まず結論から
- 吃音は、話す筋肉の弱さや麻痺で起きる構音障害(発音の障害)とは区別され、出そうとした音そのものは正しく作れているのに、流れが途切れる症状だと説明されています。
- 神経科学の総説は、吃音を「言いたいことは正確に分かっていて、声を出す器官も動かせるのに、制御が断続的に失われる状態」と定義しています。
- かつて喉頭(のど)や舌の形の異常が原因とされ、その部位への外科手術や薬品の処置が行われましたが、症状は改善しなかったと記されています。
- 発音(構音)の誤りと、どもりが起きる場所とが結びつくという証拠は、これまで概ね得られていません。歯並びや滑舌の話は、吃音とは分けて考える必要があります。
- 吃音の重さは、同じ人の中でも日・週・月の単位で揺れます。「受けた直後に楽になった」だけでは、効いたかどうかは判断できません。
ただし、整体・マッサージ・歯科矯正といった体への施術が吃音を変えるかどうかを直接調べた研究は、この記事の手元の資料にはありません。ここで言えるのは「効かない」ではなく、「体の構造を整える施術が吃音に効くことを示した研究は見当たらない」というところまでです。
「体のどこかを直せば」——頬をもまれた子どもの記憶
吃音のある子どもを前にして、親がまず手を伸ばすのは「体」です。口の周り、頬、呼吸。目に見える場所を整えれば言葉も整うのではないか、という発想は、とても自然なものです。その手が子どもにどう届いたかを、退職後に振り返った人がいます。
当事者の声(太田一郎さん・退職者。吃音とチック症を併発/三重言友会の会員体験発表の記録)
ただ、父母が神経質になっていて、
どもったりすると、わたしが嫌がっているのに、ほっぺたをマッサージしたり、「もっとゆっくり話せ」とか言うのですね。
ほっぺたをマッサージしところで、吃音が治るわけでもないのですが、かといって、両親が「無知」だとけなすことはできないと思います。
彼らにしてみれば、自分の子供の吃音を治すのに必死だったと思います。
でも、やはり、今でも、両親がそんなに神経質でなくて、そのままおおらかにほっておいてくれたら…という、ちょっぴり恨みがましい気持ちは捨て去ることはできません。
自分がいつどもり始めたのかは覚えていない。覚えているのは、どもるたびに、嫌がっても頬をもまれ、「もっとゆっくり話せ」と言われたことのほうだ——本人はそう語り始めます。両親を「無知」とは呼ばない、自分の子の吃音を治そうと必死だったのだと思う、と断ったうえで、それでも「ほっておいてくれたら」という気持ちは捨てられない、と続けます。頬をもむという手は、吃音が「口のあたりの何か」だという見立てから出ています。その見立てを、今の研究はこう言い換えます。吃音は、話す筋肉の弱さや麻痺で起きるものとは区別される症状です。
出典: 会員体験談集(三重言友会)(台帳: V0188)
神経科学の総説は、吃音を「話し手は言いたいことを正確に分かっていて、声を出す器官を協調させて動かすこともできるのに、制御が断続的に失われ、発音の動きが凍りつく状態」として定義しています。別の総説も、吃音の中核にある症状——語の一部の繰り返し(連発)・音の引き伸ばし(伸発)・声が出ないまま詰まる状態(難発)——は、話す筋肉の弱さや麻痺で起きる構音障害とは区別され、音がゆがんだり入れ替わったりする発語失行とも、出そうとした音そのものは正しく作れている点で区別される、と述べています。頬や舌や喉が「動かない」から詰まるのではない、というのが出発点です。
では、どこに違いがあるのか。20年以上の脳研究が積み重ねてきたのは、吃音のある子どもと大人の脳に、発話の運動を計画・制御する領域、感覚と運動を統合する領域、動きの学習や開始・タイミングに関わる大脳基底核・視床・小脳などで、定型とは異なる構造と働きのパターンがあるという知見です。脳の領域どうしをつなぐ配線(白質)を調べた研究では、舌・喉頭・咽頭の動きをつかさどる領域のすぐ隣で、神経線維のまとまりが下がった場所が見つかっています。舌や喉そのものではなく、舌や喉に指令を送る側に手がかりがある、という位置づけです。
「治ると聞けばどこへでも」——整体・鍼灸・気功を渡り歩いた数年
医療の中で「治す方法はない」と聞いたあと、人は医療の外へ向かいます。整体、鍼灸、気功、催眠。看板に「吃音」の文字があれば、そこが次の目的地になります。ピアノで入った大学を中退したあとの数年間を、そうやって過ごした人の手記があります。
当事者の声(堤野瑛一さん・24歳。高2で吃音を自覚し、ピアノで合格した芸術大学を中退/日本吃音臨床研究会・会報「スタタリング・ナウ」掲載の手記)
それから数年間、「どもりが治る」と聞けば、どこへでも行きました。吃音矯正所だけでなく、針灸、催眠療法、気功、整体と、いろんな事を試しました。しかし結果、どれも全く効果がありません。行く先々に、初めはどうしても「治る」という大きな期待をもってしまうので、治らなかった時のショックも、大きなものでした。そして徐々に、「どもりは治らないものだ」という意識も強くなっていき、治すことを諦めざるを得ない状況になって来ました。
自分の意志で大学を中退したあと、「どもりさえ治れば」という一点に、この人の数年間は注がれています。矯正所、針灸、催眠療法、気功、整体——行く先ごとに大きな期待を持ち、そのたびに落胆し、やがて「どもりは治らないものだ」という意識のほうが育っていく。これは一人の経験であって、ここに挙がった施術の効果を一般に語るものではありません。ただ、「体のどこかを整えれば言葉が整う」という発想そのものは、この人が思いついたものではなく、記録に残る限りでも何百年も前から繰り返し現れてきたものです。
出典: 何とか治したいと思い続けた日々(日本吃音臨床研究会)(台帳: V0090)
吃音の原因説と治療法がどう移り変わってきたかを、総説はこう整理しています。古代ギリシャでは舌の乾きが原因とされました。19世紀には発声器官の異常が原因だと考えられ、大がかりな外科手術による治療が行われて、しばしば傷や別の障害を残しました。舌に重りを付ける器具や、口に入れる装具も使われました。別の総説も、喉頭や舌の形の異常が原因とされ、その部位への外科手術や薬品の処置が行われたものの、症状は改善しなかったと記しています。
20世紀の初めには、脳の働きの異常として吃音を捉える見方が現れます。その後の20世紀には主に心の問題とみなされ、精神分析や行動療法が用いられましたが、性格の特徴や親子のやりとりを調べた研究は、吃音と一貫して結びつく心理的なパターンを見つけられませんでした。現在は、発話をつかさどる脳の中枢の優位性が不完全なことによる神経の障害で、原因は一つではないと考えられています。「体を直せば治る」という考えは、記録に残る中でも古く、外科手術という最も強い形でも結果を出せなかった説だ、というのが歴史の側からの答えです。手術をめぐる経緯は吃音症は手術で治せる?にまとめています。
「体を鍛えれば」——腹式呼吸の本とダンベル
施術に通うのではなく、自分の体を作り替える方向もあります。腹式呼吸、発声、姿勢。本を一冊買えば今日から始められる分、こちらのほうが身近です。中学生のとき、父が買ってきた本をそのとおりに試した人が、そのあとに起きたことを日付の順に書いています。
当事者の声(嶺本憲吾さん・32歳・会社員/日本吃音臨床研究会「ことば文学賞」受賞作の再掲)
父が腹式呼吸で吃音は治るという本を買ってきたのもその頃だった。その本にはつらつらと呼吸法により吃音は改善されると書いていた。ダンベルをお腹にのせて上下させることによって腹式呼吸ができるようになりそれで緊張も吃音も改善されるというのだ。ほんとかよ、と疑いつつも下腹部に5㎏のダンベルをのせ息を吸い、そして10秒ほど止めてゆっくり息を吐く。それを繰り返す。声をだしてみる。若干治ったように感じる。希望が見えた、と思った。今度こそ本読みに勝つ。そう心に誓った。
呼吸を意識して本読みをする。いつもより冷静だ。焦ってない。いけると思った。しかしそんな思いはあっけなく、整然と並べられた文章の前に崩れさる。なぜこんなに詰まる言葉を使うのか。悔しい。しかし当時の私はダンベルをお腹の上にのせて上下させることしかできなかった。そのうちにダンベルをした次の日はきまってどもりがひどくなるようになる。
中学生の本人は、父の買ってきた本を「ほんとかよ」と疑いながら試し、声を出してみて「若干治ったように感じる」と書き、そのあとで「ダンベルをした次の日はきまってどもりがひどくなる」と書いています。同じ人が、同じ方法を続けて、日によって正反対の結果になる。この揺れは、本人の努力や方法の良し悪しとは別に、吃音そのものが持っている性質です。吃音の重さは、同じ人の中でも日・週・月の単位で変動し、見え方や聞こえ方は性格・社会的な場面・伝えたい目的・感情の状態によっても変わる、と総説は述べています。
出典: 第16回ことば文学賞~わるくない~(日本吃音臨床研究会)(台帳: V0156)
この変動があるため、「試した直後に楽になった」は、その方法が効いた証拠にはなりません。良い日に当たっただけかもしれないからです。吃音の重さは、緊張や気持ちの高ぶりによってはっきりと変わります。さらに、一緒に声をそろえて読む、音節の長さをそろえて話す、といったように聞こえ方やリズムを変えるだけで、その場では吃音の頻度がすぐに大きく下がることも知られています。その場で下がることと、続くことは、別の出来事です。
効果を確かめる側の難しさも指摘されています。子どもでは自然に吃音が止まる(自然回復する)割合が高いため、どの治療法であっても、統計の上で効果を確かめること自体が難しいと総説は述べています。就学前の子どもについては、治療を受けた場合と、受けずに自然に回復した場合との差は小さく、どちらも70%前後だと指摘した論文もあります。同じ論文は、効くかどうか分かっていない方法を親にやらせることが、回復しなかったときの親の罪悪感を高める危険があるとも書いています。整体や歯科矯正について、同じ種類の研究は手元にありません。ただ、「治った人がいる」という話を読むときの物差しとして、この記事はこの構造をそのまま当てはめて読むことを勧めます。
「吃音、治します」の広告——書く側に回った人の記録
通う側の記録のあとに、書く側の記録を一つ置きます。「治します」という広告を出す側を取材しようとした人が、その動機と、書き終えたあとの自分について語っています。
当事者の声(近藤雄生さん・ライター。吃音当事者で、30歳頃に症状がほぼ消失/新潮社「考える人」・作家の重松清さんとの対談の採録)
この本へとつながる最初の取材・執筆を行ったのは、2002年、吃音で悩んでいた20代の頃でした。当時、「吃音、治します」といった類の広告を雑誌などに出している怪しげな“吃音矯正所”が少なからずあり、その実態を暴きたいというのが、記事を書こうというモチベーションでした。しかし同時に、吃音をテーマに取材して記事を書いたら、自分の吃音に何か変化が起きるかもしれない、というぼんやりとした期待もありました。結局、何も変わらなかったんですけれど。
「実態を暴きたい」という側の動機と、「自分の吃音に何か変化が起きるかもしれない」という側の期待とが、同じ人の中に同時にあった、と本人は振り返ります。取材して書く側に回っても、期待のほうは消えなかった。そして「結局、何も変わらなかった」。広告が約束する「治す」と、当事者が求めている「楽に話したい」とは、同じ言葉で呼ばれながら、別のものを指していることが少なくありません。吃音の分野では「流暢さ」という一語が二つの意味で使われている、と論文は指摘しています。
出典: 重松清×近藤雄生 第2回 「実は全然忘れてなかったんだ」と気づかされた作家二人(考える人)(台帳: V0130)
「流暢さ(なめらかに話せること)」は、流暢に聞こえる話し方という意味と、自然に出てくる・力が要らない・自分の話し方を気にせずにいられるという経験の意味との、二つで使われていて、この二つは同じものではありません。流暢さを狙うとされる治療が実際に訓練しているのは、表に出る吃音を減らすことや、方略に頼った話し方であって、流暢さそのものではないとも述べられています。吃音は文脈・予期・場面の要求で変わり、そもそも普通の発話も完全に途切れないわけではないので、流暢さは安定して直接に訓練できる到達点ではない、という整理です。
だから、「治します」と書いてあるとき、それが「どもる回数を減らす」ことなのか、「楽に話せるようになる」ことなのか、「話す場面を避けなくなる」ことなのかは、払う前に自分の言葉で決めておく必要があります。同じ論文は、流暢さの代わりに、もがきを減らす・回避を減らす・自発性を増やす・伝わる場に参加する、という直接に狙える過程を目標に置き換える枠組みを示し、流暢さは治療の副産物として起こりうるものだと位置づけています。
歯並びや滑舌と、吃音は別のもの
歯科矯正の話が吃音と並べて語られるとき、たいてい「滑舌」が間に挟まっています。噛み合わせのせいで特定の音が言いにくい、というのは発音(構音)の話です。一方、吃音は、出そうとした音そのものは正しく作れているのに、流れが途切れる症状です。発音(構音)の遅れを併せ持つ子どもは多いのですが、どもりが起きる場所と、間違えて発音される音とが結びつくという証拠は、これまで概ね得られていないと総説は整理しています。そこから同じ総説は、発音の練習と吃音の訓練を同時に行う場合でも、一方がもう一方を乱すような状況にはならないはずだ、と述べます。滑舌が良くなることと、どもりが減ることは、別の出来事です。
「話す筋肉」の側から吃音を説明しようとした仮説もあります。筋肉が意図せず収縮する病気(ジストニア)の、ことばを作る動きに限った一種ではないか、という仮説です。この仮説は、動きの指令を出す脳の領域(運動野)の興奮性を調べた研究では支持されませんでした。
ただし、関係が完全にゼロというわけでもありません。吃音が始まった直後の発音検査の成績が低い子どもは、その後もどもりが続きやすいという報告が、別々の大学の、重ならない子どもの集団から出ています。発音の力は「原因」ではなく、続くかどうかの「手がかり」の一つとして見られている、という位置づけです。歯並びや滑舌が気になるなら、それはそれとして歯科や言語聴覚士に相談する価値があります。ただ、その相談の目的を「吃音を治すため」に置くと、期待と結果がずれます。
費用を払う前に確かめること、そして相談先
ここまでを、費用を払う前に確かめる順序に組み直します。順番に意味があります。
- 「治す」の中身を、自分の言葉で決める。どもる回数を減らしたいのか、楽に話したいのか、避けている場面に出られるようになりたいのか。「流暢さ」という一語は二つの意味で使われていて、それらは同じものではありません。
- 標準の治療で何をするのかを、先に知る。発達性吃音の研究プロジェクトの治療解説は、治療の中心を、周りの人の接し方や場面のほうを変えること(「環境調整」と呼ばれます)・言語訓練・カウンセリング・心理療法や行動療法だとし、どの患者にも一様に有効な治療法はないので、患者に応じてしばしば組み合わせて行う、と説明しています。幼児期は、周りの人がゆったりと楽に話し、どもるかどうかではなく内容を聞くように努めることをまず行い、悪化が見られる、始まってから1年半〜2年以上経っている、就学の1年前までに治っていない、といった場合が訓練を検討する材料として挙げられています。中身の比較は吃音治療とトレーニング、年齢ごとの整理は吃音症の治し方にあります。
- 施術の説明を、この記事の物差しで読む。説明に「脳」や「神経」の言葉があることと、その施術が吃音を変えると確かめられていることは別です。吃音のある人の脳に定型と異なるパターンがあることは研究が示していますが、体の構造を整える施術がそれを変えることを示した研究は、手元にありません。「受けた直後に楽になった」は、日や場面で揺れる吃音の性質の範囲に収まります。
- 制度の入口を知っておく。職場などでは、求めれば受けられる配慮(合理的配慮)を雇用主が行う義務があるとされ、そのためには吃音の診断書が必要とされることが多い、と同じ解説は述べています。訓練によっても家族以外とは音声で意思を伝えられないほど重い場合は、身体障害者手帳の対象になるとも書かれています。
相談先は、言語聴覚士、子どもなら「ことばの教室」、大人なら吃音を扱う医療機関の外来です。どこで受けられるか、初診で何をするかは吃音症のリハビリにまとめています。薬やサプリメントの話は、この記事では扱わず別の記事に分けました。
この順序は、この記事が資料をもとに組み立てた提案であって、特定の資料が「確認の手順」として定めているものではありません。
「体を直せば」で陥りがちな3つの落とし穴
落とし穴1 − 「治った人がいる」を、効いた証拠として読む
吃音の重さは、同じ人の中でも日・週・月の単位で揺れ、場面や気持ちでも変わります。子どもでは自然に止まる割合が高く、どの治療法でも効果を統計で確かめること自体が難しいとされています。「受けたあとに減った」という一人の話は、良い時期に当たった可能性も、自然に減っていく時期だった可能性も、切り分けられていません。読むときは、その話が「いつ、どのくらいの期間、誰が測ったのか」を確かめてください。
落とし穴2 − 「脳の誤作動」「神経の調整」という言葉を、研究の言葉と取り違える
吃音のある人の脳に、発話の運動を計画・制御する領域や大脳基底核などで定型と異なるパターンがあることは、研究が示しています。しかし、それは大勢を統計で比べて見える差であって、説明に「脳」の語があることは、その施術が脳の違いを変えると確かめられたことを意味しません。研究の言葉が使われているときほど、その研究がどの施術を調べたものかを、聞いてみてください。
落とし穴3 − 歯並び・滑舌の相談を「吃音を治すため」に置く
発音(構音)の誤りと、どもりが起きる場所とが結びつくという証拠は、概ね得られていません。歯並びや滑舌の相談はそれ自体に価値がありますが、目的を吃音に置くと、期待と結果がずれます。まずは気づいたこと(どんな場面で出やすいか、どのくらい続いているか)を書き留めておき、言語聴覚士やことばの教室に相談できる場合はそちらが確実です。
よくある質問
吃音は整体やマッサージで治りますか?
整体やマッサージが吃音を変えるかどうかを直接調べた研究は、この記事の手元の資料にはありません。吃音は、話す筋肉の弱さや麻痺で起きる構音障害とは区別され、出そうとした音そのものは正しく作れているのに流れが途切れる症状だと説明されています。神経科学の総説も、声を出す器官は動かせるのに制御が断続的に失われる状態だと定義しています。「効かない」とは言い切れませんが、「効く」と言える研究も見当たらない、というのが現在地です。
歯並びが悪いと吃音になりますか?
発音(構音)の誤りと、どもりが起きる場所とが結びつくという証拠は、これまで概ね得られていないと総説は整理しています。噛み合わせで特定の音が言いにくいのは発音の話で、吃音は音そのものは作れているのに流れが途切れる症状です。ただし、吃音が始まった直後の発音検査の成績が低い子どもは続きやすいという報告はあり、発音の力は「原因」ではなく「続くかどうかの手がかり」として見られています。
整体に行った直後は話しやすくなった気がします。効いているのでは?
吃音の重さは、同じ人の中でも日・週・月の単位で変動し、性格や社会的な場面、感情の状態によっても見え方が変わるとされています。緊張や気持ちの高ぶりでもはっきり変わり、聞こえ方やリズムを変えるだけでその場では頻度が大きく下がることも知られています。「その場で楽になった」は、吃音の性質としてそもそも起こりうることなので、それだけでは効いたかどうかを判断できません。
昔は本当に、舌や喉の手術で吃音を治そうとしていたのですか?
総説によれば、19世紀には発声器官の異常が原因だと考えられ、大がかりな外科手術が行われて、しばしば傷や別の障害を残しました。舌に重りを付ける器具や口に入れる装具も使われました。別の総説も、喉頭や舌への外科手術や薬品の処置は症状を改善しなかったと記しています。現在は、発話をつかさどる脳の中枢の優位性が不完全なことによる神経の障害で、原因は一つではないと考えられています。
では、どこに相談すればいいですか?
発達性吃音の研究プロジェクトの治療解説は、治療の中心を、周りの接し方や場面を変えること・言語訓練・カウンセリング・心理療法や行動療法だとし、どの患者にも一様に有効な治療法はないので患者に応じて組み合わせる、と説明しています。相談先は言語聴覚士、子どもなら「ことばの教室」、大人なら吃音を扱う医療機関の外来です。職場での配慮(合理的配慮)には吃音の診断書が必要とされることが多いとも書かれています。
まとめ
- 吃音は、話す筋肉の弱さや麻痺で起きる構音障害とは区別され、音そのものは作れているのに流れが途切れる症状。言いたいことは分かっていて器官も動かせるのに、制御が断続的に失われる状態と定義されている。
- 「体を直せば治る」という考えは古代から19世紀の外科手術まで繰り返し試され、症状は改善しなかった。現在は、原因が一つではない神経の障害と考えられている。
- 発音(構音)の誤りとどもる場所は結びつかないとされ、歯並びや滑舌の話は吃音と分けて考える。ただし発音の力は「続くかどうかの手がかり」として見られている。
- 吃音の重さは日・週・月の単位で揺れ、聞こえ方やリズムを変えるだけでその場では減る。「直後に楽になった」は効いた証拠にならず、子どもでは自然回復が効果の判定を難しくする。
- 払う前に、「治す」の中身を自分の言葉で決め、標準の治療で何をするかを先に知り、施術の説明を研究の言葉と取り違えない。相談先は言語聴覚士・ことばの教室・吃音を扱う外来。
