどう受け止めたかまでです(台帳: V0553)。経典に書かれた妙音菩薩そのものについての資料は手元になく、宗教上の由来については何とも言えません。吃音の側の定義は、音のくりかえし・引き伸ばし・ことばが出せずに間があくことのどれか一つ以上が見られる話し方、とされています。
「どもり」と「吃音」は違うものですか?
指している状態は同じです。国際疾病分類にもとづく説明では、音のくりかえし・引き伸ばし・ことばが出せずに間があくことのどれか一つ以上が見られる話し方を吃音と定義しています。ただし当事者向けの解説には、そこに「困ること」を足して捉え直す考え方も置かれていて、どこに重心を置くかは資料によって違います。
吃音の正式な名前は何ですか?
一つに定まっているわけではありません。米国精神医学会の診断基準は2013年の第5版で、診断名を「吃音」から「小児期発症流暢症」に改めています。同じ改訂で、話す場面についての回避と不安が基準に加わり、大人になってから始まる吃音が小児期発症のものと区別されました。一方、国際疾病分類にもとづく説明は「吃音」の語を使っています。
呼び方を変えると、話しやすくなりますか?
呼び方を変えたら症状が軽くなる、という形では確かめられていません。ただし研究の側では、治療の第一の目標を流暢さではなく伝わるコミュニケーションに置くべきだという意見が多く挙がり、目標は一人ひとり個別に定めるべきだという点でも一致したと記録されています。言語訓練を続ける動機を調べた研究では、周囲の支えと受け止めが、語りから取り出された六つの主題の一つに挙がっています。
話し方のことで困っています。誰に相談すればいいですか?
小児を扱う言語聴覚士か、ことばの教室の教員に相談するよう案内されています。指導の内容としては、周囲のコミュニケーション環境を整える方法、直接発話に働きかける方法、吃音のことを理解する方法が、年齢や状態に合わせて挙げられています。話しにくさを感じやすい場面として、入学面接やゼミの発表、就職活動、職場の電話応対などが挙げられています。
まとめ
- 「妙音には『どもる人』の意味もある」という説明に出会った当事者は、驚きの矛先を自分の思い込みのほうへ向け直している(台帳: V0553)。ただしその語義の出どころは、この記事の手元の資料では確かめられていない。
- 吃音の定義そのものは、音のくりかえし・引き伸ばし・ことばが出せずに間があくことのどれか一つ以上、と記述されている。当事者向けの解説は、そこに「困ること」を足して捉え直している。
- 同じ語が別のものを指すことは実務にも響く。人手で確認したカルテの29%は、発話と無関係な「stuttering」の用法だけを含んでいた。
- 医学の側の名前も動いてきた。2013年の診断基準の改訂で「吃音」は「小児期発症流暢症」になり、回避と不安が基準に加わった。
- どう呼ぶかを本人の側に置く議論も進んでいる。ただし呼び名が変わっても困る場面は残るので、言語聴覚士やことばの教室への相談は別に用意しておきたい。