まず結論から
- 日本で吃音の研究と臨床をつないでいる学術団体は、日本吃音・流暢性障害学会です。研究の発展と、研究・医療・福祉・当事者どうしの活動に関わる人の相互交流を目的に掲げています。
- 「吃音教室」にあたる窓口としてガイドラインが挙げているのは、ことばの専門職である言語聴覚士のいる病院やクリニック、自治体のリハビリテーションセンター、大学に付属する相談室、児童発達支援センター、そして就学後は小学校の「ことばの教室」です。
- ただし同じガイドラインは、相談に応じている機関の多くが治療までは対応できないことも多い、と断っています。
- 支援する側の学びは足りていません。学校で働く言語聴覚士が最も自信を持てず、最も支えを必要としていたのは、吃音のある子への「介入」でした。
- 研究の側では、吃音はかつての「医学の謎」から複雑な神経発達の状態という理解へ進みましたが、生物のしくみと実際の話し方を結ぶ説明は、まだ欠けたままです。
ただし、ここに挙げた窓口や資料は「ここへ行けば良くなる」という意味ではありません。地域によって使える窓口は大きく違いますし、下で見るとおり、どの支援がどれだけ続くのかは研究の側でも答えが出そろっていません。
「吃音研究」は、誰がどこで進めているのか
まず、名前で辿れるところから確かめます。日本吃音・流暢性障害学会は、自分たちのことを「吃音及び流暢性障害(クラタリングなど)の研究の発展と、これらの障害の研究や医療・福祉・セルフヘルプグループ活動などに関わる者同士の相互交流を図ることを目的とした学会」と説明しています。流暢性障害というのは、話しことばの流れに関わる困りごとをまとめた呼び方です。研究者だけの集まりではなく、当事者どうしの活動に関わる人も最初から射程に入っている、という点がこの一文から読み取れます。
掲げられている目的は、研究を通じて臨床の進歩・発展を図り、吃音・流暢性障害のある人々の生活の質の向上を目指すこと。事業としては、学術集会の開催、原因・要因・評価・臨床についての研究と知識の普及、国内外の関連団体どうしの連携、機関誌の発行が挙げられています。事務局は金沢大学に置かれています。
活動の実体は、大会の記録から見えます。第13回大会は2025年8月23日・24日に九州大学医学部百年講堂で、第12回は2024年9月7日・8日に川崎医療福祉大学で開かれました。2018年7月には広島国際会議場で、吃音とクラタリングの世界合同会議として行われた回もあります。そして各大会のプログラム・抄録集は、PDFでダウンロードできる形で公開されています。日本語で書かれた吃音の発表に、ここから直接たどり着けます。団体そのものの違い(学会・協会・自助グループ・研究会)は名前が似た4団体を並べた記事で扱っているので、ここでは繰り返しません。
もう一つの柱が、国の研究班がまとめた幼児吃音臨床ガイドライン2021です。国立障害者リハビリテーションセンターの広報誌も、幼児の吃音について世界的には2000年前後から研究が急速に進み、有効率の高い治療方法が複数報告され、先進国では早期治療が標準になっていると書いています。
では、研究全体としてどこまで来たのか。米国の国立機関が開いたワークショップの総説は、吃音をかつて医学の謎と考えられた話しことばの障害と振り返り、いまや複雑な神経発達の状態として広く理解されるようになったとしたうえで、生物学的な基盤についての問いは多く残り、生物のしくみと実際の話し方を結ぶ説明はまだ欠けていると明記しています。この空白が、科学に導かれた新しい支援の開発を妨げてきた、とも書かれています。
そしてもう一つ、研究の側が自分で認めている偏りがあります。根拠にもとづく実践は複数の種類の証拠を突き合わせて成り立つのに、吃音の文献では臨床の現場で積まれた知見と、当事者自身の経験にもとづく知見が十分に代表されていないという指摘です。「吃音研究」と名のつくページを読んでも自分の生活の話に思えないとしたら、それは読み手の理解力の問題ではなく、文献の側の偏りでもある、ということになります。
「吃音教室」を探しているとき、行き着く先はどこか
研究の紹介を読んでいるうちに、知りたいことが「どこへ行けるのか」に変わっていく。これは自然な流れです。実際に足を運んだ場所の記録から見ていきます。
吃音のある娘と参加した母の声(広島県・自助団体が開く親子サマーキャンプの参加者感想)
初めてサマーキャンプに参加させてもらって、一番の感想は、楽になったということです。今までは子どもがどもるのがどうしても気になって、うまく話せさえすればこの子もこんなに苦労せずにすむのに、かわいそうに、とか、将来どうなるんだろうとか、治す方法はないか、などいつも頭の片隅にそういう考えがありました。そういう心配は口には出さないでも顔には出ていたかもしれません。子どもの気持ちを分かろうとしすぎて、かえって子どもを追いつめていたかもしれません。でも、キャンプで高校、大学、そして大人の方々がすごく堂々と、いきいきと話している様子、そのままで大丈夫だよ、という安心感に、何だかすごく楽になれて肩の力が抜けていくのが分かりました。
3日間のキャンプでした。下は幼稚園から上は高校3年生までがひとつのグループを作り、芝居の練習をする。劇があり、作文があり、話し合いがある。親どうしの話し合いの時間もありました。同じ回の報告には、中学2年生だった娘さん自身の感想も並んで載っています。母親が「楽になった」と書いたのは、誰かに説明されたからではなく、高校生・大学生・大人が話している様子をその場で見たからでした。公的な資料も、こうした自助グループを相談先の一つとして名前を挙げています。
出典: 第15回吃音親子サマーキャンプ〜参加者の感想〜(吃音と上手につきあうための吃音相談室)(台帳: V0524)
では、こうした場はどう探せばいいのでしょうか。幼児吃音臨床ガイドライン2021は、相談先の種類をこう並べています。幼児の吃音の治療経験がある言語聴覚士のいる病院やクリニック、自治体の(小児)リハビリテーションセンター、大学教育学部に付属する発達や言語の相談室。地域の児童発達支援センターには言語聴覚士が在籍する場合が多く、相談窓口になっている、とも書かれています。就学後については、小学校の通級指導教室である「ことばの教室」が指導にあたり、就学前相談を受けている地域もあるとされています。
近くの施設が分からないときの順序も示されています。まず地元の保健センターに問い合わせるか、各都道府県の言語聴覚士会に問い合わせる。それでも見つからない場合は日本言語聴覚士協会に問い合わせることを勧める、という順です。学齢期については別の公的な資料が、中学校にも「ことばの教室」が少しずつ設置されてきていること、通っている学校か地域の教育委員会に相談すればその地域の学校に設置されているものを紹介してもらえること、学校以外の専門機関については各都道府県の言語聴覚士会や発達障害者支援センターに問い合わせるとよいことを書いています。自助グループの情報も、言語聴覚士会に問い合わせれば分かるとされています。
ただし、ここで一つ注意が要ります。ガイドラインは同じ設問の解説で、相談に応じている機関の多くが治療までは対応できないことも多いと明記しています。さらに、吃音の専門家の認証や登録のしくみは日本にはまだ無く、相談に対応している施設の種類は多いものの、吃音に対応しているかどうかを明示していない場合もしばしばあって分かりにくい、という課題も書かれています。名前だけでは中身が分からない——これは民間の場だけの話ではなく、公的な窓口についてもガイドライン自身が認めていることです。
「吃音実験」——装置を自分の耳で試した人の記録
研究で使われる道具のいくつかは、当事者が実際に身につけて試すものです。半世紀近く前にそれを自分で試し、何が起きたかを書き残している人がいます。
当事者の声(吃音についての自己研究を続けている個人ブログ・ハンドルネームでの発信)
前置きはこれくらいにして、まず私は遅れ時間を0.15秒?くらいに設定して実験を開始した。?がつくのは、はっきり覚えていないから。しかし文献は少し読んでいたから、大体の見当はつけていた。遅れ時間をいろいろ変えて実験したから、大体の遅れ時間は覚えている。DAF装置を装着し、いろいろ思いつく言葉を発音してみた。最初はDAFによる影響は出なかった。しかしヘッドフォーンから出る音量を上げていくと、ついに連発が出始めた。その音量はこの実験を続けると難聴になるのではないかと心配になるレベルだった。
DAF というのは、自分が発した声をわずかに遅らせてヘッドホンから返す装置のことです。この人が体験したのは46〜47年ほど前。知人が、ことばの教室の先生か言語聴覚士のところにあった装置を使わせてくれたもので、テープデッキに遅延装置を取り付けた手づくりの機械だったと書かれています。遅れ時間を0.13秒や0.18秒に変えながら試し、音量を上げていったところで、音を繰り返す連発が出始めた。個人の記録なので効き目の証拠にはなりませんが、研究の道具が当事者の手元まで降りてきたときに何が起きるかが、ここには具体的に残っています。この装置は現在も、支援の選択肢の一つとして資料に載っています。
出典: DAF吃音を体験して考えたこと(吃音ノート)(台帳: V0525)
国の研究班が運営する解説ページは、学童期の項でこう書いています。重い場合には、遅延聴覚フィードバック装置(自分の声を遅らせて返す装置)を授業中に使うことも選択肢となる。この装置は装用している間のみ効果があるとされているが、数か月以上使うことで吃音の頻度も下がるという研究がある、という説明です。青年期・成人については、重い場合に選択肢となるものの有効なのは半数程度だとも書かれています。同じページには、斉読やリズムに合わせた朗読、柔らかくゆっくり言う練習、わざと軽くどもってみせる練習、認知行動療法といった手法も並んでいます。
もう一つ、「実験」という言葉を手がかりに知っておくと役に立つことがあります。研究の場面そのものが、生活の場面とずれているという指摘です。ワークショップの総説は、吃音は社会的なやりとりの中で起きるのに、実験の条件がその生態的な妥当性を満たしている研究はほとんどないと書いています。見知らぬ相手ではない臨床家とのやりとり、大きな音のする脳の撮影装置の中、誰かに何かを伝える意図のない単語の発音——いずれも、ふだんより流暢な話し方を引き出してしまう。しかも多くの研究は、実験中に起きた吃音そのものを、動きや感情の反応によるノイズとして解析から外している、とも述べられています。だから脳の画像研究は、表に出た吃音との関係ばかりを見ていて、当事者がよく訴える「コントロールを失う」という感覚そのものを扱えていない。研究の数字が自分の実感とずれて見えるとき、その理由の一つはここにあります。なお「吃音実験」という言葉で1930年代の有名な出来事を探している方は、通称モンスター・スタディを扱った記事のほうが目当てのものです。
支援する側は、どこで吃音を学んでいるのか
「吃音の講習会」「吃音の研修会」を探しているのは、当事者だけではありません。先生や専門職が、自分の学びの場として探していることもあります。ここに、大学院まで進んで吃音を学び、いま学校で働いている人の記録があります。もともとは理科が好きで中学校の理科の教師を目指していた人が、自分の学級に吃音の子がいたときに何ができるだろうかと考えて、吃音について調べてみた——その続きです。
吃音のある特別支援学校教諭の声(個人ブログ・教員を目指す当事者に向けて書かれた記事)
ところが、吃音は古代から様々な治療法が考案されてきましたが、「実はよくわかっていない」ということがわかりました。当時(1990年代後半)の教員採用試験は採用人数が少なく、現役で合格するのは困難でした。それなら吃音について勉強してから教師になってもいいかなと考え、言語障害の講座があり、吃音を専門とする研究者のいる教育系の大学院へ進学しました(かなり限定されますね・・・)。
調べた先で行き当たったのが、「実はよくわかっていない」という現在地でした。そこから、言語障害の講座があり吃音を専門とする研究者のいる大学院へ進み、いまは特別支援学校で教えています。子どもから「どうしてそんなしゃべり方するの?」と聞かれたときには、「吃音という障がいなんだ。大学院で研究したけど、よくわからないんだって」と答えていると書いています。研究の最前線を通ってきた人が、教室でその言葉をそのまま使っている。支援する側がどこで吃音を学ぶのかという問いは、研究の側でも繰り返し測られてきました。
出典: 吃音の現役教師が吃音の教員志望者に伝えたいこと(note)(台帳: V0315)
その測定の結果は、はっきりしています。米国のある地域で学校に勤める言語聴覚士に尋ねた調査では、回答者が最も自信を持てず、最も支えを必要としていたのは、吃音のある児童生徒への介入でした。介入への支えを最も必要とした人ほど、吃音の理論・評価・介入についての知識が乏しいと自己評価していました。一方で、担当している児童生徒の数、吃音についての卒後の研修、理論や評価の知識が多いほど介入への自信は高く、大学院で吃音の科目を履修した人は自信が高く、専門家の支えを必要としにくかったとも報告されています。
その大学院の側はどうか。米国の養成課程を調べた報告は、以前の調査と比べて座学の時間は平均して増え、教室での実習や到達度の試験も取り入れられた一方で、流暢性障害の臨床経験を豊富に持つ教員は減っていること、臨床の必修は増えたものの、この領域の教育が最低限にとどまる課程が依然として多いことを述べています。直接の臨床経験は限られ、教員の専門性は下がり続けており、学生の自信と力量を上げるには大学院での学び以上の取り組みか、職業全体のしくみの変更が要るかもしれない、というのが結論です。
同じテーマの研究を決まった手順で集めて突き合わせた論文(系統的レビュー)は、自信を左右する要因を14個並べています。報告した研究の数が多い順に、継続的な専門教育、担当している吃音のある人の数、治療を実施するための支え、吃音についての知識、正規の教育、経験年数、吃音との関わり、吃音のある人との親しさ、過去の治療の結果——と続きます。結論では、臨床の力量を高めるには継続的な教育と支えが重要で、狙いを定めた専門性の開発、支えのある職場、そして吃音のある人との親しさが自信と熟達に良い影響を与えるとしています。オーストラリアの全国調査でも、支援する側が求めていたのは、実際に手を動かす学習、他の人の支援を見る機会、指導を受けること、そして参加しやすい研修でした。
日本の事情も重ねておきます。国立障害者リハビリテーションセンターの広報誌は、吃音になる幼児の10分の1だけが医療機関を受診するとしても全員を診られるだけの人数の専門家はいないとしたうえで、「幼児の吃音についてはすでに医療崩壊状態と言ってもいいくらいです」と書いています。専門家はすぐには増やせないので、現状では一般の相談・診療機関が詳しい説明や経過観察を担い、必要を見極めて治療施設に紹介する連携が必要だ、という提案が続きます。学ぶ場そのものは用意されていて、日本吃音・流暢性障害学会のサイトには、本会主催の講習・研修会と、他機関主催の研修会・講習会を案内するページが置かれています。
クラスで「分かってもらう」とき、何が効いて何が逆に働くか
吃音を人に伝えるための素材を探している人もいます。授業で使うクイズ、文化祭の出し物、体験してもらう企画。ここは、やり方によって結果が反対になりうる場所です。まず、自分の言葉で伝える側に立った高校生の記録から。
吃音のある高校生の声(個人ブログ・地元の吃音のつどいでの体験談発表を本人が文字起こししたもの)
私は物心ついた頃から吃音症です。私には連発と難発の症状があります。この発表で使っている文章は、吃る母音を避けて作っているのであまり症状がでることはありませんが、普段の会話や国語の音読、特に沈黙を破ることが苦手です。今までで一番辛かったのは、小学生のとき、吃音が一番ひどかった時期です。「普通に喋って。」「早く言って、イライラする。」「障害者じゃん。」実際に言われていた言葉です。
70名以上を前にした発表でした。とても緊張したけれど、吃りながらも最後までやり切ることができた、と本人が書いています。読み上げた原稿は、詰まりやすい母音を避けて組み立てられたものでした。つまり、話す前から準備が始まっている。発表の後半では、生徒会に選ばれたときの理由や、職員室に鍵を返しに行くときに声が出ずに固まる時間のことまで、自分の言葉で語られています。伝える側に立つとはこういうことだ、という具体例です。ここから、「分かってもらう」ための企画の話に移ります。研究が慎重になるのは、当事者ではない人が吃音を演じてみせる形式についてです。
出典: 吃音のつどい体験発表(note)(台帳: V0526)
言語聴覚士の養成教育について書かれた論文が、この形式を正面から論じています。吃音のない人が自分の自然な話し方にない振る舞いをまねること——論文はこれを疑似吃音と呼びます——は、最も単純で一般的な定義では障害の模擬体験にあたると、論文自身が認めています。障害の模擬体験は、共感を育てる練習として使われてきた一方で、かえって害になりうると批判されてきました。短い時間の模擬では、その障害とともに生きることの全体を経験したと誤解してしまう。障害を時折の不便として捉えてしまう。共感ではなく同情や憐れみを生む——という指摘です。
とくに注意が要るのは、回数と場面の少なさです。論文は、試行が少なすぎると、吃音への恐れと決めつけを強めるかたちで害になりうるとし、ごく短い模擬はむしろ何もしないより悪い印象を残しうると述べています。そして結論部で、設計の原則に従わず不正確に枠づけられた場合、この課題は非倫理的になりうる(そしておそらくなる)と書いています。目的を共感に置くのではなく、学生が臨床でともに実演し導けるように準備することが目的だ、というのが論文の立場です。これは言語聴覚士を目指す学生の授業についての議論であって、小中学校の理解授業をそのまま論じたものではありません。逆に「だから有害だ」と断定できる材料でもありません。ただ、「一度わざとどもってみれば分かる」という思いつきが、そのままでは勧められないことは、はっきり書かれています。
理解を広げる取り組みの効き方についても、測った研究があります。インドの大学生を対象に、事前の得点で三つの群に分け、群ごとに内容を変えた働きかけを行った研究では、態度は改善したものの、群ごとに内容を変えたことによる違いははっきりしませんでした。さらに、事前と事後の変化で並べ替えると、得点の低かった人が高くなり、高かった人が低くなるという入れ替わりが現れ、改善は統計的に意味のある大きさだったものの安定性は限られていた、とされています。結論は、下位のグループごとに働きかけを仕立てる工夫が、より効果的な形で必要だ、というものでした。誰にでも同じ素材が同じように効くわけではない、ということです。
もう一つ、直感に反する報告があります。吃音のある人と知り合いかどうかを尋ねたうえで、職業ごとの勧めやすさを測った調査では、知り合いであることは、どの職業についても評点に意味のある影響を与えませんでした。話す量の多い職業についても同じで、関係の近さや種類でも評点は変わらなかったと報告されています。「身近に一人いれば見方は変わる」という期待は、少なくともこの調査では支持されませんでした。伝える取り組みを「一度会わせれば済む」と設計しないほうがよい、という材料になります。
研究の結果を読むとき、押さえておきたいこと
ここまでで出てきた数字や結論を、どう受け取ればいいのか。手がかりを3つ置いておきます。
1つめ。まだ分かっていないことは、研究者自身が名指しで挙げています。吃音の神経生物学をまとめた総説は、未解決の謎を3つに絞って提示しています。話すときには吃音が出るのに歌うときには出ないのはなぜか。伝える相手がいる場面では出るのに、そうでない発話では出ないのはなぜか。そして、女の子のほうが男の子より回復することが多いのはなぜか。同じ総説は結論部で、紙幅の都合で扱えなかった有望な話題も自分から列挙しています。仕組みの話をもっと読みたい方は、吃音のメカニズムの記事で分かっていることと仮説の線引きを整理しています。
2つめ。実験室で見えたことは、そのまま生活の話ではありません。前に見たとおり、研究の場面は生活の場面よりも流暢な話し方を引き出してしまい、多くの研究は実験中に起きた吃音そのものを解析から外しています。だから、研究で示された数字が自分や子どもの一日の感じと合わないことは、むしろ起こりうることです。
3つめ。当事者と臨床家の両方に同じことを聞いて、合意を取る研究が始まっています。吃音のある成人と、吃音の支援の経験がある言語聴覚士の双方に、同じ項目への賛否を何巡も繰り返して尋ねた研究があります。48人が参加に同意し、1巡目は48人全員、2巡目は48人中40人、3巡目は40人中36人が回答を続けました。1巡目の内容分析から101の記述が作られ、そのうち89の記述が、成人への支援の中核をなす要素として合意に達しました。合意された内容は、吃音に対する本人の反応、生活への参加が制限されること、環境の側の要因という3つの領域に整理されています。「流暢に話せるようになったかどうか」だけが物差しではない、という方向へ、研究の側が動いている一例です。
論文そのものをどう探し、どう読み分けるか(総説・系統的レビュー・ガイドラインの違いや、数字が資料によって食い違う理由)は、論文の探し方と読み方の記事にまとめています。特定の大学が何を調べてきたかを知りたい場合は、筑波大学の吃音研究の記事が、原典に大学名がある研究だけを地図にしています。
研究のページの先にある、相談先
調べものの出口として、窓口を整理しておきます。就学前から学齢期にかけては、次の順で当たるのが、ガイドラインが示している道筋です。
- 幼児の吃音の治療経験がある言語聴覚士のいる病院やクリニック、自治体の(小児)リハビリテーションセンター、大学教育学部に付属する発達や言語の相談室、地域の児童発達支援センター
- 就学後は小学校の通級指導教室である「ことばの教室」。中学校にも少しずつ設置されてきており、通っている学校か地域の教育委員会に相談すると設置状況を紹介してもらえます
- 近くの施設が分からないときは、地元の保健センターか、各都道府県の言語聴覚士会へ。それでも見つからなければ日本言語聴覚士協会へ
- 学校以外で相談を受け入れている専門機関は、各都道府県の言語聴覚士会や発達障害者支援センターに問い合わせる。自助グループの情報も言語聴覚士会で分かります
幼児期については、まず周囲の対応を変える方法(環境調整)から始める、という説明が国の研究班の解説にあります。周囲の者がゆったりと楽に話し、吃るかどうかではなく内容を聞くように努める、というのがその中身です。そのうえで、悪化が見られる場合、発吃後1年半から2年以上経過した場合、就学1年前までに治らない場合、あるいは吃音の家族歴などの危険因子がある場合には訓練を行う、と判断の目安が示されています。
待たされたり、たらい回しに感じたりすることがあるかもしれません。その背景には、専門家の人数が足りず、一般の相談・診療機関が経過観察を担って必要に応じて紹介するという連携が必要とされている、という事情があります。窓口の側の問題であって、相談した人の問題ではありません。
「吃音研究」を調べるときに陥りがちな3つの落とし穴
落とし穴1 − 名前に「研究」と付いている場所を、治してくれる場所だと思う
ガイドライン自身が、吃音の専門家の認証や登録のしくみは日本にまだ無く、相談に対応している施設の種類は多いものの、吃音に対応しているかどうかを明示していない場合もしばしばあって分かりにくい、と書いています。同じ解説には、相談に応じている機関の多くが治療までは対応できないことも多い、という注意もあります。学術団体のほうも、目的に掲げているのは研究の発展と、関わる人どうしの相互交流です。名前からは中身が分かりません。問い合わせるときは「吃音の相談・指導を行っているか」を、施設の種類ではなく直接確かめるのが確実です。
落とし穴2 − 「一度わざとどもってみれば分かる」と考える
短い時間の模擬体験は、障害を時折の不便として捉えさせてしまい、共感ではなく同情を生みうると批判されてきました。試行が少なすぎると恐れと決めつけを強めるかたちで害になりうる、ごく短い模擬は何もしないより悪い印象を残しうる、とも書かれています。これは言語聴覚士を目指す学生の授業についての議論なので、学校の理解授業にそのまま当てはめることはできません。ただ、「体験させれば伝わる」を出発点にしないほうがよい、とは言えます。伝わりやすいのは、上で見たように当事者自身が自分の言葉で話す形です。
落とし穴3 − 研究の紹介を読んだだけで、調べものを終える
研究のページは、読み手がどこへ行けばいいかまでは書いていないことがほとんどです。相談先の経路は公的な資料に書かれていますし、日本語で読める発表の抄録集は学会のサイトで公開されています。そして、相談に行くときに役に立つのは「どんな場面で、どのくらい出ているか」の記録です。研究の側も、当事者自身の経験にもとづく知見が文献に十分に代表されていないことを課題として挙げています。
まずは気づいたことを書き留めておくことから小さく始め、言語聴覚士やことばの教室に相談できる場合はそちらが確実です。
よくある質問
「吃音教室」というものはありますか?
公的な経路としては、小学校の通級指導教室である「ことばの教室」があり、中学校にも少しずつ設置されてきています。ガイドラインはほかに、幼児の吃音の治療経験がある言語聴覚士のいる病院やクリニック、自治体の(小児)リハビリテーションセンター、大学教育学部に付属する発達や言語の相談室、地域の児童発達支援センターを挙げています。ただし、相談に応じている機関の多くが治療までは対応できないことも多いという注意も同じ資料に書かれています。
吃音の研究をしている学会はどこですか?
日本吃音・流暢性障害学会です。吃音と流暢性障害の研究の発展と、研究・医療・福祉・当事者どうしの活動に関わる人の相互交流を目的に掲げており、事務局は金沢大学に置かれています。第13回大会は2025年8月に九州大学医学部百年講堂で開かれました。各大会のプログラム・抄録集はPDFで公開されているので、日本語の発表はそこから読めます。
支援する側が学べる講習会や研修会はありますか?
学会のサイトには、本会主催の講習・研修会と、他機関主催の研修会・講習会を案内するページが置かれています。研究の側では、支援する人たちが求めているものとして、実際に手を動かす学習、他の人の支援を見る機会、指導を受けること、参加しやすい研修が挙がっています。大学院で吃音の科目を履修した人は、吃音のある児童生徒への介入に自信を持てていたという報告もあります。
授業で吃音を伝えるとき、クイズや「わざとどもる」体験は役に立ちますか?
慎重に設計する必要があります。言語聴覚士の養成教育を論じた論文は、吃音のない人が行う疑似吃音は定義上は障害の模擬体験にあたるとしたうえで、試行が少なすぎると恐れと決めつけを強めるかたちで害になりうる、ごく短い模擬は何もしないより悪い印象を残しうる、と述べています。理解を広げる働きかけを測った研究でも、態度の改善は見られたものの安定性は限られ、群ごとに仕立てる工夫が要るとされています。学校の理解授業を直接調べたものではないため、そのまま当てはめることも、逆に「有害だ」と断定することもできません。
吃音の研究は、いまどこまで進んでいますか?
ワークショップの総説は、吃音がかつて医学の謎と考えられた状態から、複雑な神経発達の状態として広く理解されるようになったと述べる一方で、生物のしくみと実際の話し方を結ぶ説明はまだ欠けている、としています。神経生物学の総説も、なぜ歌うときには出ないのか、なぜ伝える相手がいる場面で出るのか、なぜ女の子のほうが回復しやすいのか、という3つを未解決の謎として挙げています。
まとめ
- 日本で吃音の研究と臨床をつないでいるのは日本吃音・流暢性障害学会で、事務局は金沢大学、第13回大会は2025年8月に九州大学医学部百年講堂で開かれた。プログラム・抄録集はPDFで公開されている。
- 「吃音教室」にあたる窓口は、言語聴覚士のいる病院やクリニック、自治体のリハビリテーションセンター、大学に付属する相談室、児童発達支援センター、就学後は「ことばの教室」。ただし相談に応じている機関の多くが治療までは対応できないことも多い。
- 支援する側の学びは足りていない。学校で働く言語聴覚士が最も自信を持てなかったのは介入で、大学院で吃音の科目を履修した人は自信が高かった。養成課程の側では、臨床経験の豊富な教員が減っている。
- 「わざとどもってみせる」形式は、回数と場面が少ないと恐れと決めつけを強めるかたちで害になりうる。理解を広げる働きかけも、改善は見られるが安定性は限られる。
- 研究は「医学の謎」から複雑な神経発達の状態という理解へ進んだが、生物のしくみと話し方を結ぶ説明はまだ欠けており、歌・独り言・男女差という3つの謎が残っている。