まず結論から
- 『吃音―伝えられないもどかしさ―』は新潮社から出たノンフィクションで、単行本が2019年1月31日、文庫版が2021年4月26日に出ています。
- 著者は1976年東京都生まれのノンフィクションライターで、2003年に自身の吃音をきっかけの一つとして妻とともに日本を発ち、2008年に帰国して京都市を拠点に執筆していると版元は紹介しています。
- 版元のページに載る書評によれば、この本の取材には約5年かかっており、出発点になった吃音矯正所についての短いルポは2002年に書かれています。
- 吃音の出方が時期や場面で変わることは、本人の感覚だけの話ではありません。成人の当事者への調査では、この質問に答えた202人のうち196人(97%)が「変動を経験する」と答えています。
- 変わりやすいのは外から見える面のほうで、どもる回数は74.9%、重さは72.3%が「よく/いつも変わる」と答えた一方、自分をどう思うかや否定的な考えは6割以上が「まったく/わずかしか変わらない」と答えていました。
ただし、ここに並べたのは本の要約ではなく、本の外にある資料が何と言っているかです。数字はどれも集団を平均した傾向で、ひとりの人の来月がどうなるかを決めるものではありません。また、ひとりの人に起きた経過が、他の人にも起きるとは限りません。気になることがあるときは、自分で結論を出して終わりにせず、言語聴覚士など相談できる専門職に一度見てもらってください。
どんな本で、著者は何者か——版元のページで確かめられること
まず、本そのものの素性です。版元の新潮社が公開している書籍ページには、『吃音―伝えられないもどかしさ―』が新潮文庫の1冊として載っており、発売日は2021年4月26日、電子書籍もあると記されています。同じページの「判型違い」の欄には、単行本が2019年1月31日に出ていたことも並んでいます。つまり、単行本が2019年、文庫版が2021年の本です。
内容について版元が書いているのは、次のようなことです。話したい言葉がはっきりあるのに、その通りに声が出ない。店で注文ができない、電話に出るのが怖い、どもって奇異な視線を向けられたらという不安感から逃れられない。理解されにくいことが当事者を孤独にする。そして著者自身も悩んだうえで、当事者をはじめ家族や専門家など多数の関係者に取材を続けて書いたノンフィクションである——と紹介されています。この記事で扱えるのはここまでで、本文の中身には立ち入りません。
著者プロフィールの欄には、1976(昭和51)年東京都生まれ、東京大学工学部卒業・同大学院修了、ノンフィクションライターとあります。2003(平成15)年に自身の吃音をきっかけの一つとして妻とともに日本を発ち、オーストラリア、東南アジア、中国、ユーラシア大陸で5年以上にわたり旅と定住を繰り返しながら月刊誌や週刊誌にルポルタージュなどを寄稿し、2008年に帰国して以来、京都市を拠点に執筆していると書かれています。大学の非常勤講師も務めています。「自分の吃音が、日本を出るきっかけの一つだった」という経歴が、版元の紹介文に書かれているということです。
もうひとつ、同じページには作家の重松清さんが書いた書評が転載されています。そこには、この本の取材に約5年かかったこと、出発点になった吃音矯正所についての短編ルポルタージュに取り組んだのが2002年であること、合わせて17年もの歳月がかかっていることが記されています。書評を書いた重松さん自身も吃音のある人で、「僕も、その一人である」と書いています。以下の4つの節は、この2人が公開の場で語り、書いた言葉を順に置いていきます。
隠せていても、しんどい——進路が変わるほどの問題だった
吃音のある人の本、と聞いて多くの人が思い浮かべるのは、話そうとして声が出ない場面でしょう。ところがこの本の著者は、そう見えない側にいた人です。周囲からは気づかれないまま、進路そのものが変わっていった。刊行記念のトークショーで、本人がこう説明しています。
当事者本人・近藤雄生さん(ノンフィクションライター/新潮社ウェブマガジン「考える人」のトークショー採録。聞き手は作家の重松清さんで、同じく吃音当事者)
でも、いつもそのように意識しながら話すのはとても疲れ、苦悩は大きなものでした。そしてその問題をきっかけの一つとして、僕は普通に就職するのをやめて、旅をしながらライターをするという進路を選ぶことになりました。周囲には一見わからないほどだったものの、自分にとって吃音は、そのような大きな方向転換をしようと思うぐらい重大な問題でした。
周りからはわからないけど当事者にとってはものすごく大きな問題、というのは、吃音以外にも多くあると思います。この本は、吃音の苦しさを知ってもらうとともに、吃音を通じて、他の人の問題に想像力を持つ大切さを感じてもらえれば、という気持ちで書きました。
2019年5月31日、東京・下北沢の書店で開かれた刊行記念のトークショーでの発言です。本人はこの場で、30歳になるころに大きな変化が訪れ、いまはほとんど症状が出なくなったと語っています。そのうえで、悩んでいた高校や大学の頃も、しゃべった感じは一見いまとそれほど変わらず、当時の友人もほぼ誰も気づいていなかったはずだ、と続けます。言い換えのできない自分の名前などで詰まり、「いや」「あの」を挟んで言えるタイミングを待つ——その積み重ねが疲労になっていました。会場の受付では、予約した名前を口頭で言わなくていいように、あらかじめ手配してあったとも話しています。外から見えていた量と、本人が背負っていた重さは、最初から釣り合っていなかったということです。
出典: 第1回 当事者の苦しみとは|「吃音」をもっと知るために~重松清が近藤雄生に聞く~(考える人・新潮社)(台帳: V0022)
この「外から見える量」と「本人の重さ」のずれは、研究の側でも測られています。成人の当事者202人に「吃音に関して変動を経験するか」と尋ねた調査では、196人(97%)が経験すると答えました。研究者は、変動がこの大きな集団に行き渡っていると述べています。
さらに、吃音のどの面が変わりやすいかを整理すると、はっきりした並びが出ます。最も変わりやすいのはどもる回数と重さで、回数は74.9%、重さは72.3%が「よく/いつも変わる」と答えました。逆に最も変わりにくかったのは、吃音が自分自身をどう思わせるかと、吃音についての否定的な考えや感情で、それぞれ65.4%・62.7%が「まったく/わずかしか変わらない」と答えています。外から見える部分ほどよく変わり、内側にあるものほど動かない——これが調査の示した並びです。
同じ研究は、外から見えにくい面(体の力み、音や語や場面を避けること)についても、目に見える行動と同じように複数の時点・複数の場面で確かめるべきだと述べています。そうしないと、本人の経験を取り違え、影響を小さく見積もることになる、というのがその理由です。「一見わからなかった」という本人の言葉は、この指摘とちょうど裏表の関係にあります。
なぜ、題を『吃音』と正面から掲げたのか
本の名前は、書き手がその主題とどこまで向き合ったかが出るところです。この本の題は、最初から『吃音』だったわけではありませんでした。連載時は別の題が付いていて、単行本にするときも著者には迷いがあったと本人が話しています。
当事者本人・近藤雄生さん(同じトークショーの最終回。担当編集者の名前は原文どおり)
タイトルについても、実は僕は当初、「吃音」という語が付かない、ちょっと文芸的な、格好いいタイトルにしたいという気持ちがありました。でも、足立さんに「これでいいんですか」と原稿を突き返されて書き直してみた結果、タイトルについても、これはもう『吃音』しかないなと思ったんですね。連載時のタイトルだった『吃音と生きる』でもなく、『吃音』なんだと。そのときようやく、正面からこのテーマと向き合えた気がしました。
この本のもとになったのは、雑誌に不定期で載った7回ぶんの原稿でした。完成したつもりで送った原稿は担当編集者に受け取ってもらえず、長い手紙が返ってきます。冷静に読み返すと納得せざるを得ない指摘が並んでいたため、そこからさらに4、5か月かけて根本から考え直し、書き直した——と本人は説明しています。題が『吃音と生きる』から『吃音』へ縮んだのは、その書き直しの後でした。言葉をどう選ぶかが、その人と吃音との距離をそのまま映してしまう。日本語の資料も、まさにその距離の取り方を論点にしています。
出典: 第4回 待つことは、認めること|「吃音」をもっと知るために~重松清が近藤雄生に聞く~(考える人・新潮社)(台帳: V0131)
日本吃音臨床研究会が案内している本の1冊は、吃る人の悩みが解決されないのは、吃音を話し方の乱れの問題としてのみとらえてきた古い見方に原因があるのではないか、という問題提起から始まるものだと紹介されています。そのうえで、吃音の問題を「治す」から「吃る事実を認める」、さらに吃音とうまくつき合いながらどう生きていくかという「生き方」の問題としてとらえ直す必要を訴えている本だ、と説明されています。吃音研究者と当事者の共同から生まれた本で、当事者の集まりでの話し合いの様子が多く紹介されている、とも書かれています。
言葉の置き直しは、吃音の定義そのものにも及んでいます。金沢大学の研究室が運営する吃音ポータルサイトは、吃音の問題は「ことばがうまく話せない」ことだけにあるわけではないとして、「ことばがどもって」「困ること」の2つで吃音をとらえ直す説明を置いています。前半は音を繰り返す・伸ばす・つまって出てこないといった状態を指し、後半は恥ずかしい思いをする・言いたいことが言えない、といった状態を指します。同じページは、言語症状の大きさ・それに対する周囲の反応・本人の反応という3つの辺を掛け合わせて問題の大きさを表すモデルも紹介しています。話し方の乱れだけを見ていると、この立体の残り2辺が見えないということです。
「気持ちがわかります」と、簡単には言えない
いま悩んでいない人が、いま悩んでいる人について書く。この本を最後まで書けた理由でもあり、同時にいちばん危ういところでもある、と著者は語っています。トークショーの前半、最後の質問への答えです。
当事者本人・近藤雄生さん(同じトークショーの第2回。「当事者としての経験があったかどうかで本の内容は変わったか」という問いへの答え)
自分が当事者であったからこそ書けた部分は、少なからずあると思います。一方、あとがきに書きましたけど、当事者としての感覚がありつつも、現状では悩まなくなって、ある程度吃音と距離が置けるようになったことが、この本を最後まで書き切る上で大きな意味を持っていたとも感じます。
ただ、リアルタイムで悩んでいない自分は、いま悩んでいる当事者に対して「気持ちがわかります」とは簡単には言えないと思っています。いま悩んでいるということと、過去に悩んでいた経験があるということの間には、大きな隔たりがあるからです。
同じトークショーで著者は、取材相手との距離の取り方がこの本を書くうえで重要だったと述べ、吃音のある小学校低学年の子を取材したときには、その年齢の子に自身の吃音について尋ねること自体の是非から悩んだ、とも話しています。実名で書くか仮名にするかにも触れ、実名だと読み手にも書き手にも重みが生じるが仮名にすると逃げ道ができてしまう、だからできるだけ実名で書きたい、と説明しました。そのうえで、その子については実名でよかったのかという気持ちがいまなおあり、書いたからには考え続けなければならない、と語っています。聞き手の重松さんは、その葛藤を持ち続けているからこそ書き手を信頼できた、と応じました。「わかる」と言い切らずに近くにいる——この位置の取り方には、研究の側からの裏づけもあります。
出典: 第2回 家族の物語として|「吃音」をもっと知るために~重松清が近藤雄生に聞く~(考える人・新潮社)(台帳: V0130)
先ほどの調査は、自由記述も集めています。変動が「いつ」起きるかについては、分・時間・日といった短い揺れと、週・月・季節・年といった長い揺れの両方が語られました。数日から数週間ほとんどどもらずに過ごした後で、また出る時期が来る、という記述も引かれています。「もう大丈夫」と「また戻った」を何度も往復している人がいるということです。
「どこで」変わるかについては、もっとはっきりした注意書きが付いています。研究者は、語られた場面や状況は人それぞれで、全員にとって変わりやすいと言える場面は1つも無かったと述べています。ある人が最も変わりやすいと挙げた場面が、別の人には安定した場面として挙げられることもありました。相手が誰か、どれだけ急かされるか、聞き手がどれだけ丁寧かで変わる、という記述も並びます。
変動の大きさそのものについても、そのときどれだけ悪い影響(否定的な考えや感情、生活上の制限)を受けているかによって増減すると語られていました。疲れているとき、ストレスがあるとき、話すよう急かされたときにひどくなる、という記述が引かれています。ただしこれは因果を確かめた分析ではなく、当事者がそう語ったという記録です。だからこそ、経験した人であっても「自分のときはこうだった」から先へは、簡単には進めません。
この本を読んだ当事者に、何が起きたか
本が届く相手は、吃音を知らない人だけではありません。同じ経験をしてきた人が読むと、思いがけないことが起きます。帯の推薦文と書評を引き受けた作家は、その様子を隠さずに書きました。
当事者本人・重松清さん(作家。この本の書評として「波」2019年2月号に掲載され、新潮社のウェブマガジンにも転載された文章)
重い取材である。つらい旅でもあっただろう。吃音を持つ人の就労支援をおこなうNPO法人を起ち上げた男性は、吃音を理由に職場を去らざるを得なかった彼自身の過去を語りながら、「なんで涙が出てくるんだろう」と照れ笑いを浮かべる。僕も泣いた。彼の涙よりも、むしろ照れ笑いのほうに胸を衝かれた。彼の話だけではない。頁をめくるごとに、つらかった記憶や悔しかった記憶、言葉がうまく出ないもどかしさに地団駄を踏んだ記憶がよみがえって、何度も泣いた。
書評を書いたのは、吃音のある子どもを主人公にした小説を書いてきた作家です。同じ文章の中で本人は、一番症状がひどかった十代後半の頃に比べると五十代後半のいまはずいぶん楽に話せるようになった、と書いています。ただし体調の悪いときや、その場に嫌いな相手がいるところではひどいことになってしまう、とも続けます。後日のトークショーでは、書評と帯のコメントを書くために年末年始にゲラを読んだところ吃音が悪化したこと、忘れたふりをしていたことに気づかされたこと、少年時代の思い出がまだ傷になっていることを、本人が口にしています。読むことは、必ずしも楽になることではありません。それでもこの人は、本の価値を「最敬礼」という言葉で表しました。理解されにくさは、この本の主題そのものでもあります。
出典: 〈書評〉理解されない苦しさ、を理解するために。|「吃音」をもっと知るために~重松清が近藤雄生に聞く~(考える人・新潮社)(台帳: V0132)
「理解されにくい」を、周りにどう伝えるか。自分から「自分は吃音がある」と相手に伝えること(自己開示)は、研究の側で30年ほど調べられてきました。条件をあらかじめ決めて文献を網羅的に集め、結果をひとまとめにして評価する方法で18件の研究を束ねた2026年の報告は、そのうち15件(83.3%)で自己開示が全体として好意的な影響を持っていたとしています。伝え方を条件として比べた研究では、謝る形や伝えない場合よりも、謝らない形で伝えたほうが好意的に受け止められていました(13件中12件・92.3%)。著者らは、謝らない形の自己開示が、否定的な思い込みを向けられるかもしれないという負担をやわらげることを支持する結果だと結論しています。
ただし、同じ報告は分かっていない部分も書いています。話し手と聞き手の性別による効果は研究によってまちまちで、どの場面で伝えるか・年齢・吃音の回数や重さ・相手が吃音のある人と知り合いかどうかは、そもそも調べた研究が少ないのです。「謝らずに伝える」という形については材料がありますが、「いつ・誰に伝えるか」まで答えが出ているわけではありません。
日本の研究班による治療の解説も、伝えることを対応のひとつに数えています。周囲への対応は、本人が自分は吃ることを周囲に開示して協力を求めることになるとしたうえで、わざとどもってみせる方法などで先に伝えておくと心理的な負担が減り、楽にコミュニケーションができるようになる、と書かれています。周りの側にできることも具体的です。ゆったりと楽に話し、吃るかどうかではなく内容を聞くように努める——これが環境を整える方法として挙げられています。
読み終えたあとに——相談先と、ほかの当事者が書いた本
1冊読んだあとに、いちばん困るのが「で、どこへ行けばいいのか」です。大人の吃音について相談や支援を行っている専門機関として挙げられているのは、言語聴覚士と、当事者どうしの集まりの2つです。
言語聴覚士は、ことばや聞こえに困りごとのある方への指導や支援を行う国家資格の専門職で、養成課程の中に吃音が含まれており、吃音のある方の指導・支援の中核を担う存在として役割が期待されています。ただし業務が多岐にわたるため、必ずしもすべての言語聴覚士が吃音の指導や支援を行えるわけではありません。多くは病院のリハビリテーション科や耳鼻咽喉科などに勤めているので、希望する場合はあらかじめ病院に直接問い合わせるか、日本言語聴覚士協会や各都道府県の言語聴覚士会に尋ねるようすすめられています。
当事者どうしの集まり(セルフヘルプグループ)については、できることとできないことが正直に書かれています。当事者の集まりなので、言語聴覚士のような学術的な知識や専門的な指導・支援が受けられるわけではない。しかし、同じ問題を持つ仲間と出会い、当事者同士でないと感じることのできない連帯感のなかで悩みを聞いてもらったり、同じ立場から具体的な助言をもらったりできる——それはここでないと得られない、とされています。
治療そのものについては、押さえておくと読み方が変わることがあります。吃音に有効性が確立された薬物はなく、吃音を適応として保険が使える薬もありません。治療の中心に置かれているのは、周りの環境を整えること、話し方の練習、カウンセリング、心理療法・行動療法で、どの人にも一様に有効な治療法は無いとされています。
次に読むものを探している方へ。日本吃音臨床研究会の案内ページには、吃音とのつき合い方や当事者研究を扱う本、体験集や年報が、書名・著者・出版社つきで並んでいます。当事者自身が自分の歩みを描いた本もあります。合同出版が紹介しているコミックエッセイは、小学生のときに音読の順番が回ってくるのが怖かったこと、なぜコミュニケーションが中心の社会福祉士という仕事を選んだのか、悩んでいたときのことや恩師の言葉、社会福祉士としての仕事までを描いた作品だと説明されています。著者は1987年山口県生まれの吃音当事者で社会福祉士、介護保険施設の相談員、病院での医療ソーシャルワーカーを経て、現在はケアマネジャーとして働いていると記されています。人と話す仕事に就いている当事者がいることが、書誌の欄から読み取れる例です。
次のようなときは、本を読んで分かったつもりで止まらず、相談を考えてみてください(あくまで目安で、当てはまらなくても相談して構いません)。
- 話す場面を避けることが増えて、進路や仕事の選択肢が狭まってきた
- 人と会う約束そのものが苦痛になり、体の不調や気分の落ち込みが続いている
- 職場や学校で配慮を求めるために、診断書など医療機関の記録が必要になりそうである
この3つは相談を考えるきっかけとして挙げたもので、特定の資料が「受診の目安」として定めているものではありません。なお、吃音が原因となった二次的な抑うつや社交不安障害に対して薬物療法が行われることもある、と資料には書かれています。気持ちのつらさが強いときは、そちらも含めて相談できる先を探してください。
この本と著者について、誤解しやすい3つのこと
落とし穴1 − 著者の経過を「治り方の手本」として読む
本人は30歳になるころに大きな変化が訪れ、いまはほとんど症状が出ないと語っています。ただしこれは、ひとりの人に起きたことです。成人当事者への調査では、変動は分・時間・日の単位でも、週・月・季節・年の単位でも語られており、しばらく出なかった後にまた出る時期が来るという記述も引かれています。書評を書いた作家自身も、いまは楽に話せるようになったと書きつつ、体調や同席する相手によってはひどいことになると同じ文章の中で書き添えています。ひとつの経過は、他の人の予定表ではありません。
落とし穴2 − 「一見わからない=軽い」と判断する
著者は、悩んでいた時期も一見しゃべった感じはそれほど変わらず、友人もほぼ気づいていなかったはずだと話しています。調査の側も同じ向きを示しています。最も変わりやすいのは回数と重さという外から見える面で、自分をどう思うかや否定的な考えといった内側は最も変わりにくいものでした。研究者は、体の力みや回避のような外から見えにくい面も、複数の時点・複数の場面で確かめるべきで、そうしないと本人の経験を取り違えて影響を小さく見積もることになる、と述べています。
落とし穴3 − 「本人が語っていること」と「本の中身」を混ぜる
この記事で扱ったのは、版元が公開している書誌・内容紹介・著者プロフィール・書評と、著者本人が公開の場で語った言葉だけです。書籍の本文は引用していませんし、要約もしていません。本に登場する方々の名前や経歴も、ここには書きません。本人が公にしている範囲と、本の中で語られている範囲は別のものです。吃音の本を出版社別・立場別に見渡したい方は学苑社の吃音の本を整理した記事を、当事者である医師が書いた別の一冊から来た方はその本の著者と根拠を確かめた記事をどうぞ。
よくある質問
近藤雄生さんは吃音の当事者ですか?
版元の新潮社は、著者プロフィールの欄で、2003年に自身の吃音をきっかけの一つとして妻とともに日本を発ったと紹介しています。本人も刊行記念のトークショーで、吃音があったために就職をやめて旅をしながらライターになる進路を選んだと語っています。ただし現在の症状の重さについては、本人が公にしている範囲を超えるので、この記事では扱いません。
『吃音 伝えられないもどかしさ』はどんな本ですか?
新潮社から出たノンフィクションで、単行本が2019年1月31日、文庫版が2021年4月26日に出ています。版元は、著者自身も悩んだうえで、当事者をはじめ家族や専門家など多数の関係者に取材を続けて書いた本だと紹介しています。同じページに載る書評によれば、取材には約5年かかっています。この記事は本文を引用も要約もしていないので、中身は本そのものでお確かめください。
著者の吃音は治ったのですか?
本人は、30歳になるころに大きな変化が訪れ、いまはほとんど症状が出ないと語っています。ただしこれはひとりの人に起きたことで、他の人にも起きるとは限りません。成人の当事者への調査では、変動は短い単位でも長い単位でも語られ、しばらく出なかった後にまた出る時期が来るという記述も引かれています。また、吃音に有効性が確立された薬物はなく、どの人にも一様に有効な治療法も無いとされています。
吃音のある人が書いた本は、ほかにもありますか?
あります。日本吃音臨床研究会の案内ページには、吃音とのつき合い方や当事者研究を扱う本、体験集や年報が、書名・著者・出版社つきで並んでいます。合同出版が紹介しているコミックエッセイは、吃音のある社会福祉士が音読の順番が怖かった小学生時代から仕事に就くまでを描いた作品だと説明されています。出版社別に整理した記事もあわせてどうぞ。
この本を読んだら、つらくなってしまいました。どうすればいいですか?
同じことが起きた人がいます。帯の推薦文と書評を書いた作家は、読みながら当時のことを思い出し、吃音が悪化したと後のトークショーで話しています。気持ちのつらさが強いときの相談先として挙げられているのは、言語聴覚士と当事者どうしの集まりです。当事者の集まりでは専門的な指導は受けられませんが、同じ問題を持つ仲間と出会い、同じ立場から具体的な助言をもらうことができるとされています。吃音が原因となった二次的な抑うつや社交不安障害に対して薬物療法が行われることもあるので、気分の落ち込みが続くときは医療機関にも相談してください。
まとめ
- 『吃音―伝えられないもどかしさ―』は新潮社のノンフィクションで、単行本が2019年1月31日、文庫版が2021年4月26日。取材には約5年、出発点の短編ルポは2002年にさかのぼる。
- 著者は1976年東京都生まれのノンフィクションライターで、2003年に自身の吃音をきっかけの一つとして日本を発ち、2008年に帰国したと版元は紹介している。
- 「一見わからない」は「軽い」ではない。成人当事者202人のうち196人(97%)が変動を経験し、変わりやすいのは回数と重さ、変わりにくいのは自分をどう思うかや否定的な考えだった。
- 語られる場面は人それぞれで、全員にとって変わりやすいと言える場面は1つも無かった。だから経験した人でも、他人について「わかる」と言い切ることは難しい。
- 伝えることには材料がある。18件中15件の研究で自己開示は好意的な影響を持ち、謝らない伝え方のほうが好意的に受け止められていた。周りの側は、吃るかどうかではなく内容を聞くように努める。迷ったら言語聴覚士や当事者の集まりへ。