まず結論から
- 吃音のある人が自分から「吃音があります」と相手に伝えることを、研究では自己開示と呼びます。三十年ぶんの研究を集めたレビューは、全体として好意的な影響があったとまとめています。
- 伝え方を条件として比べた研究では、謝るような言い方や何も言わない場合より、謝らない言い方のほうが好意的に受け止められていました。
- 面接の場面を模した実験でも、自分から伝えた話し手は、伝えなかった話し手より友好的・自信があると受け取られやすいと報告されています。
- 一方で、吃音を言わずにおくことは珍しくありません。子どもの頃に隠していた成人30人への聞き取りでは、全員が18歳以下のうちに隠し始め、3分の2を超える人が小学校の時期に始めたと答えています。
- はっきりした受け答えが仕事の要になっている大人は、吃音が自分の職業上の力を出しきる妨げになっていると感じることが多い、とも書かれています。
ただし、ここに並べたのはいずれも大勢をまとめて見たときの傾向で、特定の一人の話し方や経過を説明するものではありません。この記事は、三枝明那さん本人が自ら公にした範囲を超えて、症状の重さ・診断・いまの状態を推し量ることはしません。
配信で聞いた話は、どこまで確かめられるのか
名前とことばを並べて調べ始めたとき、最初にぶつかるのは「どこまでが本人の言葉で、どこからが人づてなのか」という線引きです。公にされた記録としてたどれるのは、2022年8月29日、「にじさんじ」所属のバーチャルライバー・三枝明那(さえぐさあきな)さんが、ゲームのプレイ配信の最中に自分の吃音について話し、その発言と当時の投稿を引用する形でニュースサイトが報じた、という範囲です。
本人の配信発言を引用して報じた記事の結び(話者は、にじさんじ所属のバーチャルライバー三枝明那さん本人。地の文は記者)
吃音について悲観も楽観もしすぎず、実情を率直に伝えるこれらの発言は、切り抜き動画で広まり、「これを機会に理解が広まってほしい」「そのポジティブさに元気をもらった」「気持ちがすごく軽くなった」と話題に。三枝さんは「悩んでる人みんなが今よりちょっとでも気持ちが軽くなれることを願っておるよ」とコメントしています。
記事の締めくくりに置かれた一節です。ここに残っているのは、本人が配信の中で自分から話したという事実と、それを受け取った人たちの反応、そして本人が最後に添えたひとことだけです。語られたのは「こうすれば治る」でも「こう治した」でもなく、同じことで悩んでいる人の気持ちが少しでも軽くなればいい、という願いのほうでした。この記事が本人について事実として扱えるのも、ここまでです。自分から「吃音があります」と伝えるという行為そのものは、研究の側で三十年ぶんの蓄積があります。
出典: にじさんじ三枝明那、自身の吃音をポジティブに語る動画に反響 「勇気をもらった」「理解が広まってほしい」(ねとらぼ)(台帳: V0391)
ここで気をつけたいのは、一つの場面で聞こえた話し方を、その人の吃音そのものだと受け取ってしまうことです。吃音のある成人30人への聞き取りから「隠す」という行為を整理した研究は、隠すことを、相手や場面によって動きつづける過程だと述べ、「隠している人」と「表に出している人」に人を二つに分ける固い区別には収まらないとしています。同じ研究は、隠す行動を、ことばの選び方・話し方の操作・やりとりの運び方・自分の見せ方・場面の選び方という5つの型に分けています。ある場面では詰まらずに聞こえ、別の場面では詰まる。どちらも同じ人に起こりうることだ、というのがこの研究の見方です。
配信という場そのもの——顔を出さず声だけで人前に立つとき何が起きるのか——については、吃音でも配信はできる?の記事で扱っています。
話すことが仕事の中心にある人は、どうしているのか
「話す仕事なのに、どうして続けられるんだろう」。この問いは、配信をする人に限らず、教壇・法廷・窓口・マイクの前に立つ人へ、ずっと前から向けられてきました。答えの一つが、法廷に立ちつづけた人の手記に残っています。
当事者本人の手記(吃音のある弁護士・坂本秀徳さん/自助団体の会報に載った文章の転載。本人の表記に合わせて「どもり」の語が出てきます)
しかしながら、実際に弁護士になると「どもりだから」なんて悠長なことは言ってはいられなくなりました。たくさんの依頼者の方々から相談を受け、事情を聴取し、組み立てをしてアドバイスをし、信頼を得、相手方と交渉をし説得をし、裁判所で尋問し、色々なところで大勢の人を前にして講義や講演等々の様々の活動をやっていく中では、活動目的の達成こそが第一義、「目的本位」であって、どもりの不安はあっても、逃げずに、不安は不安としてそのまま抱えて、やるべきことを一生懸命やらざるをえませんでした。自分はどもりだからなんて言っている暇はありません。
幼稚園の頃から言葉が出にくかったと本人が書いています。高校の課外授業では、指されても答えられずに黙り込み、教室を飛び出して一人で泣いた日のことを、今でもありありと思い出せるとも書いています。その人が、依頼者の相談を受け、交渉し、法廷で尋問する仕事に就いた。手記のこの箇所に書かれているのは、話せるようになった、という順序ではありません。不安は不安のまま抱えて、やるべきことをやらざるをえなかった、という順序のほうです。話すことが仕事の要になっている大人については、研究の側にも記述があります。
出典: ある弁護士の回想 「どもりでよかった」…かな!?(吃音と上手につきあうための吃音相談室)(台帳: V0392)
吃音の行動療法を概観した総説は、はっきりした受け答えが仕事の要になっている大人は、吃音が自分の職業上の力を出しきる妨げになっていると感じることが多い、と書いています。同じ総説は、目に見えるやりとりの難しさに加えて、人前で恥をかくことや低く見られることへの強い恐れ——研究では社交不安、強いものは社交恐怖と呼ばれます——に至る場合があり、そうなると社会的・対人的・職業的な関係の中で持てる力を発揮しにくくなるとも述べています。つまり、話す仕事と吃音の組み合わせがしんどくなりやすいこと自体は、研究の側でも前提として書かれています。
日本にも、マイクの前に立ちつづけながら自分の吃音について書き残した人がいます。あるテレビキャスターは、小学生のときにからかわれた経験を書いたうえで、以来ずっとどもっていると記し、マイクの前でどもらない理由を尋ねられたときは「お金をもらうとどもらない」と必ず答えるようにしている、と書いています。その手記を転載した自助団体の会長は、そこから見えてきた結論を「どもりは治らない」「どもりが治らなくても生きていける」の二つだとしています。
自分から伝えるとき、言い方で受け取られ方は変わる
「言ったほうがいいのか、言わないほうがいいのか」。この問いは、配信の前でも、面接の前でも、同じ形で立ち上がります。就職活動を終えた大学生が、自分が言った日のことを書き残しています。
当事者本人の記録(26卒・都内の文系男子大学生/就職活動の一年を書いた個人のブログ)
面接官の方からフィードバックとお褒めの言葉を頂戴している間、話半分でカミングアウトについても考えていました。
「将来の上司になる人たちに伝えた方がいいか?」
そう思って、「最後に質問ありますか?」と聞かれたときに、
「内々定いただきありがとうございました。実は…今までの面接でも詰まってたところがあったと思いますが…自分にとってはチャレンジングですが、入社後も挑戦してきたいと思っておりますので…」
と伝えさせていただきました。
最終面接のあと、待機室から呼び戻された先で内々定を告げられた場面です。ほめ言葉を聞いている最中に、この人の頭の中では別のことが走っていました。将来の上司になる人たちに伝えたほうがいいか。そして「最後に質問ありますか」と機会が来たところで、自分から切り出しています。言い方に注目すると、この人は謝っていません。詰まっていたことに触れ、そのうえで入社後も挑戦したい、という並べ方で伝えています。この「どう言うか」の違いは、研究でも条件を分けて比べられています。
出典: 【就活体験記】吃音と就活。(note)(台帳: V0077)
面接の場面を模した実験があります。338人が、同じ話し手の動画を、冒頭の一言だけ変えて見ました。「始める前に、自分には吃音があるとお伝えしておきます」という趣旨を情報として伝えた条件は、謝る言い方で伝えた条件や、何も言わなかった条件よりも、友好的だと評価されました。自信があるという評価でも、情報として伝えた条件がいちばん高く、謝る言い方であっても、何も言わない場合よりは高く評価されています。別の研究でも、自分から伝えた話し手のほうが、友好的・外向的・自信があると選ばれやすいという結果でした。
三十年ぶんの研究を集めたレビューは、これらをまとめて、自己開示には全体として好意的な影響があったと述べています。伝え方を条件として比べた研究に限ると、その大半で、謝る言い方や何も言わない場合より、謝らない言い方のほうが好意的に受け止められていました。著者らは、謝らない形で伝えることが、「どもる人はこういう人だ」という決めつけを向けられるかもしれないという負担——研究ではステレオタイプ脅威と呼びます——をやわらげる、と結論づけています。
伝え方には型があることも整理されています。先ほどの総説は、会話の初めか最初に詰まった直後に率直に伝える、詰まったあとに冗談にして相手の緊張をほぐす、わざとどもってみせる、の三つを挙げています。
ただし、同じレビューは、伝える場面・年齢・吃音の頻度や重さ・相手が吃音のある人と知り合いかどうかによる違いは、そもそも調べた研究が少ないと断っています。面接の実験をした研究者たちも、自分から伝えることがすべての場面・すべての人にとって有益とは限らない、と結論に書いています。言うか言わないかは、誰にでも当てはまる正解のある問題ではない、ということです。
言わずにいた時間のほうが、ずっと長い
公にした人の話は届きやすく、言わずにいる人の話は、そもそも表に出てきません。だから「公にする人が増えた」ように見えても、それは全体の姿ではありません。何十年も言わずにいた時間のことを、あとから書き残した人がいます。
当事者本人の記録(1966年生まれ・庭師として働く男性/個人のブログ)
しかしながら、女子の前では1言も発せない自分がいました。せいぜい「挨拶」をするのが精いっぱいです。なぜかというと、やはり吃音を見られたくなかった為です。
中学・高校の頃を振り返った一節です。挨拶しかできなかった理由を、この人は「吃音を見られたくなかった」からだと書いています。続く箇所では、格好悪いところを絶対に見せたくないという気持ちがあったことに触れ、当時いちばん強く感じていたものを「無力感」と呼び、その中身を、何もできないことを吃音のせいにしていたことだった、と本人が名指ししています。この文章が書かれたきっかけは、同じ吃音のある人の結婚と出産を伝える記事を読んだことでした。誰かが公にした言葉が、二十数年の時間を越えて別の人に届いた、という順序です。言わずにおくという行為そのものも、研究の対象になっています。
出典: 吃音があっても恋愛、結婚はできる。(note)(台帳: V0038)
学校で吃音を隠していた経験を、成人になってから振り返ってもらった研究があります。30人への聞き取りで、参加者は全員が18歳以下のうちに隠し始めたと答え、3分の2を超える人が小学校の時期に始めたと語っています。隠すようになった理由として語られたのは、吃音について見下すような言い回しに触れたことと、学校でのつらい経験でした。多くの参加者は、隠すことを、偏見から自分を守るためのやり方として説明しています。回想にもとづく調査なので、当時の記録そのものではないことは、原典も断っています。
隠すことの中身を整理した研究は、その動機を、話す機会そのものを手に入れること、その場の常識に合わせること、自分を守ること、の三つにまとめています。そして、そこから起きたこととして語られたのは、恥ずかしさや人とのつながりが切れる感覚といった、否定的なもののほうが多かったとしています。隠せているから大丈夫、とは限りません。
名前を公にしている人は、ほかにもいる
吃音があることを名前と一緒に公にしている例は、支援団体が一覧にして公開しています。米国吃音財団は、俳優・歌手やエンターテイナー、スポーツ選手、記者・写真家といった分野ごとに、氏名と一行の経歴を並べた一覧を出しています。英国の吃音支援団体STAMMAの一覧は、歌手・俳優・政治家・作家・映画監督・スポーツ選手などの区分に加えて、SNSで吃音のある日常を発信している人や、社会運動に関わる人も載せています。話すことが仕事の分野——コメディアン、司会者、テレビに出る人——の区分もあります。
この種の一覧を読むときに大事なのは、「団体が挙げている」という言い方の重さを、そのまま受け取ることです。STAMMAの一覧では、吃音があるとされていても本人の言葉などの裏づけが見つからない人物には、名前の横に疑問符が付けられています。名前を並べた情報の読み方については、吃音の有名人の記事でくわしく扱っています。
話しにくさが気になったときの相談先
ここまで読んで、自分や家族の話しにくさが気になった場合、相談先ははっきりしています。吃音の訓練や支援を担うのにふさわしいのは言語聴覚士(スピーチセラピスト)で、吃音を含むことばやコミュニケーションの困りごとを見分け、それに対応する訓練を受けた専門職です。多くの国で、国の認定機関による免許や資格が求められます。
評価はまず聞き取りから始まります。どのくらい話しにくいか、本人がどれだけ困っているかを聞いたうえで、決まった形式の検査とそうでない観察の両方を行って、程度を見立てます。そこから選べる方法を示し、本人と一緒に個別の計画を作っていく、という流れです。
学校に通う子どもの場合、専門職にできることは訓練だけではありません。学校で吃音を隠していた人たちへの聞き取りでは、学校という場をより安全で支えのある環境にすることと、話し方が違うことや偏見に向き合う気持ちの面の難しさに応えることが、役に立つこととして挙げられていました。隠すことを扱った研究も、いつ・なぜ隠すのかを一緒に調べ、どこまで率直にするかの目標をその人ごとに立てる支援を挙げています。
子どもの場合は、地域の「ことばの教室」や学校の相談窓口が入口になることもあります。これは一般的な案内で、ここで引いた資料が受診先として定めているものではありません。
「あの人も吃音」と知ったときの3つの落とし穴
落とし穴1 − 一つの場面の話し方から、その人の吃音の全体像を決めつける
配信でも動画でも、見えているのはその日その場面の話し方だけです。隠すことは相手や場面によって動きつづける過程で、「隠している人」と「表に出している人」に人を二つに分ける固い区別には収まらない、とされています。ことばの選び方や場面の選び方も含めて、隠す行動には5つの型があります。詰まらずに聞こえたからといって困っていないとは言えず、詰まったからといってその人の全部が分かったことにもなりません。
落とし穴2 − 公にする人が目立つことを、「もう隠さなくていい時代になった」と読む
公にした言葉は届きやすく、言わずにいる人の存在は数えられません。子どもの頃に隠していた成人への聞き取りでは、全員が18歳以下のうちに隠し始め、3分の2を超える人が小学校の時期に始めたと答えています。理由として語られたのは、吃音について見下すような言い回しに触れたことと、学校でのつらい経験でした。目立つ公表が増えたことと、言いやすい世の中になったことは、同じではありません。
落とし穴3 − 「あの人もやれているのだから」を、自分や身近な人への要求にする
自分から伝えることに好意的な効果が報告されているのは確かですが、研究者自身が、すべての場面・すべての人にとって有益とは限らないと断っています。伝えるかどうか、いつ伝えるかは、その人の状況で変わります。まずは、どんな場面で話しにくくなるのか、どのくらい続いているのかを書き留めておくと、言語聴覚士に相談するときの材料になります。日々の様子を記録するところから小さく始め、相談できる場合はそちらが確実です。
よくある質問
三枝明那さんの吃音について、確かなことはどこまで分かっていますか?
2022年8月29日のライブ配信中に本人が自分の吃音について話し、その発言と当時の投稿を引用する形でニュースサイトが報じた、という範囲までです。この記事は、そこから先の症状の重さ・診断・いまの状態を推し量ることはしていません。話し方が見えた一場面からその人の吃音の全体像は分からない、というのが研究の側の見方でもあります。
吃音があっても、話すことが中心の仕事はできますか?
法廷に立ちつづけた弁護士や、マイクの前に立ちつづけたテレビキャスターが、自分の経験を手記に残しています。一方で、はっきりした受け答えが仕事の要になっている大人は、吃音が職業上の力を出しきる妨げになっていると感じることが多いとも報告されています。できるかどうかは仕事の種類や職場の条件で変わるので、ひとまとめには言えません。
職場や面接で、吃音があることを自分から伝えたほうがいいですか?
伝えた場合のほうが友好的・外向的・自信があると受け取られやすい、という報告が複数あります。伝え方では、謝るような言い方より、情報として伝える言い方のほうが好意的に受け止められていました。ただし、すべての場面・すべての人にとって有益とは限らないと研究者自身が断っているので、状況に合わせて決めることになります。
吃音を隠しているのは、症状が軽いということですか?
そうとは限りません。隠すことは相手や場面によって動きつづける過程で、隠しているか表に出しているかで人を二つに分ける区別には収まらない、とされています。隠していた人への聞き取りでは、そこから起きたこととして、恥ずかしさや人とのつながりが切れる感覚といった負担のほうが多く語られています。
配信や動画で見た話し方から、その人に吃音があるかどうかは分かりますか?
分かりません。この記事も、本人が自分で公にした範囲だけを扱っています。隠す行動には、ことばの選び方・話し方の操作・やりとりの運び方・自分の見せ方・場面の選び方という5つの型があるとされ、ある場面で詰まらずに聞こえることは珍しくありません。本人が言っていないことを、話し方から推し量らないのが安全です。
まとめ
- 三枝明那さんについて公にされた記録としてたどれるのは、2022年8月29日の配信で本人が自分の吃音について話し、その発言と投稿を引用する形で報じられた、という範囲まで。この記事はそこを超えない。
- 一つの場面で聞こえた話し方は、その人の吃音の全体像ではない。隠すことは場面によって動きつづける過程で、5つの型に分かれるとされる。
- 話すことが仕事の要になっている大人は、吃音が職業上の力を出しきる妨げになっていると感じることが多い。それでも、法廷やマイクの前に立ちつづけた人の手記が残っている。
- 自分から伝えることには全体として好意的な影響が報告されており、謝らない言い方のほうが好意的に受け止められていた。ただし、すべての場面・すべての人に有益とは限らない。
- 言わずにおくことは珍しくなく、隠し始めるのは子どものうち。気になるときは、言語聴覚士への相談が入口になる。