まず結論から
- 吃音のある人についての世間のイメージは、「過度に神経質で、不安が強く、引っ込み思案」という否定的な方向に偏っていると報告されています。
- そのイメージは、多くの人が自分自身が言葉に詰まったときの感じを出発点にして作っているのではないか、という仮説が検証されています。
- 長いあいだ、吃音は性格の欠点や身体的な不足を表すため、そして笑いを取るために使われてきた——当事者団体はそう述べ、こうした型にはめた描き方が現実の帰結を生むとしています。
- 実際の言いよどみは一種類ではありません。研究を広く集めて見取り図を作ったレビューは、報告されてきた言いよどみを7つのカテゴリ・155の下位分類に整理しています。
- 言いよどみそのものは誰の話し方にも起きるもので、日常の会話では100語あたりおよそ2〜26回と報告されています。
ただし、ここに挙げた研究はどれも、アニメの登場人物について調べたものではありません。作中の人物に現実の診断名を当てることはできませんし、この記事も特定の作品の設定やせりふには立ち入りません。分かるのは「実際の吃音はどういうものか」と「どもる人についてのイメージは人の中でどう作られるか」までです。
画面の「あ、あ、あ」は、実際の話し方のどこを切り取ったものか
アニメの中の「どもる話し方」は、たいてい語の頭の音を何度も繰り返す形で描かれます。実際に、言葉の頭の音が繰り返される詰まり方はあります。ただしそれは、起きていることの一部分です。
当事者の声(19歳・大学2年・小学校教員志望/地方紙の記名取材)
「小学校の頃です。例えば授業の本読みで、人前に立つと連発(『あ、あ、あ』と詰まる)になり、言葉が出にくくなりました。ただ、当時はそれほど気にしていませんでした」
「重荷に感じ始めたのは中高生時代。最初は自己紹介の作文で吃音のことも発表しましたが、周囲に口調をまねされる経験などが重なって、だんだんと『嫌だな』と思うように。親しい友達とは詰まらずにしゃべれるんですが、緊張する場面を避けたくて、発表回数は減りました。家族や友達は普通に接してくれてありがたかったのですが、『なるべく前に出ないように』と考えがちでした」
教員を目指す大学2年生が、地方紙の取材に自分の歩みを語っています。小学校の教室で始まった詰まりは、そのときは「それほど気にしていませんでした」と語られる程度のものでした。重さが変わったのは、中学・高校で口調を真似されるようになってからです。変わったのは話し方ではなく、発表の回数のほうでした。実際、公的なポータルの解説も、吃音のある子どもは話す場面でしか症状が出ないため、悩みが過小に見積もられやすいと注意を促しています。
出典: 吃音がある19歳「話し方に理解を」(神戸新聞NEXT「生きるのヘタ会?」)(台帳: V0097)
実際の吃音の主な症状は3つあるとされています。言葉を繰り返す「連発」(「ぼぼぼぼくは……」)、引き伸ばす「伸発」(「ぼーーーーくは」)、言葉がなかなか出ない「難発」(「……ぼくは」)です。画面の中で繰り返し描かれるのは、たいていこのうちの一つ目だけです。
しかも、同じ人でも出方は場面によって変わります。伴奏に合わせて歌ったり、2人で同じ言葉を言ったりするように外からタイミングが与えられる場面では吃音が消えて流暢に話せるため、吃音は発話のタイミングの障害と言われています。相談に来た子が目の前ではすらすら話し、「気にならないですね」と言われてしまうことが起きるのもそのためです。
つっかえた一音だけが取り出されて、繰り返される
作品の中で「どもる話し方」が笑いの合図として使われると、その形は覚えやすい型になります。型になったものは、真似しやすくなります。
当事者の声(自助団体「小中高校生の吃音のつどい」への実名寄稿・中学時代の回想)
英語の授業で、本を読んだ。“We are …”というところを、“ウウィ、ウィーアー”と読んだんだろうか。連発型で。ぜんぜん読めないのとは違う。つっかえながらも一応、発音は間違いなく読めるるわけだが。すると、私がつっかえた所だけとって、“ウィ、ウィ、ウィ”としつこく、耳元で言うではないか。何かことある毎に、私をいじめたくなった時になのか、口うるさく言うようになった。
自助団体に寄せられた回想です。本人が書き留めているのは、読めなかったわけではない、という一点でした。内容も発音も届いていたのに、残ったのは詰まった一音だけで、それが耳元で繰り返される音になりました。当事者団体は、長いあいだ吃音が性格の欠点や身体的な不足を表すために、また笑いを取るために使われてきたとしたうえで、こうした型にはめた描き方には現実の帰結があると述べています。
出典: 英語のWe areが言えなかった教室と、僕を救ったコーラス部(小中高校生の吃音のつどい)(台帳: V0452)
その帰結として当事者団体が挙げているのは、流暢に話す人より弱く、能力が低いと誤って受け取られ、話し方に否定的で不適切な反応を向けられる、ということです。専門誌の総説も、社会はしばしば吃音のある人を否定的に描き、吃音を異常なものとする見方を強めてしまうと整理しています。
つまり、画面の中の一音の繰り返しは、画面の中だけで完結していません。それを見た人が持ち帰るのは「吃音とはこういうものだ」という型であり、教室で誰かの口元に向けられるのは、その型のほうです。
笑いの型になったあと、教室で起きること
真似は、笑いのかたちをしています。だからこそ、周りには出来事として見えにくく、止める理由も見つかりにくくなります。
当事者の声(吃音当事者ブロガー「私の吃音遍歴」・中学時代の回想)
しかも徐々に歌う人数が増えてくる。意味は分かりませんでしたが、何となく嫌な予感はしていました。そしてある日、同じように伴奏が始まって、例の歌詞がうたわれ始めたときに、前列に立っていた私は後ろからクスクス笑われながら蹴られたのです。この時、私の吃音が真似されていたんだと理解しました。それからしばらく「吃音モノマネ」は続き、その度にうまく言い表せない嫌な思いと、辛くてその場から逃げ出したい気持ちでいっぱいでした。
合唱の練習という、教室でいちばん無害に見える時間の記録です。伴奏が始まるたびに同じ替え歌が流れ、歌う人数が増えていく。本人が「真似されていた」と理解したのは、笑い声のなかで蹴られたあとでした。ここで起きているのは、真似と笑いと暴力が同じ場面に重なることであり、外からは合唱の練習にしか見えないことです。公的なポータルの解説も、吃音のある子どもは他の子から話し方を真似されたり笑われたりすることが多いとして、担任や保護者、支援者が本人に「真似されていない?」「笑われていない?」とそのまま聞くことを勧めています。
出典: 合唱の伴奏に乗せて吃音モノマネされ、蹴られた中学時代(私の吃音遍歴)(台帳: V0457)
ここで、よくある誤解を一つ外しておきます。当事者団体の指針は「緊張しているから吃るのではない。もし緊張しているように見えるとしたら、それは話し方を繰り返し笑われてきたからであることが多い」と、順序をはっきり書いています。緊張が先にあるのではなく、笑われた経験のほうが先にあるという向きです。
専門誌の総説は、社会から向けられる評価を受け続けることが、「流暢であるべきという期待に、自分の落ち度のせいで応えられない」という受け止め方——自分自身に向く偏見——につながると整理しています。同じ総説は、外からの話す圧力が身体の力みを増やし、結果として見た目の重さと伝えにくさをさらに増す循環にも触れています。
「個性」として描かれるとき、受け取り方は一つにならない
では、笑いものにさえしなければいいのか。近年の作品は、吃音のある人物を前向きに、あるいは魅力の一部として描くこともあります。その描かれ方も、当事者のあいだで受け取り方が割れます。
当事者の声(成人当事者・子がいる/個人ブログ)
その苦しみが個性と取られると、深刻な感じはなくて。「吃音で困ってる人は沢山いる」て啓蒙ムズカシスなのかなぁ。個性としてだとしてもありがたい話なのかな。軽い吃音持ちには励ましになるのかな?
小説やドラマでの描かれ方を並べて眺めたあとに、本人が書きつけた迷いです。前向きに描かれたことを歓迎しきれないまま、それでも「励ましになるのかな」と言い直している。断定を避けた文のまま終わっているところに、この人の立ち位置が出ています。当事者団体がメディアに求めているのも、吃音を「克服した」「打ち負かした」「治した」という文脈で扱うのではなく、あらゆる内容を形づくっている声の豊かな模様の一部として、吃音のある声がテレビ・ラジオ・映画で聞こえるようにしてほしい、ということでした。
出典: 吃音を「個性」として描く作品への受け止め(個人ブログ)(台帳: V0548)
同じ指針は、言葉の選び方も具体的に挙げています。吃音に「苦しんでいる」「冒されている」と言う代わりに「その人は吃る」と書くこと、誰かの吃音を「ひどい」「衰弱させる」と形容しないこと、「打ち負かす」「克服する」という言い方を避けること、そして物事が滞ったり失敗したりする様子を表すのに吃るという語を使わないこと。当事者団体は、吃音・吃るという語を失敗や出来の悪さの代名詞として使うのをやめてほしいとも述べています。
描かれ方は変えられる、という実例もあります。この団体は2020年に始めた取り組みで、百科事典の項目に書かれていた吃音のある著名人についての否定的な記述をすべて編集し、そのうえで自分たちが何をしたかを示す全国規模の広告を打ったと記しています。ただし、そこに書かれているのは取り組みの内容までで、効果を測った記述はありません。
実際の言いよどみは、7つに分けて数えられている
「どもる」という言葉は、ひとまとまりの現象を指しているように聞こえます。研究の世界では違います。話し言葉の言いよどみ(非流暢=話の流れが途切れる現象)について、言語聴覚療法・言語学・工学の研究を2000年から2023年まで横断的に集めた見取り図のレビューは、報告されてきた言いよどみを155の下位分類・368の定義として拾い出し、次の7つのカテゴリにまとめています。
- 繰り返し(音・音節・語の一部・語・句が繰り返される。38の下位分類・113の定義と、7つの中で最も種類が多い)
- 引き伸ばし(音が伸びる。11の下位分類)
- 言い直し(言いかけた表現を修正する。25の下位分類)
- 間(ま)(語と語の間や語の途中で音が途切れる。24の下位分類)
- つなぎ語(「えー」「あのー」のように意味を運ばない音や語。21の下位分類)
- 言いさし(語や句が最後まで産出されない。19の下位分類)
- ことば以外のふるまい(力みや目の動き、呼吸の調整など、外から見える身体の動き。17の下位分類)
大事なのは、この7つが「吃音の症状の一覧」ではないことです。同じレビューは、言いよどみは日常の会話でふつうに起きるもので、100語あたりおよそ2〜26回と報告されており、伝達を妨げるものでも、認知や言語の障害を示すものでもないと述べています。そのうえで言語聴覚療法の領域では、ふだんの話し方に出る一般的な言いよどみと、吃音に結びつく特徴的な詰まり方——音の繰り返し、引き伸ばし、そして声が出ないまま止まるブロック——を区別してきた、と整理しています。
もう一つ、このレビューが指摘しているのは、用語も定義も分野ごとにそろっていないことです。たとえば「音の繰り返し」ひとつをとっても、音素の繰り返しとするもの、子音や母音の反復とするもの、音節の繰り返しとするもの、語頭の文字の重複とするものが並びます。分類の枠組みの大半は英語の資料から作られており、英語以外の言語に適用していた研究は全体の29%でした。
この見取り図から言えるのは、ひとつです。画面の中で繰り返される「あ、あ、あ」は、研究が数えてきた言いよどみのごく一部の形であり、しかも研究者のあいだでさえ呼び方が定まっていないものを、たった一つの記号に縮めたものだということです。
「気が弱い」というイメージは、どこで作られるのか
ここからが、この記事のいちばん答えたかった問いです。なぜ「どもる登場人物」は、判で押したように気弱で、神経質で、笑いを担う役に置かれるのか。手がかりになる実験があります。
吃音のある人についての世間のイメージは、「過度に神経質で、不安が強く、引っ込み思案」という否定的な内容に大きく偏っている、という指摘は以前から繰り返されてきました。この研究が検証したのは、そのイメージがどうやって作られるかという仮説です。名前を「アンカリングと調整」といいます。人はまず、自分がふつうに言葉に詰まったときの感情を錨(いかり)のように基準として置き、そこから素早い当て推量で少しだけ目盛りを動かして、「吃音のある人」の像を作っているのではないか——という考え方です。
実験では、参加者に3つの人物像を評価してもらいました。吃音のある典型的な人、一時的にふつうの言いよどみが出ている人、そして典型的な男性です。25項目の評価尺度で比べた結果は、この仮説と整合するものでした。吃音のある男性への評価は、一時的に言葉に詰まっている男性への評価ととてもよく似ており、その両方が、典型的な男性への評価とは異なっていました。そのうえで、吃音のある人への評価は、いくつかの特性で小さいながら統計的に意味のある調整を受けており、一時的に詰まっている男性よりも否定的でなく、感情の振れも小さい像になっていました。著者は、この結果からステレオタイプの形成は、ふつうの言いよどみを経験しているときの自分自身の感覚を他人にもあてはめて広げ、そこから調整した結果だと考えられる、と述べています。
この見方に立つと、作品の中の「どもるキャラクター」がなぜ気弱で神経質に描かれやすいのかが、少し腑に落ちます。描く側も見る側も、参照しているのは実際の吃音のある人ではなく、自分が人前で言葉に詰まったときの落ち着かなさのほうだからです。そして同じ研究は、このステレオタイプが当事者の生活に否定的な影響をもたらすこと、そしてなぜこれほど一貫していて変わりにくいのかを説明することを、読者に向けた学習の目標として掲げています。
この論文は台帳に抄録までしか入っていません(原典が抄録公開のため)。参加者の人数や個々の項目の数値は、ここでは扱っていません。
当事者団体の指針は、事実の側から同じ誤解を打ち消しています。吃音は弱さでも欠陥でもないこと、呼吸のしかたが悪いなど本人が何か間違ったことをしているから起きるのではなく神経学的なものであること、能力や知性とは関係がないこと、語や場面を避けるために外からは分かりにくい場合があること、そして成長すれば自然に無くなるというものではないことです。
気になったときの相談先と、後ろ盾になる制度
作品をきっかけに自分や子どもの話し方が気になった場合、まず当たる先ははっきりしています。学会の解説は、年齢や状態に合わせた指導があるとしたうえで、小児を扱う言語聴覚士や、ことばの教室の教員に相談しましょうと案内しています。
学校の場面では、早めに話題に出せるかどうかが分かれ目になります。公的なポータルの解説は、吃音のある子どもは話し方を真似されたり笑われたり「なんでそんな話し方なの?」と質問されたりすることが多いとして、担任・保護者・支援者が本人に「真似されていない?」「笑われていない?」「話し方を質問されていない?」とそのまま聞くことを勧めています。学校では毎年クラス替えがあり、そのたびに真似や笑いを受ける可能性があるため、早期の発見と対応をオープンに話しておくことが予防につながる、というのがその理由です。日直の号令、音読、発表、かけ算の九九、学習発表会、卒業式といった困りやすい場面も具体的に挙げられています。
大人の場合は、学校や職場での吃音に対する差別的な言動・扱いは2016年に施行された障害者差別解消法によって禁止されており、発表や電話応対の免除、試験等での面接時間の延長といった配慮を求めることができます。ただしその際、医師の診断書や言語聴覚士の報告書の提出などが求められる場合があるとされています。
同じ立場の人と出会える場もあります。学会の解説は、当事者が「吃音があるのは自分だけではない」と認識し、共通の体験を語り合い、互いに援助し合うことを活動の中心とする自助団体を紹介し、1965年に発足した言友会が日本で最も歴史が古いとしています。自助団体に参加して他の吃音のある人と出会うことが、吃音を否定的に捉えることが減るといった心理的な変化のきっかけになることもある、とも述べられています。
「どもるキャラクター」をめぐって陥りがちな3つの落とし穴
落とし穴1 − 作中の話し方から、現実の診断名を決めようとする
アニメの人物は作り手が作った存在で、その話し方は演出です。実際の吃音は、症状の出方が場面によって大きく変わり、外からタイミングが与えられる場面では消えることもあります。描かれた一場面から現実の状態名を決めることはできませんし、逆に「この描き方は正しくない」と断じる材料にもなりません。作品の話は作品の話として、実際の話し方の話は出典に当たって別に確かめるのが確実です。
落とし穴2 − 「緊張しなければ治る」と受け取る
笑いの場面で描かれる「どもり」は、たいてい焦りや気弱さとセットになっています。ここから「落ち着けば話せるはず」という助言が出てきます。当事者団体の指針は、緊張しているから吃るのではなく、緊張して見えるとしたら話し方を繰り返し笑われてきたからであることが多いとして、この順序をはっきり否定しています。あわせて、方略を学んで管理したり和らげたりすることはできても、治すものではないとも述べています。
落とし穴3 − 本人がいない場所の真似なら無害だと考える
真似は本人の前で起きるとは限りません。けれど、教室でその型が共有されていれば、本人の番はいずれ来ます。真似や笑いを受けやすいからこそ、毎年その有無を本人にそのまま聞くことが勧められています。総説が整理しているように、社会から向けられる評価は、自分自身に向く偏見として本人の中に残っていきます。「その場にいなかったから関係ない」とは言いにくい、というのがここでの結論です。
よくある質問
アニメの「どもるキャラクター」の話し方は、実際の吃音と同じものですか?
作中の人物に現実の診断名を当てることはできません。実際の吃音には、言葉を繰り返す連発、引き伸ばす伸発、言葉がなかなか出ない難発という3つの主な症状があるとされ、出方は場面によって大きく変わります。画面で繰り返し描かれるのはこのうち最初の一つの形であることがほとんどで、研究が数えてきた言いよどみの全体像とは重なりません。
どうして「どもる登場人物」は、気が弱くておかしな役に描かれやすいのですか?
吃音のある人についてのイメージは「過度に神経質で、不安が強く、引っ込み思案」という否定的な方向に偏っていると報告されています。その像は、自分がふつうに言葉に詰まったときの感覚を基準として、そこから少しだけ調整して作られている可能性が実験で示されています。また当事者団体は、吃音が長いあいだ性格の欠点や身体的な不足を表すため、笑いを取るために使われてきたと述べています。
吃音のある人の話し方を真似するのは、なぜ問題になるのですか?
当事者団体は、型にはめた描き方には現実の帰結があり、流暢に話す人より弱く能力が低いと誤って受け取られ、話し方に否定的で不適切な反応を向けられると述べています。学校では真似・笑い・話し方への質問を受けることが多いとされ、本人にその有無をそのまま聞くことが勧められています。専門誌の総説も、社会からの否定的な評価が自分自身に向く偏見につながる筋道を整理しています。
言いよどみには、どんな種類があるのですか?
研究を広く集めたレビューは、報告されてきた言いよどみを繰り返し・引き伸ばし・言い直し・間・つなぎ語・言いさし・ことば以外のふるまいという7つのカテゴリ、155の下位分類に整理しています。言いよどみ自体は日常の会話でふつうに起き、100語あたりおよそ2〜26回と報告されています。言語聴覚療法の領域では、こうした一般的な言いよどみと、音の繰り返し・引き伸ばし・ブロックといった吃音に結びつく詰まり方を区別してきたとされています。
作品をきっかけに自分や子どもの話し方が気になったら、どこに相談すればいいですか?
学会の解説は、小児を扱う言語聴覚士やことばの教室の教員に相談するよう案内しています。学校では、真似や笑いを受けていないかを本人にそのまま聞くことが勧められています。大人の場合、学校や職場での差別的な扱いは障害者差別解消法で禁止されており、発表や電話応対の免除などの配慮を求めることができます。
まとめ
- 吃音のある人についての世間のイメージは「過度に神経質で、不安が強く、引っ込み思案」という否定的な方向に偏っていると報告されている。
- そのイメージは、自分がふつうに言葉に詰まったときの感覚を基準にして作られている可能性が実験で示されている。だから描かれる像は、実際の当事者ではなく見る側の記憶に似る。
- 当事者団体は、吃音が長く性格の欠点や身体的な不足を表すため、笑いを取るために使われてきたとし、その描き方が現実の帰結を生むと述べている。
- 実際の言いよどみは7つのカテゴリ・155の下位分類として整理されており、日常の会話でも100語あたりおよそ2〜26回起きる。画面の「あ、あ、あ」はその一部の形にすぎない。
- 気になったときの相談先は、小児を扱う言語聴覚士とことばの教室。学校では真似や笑いの有無を本人にそのまま聞くことが勧められている。